2025年2月5日、「Honda 青山本社ビル クロージングイベント」の一環として、報道関係者向けに「Honda青山ビル建築ツアー」が開催されました。新車発表会や役員取材、またはHondaウエルカムプラザ青山で開催された各種イベントの取材などでお世話になったことへの感謝と、このビルに込められたHondaの想いを知っていただく事でした。ビルの解説は、建築史家として活躍されている倉方俊輔氏(大阪公立大学教授)。氏の解説で、私も気が付かなかった特徴などを知る機会になりました。
■文:高山正之 ■写真:高山正之・Honda
私は、1985年8月に原宿本社から新本社ビルの「Honda青山ビル」に引っ越しました。そして、2020年に本田技研工業を退社するまでの約30年間、このビルで働きました。私の経験も少しばかり紹介させていただきながら、多くの人たちに愛されてきたHonda青山ビルの魅力を紐解きたいと思います。
【インテリジェントビルって何だ?】
1985年になると、原宿本社では引っ越しに伴い悪戦苦闘していました。原宿から持ち出せる資料は、一人当たり1メートル四方と定められました。捨てられない性分の私の書類は、この数倍はありました。先輩からは、「1年間見なかった資料は捨てなさい」との厳命。
ホンダには、後ろを振り向かないで前進あるのみという雰囲気がありましたので、もったいないと思いながら何とか1メートルに収め込みました。
6階建ての原宿本社から17階建て(17階は屋上機械設備室)の青山本社に移った時に驚いたのは、タイムカードではなく身分証を兼ねたIDカードで、出退勤時のチェックから社員食堂の決済もする事でした。アナログからオフィスオートメーション(OA)の世界に入り込んだのです。
Honda青山ビルは、一躍インテリジェントビルと評価されて、さまざまな企業が視察に訪れました。
ビルは時代の最先端でしたが、私も含めて社員の意識は、急に変わるものではありません。
各フロアに設置されたコンピュータでは、社員の行き先フロアが明示されるシステムが組み込まれていました。このシステムが機能するためには、他のフロアに行くときには、IDカードをきちんと使わなければなりません。そんな習慣はありませんでしたから、しょっちゅう行方不明になる訳です。結局、ホワイトボードに「外出」とか「8Fの会計」とか書き込むのが一番使いやすいということになりました。
【オープニングイベントは、スタジアムトライアルを披露】
1984年、ホンダ青山ビルを管理する会社として、ホンダ総合建物(株)が設立されました。ビルの維持・管理から、防災や警備、そしてHondaウエルカムプラザ青山の企画から運営までを行う組織でした。この組織から、オープン直後にイベントを行うので手伝ってほしいと相談を受けました。地域住民の方やバイク、クルマファンが喜んでくれる動きのあるものにして欲しいと。
私からは、トライアルのデモンストレーションが面白いですよ、と提案しました。
とんとん拍子で話は進み、ピカピカの新社屋で実施する事に。トライアル普及の仕事で使っていたセクション器材を少しきれいにして、舞台を設営しました。妙技を披露してくれるのは、日本のトップライダーです。
私がテクニックの解説をしながら、トライアルという魅力的なモータースポーツを大勢の方に知っていただきました。企画と運営担当の私は、たぶん手書きのメモを見てもらいながら「こんなセクションを造って、危険がないよう配慮します」くらいしか説明しなかったと思います。主催のホンダ総合建物のスタッフは、「きれいな本社ビル」を見てもらう事より、「これがホンダです。楽しい場所でしょ」という姿を見てもらいたかったのだと思います。
このデモ走行は、本田宗一郎氏も見学して喜んでくれたとのことです。「デモ走行の前例」をつくったことで、その後もトライアルなどのデモ走行イベントが可能になりました。
【ショールームではなく、ウエルカムプラザの名称にした理由】
1階に設けられたパブリックスペースは、「ショールーム」ではなく「Hondaウエルカムプラザ青山」と名付けられました。その背景は、ショールームと名付けるときれいに磨き上げた製品を飾ることがすべて、と勘違いしてしまう。「この場所は、お客様の憩いの場であり、二輪や四輪の文化を発信する役割を持たせたい。だから、Honda青山ショールームではだめなのです」と、オープニングイベントで教えてもらいました。
縁があり、1986年にホンダ総合建物に異動となり、Hondaウエルカムプラザ青山のイベントや製品展示の企画に8年間携わりました。
最初の仕事は、鈴鹿8耐衛星生中継イベントの企画と運営でした。このライブイベントは、担当が代わっても昨年まで毎回継続されたのは驚きです。また、バイクの魅力を発信するトークショー「バイクフォーラム」は、私が担当したのが80回。その後も継続され約170回が開催されました。なお、スペシャルトークショーとかF1フォーラムなどもカウントすると、これまで250回くらいのトークショーが実施されたと思います。
バーチャルでは得られない、特別な時間と空気感を共有できるリアルイベントは、これからも大切にされていくと思います。
