Facebookページ
Twitter
Youtube

ニュース

今も生き続けている“タイガー宗和”の情熱

 昨年10月6日に亡くなった宗和孝宏さんを偲ぶ「宗和孝宏を送る会〜あばよタイガー宗和 永遠に〜」が、神戸のホテルで開催された。

 会場の受付は、カワサキワークス時代のチームメイト・塚本昭一氏の子どもたちが手伝い、宗和さんの名を広めたゼッケン4のZXR-7が展示された。このマシンは宗和さんの恩師であり、レジェンドライダーの清原明彦氏が自ら手配し、搬入を行ったという。

 会場にはツナギやヘルメット、トロフィー、そして数多くのスナップ写真が飾られ、在りし日の姿を偲ばせた。宗和さんのメカニックとして苦楽を共にした戎 俊氏は、宗和さんのライダーとしての軌跡が一望できる年表やマップを制作。チーム員だった住吉 海は、スタッフTシャツを手作りして会場を彩った。


■タイガー宗和

 宗和孝宏さんは兵庫県神戸市出身。若き日には六甲山などの峠を走り、その速さで知られるようになった。清原氏との出会いをきっかけに、1987年にチームグリーンへ所属。カワサキ4年ぶりとなるワークスマシンZXR-7を駆り、全日本ロードレース選手権TT-F1クラスに参戦した。

 スポーツランドSUGOで開催された「TBCビッグロードレース」ではトップ走行中に転倒しながらも怒涛の追い上げで2位を獲得。この獰猛な走りから“タイガー”の異名を得る。

 1988年にはカワサキワークス入りを果たし、1989年には多田喜代一、塚本昭一とともにフランス・ル・マン24時間耐久に参戦して3位表彰台を獲得。1991年には全日本選手権で3勝を挙げ、ランキング3位となった。

 1993年にはAMAスーパーバイク選手権に挑戦し、ランキング5位でルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。翌1994年にはランキング3位に入り、AMAトップライダーとして活躍した。その後もプライベーターとして鈴鹿8耐などに参戦を続けた。

 一時レース界を離れるも、2014年に全日本へ復帰。2017年には本格的にチーム運営に乗り出し、2018年と2020年には岡本裕生がST600クラスでタイトルを獲得。2022年には岡本がヤマハファクトリー入りを果たした。さらに2023〜2024年には阿部恵斗が2年連続でST600チャンピオンを獲得。2024年に加入した西村 硝もST600トップライダーとして活躍した。


■送る会


 発起人の塚本昭一氏の開式挨拶により会は始まり、参加者103名が黙祷して冥福を祈った。宗和さんの紹介ビデオ上映の後、発起人代表として清原明彦氏が登壇。

「口は一流、ライダー育成も一流。現役ライダーの時は二流、顔は三流」と会場を笑いに包み、「笑顔で宗和さんの思い出を語ろう」と献杯の音頭を取った。


 壇上には現役ライダーの阿部恵斗と西村 硝が上がった。

 阿部は「怖いイメージがあると思いますが、怒られたことは一度もなく、落ち込んだ時はいつもマインドコントロールをしてくれた。強い気持ちでレースに挑めたのは宗和監督のおかげ。その結果がチャンピオンに繋がった」と語った。

 西村は「無茶苦茶な人だとは知らずにチーム入りしましたが(笑)、僕たちへの愛情はすごく感じていました。これからも自分たちが活躍することで、宗和さんのことを思い出してもらえるように頑張りたい」と思いを述べた。


 続いて、育成開始当初から所属した住吉 海と橋本 翼が登壇。住吉は「レース初心者でチーム員になり、未熟だった頃、もてぎで皆の前で頭を掴まれ、裏に連れていかれて説教されたことが忘れられません。あの時は“あいつ”と思いましたが、多くのことを教えてくれた恩人です」と振り返った。4人の胸には“トラの子”と書かれた名札シールが貼られていた。


 友人として出席した玉田 誠は「ライダー育成のことなどをよく話していた。お互いの弱みを語り合える親友だった」と語り、多田喜代一氏と塚本昭一氏はル・マン24時間の思い出を披露し、会場を和やかな笑いで包んだ。


 最後に妻の文恵さんが登壇し、次のように語った。

「チームを続けることは本当に大変で、皆さんの前では見せないストレスを抱えている姿を見ていて、“もういいんじゃない?”と声をかけたこともありました。でも、レースで勝った子供たちからもらう感動は何にも代えがたいと、いつも言っていました。その気持ちを大事にして生きていた主人をそばで見ることができて、私は幸せでした。これからは“トラの妻”として、少しでも誇れるように生きていきたいと思います。

そして、こうして皆さんが宗和を愛してくださっていたことを感じられる会を開いていただき、妻として心から感謝しています」

 宗和孝宏氏の葬儀はすでに昨年に行われており、その墓は、彼が“タイガー”の名を刻んだTBCビッグロードレースが開催されたスポーツランドSUGOのほど近くにある。

 六甲から世界へ、そして多くの若手ライダーを育てた“タイガー宗和”の情熱は、残された者たちの中で、今も、生き続けている。



(文・写真:佐藤洋美)

2025/11/12掲載