2025年3月31日(月)をもって、Hondaウエルカムプラザ青山(以下WP)はビル建て替えのために、一旦休館となりました。最終日を飾るオープニングは、トライアルの小川友幸選手によるパフォーマンスとトークに大いに沸きました。司会は、モータースポーツの実況アナウンサーとして活躍中のピエール北川さんです。
■文・写真:高山正之 ■写真提供:Honda
■小川友幸、トライアルパフォーマンスで締める
北川—全日本12連覇中、チームMITANI Hondaの小川友幸選手です。今日は朝早くから待ちに待ったファンが多く集まってくださいました。
小川—皆さん、おはようございます。今日は最終日ということでとても寂しいのですが、自分にとっては嬉しい一日のスタートになります。トライアルバイクでWPの中を走るのは初めてですから。
北川—実は、WPが1985年にオーブンした時のイベントではトライアルのデモンストレーションが行われていたのです。始まりも休館による終わりもトライアルのパフォーマンスというのは、いかにもホンダらしいというか特別なものがあります。
それで、小川選手は、現在全日本12連覇中。そしてスクールやパフォーマンスショーにも精力的に取り組んでいます。そのモチベーションはどこから来るのでしょう。
小川—2004年にHRCが開発した4ストロークマシンのデビュー戦が、世界選手権のもてぎでした。これまでの2ストロークから4ストロークへの切り替えが難しかったのですが、マシン開発を含めとにかく乗ることがとても楽しい。今でもマシンの進化とテクニックの進化が続いています。シーズンが終わった後に、チーム関係者やメーカーの人たち、協力いただいた方々と祝勝会を行うのが、自分のモチベーションになっていますね。
小川選手は、2002年からHondaマシンで全日本選手権に出場。2004年に4ストロークマシンRTLをデビューさせ、2007年に初の国際A級スーパークラスのチャンピオンを獲得。2010年に2度目のチャンピオンを獲得した後、2013年から2024年まで前人未踏の12連覇中です。
北川—だいぶ気が早い話ですが、ここウエルカムプラザが新しくなるのは5年後。小川さんは、17連覇して再び登場してくれる可能性は有りえますよね。
小川—これまで、毎年これが最後のシーズンになる、と思いながら戦ってきました。これからも、行けるところまで行きたいと思っています。5年後も、モータースポーツの世界から離れることはないと思っています。
北川—トライアルでは、電動化や若手の台頭といった変化が大きくなっています。小川さんがトライアルで成し遂げたいビジョンをお聞かせください。
小川—モータースポーツが広く社会に認知されて、この世界に多くの人たちを呼び込みたい。そのために、モーターサイクルショーなど各地でトライアルのデモンストレーションを通じて魅力を伝えています。また、白バイ隊員向けのスクールも行っており、トライアルテクニックはいろんなカタチで活用できる可能性が高いのです。やりたいことは尽きないですよ。
北川—小川選手にとって、ここウエルカムプラザ青山とはどんな処だったのでしょう。
小川—トライアルで全日本に挑戦したころは、ここに立てるとは全く思っていませんでした。Hondaのチーム体制発表会に呼んでいただいて、ここのステージに立ったのが初めてだったと思います。またこのステージに立つことを目標に挑戦を続けてきましたので、ウエルカムプラザは自分のモチベーションを高めてくれた場所です。
ピエール北川さんの軽妙な司会でオープニングのトライアルステージは終了しました。小川選手の退場は、ファンの期待に応えてトライアルマシンを軽々と扱いセクションをクリアしながら去っていくという演出でした。
■F1、WGPのレジェンドトーク
中嶋、岡田のレーシングスクール校長対談
F1ドライバーとして、またスーパーフォーミュラやスーパーGTのチーム監督として活躍中のモータースポーツ界のレジェンド中嶋悟さんと、全日本やロードレース世界選手権、鈴鹿8耐で輝かしい戦績を挙げたレジェンドライダー岡田忠之さんによるトークセッション。
二人の共通点は、ホンダレーシングスクール・鈴鹿の校長という立場で、若手選手の育成に努めたことです。中嶋さんは2018年まで歴任、その後は佐藤琢磨さんが引き継ぎました。岡田さんは、現在もMotoクラスのプリンシパル(校長)として活動中です。
=ウエルカムプラザの思い出=
中嶋—1987年にF1ドライバーとしてデビューして、シーズンオフにここでトークショーを開催してもらいました。NHKの取材もここで行うなど、特別な一年でした。F1ドライバーになっても自分自身はあまり変わらないけど、周りが凄くなるね。この写真がその時の記事だね。当時は、今と比べると顔がきれいだよね(笑)。シミがないもの。今はテスト現場が多いからね。Hondaさんとの付き合いは、青山本社の前の原宿時代からだから、40年以上になった。
