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2019年は、長島哲太(ONEXOX TKKR SAG Team)にとって4回目のMoto2シーズンだ。最初の挑戦は2014年。イギリスGPで転倒に巻き込まれて骨折を負い、以後は長期欠場が続く苦しいシーズンだった。その後、FIM CEV レプソル選手権のMoto2クラスを2シーズン戦い、2017年からMoto2に復帰した。再挑戦3年目の今年は、サマーブレイクを境に上位陣を脅かす存在感を発揮しはじめているものの、まだ表彰台には手が届かない。大きな期待が集まる日本GPを前に、長島哲太の〈これまで〉と〈これから〉をたっぷりと語ってもらった
■インタビュー・写真・文:西村 章 ■写真:Honda

長島哲太
※以下、写真をクリックすると大きく、または違う写真を見ることができます。
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-ここまで4回のシーズンを振り返ってみて、今年が一番成長できている、という手応えは自分でも感じていますか?

「2014年の最初の一年に関しては、まったく何もできなかったシーズンでした。自分の走りもできなかったし、成長できたという実感も何もなかった。2017年と18年は、成長はできたけど、結果にはつながりませんでした。今年は前の二年間で経験してきたことが少し結果につながるようになって、手応えも感じられるようになりましたね」

-その手応えと結果を出せている大きな理由は何ですか?

「一番大きいのは、今年からスペイン人のマネージャーをつけたことですね。MotoGPに参戦している日本人選手は、メーカーのサポートなどがあるおかげで生活の苦労をしなくてもすむ場合が多いようですが、僕の場合は自分でスポンサーを集めて生活費を工面して、ようやくレースをできている状況でした。毎年そういうことを自分でやらなきゃいけないので大変だったんですが、去年の年末からスペイン人のマネージャーにお願いすることになり、初めて2年契約、しかも持ち込みナシ、という形での契約を取ってもらえました。自分にとっては、お金や生活、次の年のことなど細かいこと心配せずレースに集中できるのは今年が初めての経験でした。それが一番の大きな部分だと思います」

-どういう経緯で、そのスペイン人マネージャーに依頼するようになったのですか?

長島哲太
長島哲太(ながしま てつた):1992年生まれ。神奈川県出身。 3歳のときにポケバイに乗り始め、その後はミニバイクでレースの世界へ。全日本ロードレース選手権には2008年より参戦(GP-MONOクラス)。GP125、J-GP3、J-GP2とステップアップ、2014年よりMoto2クラスから世界選手権へ参戦。2019年は第15戦タイGP終了時点でシリーズランキング13位。

「2017年に僕がこのSAGチームに在籍していたとき、当時のチームメイトのイサク(・ヴィニャーレス)をマネージメントしていた人なんですよ。すごくいい人で、そのときから仲良くしています。去年、IDEMITSU Honda Team Asiaから翌年の契約がないと通達されたのはけっこう遅い時期で、ほとんどのチームのシートがほぼ決まっている状態でした。そのとき、たまたま彼に相談したら、このSAGと話をまとめてくれました。もともとは仲の良い友だちだったんですが、そこからマネージメントをお願いするようになり、おかげさまで今はレースに集中させてもらっている状態です」

-2014年に初めてMoto2クラスへ挑戦したシーズンは、何もわからないまったく手探りの状態でしたね。暗中模索が続いているときに、シルバーストーンでもらい事故を受けて骨折し、長期欠場を強いられたあの年は、精神的にもかなり厳しかったのではないですか。

「めちゃくちゃ苦しかったですね。生まれてはじめて、レースを辞めようかと本気で悩みました。そこまでの自分のライダー人生は、順風満帆に歩んできたほうで、全日本の初年度もそんなに下の方は走らなかったし、初めてのコースであろうが一年目だろうが、基本的にはいつもトップをずっと走っていました。それが自分にとっては当たり前だったんですが、トップと関係ないところや最後尾を走るのは、あの年が初めての経験でした。それまでは自分に才能があると思っていましたが、初めて才能がないと思ったし、自分の能力を全否定されました。『このままレースを続けてもいいのか……』と悩むくらい、辛い一年でした」

全日本ロードレース参戦時代。2012年J-GP3(シリーズランキング2位)と2013年J-GP2(同6位)。

-生まれて初めて挫折を味わったわけですね。

「そうですね。まさに挫折です。レースを続けるかどうか、ということは高校生の時にも考えたことがあったんですが、自分が遅いと思い知らされて、ライダーとしての挫折を味わったのは、あれが初めてでした。毎日ホテルに帰ると泣きたくなって、『もう家に帰りたい』と思うくらい……」

-その苦しい時期をどうやって乗り越えてきたのですか?

