第128回 「下はあっても上はないのがガード下」
「ガードが固い」という言葉、聞いたことありますよね。イケイケの昭和30年代生まれボーイズであれば、何の根拠もないのに、行けばなんとかなると、わくわくどきどきびんびんで伝説のナンパ島に向け竹芝桟橋から出航して行ったおはしゃぎボーイズ。しかし世の中そんな甘い話があるわけもなく、「またも負けたか八連隊、それでは勲章くれんたい(九連隊)」と子供たちがはやしたてた歩兵第八連隊も驚くほど、ガールハント(死語)は連戦連敗。ため息と共に「あのスケ、ガードがやけに固いぜ」とさるびあ丸で帰路につくしょんぼりボーイ達。焼きに焼いた肌と同じくらい胸が痛んだことでしょう(一部不適切と思われる表現が含まれていますが、当時の雰囲気を強調するためあえて使用しましたということで、他意はございません)。
あれからすでに三十数年、しょんぼりボーイ達も定年迫るサラリーマンズになり、薄暗いガード下が定番になりました。同じガードでも、こちらのガードはあのスケども(不適切と思われる表現が含まれていますが、当時を思い出してのむかつきを強調する文学的な表現方法のためあえて使用しました。他意はございません)の数千倍固いのです。昭和サラリーマンの愛車、首都圏や関西圏の通勤電車のド定番103系電車、山手線の場合は10両編成ですから1両当たり約40tとして400t。内回りと外回りがすれ違えば800tを支えるのですから、こちらのガードはガッチガチに固くないといけません。
カタカナではおなじガードであっても、あっちのガードは護りなどを意味するGuard。こっちは桁とか梁(=橋をささえる部分)を示すGirderが由来の和製英語のようです。
ちなみに現在山手線を走っているE235系は1両当たり約25tですから、桁も桁違いに楽になったことでしょう(←うまいこと言ったつもり)。固いので、間違ってもどこかの市長がかみつくことはないでしょう(←5年後にはほとんど忘れられているであろうし、今はもう旬ではないネタ)。
ガーダーがどういういきさつでガードに変わったのか知るよしもありませんが、正確にいえばガード下とは橋(高架)全体の下ではなく、桁の下のみということになります。ガード下で得意げに「正確にはガーダー下だけどね」とか「そこはガード下じゃなく橋の下だから」と叫んでみても、顧みられることも尊敬されることもないですからご注意ください。
そもそもガード下とは薄暗くて汚い、犯罪と小便のニオイが入り交じって婦女子は近寄りがたいというイメージがありませんか。そこまでいかなくても、もうもうと煙を吹き出す赤提灯と酔っ払いがくだを巻き、どっちにしても婦女子は近寄りがたい昭和の定番でした。
しかし平成、令和と時代が変わると、ガード下の大家さんである鉄道会社は商売っ気丸出になってきました。特に駅近の一等地付近は、耐震工事という大義名分の元、妖艶で猥雑で近寄りがたいオヤジの聖域、怪しいお店を一掃して、オヤジが近寄りがたい明るいオシャレ空間へリニューアルが侵攻中。その巻き添えでしょうか、ガード下にある立喰・ソも消えつつあります。高齢化、人手不足、そしてコロナ禍など、閉店に至るには様々な事情はあるのでしょうが、ここ数年、ガード下の名店がどんどん幻になっているようです。
ガード下で立喰・ソをすするという、なんでもないようなことが、しあわせだったと思う〜そんな日が来るのも、そう遠くないのかもしれません。どこか一ヶ所だけでも、ガード下のガードを甘くして……。
●幻立喰NEWS2021
またも寝耳にミミズ! 目黒の老舗が……
世田谷区に次いで立喰・ソ不毛区の目黒区。そんな目黒駅前の老舗が田舎。実は目黒駅前でも田舎があったのは立喰・ソ天国の品川区でしたが。それはさておき、たまたま9月1日に駅前を通ったAB君から至急報が届きました。「田舎のシャッターが降りてんだけど」え? 私は2日前に前を通過しましたが確か営業していたはず。しかし、AB君から添付された写真を見ると、貼り紙のようなものが見えました。まさか!? 押っ取り刀で駆けつけると、なんと悲しい貼り紙が。いつもにぎわっていて、安心しすぎて、いつも当たり前に開いていたから、通り過ぎるばかりだった田舎が……アジ天と固くてすっぱいいなりの黄金コンビはもう食べられないのでしょうか。ほんとに長い間、おつかれさまでした。
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