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“世界のTAMIYA”へ育て上げた田宮俊作会長死去

 1/35ミリタリーシリーズ、1/700ウォーターラインシリーにミニ四駆など、昭和世代の男の子なら(当時は圧倒的に男の子のアイテムだったという意味で)誰もが一度は手にしたことがあると思う、赤と青のツインスターが目印のタミヤのプラモデル。タミヤを世界でも有数の模型メーカーへと育て上げた田宮俊作会長が2025年7月18日に90歳で逝去された(写真は2024年4月にリニューアルオープンした新橋のタミヤファクトリーにて。現社長の田宮信央氏と)。


 氏は昭和9(1934)年静岡市で生まれ、小学校2年の時に模型飛行機を竹ひごで製作したのが模型の出会い。父の義雄氏が戦前は運送業や製材業を営み、昭和28(1951)年に専業模型メーカーとしてスタートした田宮商事に昭和33(1958)年に入社。新製品の企画設計に携わった。

 まだ木製模型の時代であったが、入社早々にスケールがバラバラだった艦船模型をベテラン幹部に反対されながらも、粘り強く説得し1/500スケールに統一、昭和35(1960)年には初のプラモデルである戦艦大和(1/800)を手探り状態から製品化、昭和36(1961)年には大ヒット作となったモーターで動くパンサー戦車発売など、今日のタミヤに続く基礎を作り上げていった。


 社長就任は昭和59(1984)年、平成20(2008)年に娘婿の田宮昌行氏に社長を譲り会長に就任(昌行氏は2017年病気のため逝去。3代目に当たる現社長は孫娘の夫である田宮信央氏)。タミヤだけではなく静岡の模型メーカーを引っぱるは静岡模型教材協同組合の理事長も兼任した。


 夢と希望とものつくりの楽しさを教えてくれた、たくさんのプラモデルをありがとうございました。安らかにお休みください。

創業期からの製品が展示された歴史館は静岡の本社内に併設。見学は事前予約が必要。https://www.tamiya.com/japan/company/visit/index.html
2025/07/23掲載