―今週のレースは、非常にエモーショナルなウィークになると思うのですが、まずは今の率直な印象を聞かせてください。
「今回が最後のレース、というのは確かに事実なんですが、それを極力考えないようにしている、というかできるだけそう努めている、というのが正直なところです。皆に対しても、『何か特別なことをするのではなく、いつものように勝ちを狙って週末をしっかりと組み立てていこう』と話しています。今年に限ったことではなくシーズン最後のレースでは、エンジンも車体の部品も距離が進んでいるのでトラブルは防がなければならないし、ふたりのライダーとオートバイの持てるポテンシャルを100パーセント出せるように準備を進めよう、と話をしています」
―ついに最後のレースが来てしまった、ということは考えますか?
「気持ちのどこかにはあると思います。そんな自分の心を見ないようにしている、というところはありますね。ゴールした後にどういう感情になるんだろう、と想像すると沸き上がってくるものはあるんですが、それを意識するとえてしていい結果には結びつかないのかな、と思ったりもするので、極力、常日頃やってることを淡々と進めていきましょう、と思っています」
―この一年を振り返ると、だいぶ昔のことのような気がしますか?
「つい最近のような気もするし、撤退という話が出る前のカタールの開幕戦がどうだったかと考えると、何年も前のことのようにも感じますね。そこからいろいろなことがあって、考える暇もなく時間が転がるように過ぎていったので、遠い昔のようでもありつい最近のことのようでもあり、という複雑な気持ちです」
―今年の開幕戦の話題を振り返ると、リアのデバイスが熟成してきて、ようやくライバル陣営と互角になってきたという時期でもありました。
「リアのデバイスをデビューさせたのは昨年の後半戦オーストリアからで、うちはいちばん後発だったのでそこから熟成を進めて今回の最終戦ギリギリまで熟成を続けてきました。先月の10月ももてぎでテストをしていて、そこでテストして良かった最終バージョンを今回のレースに持ち込んでいます。成績や性能には最後までこだわって、いい状態でシーズンを終えたいと思っています。今年のバイクについては、特にどこか一点に注力をしたわけではありませんが、全体のバランスを崩さないようにしながらも馬力はいつもの年よりも大きいステップで性能アップできたので、開幕段階から良い手応えを掴んでいました」
―カタールではトップスピードが出ていて、それが大きな話題にもなりましたね。
「セッションによっては、うちのライダーがトップスピードで1-2を記録しました。こんなことは今までになかったことなので、画面のキャプチャを撮ってすぐにエンジン開発担当にLINEで送信しました。担当者は、私からLINEの連絡が即座に届くということは何かヤバいトラブルでもあったんじゃないか、と思ってドキッとした、というんですけど(笑)。とはいえ、他メーカーも毎年良くなっているので、トータルの競争力では勝負はそれほど単純ではない、というのが事実ではありましたね」
―今年は新しいチームマネージャー、リビオ・スッポ氏の加入も開幕前に大きな話題になりました。たしか最初の発表の時は、複数年契約という話でしたね。
「リビオは複数年にわたって指揮を執るつもりで入ってきて、初戦でもいい具合にバイクの性能が出ていたので『これは行けるぞ』というときにあの知らせでした。なので、せっかく来てくれたリビオには申し訳ないことをしたと思っています」
―スッポ氏が加入したことで、佐原さんの仕事はラクになりましたか?
「通常なら、今年はスタッフもライダーも契約更新の年だったんですよ。それを自分ひとりでやるのは作業の工数的にも厳しいところがあったので、私とお互いに理解しあって交渉ごとを進めていくことのできる人材に加入してもらうことは必須でした。撤退の話が出てきたために、結果的に契約更新の交渉ごとはなくなって、そのかわりにスタッフたちが次のいい仕事に就けるようにという方向へ転換することになったのですが、リビオはこの世界の経験が長くて顔も広いので、スタッフの就職先探しではすごく力になってくれました。また、セッション中のピットレーンインタビューなどはリビオが対応してくれて、私はそのぶん自分本来の仕事にエネルギーを注げるようになったので、その点でもずいぶん助かりました」
―その撤退の話ですが、我々が初めて噂を聞いたのはスペインGP翌日のヘレステストのときでした。
「あまりにも早く噂が広がったので、正直なところかなり驚きました。ひと晩もすれば世間に知られることになるだろうとは思っていましたが、チームスタッフに話をした10分後に広まるとは思っていなかったですね」
―佐原さんたちが話を聞いたのはいつだったのですか?
