「Moto3の頃は、もてぎはあまり好きじゃなかったけど、
Moto2では好きなコースになりました」
ロードレース世界選手権(WGP)が3年ぶりに栃木県モビリティリゾートもてぎで開催された。新型コロナウィルスの影響で、ここ2年、WGPが開催されず、日本人ライダーの活躍も遠い異国での戦いのように感じていたファンにとっては待ちに待った開催だった。
ただ、報道関係者の人数制限、3回のワクチン接種証明書か陰性証明書の提出が必要で、申請も厳しいもので、海外メディアは日本を避けて、次戦のタイへ向かう人もあり、毎年、設営されるプレハブのプレスルームも比較的空いていた。
観客向けのパドック券の販売はなく、いつもは歩くのもたいへんなパドックは閑散としていて関係者の姿しかなかった。それでもファンの期待値は、スタンド裏のイベントや前夜祭の興奮で伝わっていた。
スズキのMotoGP撤退を発表、違約金を払っても参戦中止を決めたスズキが払った金額が何億なのか、何十億なのかと噂が飛び交い、MotoGPの表彰台から日本のメーカーが消えることが多くなり、ホンダでなければ勝てないと囁かれた時代、そこに挑戦するヤマハ、スズキの激闘から、ドゥカティを始めとするアプリリアやKTMといった欧州ブランド、そしてそれを駆る新たなスターたちの競演を見つめることになる。
勿論、ホンダのマルク・マルケスの復帰、新たなスターの座を射止めたヤマハのファビオ・クラルタラロ、最後の母国GPに挑むスズキのアレックス・リンスと見どころは満載だった。中上貴晶が負傷を押して参戦、テストライダーの長島哲太がワイルドカード参戦。津田拓也がケガをしたジョアン・ミルの代役参戦というのもトピックだった。
Moto3では、鈴木竜生が予選でポールポジションを獲得し、決勝では佐々木歩夢がトップを快走、最終的に3位となり、表彰台に登った。記者会見で「次は藍がやってくれると思う」と、Moto2の藍へとバトンを渡した。
青山博一が監督を務めるIDEMITSU Honda Team AsiaはMoto2に小椋 藍とソムキアット・チャントラが、Moto3には古里太陽とマリオ・アジが今年から参戦を開始している。
藍は、故加藤大治郎が始めた「大治郎カップ」で74Daijiroに跨がり、レースキャリアを積んでいった。ホンダの育成ライダーとして、アジアタレントカップ、ルーキーズカップ、FIM・CEVレプソル国際選手権とステップアップ。Moto3にワイルドカード参戦しGPデビュー。フル参戦を開始したのは2019年からだ。初年度から表彰台に登る活躍を示し、2年目はタイトル争いをしてのランキング3位となった。
2021年にはMoto2へとステップアップ。今季はスペインGPで初優勝し、オーストラリアGPで2勝目を挙げ、ランキング2位でタイトル争いを繰り広げていた。タイトルを争うアウグスト・フェルナンデスは、来季のMotoGP参戦を決め、藍の昇格も噂されたが残留を決め、MotoGP昇格組にその名前はない。
それでも未来のMotoGPライダーとしての期待を集める逸材だ。ホンダがMotoGPライダー育成のために組み上げたプログラムのステップを確実に上がっている。それは、アジアチームに所属するライダーすべてに言えることだが、藍への注目度はひと際高い。
久しぶりに会った藍は意外と落ち着いていた。今季から参戦を開始した古里のことを、「ものすごく緊張しているのがわかる。19年の自分を見ているよう。無駄におしゃべりだし、落ち着きがない。どこに出かけているのか、いつもいないし」と言う。古里も「本当、やばいですよ。緊張が……。なんで、ですかね。他と違って、みんな日本語話しているからですかね?」と、初めて訪れた場所で迷子になっているような雰囲気だった。
藍は「俺も、初めての日本GPは緊張して舞い上がっていました。でも、今回はあの時に比べれば落ち着いている。Moto3の頃は、もてぎはあまり好きじゃなかったけど、Moto2では好きなコースになりました。Moto3は何が起こるかわからないクラスだけど、Moto2は組み立てられる部分があるから」と語っていた。
予選は台風の影響で雨が降り、時折、強い風も吹いていた。藍はFP2で転倒して11番手。Q2セッション開始直後には落雷を伴う激しい雨になり、5分経過時点で中断、残り9分で再開された。藍は新品タイヤでコースに出るが、その感触を確かめている間に終了してしまい13番手となってしまう。