「自分の車体が他のライダーたちと違っていたことと、チームからはたとえば『3秒遅いから、バイクの前にまずおまえを速くしろ』という調子でセッティングをまったく変えさせてもらえなかったので、自分の中では『これはオレの実力じゃない』と思うことができたんです。『同じモノを使って同じように走らせてもらえれば、オレは速くなれる』という考えが最後の砦、自分のよりどころでした。いつも20何位という結果ばかりでまったくいいリザルトが残らなかったのですが、だからといってここで、『結果が出なかったので、ハイ、おしまい』というふうには終われないな、とも思いました。自分が納得のいくところまでやらないかぎりこの世界から退きたくない、という気持ちでしたね。自分は絶対にできる、と信じられなくなったら、小さい頃から育ててもらった人たちや応援してくださった方々にも申し訳が立たない。自分が自分を信じなければ、誰からも応援もしてもらえないし、応援してくれる人たちにも申し訳ない。とはいえ、あのシーズンは『これはオレじゃない、自分の記憶から消してしまいたい』というくらいの一年でした」

-その黒歴史のようなシーズンを終えて、2015年と2016年はCEVに参戦しました。その二年間で、どうやって自信と自分の走りを取り戻してきたのですか?

「その二年間でも、自分の走りは取り戻せていないんですよ。全日本時代に感じていたような、すべてが自分のコントロール下にある感覚は、2014年から16年にまったく感じたことがありませんでした。2014年を終えて、全日本に戻るという話もあったんですが、日本に帰るとGPの世界に戻ってくるのはすごく難しいだろうと考えていたので、GPに戻るにはCEVしかない、というのが自分の答えでした。最初はエンジンが遅くて苦労しましたが、エンジンを変えてもらって周りと同じになると表彰台に上がれるようになって、MotoGPの世界で味わった心の傷がようやく癒えてきました」

-CEVの2年目は、コンスタントに表彰台に上がるようになりました。自信を取り戻すいいきっかけになったのでは?

「そうですね、ひとつのいいきっかけにはなりました。でも、取り戻しきれていなくて、だからこそ、勝てなかった。最終戦ではなんとか勝ちましたけど、あれは運もあった結果です。実力では勝てていなかったので、ある程度の自信を取り戻せたとはいえ、気持ちよくなれるほどのリザルトではありませんでしたね」

-では、すべてが自分のコントロール下にあって思うままに走れる、という全日本時代のような感覚を取り戻せるようになったのは、いつごろですか?

「今年のチェコ、オーストリアあたりから、少しずつその感覚にハマってきました。オーストリアではとくにその感覚がありましたね。アベレージも高くて、ひとりでもタイムを出せる、というあの感覚を久々に味わいました。あれを味わえると気持ちいいし、走っていても愉しいんですよ。それを感じられたのは、ようやく今年になってからですね」

2019年の第11戦オーストリアGPでMoto2クラスで自身初のポールポジションを獲得。

-Moto2復帰初年の2017年は、今のSAGチームからの参戦でした。どんなシーズンでしたか?

「あの年は、手応えを取り戻すつもりで挑んだシーズンでした。でも、ポイントをそんなに取れなかったので、あのときも苦しかったですね。簡単じゃないことは2014年に痛感していたので、そのときに比べればショックはなかったし、むしろ『通用しない差ではないな』ということも実感できました。このまま目標に向かって努力を続ければ届く距離だ、と確認できた一年でした」

-その次の年がIDEMITU Honda Team Asia。いろんな意味で環境の違うシーズンだったと思います。ある意味では非常に恵まれた環境ともいえるでしょうし、それだけにプレッシャーも強かったのではないですか。

「そうですね。たしかに、たとえば転倒してもパーツがすぐに新品になる、といったふうに、環境的にはとても恵まれていて、しかも監督が青山博一さんだから、たくさんのことを学べました。その反面では、Moto2復帰後2年目で、『今年、結果を出さなければライダー人生が終わる』という気負いもあったし、せっかくこのチームに入ったからには中上君の背中を追いかけるくらいの結果を出さなければいけない、というプレッシャーもあって、それが重く苦しい一年でしたね。

 あと、それまで自分はずっとブレンボを使っていたんですが、あの年はNISSINだったので、最初のベースを作るまでが少し苦労しました。シーズン序盤は感覚がいまひとつで、それで苦労したんですが、去年の8耐を走ったときに秋吉(耕佑)さんが使っていたブレーキのフィーリングがよくて、後半戦でそれをそのまま移植してもらってから、コンスタントにポイントを獲れるようになりました」

-マシン環境という意味では、今年は大きな節目の年です。この変化は自分にとっていい方向に作用していると思いますか?