「詳細については差し控えたいのですが、みんなに伝えたのはヘレステストの終了後でした。自分はその一週間前には会社から連絡を受けていました。皆に伝えるまでの一週間は、精神的にも辛いといえば辛い期間でしたね。
スズキの社内でレース活動を承認してもらうのは毎年のことで、会社としての活動なので当たり前なのですが、レース活動の継続可否も含めて活動内容は議論されるんですよ。ただ、時期的に4月は過ぎていて翌シーズンのレース活動継続は確信していたところに撤退の話だったので、びっくりもしましたし、ライダーたちと更新の交渉を進めていたのも事実なので、いろんなことがめまぐるしく頭を駆け巡る一週間でした」
―それにしても今回の撤退発表は、外部からは急な決断に見えました。
「経営陣の中でどのような会議があってどんな話し合いがされたのかはわからないのですが、それだけに、私にも急に思えましたね。撤退という会社の決定が正しかったのか間違っていたのかということに私は言及できる立場ではないですが、当時は、撤退を覆せないのであればなんとか他の方法でチームやバイクやスタッフが生き残る方法はないのか、ということを考えました」
―撤退、という今回の決定からは、スズキが長年かけて連綿と培ってきたレース文化とその活動を通じた潜在的顧客への訴求効果は切り捨ててもかまわない程度のものだという会社側の判断が透けて見えるようで、そこにファンはがっかりしているのだと思います。
「私たちはレースという仕事に誇りを持ち、求めてきた目標をそれなりに達成してきた、という自負があります。お客様やファンの方々にスズキのブランドをポジティブな形でアピールし、それが最終的にスズキのビジネスに繋がっていくと信じてレース活動に取り組んできたので、撤退の決定を知ったときには、そのブランディング活動がなくなってしまう影響はものすごく大きいだろうと思いました。今までレースを通じて行ってきたそのブランディング活動を、これからどうやって世の中に訴求していくのか、ということを考えなきゃいけないんですが、私自身は今まだ答えを見つけられていません。また、これまでもブランディングという観点でレース活動の意義を社内で啓蒙し理解者を増やす活動もしてこなかったわけではないのですが、おそらく充分ではなかったのだろうと反省しています。
自分自身、スズキのバイクや車のオーナーなんですよ。そんなひとりのオーナーとして、スズキのバイクがMotoGPで活躍してくれるとうれしいし、応援したいという気持ちになる。私が応援すれば、家族も一緒に応援してくれる。これはスズキユーザーやファンに対する大切なサービスのひとつだと思うし、企業として大事な活動だとも思っています。特にレースが文化となっている欧州では、子供の時からレースを見てそこで走るブランドが記憶に刻み込まれて、将来スズキの商品を選択肢として考えてくれるということもあります。レース活動はたしかにお金はかかるんですが、お金をかけるだけの価値がある重要な活動だと思っていました」
―撤退を覆すことが無理ならば何らかの形で生き残ることができないか考えた、という話ですが、それは社内でそのような打診をする回路のようなものがあったということですか?
「詳しくは言えませんが、私とリビオが中心になって、バイクや機材やスタッフを違う形で活かしてレースに関わっていけないかと模索をしました。結果としてそれが実を結ばなかったので、自分たちに何か足りないものがあったということなんでしょうね」
―撤退発表後は厳しいレースが続きました。シーズン序盤はアレックス・リンス選手が連続表彰台を獲得し、ジョアン・ミル選手もいい走りを披露していました。しかし、撤退発表後はガタガタっと成績が低迷していったようにも見えます。やはり、撤退という発表はチームの雰囲気的に何らかの影響を及ぼしたのでしょうか?