台風はもてぎを通過するルートだったが、少しそれて、決勝は晴れの予報が出ていた。藍は「決勝も雨かと思っていたから、晴れ予報だって聞いただけでテンションが上がって来た。予選13番手から、追い上げて表彰台まで行けたらカッコ良いですよね」と言うから「マルケスがもてぎで、Moto2の時に最後尾から追い上げて勝ったことがあったよね」と返すと、「優勝かぁ?」と言うので、「表彰台でも充分カッコ良い」と一緒に取材していたプレス仲間とうなずきあった。晴れ予報のおかげで、藍の表情が明るくなった。
藍に「予選がダメでも、決勝では、絶対に這い上がる強いレースが出来る強いライダーだよね。そんな信頼できるライダーになったことはすごいことだ」と言ったら、藍は「子供の頃から、どんなにダメな状況でも、諦めたら怒られて来たから」と苦笑い。
74Daijiroを走っていた頃から、決して速いバイクに乗り、勝てる状況が揃っていたわけではないが、藍は粘り強い走りをしてきた。負けて当然でしょうと思うような年上の体格のまったく違う年上ライダーに勝負を挑み、負けると、小さな身体全部から悔しさが伝わる戦士だった。
残り3戦、熾烈なタイトル争いが続く。
栄光は、手の届くところにある。
決勝朝の駐車場で藍の両親に偶然会った。「藍に“強いライダーになったね”と言ったら“怒ってくれた親のおかげ”と言っていたよ」と伝えた。両親は嬉しそうに「そこ? 他に言うことないかなぁ」と笑顔を見せていた。藍を支えてきた家族にとっても特別のレースだった。
天気予報は当たり、太陽が顔を出し、ドライコンディションで決勝のスタートが切られた。スタートを決めた藍は、オープニングラップに5番手につけ、2周目に4番手へ。5周目に3番手に浮上すると、アロンソ・ロペスとチームメートのチャントラを追走。7周目にチャントラをかわし、2番手浮上、トップのロペスの背後に付けていた藍が、13周目の90度コーナーのブレーキングでロペスをかわしトップに立つ。14周目にはファーステストラップを記録して、ロペスを突き放す。2番手にはタイトルを争うフェルナンデスが浮上し、藍を追う展開となる。チェッカーまでの間、一進一退の神経戦が繰り広げられた。藍は、その差を図りながら、逃げ切りの優勝を飾った。
チェッカーの瞬間、もてぎが揺れるほどの歓声が上がる。プレスルームでは、日本人プレスが立ち上がり、拍手しながら、その勝利を讃えた。ウイニングランでは、控えめな印象の藍が、その喜びを精一杯に表し観客の声援に応えた。表彰台の前に戻ると、スタッフとの抱擁、そして、駆けつけた家族ともハグして、勝利の報告をした。
表彰台では天を仰ぐように顔を上に向け、太陽の陽射しを全身に浴びた。青空をバッグに日の丸が表彰台の真ん中に立ち、君が代が流れた。
「表彰台からの景色は自分が良く知っているもので、日本で勝てたんだなぁと実感しました。日本の人達に勝つ姿を見せることが出来て良かったとほっとしていた。絶対に泣き顔を見せないと決めていたけど、君が代が流れた時は、ちょっと……」
会見場で多くの報道陣に囲まれた藍に笑顔がこぼれた。
日本GPで日本人が優勝したのは2006年、監督の青山以来で16年ぶりの快挙だった。16年前は泣きながら表彰台の真ん中にたった青山の目には、監督としての涙があふれていた。
青山は「自分の時より嬉しい」と語った。「今日の藍のレースに点数をつけるとしたら何点?」と聞くと「走りは100点だけど、ウィークの組み立ては70点」と辛口だったが、「母国GPで勝つことは特別なこと」と藍の勝利を讃えた。
「フェルナンデスが追い上げて来たからトップに出たわけではなく前に出て、ベストを尽くして走ろうと思った。なるようになるだろうと……。フェルナンデスは速いライダーなので、その後の展開は想像がつかなくて、仕掛けてきたら、その時だと思っていた。差はボードに出ていて、確認していた。頑張っているのに、その差が詰まらない。もっと頑張らないとダメじゃないかときつかった。でもトップに出て、力が抜けて、リラックス出来ていた。いいリズムで走れたように思う」
2019年Moto3で、初の母国GPに挑んだ藍は、フリー走行でトップタイムをマークするも、予選では転倒して18番手、決勝は14位だった。緊張でガチガチになっていた藍は、もうそこにはいなかった。
藍の力強いライディングは、緊張感を持って観る者を捕らえる。だが、藍は「まだ、自分を解放するようなライディングをしたことがない」と言った。未知なるポテンシャルを秘めた藍が、今後どんなレースを見せてくれるのか、楽しみしかない。チャンピオンに拘る藍が、Moto2の栄冠を掴み、最高峰での戦いに挑む日が待ち遠しい。
日本GP終了時にはランキングトップのフェルナンデスに2ポイントと迫り、第17戦タイGPは豪雨のため中止となり6位でハーフポイントとなり、トップのフェルナンデスとの差を1.5ポイントと詰めた。残り3戦、熾烈なタイトル争いが続く。
(取材・文:佐藤洋美)