【本田宗一郎の水】
ウエルカムプラザには、「宗一郎の水」と名付けられた無料で楽しめる水が置かれています。これは「さまざまな人たちに気軽に来ていただきたい。そして、カブで出前の途中に立ち寄って、おいしい水を飲みながら一休みしてもらいたい」という本田さんの思いがオープン時からカタチになっています。
その水はビルの地下3階に設置された、カナダ産のヒバの巨大な2基(計70トン)の樽に貯蔵されているもの。まろやかな飲料水にするために、このような大がかりな仕掛けがあるのです。この水は、ビル内で利用されますが、もしもの災害時には近隣の方々にも提供されます。
【大企業病にかからないようにするためのカブミーティング】
1997年、わずか5人の発起人でスタートしたカフェカブイベントは、コロナ禍を除き昨年まで継続されてきた青山ならではの集いのイベントです。当初は、11月3日の文化の日に開催しました。ホンダは、祝日は出社日でしたから、社員にスーパーカブファンの姿を見てもらうことも、目的の一つでした。
スーパーカブの誕生によって、ホンダは1960年に二輪車の生産台数で世界一になりました。多くの社員は、「世界一のホンダ」と言われてから入社したことになります。このカフェカブイベントでは、初代モデル開発者のトークショーも開催してきましたから、ホンダが世界一に駆け上がる姿を実感できたと思います。年々参加者が増えたことで、出社日ではなく土日での開催に移行しましたが、「ホンダらしい」活動の一つとして、待ちゆく人たちにも共感をいただけるイベントになりました。
【一社員と社長が打合せできた役員室】
ホンダには、役員専用の閉ざされた個室はなく、昔から大部屋の役員室だけが存在します。
私は、広報部に在籍していましたので、時折社長秘書から直接連絡がありました。
「高山さん、福井(威夫)さん(社長)が呼んでいますから、すぐに来てください」スペンサーのヘルメットが置いてある福井さんの席に行くと、レースの取材についての前打ち合わせでした。社長と私の二人で「ああだこうだ」と話し合うわけです。たぶん、他の会社では上司を通じて、しかるべきメンバー構成で社長との打ち合わせに臨むものと思いますが、ホンダは一風変わっていました。
会長の池 史彦さんと、熊本で行うテレビ番組の撮影打ち合わせも、私と二人で行いました。アフリカツインに似合うブルゾンはどれがいいかとか、このワインディングはベテラン向きではないのか? といった、「釣りバカ日誌」の一シーンのような事もありました。このような楽と思える仕事ばかりではありません。
社長の吉野(浩行)さんを前に、私が書いた社長スピーチ原稿を読み上げると、吉野さんの顔色が変わってきました。「私は、そんな生ぬるい話をするために出席するわけではない。現実を直視して課題をクリアできる真剣な話をしたいんだ。これじゃ話にならない。すぐにやり直して」ということになり、年末年始休暇がなくなった思い出の役員室です。
【スーパーカブを持ち込んだ応接室】
最上階の16階には、VIP対応の応接室があります。
社員は、特別な事が無い限り立ち入ることはしません(物理上できないわけではありません)。社長の取材では、度々応接室を活用していました。
スーパーカブについて吉野社長にインタビューしたときに、何か違和感を覚えました。インタビュアーもカメラマンも、吉野さんも物足りなさを感じていたのです。応接室には、当然ながら主役がなかったのです。
私は、とっさにスーパーカブを地下駐車場からエレベータで応接室に運びました。
「どうぞ、スーパーカブにまたがって撮影してください」と。
ようやく、インタビュアーもカメラマンも吉野さんも笑顔になりました。応接室にバイクを持ち込んだのは、私が初めてだと思います。
この時に撮影した記事が載っている本を役員室に持って行ったのですが、とくに問題視されなかったのです。たぶん社長命令だと思ったのかもしれません。これを機に、福井さんの取材の時もスーパーカブを持ち込んでしまいました。
【Honda青山ビルに思う事】
建築物自体は何も考えませんし、意思も持ちませんが、このビルには創業者の本田宗一郎と藤澤武夫両氏の想いが反映されています。「人間尊重」という本田技研工業の理念が随所に見ることができます。
思わぬ災害で窓ガラスが落ちないように、建築費用の高いバルコニー構造にするとか、近隣の住民の方々の避難場所として飲料水や非常食を常備しています。
そして、このビルは本社機能と、地域の方々やファンが訪れるHondaウエルカムプラザ青山が一体となっています。
社員は仕事がしやすく、一般の来場者には楽しんでくつろいでいただく事を両立しなければなりません。設備管理や防災管理などに携わった方や、ホンダレディ(現ホンダスマイル)の笑顔による対応などの日々の積み重ねが、親しみやすいビルになったのだと思います。
まもなく、3月31日でプラザは閉館になりますが、それまでは、クロージングイベントとしてさまざまな展示を行っていますので機会があればぜひ来館していただきたいと思います。そして、5年後に完成する新Honda青山ビルを楽しみに待ちたいと思います。