2月9日に、中上貴晶は30回目の誕生日を迎えた。奇しくも、彼がLCR Honda IDEMITSUで駆るバイクナンバーと同じ年齢に達したわけだ。論語には「子曰わく、吾十有五にして学に志し、三十にして立つ」という有名な一節がある。中上が最小排気量クラス125ccにスポットで初参戦(2007バレンシアGP)し、「学に志し」たのは15歳のとき。それから15年の月日が経過し、MotoGPクラスへの参戦は今年で5シーズン目となる。様々な意味で節目となるであろう2022年の戦いを控えた中上に、単独インタビューを行った。実施したのは誕生日の9日。インドネシア・マンダリカサーキットのプレシーズンテストを目前に控えた中上は、快活でありながらも年齢なりの落ち着きを漂わせているようにも見えた。
―30歳の誕生日おめでとうございます。年齢やレースキャリアに関連することはあとで伺うとして、まずは2022年シーズンを控えた心境について聞かせてください。昨年の開幕前は「チャピオンを狙いたい」と明言していました。一昨年の2020年は初めてトップ争いの手応えをリアリティを伴って摑めたシーズンで、それもあって高い士気で臨んでいたのだと思います。しかし、厳しいレースが続いた結果、シーズンが終わったときには「今年は20点くらいの内容だった」と言っていました。その結果を踏まえて5年目に臨むに際し、自分自身の今の気構えやモチベーションはどうですか。
今年は5年目のシーズンで、バイクもニューマシンになり、さらに今年は契約が切れる節目の年ということもあるので、一戦一戦を大事に21戦を戦っていかければならないと思っています。チャンピオンを争えるように、成績にアップダウンがないように、常に高いレベルで争えるように走っていきたいと思います」
―今の話にもあったとおり、特に今年は契約更改の年なので、大きな条件のひとつとして結果は必ず求められることになります。例年以上に大きなプレッシャーを感じたりはしていませんか?
「今の段階では、そこまですごいプレッシャーを感じているわけではありません。ただ、それはいずれ出てくるでしょうね。時間の問題でやがて感じるようになると思うのですが、それを良い意味で捉えるようにしたいと考えています。5年目だから結果を残さなければならないのは当たり前で、ハッキリいってしまえば自分にスピードがあることはすでにわかっています。それを、フリー走行などのセッションだけではなく、予選や決勝レースの速さや強さに繋げてプラスアルファをしていけば、必然的に表彰台争いや優勝、そしてその数を重ねていく、という自信があります」
―そこで重要になるのがメンタルトレーニングですよね。去年のシーズン後には、メンタルを強化するトレーニングに取り組むと言っていましたが、現在はどんなトレーニングをしているのですか。話せる範囲で、方法や内容を教えてください。
「メンタルトレーニングは今回が初めてのことなので、こういうものだ、とわかってやっているわけではないんですよ。テストは始まったけどまだ2月で、シーズンのスタートはまだ少し先なので、今はまだ初歩的な段階ですね。思ったことを書き出してみたり、自分の思い描いている像やタイムなどの具体的なものを想定して、その望んでいたレベルに達しているのかどうかを振り返ってみたり、こういうふうになりたいと思っていたことに対して、終えてみるとどうだったとか、ざっくりと言えばそういったかなり細かいことをたくさんやっています。その効果や成果はまだわからないけど、今までやっていない取り組みだし、良い感じです。まだ初期段階の試みですね」
―メンタルコーチは日本人ですか?
「日本の人とスペインの人、ふたりです。連携しているわけではなく、それぞれ別の取り組みです」
―そのメンタルコーチたちと、シーズン中もカウンセリングを続けていくのですか?
「そうですね。現地に来てもらう予定は今のところないので、レース前後に話をする、という方法ですね。今後は変わっていくかもしれませんが」
―Zoomなどのオンラインで。
「あとはFace Timeとか。声だけで話すのではなく、お互いに顔を見て表情を確認しながらやっていく、という方法です」
―今年のバイクについて、少し教えてください。2022年型RC213Vのポテンシャルは、課題だったリアのグリップがだいぶ良くなっているという話でしたが、去年と比べてガラッと良くなった印象なのでしょうか。
「去年のヘレステストで最初に乗ったときの第一印象から良くて、先週のセパンテストでも再確認できました。それをコンセプトにバイクをガラリと変えてきたので、そのぶんだけバランスをもう少し整えたいですね、というのがマンダリカテストを前にした今の状況です。4人のライダーが同じコメントを指摘しているのはポジティブだし、これから3日間のマンダリカはプレシーズン最後のテストになるので、開幕へ向けて有意義に時間を使って仕上げていくのが楽しみです」
―HRCの桒田さんは、「2022年のコンセプトは〈自分たちの殻を破る〉こと」と言っていましたが、それはバイクに乗って感じましたか?
