チャンピオンが決定するレースは、いつも劇的だ。王座獲得に至るまでの波瀾万丈と、それを阻もうとするライバルたちの思惑がそれぞれの立場から複雑に交錯し、様々な縦糸と横糸の綾を織りなしながら、虚構作品では為しえないような予想もしないドラマを作り上げるからだろう。
第16戦エミリアロマーニャGPで、ファビオ・クアルタラロ(Monter Energy Yamaha MotoGP)が2021年のチャンピオンを決定するまでの過程では、週末の不安定な天候がタイトル獲得のドラマをさらに劇的に演出することになった。
じっさいのところ、5列目15番グリッドという今季最低のスタート位置に沈んだクアルタラロ自身も、今回のレースでタイトルを決めることができるとは考えていなかったようだ。おそらく決勝レースの23周目まで、そう考えていたのではないかと思う。
この週末を一貫して優勢に進めていたのは、チャンピオンシップで2番手につけるペコことフランチェスコ・バニャイア(Ducati Lenovo Team)だ。
「勝つこと。タイトル争いをオープンにしておくためにはそれが唯一の方法だから、集中して全力で走る」
土曜の予選でポールポジションを獲得した際にもそう述べたが、この短いことばに彼の気魄と決意のすべてが凝縮されている。バニャイアは、第13戦アラゴンGPからこれで4戦連続のポールポジション。前回のアメリカズGPでは、サーキット・オブ・ジ・アメリカズで圧倒的な強さを誇るマルク・マルケス(Repsol Honda Team)が勝利して自身は3位に終わったが、そのひとつ前のレース、今回と同じミザノワールドサーキット・マルコ・シモンチェッリの第14戦サンマリノGPでは、圧倒的な強さを見せてポールトゥウィンを飾っている。今回も、それを再現するような展開になった。
序盤からレースをリードし、直後にピタリとつけるマルケスを従えた状態で、レース中盤の16周目にはファステストラップも記録した。
このレースで、バニャイアはチームメイトのジャック・ミラーとともに、フロントにハード、リアにはミディアムコンパウンドのタイヤを装着している。サイティングラップからグリッドについたときには、大半の選手と同じミディアム(F)ソフト(R)という選択だった。しかし、スタート直前に、それぞれワンステップ硬いハードとミディアムへ交換した。その理由について、バニャイアは以下のように説明している。
「(フロント用)ソフトはミディアムよりも感触が悪く、土曜と今朝のウォームアップで試したときもイマイチだったので、ハードを入れたのは正解だった」
そして、このハードコンパウンドを機能させるために毎周ひたすら攻めに攻めた、と振り返った。
後方を走るマルケスがどのような動きを見せるかは、バニャイアにとって不穏な要素だったかもしれないが、両選手の差は、0.2秒程度に縮まったかと思えば、バニャイアが区間最速タイムを塗り替えながらときに0.8秒ほどに開くこともあったので、マルケスもけっして余裕を持って様子を見ていたというわけではないだろう。
しかも、ひと月ほど前には圧勝したコースで、その再現のような展開になっているのだから、おそらく誰しもが、この高い緊張感を維持しながらレースが推移し、バニャイアとクアルタラロの最終決戦は次戦のポルティマオに持ち越されると思っていたのではないか。
クアルタラロは、レース中盤で5番手あたりを走行しており、たとえバニャイアが勝ったとしても、自身がこれくらいの位置で10ポイント少々を獲得できれば、両者の点差は約40ポイントとなる。次のレースでは25ポイント差があれば王座が確定するため、大きなアドバンテージを持った状態で、余裕を持ってタイトル獲得に乗り出せるからだ。
土曜の予選で今年初めてQ2進出を逃し、5列目15番手という低いスターティンググリッドに沈んだクアルタラロは、決勝レースの目標は着実にポイントを稼ぐことだった、と明かしている。
「ペコが勝つと思っていたし、ここでチャンピオンを決められなくても、10ポイント取れば、次に向けて大きいチャンスを得ることができると計算していた」
じっさいに、クアルタラロの兄と兄嫁はタイトル獲得を想定して次戦のポルティマオを訪問し、そこで祝福する予定を立てていたという。
誰もが想像していたレース展開と結果が一気に覆ったのは、23周目の15コーナーだった。
バニャイアのフロントタイヤが切れ込んで転倒。あとわずか3周少々を残すのみという段階で発生した、あまりに突然で劇的などんでん返しだ。このとき、これでクアルタラロはトップグループから大きく離れる3番手争いの位置にいた。いずれにせよ、このまま完走すればチャンピオンが確定することになる。
27周のレースを終えて、優勝はマルケス。2位にチームメイトのポル・エスパルガロ。エスパルガロは今季初表彰台で、Repsol Honda Teamが1-2フィニッシュを飾るのも、2017年アラゴンGP(マルケス―ペドロサ)以来の快挙となった。