「けっしてそこで意気消沈したわけではありません。撤退するのであれば今年勝つことがなおさら重要になった、という意識はチームの皆が持っていたと思います。これは言っていいことかどうかわからないのですが、会社を見返してやりたいという気持ちもチームの中にあったようにも思います。ただ、うまく結果につながらなかったのも事実です。それはあくまで巡り合わせのようなもので、撤退の話と因果関係はないと思うのですが、強いて言えば、チーム全体として何か気負いのようなものがあって、高いモチベーションが空回りした影響は、ひょっとしたらあったのかもしれません」
―そうやって噛み合わないレースが続いてきただけに、第18戦オーストラリアGPで勝ったレースは劇的でした。
「『どうしても1勝はしなきゃいけない』という気持ちは皆の心の中にあったんですが、それを口にすると結果が逃げてしまいそうな気がして、誰も言葉にしなかったんですよ。これって日本人的な発想なのかなと思ったら、特にそういうわけでもないみたいで、ヨーロッパ人のスタッフたちも同じように感じていたみたいです。口に出さなくても、皆が心の中で、勝ちがほしい、と思っていたんですね。うちのライダーたちは、ジョアンとアレックスが競い合って高めあっているところがあるんですよ。ジョアンがしばらくケガで欠場していたときは、アレックスが本来の力を出せていなかったような気もします。ジョアンがケガを治して復帰してきたオーストラリアでは、彼らが同じくらい高いレベルで走っていたことがそれぞれいい刺激になって、あの結果になった。だから、うちのライダーたちはふたりで走ることが重要なんだと思いますね」
―今回の撤退はどうしても2011年と比較されてしまう面もあると思うのですが、あのときはあくまでも〈活動休止〉という発表でした。
「そういう意味では、今回とは違いますね。ただ、あのときも活動休止ではあったんですが、休止してから戻ってくることも大変じゃないですか。しかも、ただ戻ってくるだけじゃなくてトップ争いをできるポテンシャルを獲得するためには、大変な努力が必要です。だから、当時もなんとかして活動休止を阻止したいという一念で動き回りました。そういう意味では、今回は二回目です。こんな経験、一回で充分だと思うんですけれども(笑)。ですが、当時の活動休止と今回の撤退とは、ちょっと意味が違うなあと思います」
―2011年は、数年後に復活できるという希望がありました。
「確かにそうですね。あのときのスズキはアルバロ・バウティスタのライダーひとり態勢で、さっき言ったようにチーム内のライダー同士で高めあうことがなかったので、転倒したり成績が出なかったりしたときには、『これは果たしてオートバイが悪いのか、それともライダーのミスなのか』という判断がすごく難しかったのは事実です。歯車が噛み合わなくてなかなかいい成績を出せませんでしたが、他のメーカーのライダーさんたちからは『スズキのバイクはいいね』という声も届いていました。レギュレーションも800ccから1000ccに切り替わる時期だったので、今回の場合よりも次のターゲットがハッキリしている状態での活動休止でしたね」
―その意味では、今年のほうがやはり辛いですか?