岡田—レース体制発表会や、バイクフォーラムに定期的に呼んでもらいました。WGPに出場していた時は、海外のレース事情について語ることが多かったと思います。日本のファンと接する機会はなかなかつくることが出来なかったので、ここWPは貴重な場所でした。
=現役時代のライバルとは=
中嶋—F1デビューの年は、あのアイルトン・セナが同じチーム。最初はライバル心があったけど、すぐにくじかれてしまった。この人たちは、どんなものを食べて、どんな生活をしているのだろう、と思ったが案外普通だった(笑)。
岡田—私のチームメイトも世界最強のミック・ドゥーハンでした。世界で戦うようになって、日本のホンダが造ったマシンで、日本人の強さを見せたいと思っていました。ミックは、自分に厳しかったですね。トレーニングにしても他のライダーとは歴然とした差がありました。その努力が5連覇という偉業につながったと思います(※ミック・ドゥーハンは、ホンダNSR500で1994年から1998年まで5年連続チャンピオンを獲得した偉大なレーシングライダー)。
=次世代のドライバー、ライダーについて=
中嶋—ホンダレーシングスクールの卒業生の角田選手は、努力が実ってチャンスがやって来た。チャンピオンチームのシートを獲得したわけだから、集中して最高のテクニックを見せて欲しい。自分に置き換えると、マクラーレンホンダのドライバーになるのだから、それは嬉しいよね。夢だよね。
岡田—二輪ライダーの卒業生には、Moto3で戦っている古里太陽選手がいます。彼のスクール時代は、とにかく質問が多くて何でも吸収していく姿勢が凄かった。古里選手につづくライダーを育てなければならないと思っています。今の若い人たちは、SNSとか情報過多の環境ですから”スマホに時間をとられるな”と言ってます。24時間をいかにレースに活かせるようなトレーニングやシミュレーションが出来るかが大事です。スクールでは、失敗をたくさんしてもいいと話しています。
=モータースポーツに思うこと=
中嶋—これからは、マシンのあり方が変わっていくと思う。環境対応によってもさまざまな変化があるが、人間の本質は変わらないと思うのでどんどん挑戦していってほしい。携わる人たちの挑戦する姿勢がモータースポーツの発展につながると思う。自分がまだレースチームの監督をやっているのは、疾走するマシンを見たいだけなんだ。自分が楽しみたいから若い人たちに乗ってもらっている。モータースポーツに限らずチャレンジする姿勢がどんなジャンルでも大事だと思っています。
岡田—今のMotoGPのマシンは、空力パーツや様々な電子デバイスが投入されています。自分としては、制御の戦いではなく、人間の能力がもっと発揮できるようにしてほしいと思います。自分たちが戦っていた時代は、制御系はほとんどなかったので、今よりも魅力あるレースだったと思います。
■四輪車開発者トーク
四輪製品を代表する形で、3名の開発責任者によるトークを開催
スポーツカーから日常生活に欠かせないミニバンタイプまで幅広いカテゴリーでの開発ストーリーを聞くことができました。カテゴリーが違う開発者が同じテーブルで語り合うシーンは、なかなか見られないと思います。来場者も熱心に耳を傾けていました。
■J-WAVE 公開生放送 GRAND MARQUEE(グランドマーキー)
Hondaウエルカムプラザ青山は、これまでテレビやラジオのさまざまな公開生放送のスタジオとしても活用されてきました。フィナーレに企画されたのは、ラジオのJ-WAVEで人気番組GRAND MARQUEEの公開スタジオです。
今回のトピックは、WP内に用意された燃料電池車「CR-V e:FCEV」による外部給電で、スタジオに用意された「ON AIR」を点灯させ続ける事でした。たぶん、公開スタジオの大部分の電気を賄えるかもしれませんが、放送事故にならないように慎重を期したと思われます。
■エンディングステージ
グランドフィナーレの最後は、Hondaウエルカムプラザ青山と別れを告げるステージです。これまで多くのお客さまに来場いただき、Hondaの製品やさまざまな活動に理解と共感をいただいたことに感謝を伝えました。
記念写真を撮影して名残を惜しむお客さまの姿は、Hondaウエルカムプラザ青山が愛されていた証だと感じました。5年後の新生Hondaウエルカムプラザ青山に期待と夢が膨らみます。
「これまでも、これからも、ここから」
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