優勝したマルケスは、左周りの得意コース、ザクセンリンクとCOTAに続き、今季3勝目。しかも、今回は負傷した右腕をさらに酷使する右回りコースでの優勝だけに、大きな自信に繋がったようだ。とはいえ、
「今日は(自分たちも)いろいろあって記念すべき優勝だけど、それよりもなによりも、今日のレースはまずファビオ。彼が主役の日。心から祝福をしたい」
そう述べて、新チャンピオンの誕生を讃えた。
「今シーズンは誰よりも速かったし、誰よりも安定していた。厳しいレースになったときでも、トップファイブや表彰台を獲っていた。彼が成し遂げたことから学び、2022年はがんばってファビオに挑みたい」
そのクアルタラロは3位表彰台を獲得して王座に華を添えるかと思いきや、最終ラップの最終セクターで勝負を仕掛けたエネア・バスティアニーニ(Avintia Esponsorama)がポジションを奪取。バスティアニーニ3位、クアルタラロ4位という順でゴールした。
クアルタラロの王座やマルケスの優勝、そしてバニャイアの健闘空しいクラッシュ等々といった派手な話題の陰に隠れてしまいがちだが、バスティアニーニの3位という成績も瞠目に値する。16番手グリッドから猛烈な追い上げで最後に表彰台、というレース運びは、まさに〈ベスティア(野獣)〉の面目躍如だ。彼の高い資質と活躍についてはこれまでにも何度か言及をしてきたが、来シーズンの成長と飛躍がさらに期待される。これをお読みの皆様も、今後のベスティアはさらに要チェック、ということでひとつよろしく。
そしてファビオ・クアルタラロは4位でゴール。ほんの3ラップ前までは予想もしていなかったような劇的な展開を経て、2021年のMotoGPチャンピオンとなった。
フランス人が二輪ロードレースの最高峰クラス王者となるのは、これが史上初。マクロン大統領も、クアルタラロが王座を獲得した10分後にはツイッターで祝福のメッセージを述べた。それほどの快挙である。中小排気量クラスでは、過去にジャン=ルイ・トルナード(1982、250cc)、クリスチャン・サロン(1984、250cc)、オリビエ・ジャック(2000、250cc)アルノー・ヴァンサン(2002年、125cc)、マイク・ディ・メッリオ(2008年、125cc)、ヨハン・ザルコ(2015・2016、Moto2)たちがチャンピオンの座に就いている。しかし、最高峰では誰もここに到達することができなかった。
フランス人ライダーとして史上初めて二輪ロードレース世界最高峰のタイトル、という快挙を獲得した印象を彼に訊ねてみた。だが、返ってきたことばは
「いまはレースを終えたばかりでツナギを着ていて、シャンパンもここにある状態なので、正直なところまだピンときていない。いままで自分を支えてくれた人々や両親のことが頭に浮かんで、皆に対する感謝の気持ちでいっぱいだけれども、実感はもう少し経ってからじわじわと湧いてくるのだと思う」
という素朴で正直なものだった。それにしても、最高峰クラス参戦3年目の22歳、という若さで世界の頂点に立った気持ちは、いったいどんなものなのだろう。
クアルタラロが世界選手権にやってきたときのことは、私事ながらいまも強く印象に残っている。2015年の開幕戦カタールでのことだ。そのシーズンの全クラス初めてのセッションとなるMoto3クラスのFP1で、チームや選手の雰囲気を見るためにピットレーンに出て様子を眺めていると、あるチームのピット前が黒山の人だかりなっていた。そんなに注目を集めるような選手がいるのかと思いながら、皆の後方から肩越しに覗きこんでみた。知り合いのフォトグラファーに、なんでこんなに人が集まっているのかと尋ねると、
「昨年のCEV(FIM CEV レプソル選手権)でチャンピオンを獲った選手だ。15歳で特例昇格してきたすごい才能らしいぞ」
とのことだった。そのファビオ・クアルタラロという少年は、次のアメリカズGPで表彰台を獲得。その後も何度かポールポジションを獲り、トップ争いにもたびたび絡む走りを見せた。だが、このMoto3時代と2017~18年のMoto2時代は、強烈なパフォーマンスを発揮するまでには至らなかった。本格的に才能が華開いたのは、最高峰に昇格した2019年以降といっていいだろう。
Petronas Yamaha SRTから参戦した最初の2年は、図抜けた速さを発揮して何度もトップ争いの主役を占める反面で、安定性に欠ける波の激しい成績のため、タイトル争いからはどうしても一歩退く位置にいることになった。しかし、2021年は、抽んでた安定性を発揮した。第2戦のドーハGPで2列目になった以外は、毎回フロントローからのスタート。第3戦から第7戦では、5連続ポールポジションも達成している。
「(今年の重要なカギを握ったのは)安定性だと思う。毎戦ポイントを獲れたし、腕上がりで苦しんだヘレス(第4戦)でもポイントを取れた。2020年は2019年同様に速さを発揮できたけど、ここまでの安定感はなかった」