「辛いですね。ファンの方々もそうですし、パドックの人々もそうなんですが、皆さん優しい言葉をかけてくださるんですよ。『また戻ってきてね』『早く戻ってきてください』って。でも、それってすごく難しいことですよね。撤退、と言っているわけだから」
―前回は”suspension”(活動休止)で今回は”withdrawal”(撤退)と言明していますからね。
「でも、スタッフが困らないようにしながらレースもがんばる、会社とも調整する、というふうに、作業としてやっていることは似ているんですよ。同じようなことをやってはいるんですが、次に戻ろうとする場所があるのかないのか、ということは精神的に違います。それでも私は、スズキという会社があってオートバイを作っているかぎりレースの火種はなくしたくない。だから、GSX-R1000を使って各国の国内選手権でレースを戦ってくれている人たちの支援は続けていきたいし、それを続けていくためには私の経験を会社で活かしてほしい。そして、それを受け継いでいく人も育てていかなきゃいけない、と思っています。微々たることだけれども、スズキの中でそういう火種を消さないことは大事だと私は思っているし、これまでレース活動を通じて作り上げてきたことやモノの中には素晴らしい技術もたくさんあるので、それをスズキの技術として商品の中に残していかなければならない。そこはキッチリとやるべきだろうなと思います」
―2011年に活動を休止したときの佐原さんはひとり三役くらいの仕事をしていて、「もう一度同じことをやれと言われたら、無理かな」と苦笑交じりに言っていました。
「言ってましたね。でも、『同じ状況になったら、きっとまた同じ行動をとると思うよ』とも言っていました。なぜなら、あのときに自分の取った行動は間違いだと思っていないから。今回も何か迷いながら動いているわけではけっしてなくて、本能的に正しいと思っていることをやっているだけなので、迅速に動けていると思います」
―こんな経験、有効に活かしたくはなかったですね。
「ホントにそうですよ。あのときも河内(健氏)と一緒でしたね。河内には彼のタイトルどおりテクニカルマネージャーとしての仕事になるべく集中してほしい。だから、撤退に関する煩わしい仕事は、なるべく私とリビオで処理するべく動いています」
―サンマリノGPと日本GPでは、鈴木俊宏社長がレース現場に来ました。DORNAとの事後処理等のために来たのでしょうか?
「そうではないと思います。チームの皆に自分の口から直接、撤退するということを直接告げたかったのだと思います。俊宏社長自身も、今回の撤退は悔しいところがあったのではないかと私は思っています」
―以前、鈴木俊宏社長にインタビューをしたときは、オートバイとレースが好きな人という印象でした。ただ、いくら個人的に悔しい思いをしていたとしても、代表取締役社長である以上は彼が責任を取ることになります。それが社長という仕事の務めでもあるんでしょうね。
「そうですね。そう思います。今回のことに限らず自分の意志に合っていても反していても、企業としての意思決定は個人的な趣味や好みと関係はないはずですから」
―今回撤退をした後に、いずれ復帰の可能性はあるんでしょうか?
「いやあ、どうでしょう。その可能性を否定したくはありませんが、ひとつ明らかなのは、復活するのは簡単なことじゃないよ、ということです。ここまで私たちが積み上げてきたものやそこに至る努力はものすごく大きなものだったと自負しています。その積み上げは、気軽に復活して簡単に取り戻せるようなものではない。撤退という決定はそれくらい重いことなのだから、会社はそれを理解したうえで非常に大きな覚悟をもって撤退を決定したのだろう、ということは信じたいと思います」
―チームスタッフの皆さんの来年の仕事は決まりましたか。
「全員ではありませんが、ほぼ決まりました」
―佐原さんと河内さんは、今後どうするのですか?
「今までレースで培ってきたスキルや経験を活かせる仕事があればベストなんでしょうが、なかなかそう簡単なものでもないでしょうし、自分たちの今後の仕事はまだはっきりとしていません。先ほども言ったように、今までレースを通して続けてきたブランディング活動の火を消さないような仕事に、何か切り替えてできればいいなと思っています」
―今回の最終戦は、佐原さんのレース人生にとってもスズキのレース活動にとって重要なレースですね。
「重要かどうかはともかく、ひとつの区切りではありますね。でも、それは終わってからの話で今はまだレース前だから、他のレースと同様の姿勢で取り組むだけです」
―では、今回のレースは措いておくとして、今までのレースでいい意味でも悪い意味でも、もっとも印象深かったレースは?