「いい方向に作用していると思います。エンジンはトルクがあるので、1000ccの走らせ方に近くなってきている印象です。しっかりとバイクを停めて曲げる、という乗り方ですね。去年までの600ccは、コーナリングスピードを稼ぐために進入でもスライドさせながらなるべくスピードを落とさないような走りでしたが、今はしっかり停めないと加速できなくなっているので、そこは8耐を経験させてもらったことが自分にとっていい方向だったなと感じています。

あとは、エンジンブレーキや出力のマップに関しても、600cc時代は細かくアジャストできなかったことが今ではかなりできるようになっているので、その要素を感じ取れるライダーにアドバンテージがあるのかな、と思います」

-去年までは、マッピングの切り替えはありませんでしたからね。

「なかったですね。そもそもボタン自体がなかったですから」

-ジオメトリはどうですか?

「少しは変わっているけど、そこは大きな問題ではありませんね」

-今年のSAGチームはマスダンパーを使用していますが、あれは効果が大きいのですか?

「善し悪しがあるので、微妙ですね。たとえばアラゴンの1~2コーナーのようにスロットルを開けながら切り返していくところは、切り返した後に滑っちゃうんですよ。チームとしては開発を続けていくので、ネガを潰しこんでポジを伸ばして行く方向です。レッドブルリンクの事後テストで試しに外して走ってみたら、テスト用エンジンだからトップスピードで10km/hくらい遅かったのにレコードとほぼ同じ1分28秒台で走れました」

-大リーグボール養成ギプスをはずすようなかんじですか?

「(笑)まあ、そんなかんじですね。チームとしては、今後も開発を続けていくようです」

-さきほど、8耐を経験する効果の話が少し出ましたが、去年の600cc時代よりも今年の765ccのほうが8耐のビッグバイクを経験した効果が良く出る、ということでしょうか?

「それもあるんですが、今年はHRCのテストに参加させてもらったことが個人的には大きかったと感じています。『たった一日テストで走っただけじゃないか』と思う人もいるかもしれませんが、あのテストは自分の中で大きな意味のある一日でした。

 初めてのオーディションであんなプレッシャーの中で走って、ポジションもセッティングも変えてもらえないなか、一日で結果を出さなければならない。そんな状態で走って、でも、なんとかなっちゃったんですよね。タイム的にはブラドル選手と0.2秒くらい差はありましたけど、時差ぼけの中でいきなり乗って自己ベストに近いところで走れたので、自分では納得できました。それが自信になった、ということがひとつ。

もうひとつは、HRCのファクトリーマシンの完成度の高さと、あの走らせかた。言葉にするのがすごく難しいんですが、バイクを速く走らせるヒントをあれで掴みました。決勝はテルルで走った(au・テルル SAG RT)んですが、マシンはいわばHRCの一年型落ちだったので、「一年であんなに進化するんだ、ということも痛感しました。それでもなんとかしなきゃいけない、といういろんなキツい経験が、今年はすごいリターンで自分に返ってきました」

-8耐のあとは、感覚を取り戻すことに手間取る選手もいるようですが、長島選手の場合はそんなことはありませんでしたか?

「チェコのFP1で最初の20分はめちゃくちゃ乗りづらくて、それこそブルノの3コーナーではバイクが軽すぎて何回もイン側の縁石に乗ったりしましたが、8耐のときに見つけたきっかけがすごくいい方向に作用してくれて、自分ではタイムを出すつもりはなくてバイクに慣れるつもりで走っていたのに、なぜか一番時計で自分でもビックリしました」

-それまで長島選手が転ぶときは、フロントをこじって転倒する傾向があるような印象もあったのですが、8耐後、とくにブルノからレッドブルリンクの2戦ではその傾向がなくなってきているようにも見えました。

「そうですね。ムダな力が全部抜けて、無理な力を入れずに走れていました。それが8耐で得た部分で、Moto2にもそのまま生きてきた、という印象ですね」

長島哲太
長島哲太

-〈たら・れば〉を言ってもしようがないのですが、レッドブルリンクは確実に勝てていたであろうレースでした。その後、ミザノとアラゴンは結果を残せませんでしたが、焦りは感じていませんか?

