カタログで辿るホンダ ホーク
【1974年ホンダ ホークとの出会い】
ホンダのニューモデル「HAWK 11(ホークイレブン)」が話題となっていますが、私がホンダ ホークを初めて見たのはホンダに入社した1974年でした。勤務地の狭山工場の敷地内にある「ホンダエンジニアリング(EG)」の受付ロビーにロケットのような巨大なマシンが展示されていたのです。その異様な形に圧倒されました。用もないのに、仕事の帰りにEGのロビーに立ち寄り眺めていました。アメリカで世界最高速度記録に挑戦したマシンで、CB750FOURのエンジンが2基も搭載されていることも驚きでした。入社1年目は、このホークに度肝を抜かれました。
【中型免許制度の暗黒時代とホークの誕生】
では、バイクのホークについてカタログでその足跡を辿ってみたいと思いますが、当時の背景を少しばかり紹介いたします。
1975年9月、中型限定免許制度がスタートしたことで、ライダーにとっては長い暗黒時代に突入しました。当時、ホンダの400cc以下のモデルにはCB360Tがありましたが、フルスケールではありません。カワサキは、2ストローク3気筒の400SSと4ストローク2気筒の400RSをすでに投入していました。スズキは、2ストローク3気筒のGT380が人気を誇っていました。
ホンダは翌1976年3月に排気量をダウンした398ccのCB400FOURを発売し対応しました。ヤマハは2ストローク2気筒のRD400を発売し、4メーカーの400ccモデルの激戦が始まりました。この時点では、4ストローク4気筒の400はホンダのみでしたが、高いコスト体質は避けられないため、新たな400ccの戦略が必要でした。そのような背景などから、高性能とコストを両立させた4ストロークOHC2気筒で超ショートストロークエンジンの「ホークⅡ(CB400T)」が1977年5月に誕生しました。
ショートストロークエンジンの利点やオールマイティな走りに対応できる装備などを詳しく説明しています。鷹の鋭いイメージとは違って、丸みを帯びたタンクは”やかんタンク”とか、ホークではなく”ポーク”と呼ばれることもありました。ホイールには、CB750FOUR-Ⅱの次にコムスターホイールを採用しています。先進装備満載でした。
ホークⅡは、輸出車に「ホークⅠ」があったため、日本で発売するモデルには“Ⅱ”を採用したようです。私の体験では、ホークⅡはタンデムツーリング最強のバイクだと思います。ストレスなく狭い道も渋滞路も走れますし、何より疲れない。20代の私にとっては、スタイリングだけがもの足りないところでした。
同年7月には、250ccの「ホーク(CB250T)」が発売されました。
そして、1978年に「ホーク(CB400T)<ホンダマチック>」が登場します。750ccの「エアラ」に続くオートマチックの第二弾です。価格は、ホークⅡに比べてわずか3万円高の349,000円という戦略的な設定でした。時代を先取りしすぎたこともあり、残念ながらビジネスとして成功したモデルにはなりませんでした。
1978年8月には、他社のスポーティーモデルに対抗し「ホークⅢ(CB400N)」が発売されます。従来のホークシリーズは併売して豊富なラインアップにしました。翌1979年には、スポーティーな「ホーク(CB250N)」を発売しました。
ホークシリーズは、次第にスポーティーモデルがメインとなっていきました。そのような中、1980年4月に発行されたベーシックなホークシリーズの総合カタログには、ホークの”コンセプト”を明確に残したいという想いが表れていると思います。
これまで、「ホーク」のネーミングの由来を調べても分かりませんでした。しかしながら、このカタログにはその由来の手掛かりが散見できます。これまで見逃していましたが、コピーの秀逸さに感動した次第です。
少し時代が遡りますが、ホークと同様にバーチカルツインエンジンの味わいをアピールしたカタログがありますので、紹介させていただきます。1974年7月に制作されたCB360T/250Tのカタログです。
この当時は、暴走行為が社会問題になるなど、バイクには逆風の時代でした。高性能を求めるだけではなく、時にはゆったりと楽しんでほしいという願いがカタログにもあふれています。
そのような時代で誕生したホークは、高性能をスタイリングで強調したモデルではなかったため、スポーツ志向のユーザーには支持されにくいバイクでした。その後、他社との激しい競争の中で次第にスポーツ志向のモデルに移行していきました。
1979年4月、カワサキから発売された4ストロークDOHC・4気筒の「Z400FX」によって、400ccの世界は高性能化へと突き進んでいきます。
1980年8月、ホークシリーズ最強のスポーツモデル「スーパーホークⅢ」が発売されました。トリプルディスクブレーキやチューブレスタイヤ、ジュラルミン鍛造のセパレートハンドルやブレーキペダル採用など、意欲的なモデルに仕上げていました。価格は、初代ホークⅡに比べて8万円高の398,000円になりました。そして、250ccにはスーパーホークを投入しました。
1980年、ヤマハは4ストロークDOHC・4気筒のXJ400を発売。1981年、ホンダは今でも名車として親しまれている4ストロークDOHC・4気筒のCBX400Fを発売し、400ccクラスで絶大な人気を得ました。その2年後の1983年には、さらにレーシングイメージを高めたCBR400Fを発売するなど、400ccのロードスポーツバイクは急激に高性能化に突き進むことになります。
ホークシリーズは、5年程度の短い発売期間になりましたが、目指したコンセプトは王道を行くものだと思います。
鷹(ホーク)は、ホンダ二輪のプロダクトマークの”ウイングマーク”に通ずるものがあります。新生ホークも伝統と夢を翼に乗せて大きく羽ばたいてほしいと願っています。
1955年山形県庄内地方生まれ。1974年本田技研工業入社。狭山工場で四輪車組立に従事した後、本社のモーターレクリエーション推進本部ではトライアルの普及活動などに携わる。1994年から2020年の退職まで二輪車広報活動に従事。中でもスーパーカブやモータースポーツの歴史をPRする業務は25年間に及ぶ。二輪業界でお世話になった人は数知れず。現在は趣味の高山農園で汗を流し、文筆活動もいそしむ晴耕雨読の日々。愛車はホーネット250とスーパーカブ110、リードのホンダ党。