「どのレースだろうなあ……。私にとってのレースって、これはよかった、これは忘れるべき、というものはあまりなくて、勝っても負けてもそれは自分たちの結果として受け止めています。だから、そういう意味でいちばん印象深いのは、やはり最近のレースです。ただ、勝ったということで言うならば、表彰台にあげてもらったということも含めて、フィリップアイランドがエモーショナルであったことはまちがいないですね。ただし、あのときジョアンにちょっとトラブルがあって結果的に順位を下げてしまったので、トータルで見れば『勝ったけれどもまだ物足りない』というレースでした。
もちろん、チャンピオンを獲ったときも印象深いですね。あの年はいろんなことが一年のなかで起こって、ジョアン自身も『このまま行ったら1勝もせずにチャンピオンになっちゃうぜ』と周囲に言われていました。本人は気にしていないと言いつつも、それなりのプレッシャーを感じていたと思います。そのシーズンのバレンシア(ヨーロッパGP)で彼がMotoGP初優勝を飾ったレースでは、アレックスが2位で、スズキが1-2フィニッシュを決めてくれました。私はそのとき日本にいたんですが、あえていえばあの年のバレンシアはいちばん印象に残ったレースです」
―今週のバレンシアでは、ぜひともそのときの再現をしたいところですね。
「もちろんです。長年レースをやっていると仲のいいライダーもできるもので、たとえば私にとってはファビオもそのひとりです。彼には逆転チャンピオンを獲ってほしいという気持ちもあるんですが、そういう状況になったとしても、ウチは忖度ナシに勝っちゃうからね、とは思っています(笑)。どんな形であれ思い出になるんでしょうが、(最後のレースは)いい思い出にしたいですね」
―フィリップアイランドでリンス選手が勝ったときは、我々ジャーナリストが参加しているチームのWhatsAppグループに、おめでとうメッセージがたくさん溢れかえりました。いろんなチームが業務連絡用にWhatsAppグループを作っていますが、優勝したときにあんなに皆が祝福するチームは他に見たことがありません。
「ありがたいですね。去年、私たちは勝っていなかったから、それで皆さんがよけいに祝ってくださったのもあるのかもしれませんね。パドックの中でも、ドゥカティのパオロ・チアバッティやダビデ・タルドッツィや、他のチームからいろんな人たちが来てくれて祝福してくれるのはうれしいですよね。たぶん、アルゼンチンでアレイシ(・エスパルガロ)が勝ったとき、私たちもそうだったのかもしれません。長い間苦労してきたけど、よかったねアプリリア、よかったねアレイシ。という気持ちと、ひょっとしたら似たような感じがあったのかもしれないですね」
―アレイシ選手も、さきほど(木曜の囲み取材で)「スズキが今回のレースでパドックからいなくなってしまうのは本当に残念だ」、と言っていました。
「もちろん、残念は残念だと思うんですよ。きっといつまで経っても納得できないと思うし、『どうしてこんなにいいチーム、いいパッケージをなくしてしまうんだ』という気持ちを隠すつもりもないし、(その気持ちが)なくなるものでもないと思うんです。フィリップアイランドの表彰台に上がらせてもらったとき、たしか何か叫んだんです。たぶん『見たかー!!』みたいなことを言ってるんですよね(笑)。特に誰かに向けて言ったわけではないし、あのときの自分の感情を正確に思い出せませんが、きっと『僕たちはまだこんなにできるんだぜ』ということを言いたかったんだと思うんですよ。あの瞬間、ライダーが表彰台に上がる瞬間のために我々はレースをしています。だから、今週末も皆でそこを目指して戦おう、と思っています」
―今回、撤退という事態になったことで、佐原さんの会社に対する思いや愛社精神に影響はありましたか?
「会社員でもいろんなタイプの人がいて、愛社精神やロイヤリティ(忠誠心)が高い人もいればそうでもない人など、様々だと思います。自分自身はもともとそんなにそこは強い方ではなかったと思うのですが、仕事でレースをやってきて世界中のファンの人々と接するなかで、『この会社を良くしたい』『スズキというブランドにもっと親しんでほしい』という気持ちは自然に出てきます。だって、世界でこんなに応援してくれている人たちがいるんですから。
同じ会社で働いている人たちって上司や部下に関わりなく、皆が仲間じゃないですか。そういう人たちが自分も含めて幸せになれるように、ということは考えたいですよね。現場が大切だ、ということでいえば、私たちは会社から物理的には離れたところで仕事をしていて、ここにいなければわからないことはたくさんある。逆に、私も開発の現場や量産工場の現場をもっと見て知らなければいけない、とも思います。口先だけでカッコいいことを言うのではなくて、自分自身でそれを実践していきましょうよ、と。それがスズキだからということではなく、たとえば自分が自動車やレースと関係ない企業の仕事をしていたとしても、きっと同じことを考えていると思います」
―会社がレース活動を辞めるという意志決定をしたことについて、がっかりしたという気持ちはありますか?
