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レース・イベント

●文:西村 章 ●写真:MotoGP.com

 最終戦バレンシアでタイトルが決定するときは、いつもきまって秋晴れのすっきりした青空になる。ニッキー・ヘイデンが逆転タイトルを決めた2006年も、マルク・マルケスが最年少記録を塗り替えて史上最年少チャンピオンになった2013年も、そして、今年のチャンピオンシップを賭けた決定戦もそうだった。

 抜けるような高い青空に刷毛でひと筆掃いたような雲が散り、そこから遙か下に見降ろすリカルドトルモ・サーキットでは、コースをぐるりと囲むスタジアム状の観客席にひしめく大勢の人々が固唾を呑んで勝負の行方を見守っている。

#バレンシアGP
※以下、写真をクリックすると大きく、または違う写真を見ることができます。

 そんな風景のなか、今年の最終戦決戦はふたりのタイトル候補がいるはいえ、23ポイント差でリードしているフランチェスコ・バニャイア(Ducati Lenovo Team)が圧倒的に有利なことは誰の目にも明らかだ。一方、シーズン前半を有利に進めながら中盤戦以降に一気にポイント差を詰め寄られ、終盤戦になってついに首位の座から陥落したファビオ・クアルタラロ(Monster Energy Yamaha MotoGP)は、ポイント差はもちろん、勢いや流れという理屈を超えた何かの面でも、不利な状況だった。

 しかし、日曜午後2時にスタートした決勝レースは、このチャンピオン決戦とは全く異なる劇的な展開を見せた。

 企業のあまりに唐突な意志決定により今年限りでMotoGPから撤退することになったTeam SUZUKI ECSTARのアレックス・リンスが5番グリッドから完璧なスタートでホールショットを奪うと、その後の27周計378コーナーを駆け抜ける間に一度も前を許すことなく終始一貫して先頭を走行し続け、誰よりも先にチェッカーフラッグを受けた。

「優勝でシーズンを締めくくることができたのは、すごいことだと思う。スズキは今回のレース限りでいなくなってしまうので、1位で終えるというこれ以上の結果はない」

 そう喜びを語り、精神的に厳しかったことも明かした。

#42

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「今回のウィークは様々な感情が押し寄せてきたけれども、それをひとまず脇に置いて昨日の土曜は予選に集中し、うまく5番手を獲得することができた。グリッドでは集中することが難しく、メカニックたちと別れの挨拶をしているとどうにも泣けてきて、これからレースなんだからしっかりしろ、と自分に言い聞かせた。レースが始まるとうまくスタートを決めて1コーナーにトップで入っていけたけれども、後ろのホルヘ(・マルティン/Prima Pramac Racing/3位)とブラッド(・ビンダー/Red Bull KTM Factory Racing/2位)がとても速かったので、レースのコントロールはとても難しかった。ラインを守ってタイヤをマネージメントし、わずかなミスもできなかった」

 事実上のポールトゥフィニッシュといってもいいこの優勝は、二輪ロードレースというスポーツ文化とその訴求効果に有効な価値や意味を見いだすつもりがない浜松のスズキ株式会社経営陣に対して、レースの現場から見事に辛辣な一矢を報いた格好だ。今年春の撤退決定以降、現場のライダーとチームがいったいどんな思いでシーズンを戦ってきたのか、ということの詳細については、プロジェクトリーダー佐原伸一氏のインタビューで詳細に言及しているので、そちらをご覧いただきたい。

 Team SUZUKI ECSTARのもうひとりのライダー、ジョアン・ミルは6位でスズキ最後のレースを終えた。4列目12番グリッドからの追い上げとはいえ、6位という結果だけを見ると地味なレース結果に見えるかもしれない。しかし、レース中盤から電子制御がうまく作動しなくなり、臨機応変な対応と繊細な操作で最後まで乗り切ったというのだから、その状況を知ると、5位まで0.5秒程度の6位で終えたこの結果はかなり驚異的にも見える。

#36

 レースのライブ配信をご覧になっていた方なら憶えているかもしれないが、ミルのライブタイミングの順位表示はレース途中から激しく上下して乱れていた。トランスポンダーに何らかのエラーが生じた際に、このような表示が乱れることはこれまでにもあったが、今回のミルはバイクの電気系統に生じた何らかのエラーがトランスポンダーにも影響を与えた、ということのようだ。