「感じましたね。2018年から4年間乗ってきたバイクは、どちらかというと延長線上で、たとえば同じフィーリングでエンジンが良くなった、というようなことが続いていたのですが、この22年型は今まで乗ってきたのと全然違うバイクだというのはすごく感じました。
最初は、それがすごく良いかどうかよくわからない部分もあったんですが、乗り込んでいくと『こんなに違うのに良い感じだな』と感じるようになって、いいバイクだなと思い始めてからはこっちのほうがいいと思えるようになりましたね」
―ライドハイトデバイスの操作ですが、これはいろんなライダーに尋ねることなんですけれども、やることが増えて大変じゃないですか? 中上選手のMotoGP初年度と比較しても、ライダーの作業が増えているんじゃないですか。
「最初はそう思いました。ただ、慣れてきたこともあるし、これを使うことがラップタイムの上昇に直結しているので、時代とともに手放せないアイテムになっていると思います。現状ではライドハイトデバイスがないよりもあったほうが走りやすいし、タイムに直結するので、慣れですね。今は何とも思わなくなりました」
―コーナー進入時にボタンを押したら立ち上がりで作動してくれる、という操作ですか?
「いや、立ち上がりの時に手動で作動させるかんじですね」
―さて、今日は30歳の誕生日を迎えたわけですが、今年はフル参戦13年目のシーズンですね。フル参戦歴の長い選手といえば、阿部典史さんや坂田和人さんが確か9年で、原田哲也さんや中野真矢さんが10年。青山博一さんも10年。青木宣篤さんが11年。上田昇さんもたしか12年だったと思います。中上選手は13年目のフルシーズンなので、ひょっとしたら日本人選手最長かもしれません。
「あ、そうなんですか。それは知らなかった。うれしいですね(笑)」
―日本人最長記録になるだろうシーズンを前にして、どんな心境ですか。
「心の底からうれしいです。一回良い成績を出したら5年は安泰とか、そういう世界ではなくて、1年1年が勝負です。間に2年間(2010、2011年)空いた期間がありましたが、その前後で合計13年、ずっとこの世界にいることができているのは、ライダーとしてものすごく幸せだし、この先もまだまだ現役で走り続けたいという目標があるので、素直にうれしいですね」
―子供時代に観戦したレースの記憶をずっと遡っていくと、自分が覚えている最も古い記憶は何ですか?
「覚えているのは、WGP500の時代、ミック・ドゥーハンさんの黄金時代ですね。あの圧倒的な強さが衝撃で、いつレースを観てもいつも勝っている、というイメージでした。あの圧巻の速さを見たいと思って、いつもテレビにかじりついていた記憶があります。鮮明に覚えているのはそこですね」
―シーズン中は自分の競技で精一杯だと思いますが、この時期には、たとえば冬期オリンピックを見たりするんですか?
「そんなに移動がないときは、見ますね。特にどの競技、という特別な関心があるわけではないんですが、ウィンタースポーツならスノーボードやハーフパイプ等が好きですね。タイミングが合えば見ているし、日本人はウィンタースポーツが強いという印象もあるので、見ようかなと思うきっかけにはなりやすいですね」
―他の競技、ということに少し関連するのですが、たとえばF1では、ルイス・ハミルトン選手やセバスチャン・ベッテル選手がLGBTへの支持を表明してレインボーカラーをヘルメットにあしらったりTシャツを着用したりして、自分たちの意思や支持表明を明確に表します。MotoGPでも、たとえばフランコ・モルビデッリ選手がBLMへの支持を表明するヘルメットを着用したことは話題になりました。一方で、そのような事柄を競技の場へ持ち込まない選手も、もちろんたくさんいます。中上選手は、たとえばそういったような社会的な事物に対する意思表示に対して、どういうスタンスや考えを持っているのでしょうか。
「ハミルトン選手たちが積極的に自分の意見を出してシェアしてゆくのは、とても立派だと思います。すごくポジティブな印象や思いもあります。ただ、ハミルトン選手と自分ではレベルが違うようにも思うし、自分がそこに割って入ったり加わったりするようなところまでは、まだちょっと考えてはいないですね。おこがましいというか……、たとえば自分がMotoGPで何年もチャンピオンを獲っているような存在で、中上貴晶と言えば日本人の誰もが知っている、というくらいの影響力や知名度があれば、世の中にプラスになるような行動は進んで取っていきたいと思うんですが、正直なところ自分のレベルではまだまだだし、その意味では、今はまだ、もっと著名な人たちに任せてもいいのかな、とは思っています」
―じゃあ、早くそういう人になってください。
「そうですね(笑)。それはもちろん思っています。自分に発信力がもっとついていけば、世界や平和のプラスになるようなことを示してどんどんシェアをしていきたい……、と頭の中では思っています(笑)。そのためにも、知名度や影響力の大きい存在になれるように、そして今年がその飛躍の年になるように、全力でがんばります」
web Sportivaやmotorsport.com日本版、さらにはSLICK、motomatters.comなど海外誌にもMotoGP関連記事を寄稿する他、書籍やDVD字幕などの訳も手掛けるジャーナリスト。「第17回 小学館ノンフィクション大賞優秀賞」「2011年ミズノスポーツライター賞」優秀賞受賞。書き下ろしノンフィクション「再起せよースズキMotoGPの一七五二日」と最新刊「MotoGP 最速ライダーの肖像」は絶賛発売中!