「それはノーコメントです(笑)。でも、これからチャンピオン奪還するために、そしてブランディング活動としても環境性能開発という意味でも、もっと会社に貢献するためにいろいろ計画をしましたし、何よりこれまで共に戦ってきて家族のように感じている仲間とも別れることになるので、レース活動を辞めるのはとても残念に思っています」
最終戦バレンシアGPの走行は、このインタビューを終えた翌日の金曜から始まった。日曜午後2時の決勝レースでは、2列目5番グリッドからスタートしたアレックス・リンスが優勝。スタートを決めてホールショットを奪うと、全27周のレースで誰にも一度も前を譲らない、完璧で圧巻の勝利だった。レースを終えたリンスに、「こんなに素晴らしい勝利を収めたチームが解散しなければならないなんて、MotoGPから撤退するというスズキ株式会社の決断は理不尽で馬鹿げていると思いませんか?」と訊ねると、リンスは「その質問が答えなので、僕からは回答を控えておくよ」という言葉が返ってきた。
そしてその日の夕刻、最後のレースを最高の形で終えたチームのガレージ設備が片付けられていくなか、その片隅で改めて佐原氏に追加の質疑応答を行った。
「今日は最高の形で最終戦を終えることができました。じつは私は、有終の美、という言葉は嫌いなんですよ。やるべきことを全部しっかりとやりきっていい結果を出して終わることが本来の姿なので、普段はこの言葉を使うことがないのですが、今回の最終戦では、ライダーたちとチームのメンバーは本当の意味での〈有終の美〉を飾ってくれたと思います。スーパーハッピーなんですが、スーパーサッドでもあり、とても複雑な気持ちです。でも、これ以上ない形で終わることができたのは本当に良かったと思います」
―「こんなに最高のチームとこんなに最高のライダーがこんなに最高のバイクでこんなに最高の結果を出したというのに、今回限りで解散してしまうのか……」、世界じゅうのレースファンは、きっとそう感じていると思います。
「私もそう思いますよ。このチームがなくなってしまうのはただただ寂しい、のひとことです。このチームにいたチームメンバーたちや、2人のライダーのアレックスとジョアンが、来シーズンも素晴らしい仕事と走りを見せてくれることを祈っています」
―今回のウィークに入る前のインタビューで、「チャンピオン争いをしているファビオとペコには悪いけど、忖度せずにウチは勝っちゃうよ」と言っていたとおりの結果になりましたね。
「有言実行(笑)。これも、応援してくださったファンの皆様のおかげです。感謝しかないですね。今まで応援してくださった皆様に私たちがこれからどういう活動をお見せできるのか、それは私たち自身の力でなんとかするしかないと思っています」
―それにしても、まさに事実は小説よりも奇なり、ですね。
「しゃべっているとどんどんエモーショナルになってきちゃうので、このへんでやめていいですか。勝ち逃げさせてもらいます(笑)」
web Sportivaやmotorsport.com日本版、さらにはSLICK、motomatters.comなど海外誌にもMotoGP関連記事を寄稿する他、書籍やDVD字幕などの訳も手掛けるジャーナリスト。「第17回 小学館ノンフィクション大賞優秀賞」「2011年ミズノスポーツライター賞」優秀賞受賞。書き下ろしノンフィクション「再起せよースズキMotoGPの一七五二日」と最新刊「MotoGP 最速ライダーの肖像」は絶賛発売中!
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