「たとえば1コーナーではスロットルを閉じるとエンジンブレーキがかなり過剰に作動した。コーナーによってはトラクションコントロールが効かなかったり、効き過ぎたりしたので、その対応が大変でポジションを落とすことにもなった。レース終盤はそこらじゅうでスピニングが厳しくなったので、野獣のようにスロットルを開けることができなくて、繊細にコントロールしなければならず、それが原因でさらにレースタイムで1~2秒ほどをロスしたと思う。とはいえ、ペースはまずまずだった」

 そして、今回のレース結果を浜松の経営陣はどんな気持ちで見ていたと思うか、と取材陣から訊ねられると、残念のひとことに尽きる、と述べた。

「(撤退を)後悔しているのかどうかは知らないけど、他の事業に投資することにしたという立場から見てさえも、僕たちがMotoGPの最高のバイクと最高のチームを通じて提供しているイメージは、これ以上ないくらいの宣伝効果になっていると思う。だから、なぜ彼らがそういう意志決定をしたのか、本当に理解できない。まあ、向こうには向こうの理屈があるのだろうけど」

 では、そんな彼らが下した決定は理不尽であたおかだと思うか、と直球の質問を投げててみた。するとミルは、

「いやいやいや……」

 と言うにとどめ、やや大仰な表情とジェスチャを見せるに留めた。一緒にミルを囲んでいた仲間のジャーナリストからは「(スズキとの契約が切れる)来年1月1日にもう一度訊ねるべきだね」という突っ込みなども立て続けに入ると、ミルはふたたび口を開き、

「まあでも、なんでそういう決定をしたのかということは、正直、理解できないよ」

 と述べた。さらに、今年のチャンピオン争いについての感想を求められると、以下のように話した。

「ふたりとも素晴らしいシーズンだったと思う。ペコは前半戦でミスをして、後半戦は常に速さを発揮した。ファビオの場合は非常にいいシーズンの走り出しだったけれども、レースを重ねていき終盤になると勢いを失っていった。外から見る限りでは、とても見応えのあるシーズンだった。もしもスズキが撤退を決めていなければはたしてどうだったのか……、こればかりはなんともいいようがないけども、苦しいレースもあったけれどもバイクがとてもよく走ってくれるレースもあったからね……」

 この言葉にもあるとおり、今年のバニャイアはシーズン前半にクアルタラロから大きくポイント差を引き離されていたものの、中盤戦以降は安定して好成績をおさめ続けた。

 そしてなにより、今年はドゥカティのこれでもかという強さがきわだったシーズンでもあった。

 たとえば最終戦ではホルヘ・マルティンが今季5回目のポールポジションを獲得したが、彼を含むドゥカティライダーが20戦中16回トップグリッドを獲得している。1シーズンに16回のPPを獲得するのは2011年のホンダ以来。シーズンを跨ぐ記録でいえば、ドゥカティ勢は40戦連続で陣営選手の誰かしらがフロントローに入っている。決勝レースに関しては、今シーズン20戦の全レースでドゥカティライダーは少なくとも1名が表彰台に登壇している。ドゥカティ勢の表彰台は20戦60表彰台のうち32回で、占拠率は53.33パーセント。グリッドに占めるドゥカティ勢は8台で全24台の1/3だから、表彰台獲得が全体の過半数を占めているのは、参戦台数の割合を超えて活躍していることの証拠といっていい。

#89

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 チャンピオンを獲得したバニャイアは9位でゴールしているが、これは転倒を除けば今季のワーストリザルト。そんな結果になったのは、タイトルを意識して硬くなったのではなく、レース序盤にクアルタラロのマシンと接触した際にバニャイアのフロントウィング右側が破損し、それでコントロールが厳しくなったからだという。

「ファビオとの接触でウィングがなくなってしまい、そこから先は悪夢のようだった。周回ごとにディフェンシブなラインを取ったけれども、非常に難しかった。ゴールまで、本当に長かった」