「オーストリアはホントに残念でしたが、誰でもああいうことは起こりえるのでしようがないです。シルバーストーンは5位で自己ベストタイ。レース内容もまずまずの結果だったと思います。ミザノは、単純にフロントタイヤに問題があってペースが上がらず転んでしまいましたが、FP1からFP3までは今までどおり上位にいることができました。アラゴンでも、FP3まで6番手だったのですが、予選で試したいことがあってやってみたら、それが全然ダメで17番手。決勝はフィーリングが良かったのでトップを狙おうとしたらリスクを冒さなくてはならなくて、完全に自分のミスなんですが、突っ込み過ぎて転倒してしまいました」

-タイGPでも、FP1から絶好調で、予選もポールポジションこそ逃したものの2番グリッドで優勝争いは確実かと思えたのですが、レースではまったくペースがあがりませんでした。

「サイティングラップで振動を感じたので、直前にフロントタイヤを交換したのですが、じつは症状はリアから来ていて、走り出してからまったくペースを上げることができませんでした」

-レースペースも一発タイムもトップクラスで、決勝前には「日本GPの前に一回表彰台を獲っておいて、表彰台争いの感覚を掴んでおきたい」と言っていただけに、予想外の結果になってしまいました。

「なんで決勝になって症状が出るんだ……、と思うし、こればかりはしようがないんですが、本当にめちゃくちゃ悔しいです。

 今まではポイントを獲れたらOK、シングルに入ったらOK、トップファイブに入れればOK、だったんですが、オーストリアやシルバーストーンで表彰台が現実に目の前に見えるようになってきて、あと一歩頑張れば表彰台獲得、となったときに、欲をかいてしまうんですね。アラゴンでも、FPのままの状態で行くと、予選でたぶん二列目や三列目は取れていた。でも、二列目や三列目だと表彰台を狙うにはリスクが高い。できればポールもしくは一列目がほしいから、もう少し良くしたい。で、欲をかいて試してみたら全然ダメだったんですよ。そのバランスがすごく難しくて、特にMoto2はラップタイム差が全然ないので、ほんのちょっとはずすだけで、ものすごく順位が下がってしまう。

 でも、表彰台まではもうほんのちょっとなんですよ、たぶん。けっして届かない位置ではないし、絶対に届く位置にいる。でもその〈ほんのちょっと〉を変えないと届かない。だから今は、そこを変えている時期です。ミザノとアラゴンに関しては、レース結果だけを見ると良くないけど、ウィークの流れは悲観するほどではないので、そこをうまくまとめられるようになってもう一段階成長できれば、たぶん、ふつうに表彰台に乗れるようになるんだろうなあ、と思います。今はそのためのガマンの時期で、この3年間はそこに向かって努力を続けてきたんですが、この大きい壁も越してしまえば『なあんだ、こんなものだったのか』と思うかもしれませんけどね」

-今年は、昨年までとくらべてセッションのフォーマットも大きく変わっています。Q2へダイレクトに進むためには、FP1からFP3までのセッションの組み立ても去年とは確実に違ってきますよね。今年のフォーマットは自分ではどう感じていますか?

「最初はイヤだなあ、と感じていましたよ。『Q1に行っちゃうと大変じゃん』と思ったりもしたけど、最近はQ2へコンスタントに進めるようになっていて、そうなると『あ、これはすごくラクだな。最悪でも18番手なので、予選で少しリスクも冒せる』とも思えています。だいぶ慣れてきたし、最近はFP1、FP2でしっかりタイムを出してFP3でレースシミュレーションをする、ということもできるようになってきたので、うまく活用できるようになってきました」

-ご家族のことも少し訊ねていいですか?

「はい、もちろん」

-お子さんはふたりですよね。

「上の女の子が今、三歳五ヶ月。下の男の子が一歳八ヶ月です

-かわいい盛りで、シーズン中に家族とあまり会えないのは寂しくないですか。

「子供が初めて寝返りを打ったとか、初めてつかまり立ちをしたとか、そういう瞬間を見られないのはちょっと寂しいけど、でも、ふたりの子供を奥さんがずっと面倒見てくれて、僕自身は海外に来させてもらえるのはとてもありがたいし、そこはほんとうに、家族に感謝、のただひとことです」

-これからのフライアウェイシリーズは日本を起点に行動できますね。

「そうですね。タイGPにも日本から来ました。じつはいま、三人目が奥さんのおなかにいるんですよ」

-生まれる予定は?

「11月です」

-それはぜひとも表彰台で祝わなければいけませんね。

「そうですね。ぜひ、もてぎで」

-シーズン残りの目標は?

「まずは表彰台。それが将来に向けての必須条件です」

-去年までなら現実味の薄い目標でしたが、今は確実に手の届く範囲にいます。

「逆に、ちゃんとまとめさえすれば入れるだろう、という位置にいると思います。その意味で、もてぎはすごくチャンスだと思っています」

長島哲太
【西村 章】
web Sportivaやmotorsport.com日本版、さらにはMotosprintなど海外誌にもMotoGP関連記事を寄稿する他、書籍やDVD字幕などの訳も手掛けるジャーナリスト。「第17回 小学館ノンフィクション大賞優秀賞」「2011年ミズノスポーツライター賞」受賞。

2019/10/17掲載