クアルタラロ自身がそう振り返るとおり、今季のレースリザルトは5勝を含む10表彰台。彼のことばにもあるとおり、レース中にいきなりペースダウンしたスペインGP(13位)や、レザースーツのジッパー事件でペナルティを受けたカタルーニャGP(6位)などは、以前の彼ならその後の数戦で大きくリズムを乱していただろうが、今年は精神的なマネージメントが上手になり、以前のような気持ちの乱れが見られなくなった。それが、なによりの強みといえるだろう。
また、今シーズンのターニングポイントは第6戦イタリアGPだった、とも述べた。このレースでは、レースをリードしていたバニャイアが序盤に転倒し、以後の周回でクアルタラロが独走態勢を築いて勝利を手にした。
「ペコが2周目にミスをして、その後、ヨハン(・ザルコ、Pramac Racing/Ducati)とバトルをして勝つことができた。あれで自信を取り戻すことができ、キーポイントになったと思う」
バニャイアも、シーズンの帰趨を方向づけたのはこのムジェロでの転倒だった、と振り返っている。
「ムジェロでトップを走りながらクラッシュしたときに、チャンピオンシップの流れが決まったようにも思う。レッドブルリンクの1戦目では、タイヤが機能しなかった(11位)。シルバーストーンでも、別のタイヤを選択してそれがうまく機能しなかった(14位)。この3つのレースで、シーズンが決まったと思う」
とはいえ、2022年はこれらの教訓をもとにさらに強くなってトップ争いをできるようになるだろう、と強い意志も見せた。
「この4戦で発揮した速さを、いつも出せるようになると思う。今年は、タイトルを狙うというよりもむしろ、(ファクトリー初年で)学習の年だと位置づけていた。ファビオのタイトル獲得は素晴らしいし、彼はそれに相応しい走りをしてきた。去年のファビオは勝ち始めたとはいえ、シーズン終盤数戦でミスをしていた。いまは、自分がまさに去年のファビオのような状況にいる。だから、来年はもっとしっかりと戦えるようになっていると思う」
ウィニングランを終え、はちきれんばかりの喜びを全身で表すクアルタラロがパルクフェルメへ戻ってくる際に、バニャイアはまっさきにピットレーンに出て彼を迎え、勝利を祝福して抱擁を交わした。清々しく潔い彼らのそんな振る舞いもまた、二輪ロードレースが人々を強く惹きつける理由でもあるだろう。
今回のレースは、ロードレース界のレジェンド、バレンティーノ・ロッシの地元最終戦でもあった。土曜の予選を終えて、VR46アカデミーの愛弟子であるバニャイアがポールポジションを獲得した一方で、自身は最後尾8列目23番グリッドスタート、という姿は、やや残酷な現実の表れにも見えた。それでも、決勝レースでは10位でゴール。もちろん最高の結果ではないとはいえ、観客席をほぼ真っ黄色に染めた3万5000人の観客は、”Grazie Vale”(バレンティーノ、ありがとう)と、納得した気持ちで帰路につくことができたのはなかろうか。
MotoGPのタイトル争いは今回で雌雄が決したものの、Moto2とMoto3クラスの争いは、終盤2戦でまだひと山ふた山くらいのヒネリとツイストが発生しそうだ。
Moto2クラスはレミー・ガードナーとラウル・フェルナンデスが、Red Bull KTM Ajoの同チーム内チャンピオン争いを繰り広げている。今回はガードナーが低位に沈み、フェルナンデスがトップを走行してふたりの争いがさらに緊密になるかと思いきや、トップを走行中にフェルナンデスが転倒、ノーポイントとなった。一方で、ガードナーは7位でチェッカー。9ポイントを加算したことにより、ふたりの点差は18ポイントでガードナーがリードしている。次戦でタイトルが決まる可能性もあるが、結果次第では最終戦で同チーム決戦という、2000年の中野真矢とオリビエ・ジャックの戦いを彷彿させる状況になることも考えられる。
Moto3は、今回でペドロ・アコスタ(Red Bull KTM Ajo)が王座を決める可能性もあったが、タイトルを争うデニス・フォッジャ(Leopard Racing)が5列目14番グリッドから猛烈な追い上げで優勝。逆転チャンピオン獲得の可能性を、意地と根性で繋いでみせた格好だ。これでふたりのポイント差は、前戦終了時からさらに9点詰まって21ポイントに。全身で喜びを爆発させるフォッジャと、表彰台で憮然とした表情を隠そうともしないアコスタの姿がじつに対照的だった。
というわけで、いよいよシーズンも大詰め。次の第17戦は、今季2回目のポルティマオでアルガルベGPとして開催。では、2週間後にまたお会いしましょう。
【西村 章】
web Sportivaやmotorsport.com日本版、さらにはSLICK、motomatters.comなど海外誌にもMotoGP関連記事を寄稿する他、書籍やDVD字幕などの訳も手掛けるジャーナリスト。「第17回 小学館ノンフィクション大賞優秀賞」「2011年ミズノスポーツライター賞」優秀賞受賞。書き下ろしノンフィクション「再起せよースズキMotoGPの一七五二日」と最新刊「MotoGP 最速ライダーの肖像」は絶賛発売中!
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