 そんなふうにレースを振り返っている。バニャイアはシーズン中盤以降に怒濤の猛追を開始したが、ちょうどシーズン全体の折り返し地点となる第10戦のドイツGP終了段階では、このとき首位につけていたクアルタラロに91ポイント差を開かれていた。しかも、このドイツGPをバニャイアは転倒で終えている。この時期がいちばん精神的にも苦しかった、という。

「ルマンもそうだったけれども、このザクセンリンクでもとても乗れていて、勝つチャンスはかなり大きかった。しかし、(ルマンと同様に)レースで転倒してしまった。そのときに、自分の弱点はそこだと思った。ぼくはライダーとして波が激しく、スピードは発揮できていても安定性に欠けていた。それを自分で認めるのは容易なことではなかったけれども、このときにしっかりと課題を認識して、改善していくように努力した。今シーズンの中で、そこは大きく改善できたと思う」

#63
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 バニャイアのタイトル獲得で、ドゥカティはチーム、コンストラクター、ライダーの三冠を達成した。2007年も三冠を達成しているが、このときのライダーはオーストラリア人のケーシー・ストーナーである。イタリア人ライダーのバニャイアがライダーズタイトルを獲得したことにより、ドゥカティはイタリアのバイクを駆るイタリア人ライダーがイタリアのチームでチャンピオンを獲得する、というイタリア尽くしの完璧な〈イタリアンパッケージ〉を達成した。このイタリアンパッケージによるタイトル獲得は、バニャイアの師であるバレンティーノ・ロッシもなし得なかった快挙だ。ロッシ以来のイタリア人MotoGPタイトル獲得は、イタリアにとってじつに象徴的な、大きな意義のある偉業になった。

 ところで、バニャイアは自分の欠点や弱点を真摯に見つめて克服し改善してきた、と述べているが、では、改善の余地があるとすればどこなのだろう。そこについて訊ねてみると、こんな言葉が返ってきた。

「人は改善を続けていくものだろうし、ずっと成長し、学び続けていくのだとも思う。ぼくにはまだまだ改善の余地がある。たくさんのことを学ばなければならないし、たとえばジャーナリストとの話しかただって、もっと良くしなきゃいけない。でも、それはあたりまえのことだと思う。ぼくはまだ25歳で、人間としての成長過程にある。人生のサイクルのなかの、ある段階にいるすぎないのだから」

 Moto2のタイトル決戦、アウグスト・フェルナンデス(Red Bull KTM Ajo)と小椋藍(IDEMITSU Honda Team Asia)の戦いは、小椋藍の転倒で終わった。しかし、その転倒に至るまで、小椋の走りは徹頭徹尾攻めに終始し、なにがなんでも前に出るという気魄がモニター越しからもひしひしと伝わってきた。

 決勝前日には「(チャンピオンを左右する)選択肢がこっちにあるわけではないので、全開で行きます。アウグストのひとつ前で終わっても、何の意味もないですから」と述べ、日曜のレースはまさにそのとおりの展開になった。8周目の8コーナーで小椋が転倒し、チャンピオンの座はフェルナンデスに渡ることになった。

「無理できずに後ろでゴールするくらいなら、無理して転んだ方がまだましだろう、と思ってはいたんですが、ミスがいいというわけでもないので、なんとも言えないですね。周りに比べると自分のペースがなかったので、がんばりすぎちゃったところはありますね」

 小椋本人は苦笑気味にそう振り返るが、攻めに徹したこの日の果敢な走りは、21歳という若者ながら〈好漢〉という言葉が似つかわしいような印象もある。

#73

 
 ともあれ、このようにして新たな勝者が生まれ、別の何かが終わり、挑戦者になった者たちは可能性とチャンスを掴み取るためにふたたびスタートラインにつく。そして、新しいシーズンがまた新たに始まる。

#バレンシアGP

【西村 章】
web Sportivaやmotorsport.com日本版、さらにはSLICK、motomatters.comなど海外誌にもMotoGP関連記事を寄稿する他、書籍やDVD字幕などの訳も手掛けるジャーナリスト。「第17回 小学館ノンフィクション大賞優秀賞」「2011年ミズノスポーツライター賞」優秀賞受賞。書き下ろしノンフィクション「再起せよースズキMotoGPの一七五二日」と最新刊「MotoGP 最速ライダーの肖像」は絶賛発売中!


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2022/11/08掲載