アジアロードレース選手権(ARRC)は、アジアにおける国際ロードレース選手権として1996年にスタート。アジア圏のバイク人気で、販路を開拓しようと日本のメーカーが参入するようになり、そのレベルは上昇した。今ではレースウィークのSNSやYoutube、TV中継など含めた視聴者は約1000万人とビッグイベントへと成長している。
最高峰クラスだったSS600で2011年に藤原克昭(カワサキ)、2012年に清成龍一(ホンダ)、2015年に高橋裕紀(ホンダ)がタイトルを獲得。2023年に南本宗一郎がタイトルを獲得した。8年ぶりの日本人チャンピオンの誕生だった。そして今シーズン、南本はASB1000で、日本人ライダーとしては初となるチャンピオンを狙う。
南本宗一郎は2014年に全日本昇格しJ-GP3クラス参戦、2016年~17年にはARRCのAP250に参戦している。ヤマハの期待の若手ライダーとして育成プログラム『YAMAHA VR46 Master Camp』に参加するなどキャリアを積んだ。
2019年には全日本ST600でタイトル争いを繰り広げ、2019年~20年はランキング2位となる。2021年にはST1000にステップアップしてランキング3位と躍進した。
南本はしかし、この年を限りに引退を考えていた。
「大学を卒業するタイミングでした。いろんな人に応援してもらってレースが出来ていましたが、学生のうちなら出来ることも、社会人として挑める環境ではないと思っていた」
南本はそう言った。
だが、ヤマハからARRCでスーパースポーツ600(SS600)参戦の打診を受ける。プロフェッショナルライダーとしての契約の道が開けた。レースを続けたかったが、その道がないと諦めていた南本にとって最高の誘いだった。
南本は2023年『YAMAHA GEN BLU RACING TEAM ASEAN』から『YZF-R6』でSS600に参戦した。600に跨るのは3年ぶり、チームやタイヤだけでなく環境も変わる上、テストもなしだった。
「思うようにタイムアップ出来ず10番手くらいで、流石にまずいなと思いました。でも、出来ることは毎回、全力で挑むことしかなかった」
開幕戦はタイ、レース1を6位で終えるが、レース2で3位表彰台を獲得。第2戦マレーシアは、レース1は5位、レース2は7位。第3戦日本のレース1では2位、レース2は4位となる。この時点で、ランキング5位だった。ランキングトップとは39ポイントと開いていた。
第4戦インドネシアのレース1で3位となり、レース2、好スタートを切った南本は、序盤から積極的なレースを見せ4台のトップ争いを展開、6周目に南本が仕掛けてトップ浮上し初優勝を飾る。だが、ASB1000のレースで、一緒にトレーニングをする仲間でもあり、ライバルでもあり、友人の埜口がクラッシュし、病院に運ばれる。パドックでは深刻な事態だと囁かれており、南本勝利もどこか沈んだものになった。
「やっと、やっと勝てたというのと、遥希(埜口)の事故があったから……。同じ関西出身で、普通にすごく仲が良かったから……。ショック過ぎて……。怖かったし、レースを続けていいのかと考えた。それでも、レースが出来ていることは特別なこと。走れることに感謝しかないと思った。いろいろな意味で1番印象に残るレースになった」
その後、埜口は息を引き取り、南本は哀しみを引きずりながらも、第5戦中国に挑んだ。中国でも3位、2位と連続で表彰台に上がってランキング3位で最終戦を迎える。12月1日~3日に開催された第6戦タイ(最終戦)で、タイトルの可能性を見出す。
「正直、タイトルを取れるとは思っていなかった。自分がチャンピオンになるというイメージがまったくわかず、レースウィークには扁桃腺が腫れて熱が出ていた」と好調とはいいがたい状況で最終戦に挑んだ。
予選で初となるポールポジションを獲得すると、レース1ではホールショットから一度もトップを明け渡すことなく、今季2勝目を挙げ、2ポイント差のランキングトップに浮上。レース2では、好スタートを決め、ホールショットを奪う。タイトルを争うライダーが転倒し、この時点で、南本のタイトル獲得が濃厚となる。南本はチームメイトのアピワット・ウォンタナノンとのトップ争いを展開。南本はトップを死守するも、ラスト2周でアピワットの先行を許し、優勝はアピワット、僅差の2位で南本はチェッカーを受けた。南本にとっては、シリーズチャンピオン決定の瞬間でもあった。
南本にとってARRCに加え、Moto2に野左根航汰の代役として挑戦する機会も得たシーズンだった。
「走行経験のないサーキットばかりで、600が3年ぶりということもあってシーズン前半は苦しいレースが続きました。でも、インドネシアあたりから流れが変わった。そして、Moto2に代役で参戦したことで、マシン以上に人間ができることがあるというのを感じたことも、自分の成長にとっては大きかった。チャンピオンになれるとは思っていなかったけど、このタイトルを泣いて喜んでくれる人がたくさんいて、それが嬉しかった」
全日本のST600は2度のランキング2位が最高位だった南本にとって初の栄冠となった。
2024年、南本はYAMAHA TEKHNE Racing Team ASEANライダーとしてASB1000にステップアップした。
「全日本は事前テストがあるが、アジアはテストなくぶっつけ本番が当たり前、その戦いをワンシーズン戦って、順応性は上がったと思うし、成長出来たと感じる。アジアは、簡単じゃないというのが正直な感想。ライダーを見ても今年はドゥカティで元MotoGPライダーのシャリーンが参戦している。他も強敵ばかりだ。厳しい戦いになるのは覚悟していた」
開幕戦のタイを7位&8位、2戦目中国、レース1は8位となる。レース2は悪天候のため中止となった。第3戦日本を迎えた。もてぎでARRCが開催されるのは初となり、日本人ライダーのワイルドカード参戦などがあり、通常のレースよりも日本人の姿が目立つ大会となった。
ここで、存在感を示したい南本だったが、ASB1000レース1は代役参戦の西村硝(BMW)が勝ち、レース2は國井勇輝(ホンダ)が勝利、南本は4位&7位で終えた。
南本は「精一杯にやった結果です。残りのレースも同じように全力で挑むだけ」と悔しさを押し殺すように語った。
これまでは、鈴鹿8時間耐久参戦で忙しい夏となるが、南本は鈴鹿8耐参戦を見送る。鈴鹿8耐1週間後に第4戦目のインドネシアが開催される。ARRCに集中したいと考えたからだ。
だが、ワールドスーパースポーツのチェコモストラウンドにタイヤマハから代役参戦することになる。「なかなかできない経験」だと欧州に向かった。
「ARRCの600チャンピオンとして参戦できたことは誇らしい気持ちでした。すぐに結果が出るとは思っていませんでしたし予想通りに速くて強い選手しかいませんでした。フリー走行が1回しかなく、すぐに予選、決勝と1分1秒を無駄にせず緊張感を持って戦うライダーたちに、昨年のMoto2代役参戦で感じたものと同じでたくさんの刺激をもらいました」
チェコからインドネシアに移動し第4戦を迎えた。開催サーキットはマンダリカ、昨年ここのレース2で初優勝を飾り、後半戦へと力を発揮して行った。そして朋友の埜口遥希が事故にあって帰らぬ人になった場所でもある。
南本は、埜口がクラッシュした10コーナーに向かう。抜けるような青空を背景に、彼のゼッケン73のプレートと走行写真が置かれ花が手向けられていた。
「決して忘れられないし、忘れない。このなんとも表現しようのない気持ちを持ちながらレースに向き合っていくんだと思う」
南本は自分自身に言い聞かせるように言った。
南本は埜口に「勝って自慢しに来るからな」と誓う。根拠のない自信だったが得意なコースだという自負があり、ヤマハのマシンの性能を引き出しやすいレイアウトだという思いがあった。
走り出しからタイムが記録出来た。だが最終予選で走り出してすぐ転倒してしまう。ダメージは大きくなく、すぐ修復してコースインする。マンダリカは究極の楽園と呼ばれる美しいロンボク島の南海岸にそってきらめくインド洋に面する海沿いにある。時折、海からの強い風が吹く。その強風に煽られた南本は大クラッシュ。マシンは全損に近いダメージを負う。ケガがなかったことは幸いだが、レースグリッドに並べるのかと思うほどだった。それでも記録は残り南本はダブルポールポジションを獲得する。
「使うことができたのはエンジンとリアサスだけで、メカニックさんの負担はものすごく大きかった。それでもレースに間に合わせてくれました。レース1では予選までに乗っていたバイクとは、違う感触でうまく走れずでしたが、なんとか4位になることができチームに感謝しかなかった」
翌日にはレース2が控えていた。南本はレース1で感じた課題をメカニックに伝える。レースウィークに入り扁桃腺が腫れ、症状は悪くなる一方で夜には熱でうなされた。ここ数年レースウィークになると体調不良になる。原因不明だが、その症状には慣れてもいた。
熱で火照った身体ではあるが、朝のフリー走行でマシンが完璧になっていることに気が付く。チームの手腕に感激しながらグリッドについた。
レースは、國井勇輝(Honda)が首位に立ち、南本、クラウン・エピス(BMW)のトップ争いとなるが、3周目に首位を奪った南本と國井の激しいバトルが続いた。そして6周目には南本がトップをキープし優勝のチェッカーを受けた。
「朝フリーを走った時点で、これならイケると思えた。ここまで勝つことができなかったこと。転倒で迷惑をかけてしまったこと。チームへの感謝といろいろな思いがあって格別の思いでした」
レース後には10コーナーを再び訪れ埜口に勝利の報告をした。
ARRCは残り2戦、4レースを残すのみとなった。昨年もマンダリカから流れが変わり南本の快進撃が始まった。現在ランキングトップはアンディ・ファリド・イズディハール(Honda)が116ポイント(P)、2位にハフィズ・シャリン・アブドラ(DUCATI)が110P。3位がナカリン・アティラトフバパット(Honda)で92P、4位が國井92P。南本は5位で85Pだ。
「タイトルのことは考えていない。それは、昨年も一緒でした。目の前のレースにただ向き合う。その積み重ねの末に結果がある。先のことなんて誰にもわからないから、今を懸命にとただそれだけです」
ASB1000で日本人ライダーがチャンピオンになったことは、まだない。ARRCを戦いの場と与えられ、その戦いの末に南本はどんな夢を見るのだろう。熱が出てしまうのは強い責任感からのようだ。ARRCに南本は新たな歴史を刻もうとしている。
(文・佐藤洋美)