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名車図鑑

バイクと出会って半世紀。子供の頃、バイクのカタログ集めに夢中になった山形の少年は、学校を卒業すると念願だったホンダに入社。1994年からは二輪広報を担当し、2020年定年退職するまで四半世紀、一貫して広報活動に従事した。バイクブームのあの時代からの裏も表も知り尽くした高山さんの視点でふりかえる、バイク温故知新の四方山話。それが「バイク・承前啓後(しょうぜんけいご)」。

●第5回「バーチカルエンジンのルーツと直立型シングルエンジンの系譜」-ホンダ GB350誕生に寄せて-

 2021年3月30日、待ちに待った「GB350」が発表されました。一番の特徴は、垂直に配された「空冷バーチカルエンジン」です。低回転から図太いトルクを発してドドドッと走ってくれそうです。まさに鼓動感の塊のようなエンジンだと思います。
 巷では、二輪車の電動化が叫ばれていますが、振動の無い電気モーターとは真逆な性格のビッグシングルエンジンは、伝統的で逞しい外観が存在を強烈にアピールしています。そのせいか、乗る前からさまざまな妄想を膨らませてくれます。
 では、ホンダにおける空冷4ストローク・バーチカルシングルエンジンのルーツを辿りながら、1970年以降の直立型シングルエンジンの系譜を紹介したいと思います。





【ホンダのルーツは、2ストロークエンジン】
 
 唐突ですが、初めてホンダの名を冠した製品は、1947年に発売した自転車用補助エンジン「ホンダA型」でした。こちらは、空冷2ストローク50ccエンジンですが、立派なバーチカルタイプなので、無理やり感がありますが紹介いたします。GB350のエンジンと技術的な関係はありませんが、ホンダのルーツとして歴史に残るエンジンです。

ホンダA型
1947年 ホンダA型 空冷2ストローク単気筒50cc 本田技術研究所製
自転車に後付けする「自転車用補助エンジン」です。この補助エンジンを取りつけた自転車は、後に「原動機付自転車」と呼ばれ、略称の「原付」は今も継承されて広く浸透しています。

【ホンダ初の4ストロークエンジンが誕生】

 翌年の1948年、本田技研工業が設立されました。設立当初は、二輪車用エンジンとしてコストが安く、軽量コンパクトな2ストロークエンジンを搭載した二輪車を生産していました。創業者の本田宗一郎氏は、機構が複雑でコストは高いのですが、燃費と耐久性に優れた4ストロークエンジンの開発に大きく舵を切りました。
 そして1951年に誕生したのが、「ドリームE型」です。このモデルの開発中には、設計者で後のホンダ二代目社長となる河島喜好氏自ら乗車し、静岡側から箱根山山頂までをノンストップで走り切り高性能を実証しました。当時は、四輪車も含めて、箱根をノンストップで登り切るのは難しいと言われた時代でした。

ドリームE型
1951年 ドリームE型 空冷4ストロークOHV単気筒146cc
少し前傾していますから、バーチカルとは言えませんが、ホンダ4ストロークエンジンのルーツにあたります。4ストロークエンジンは、機構が複雑でコストも高くなりますから、主に大型二輪車に採用されていました。小排気量車に搭載されることは、当時としては珍しいことでした。今年2021年は、ホンダにとって4ストロークエンジン誕生70周年にあたります。

 その後は、4ストロークエンジンメーカーとして意欲的な二輪車を続々と世に出していきます。

【空冷4ストローク・バーチカルシングルエンジンの誕生】

 1955年には、ホンダ4ストロークエンジンとして初めて高級なメカニズムの「OHC」機構を採用した250ccの「ドリーム SA」と350ccの「ドリーム SB」が誕生しました。搭載された空冷4ストローク OHC単気筒エンジンは、まさしくバーチカルシングルです。現代のGB350とは、年代、生まれた背景も違いますが、写真を並べてみますと、どちらも威風堂々とした雰囲気が漂います。

ドリームSB
1955年 ドリームSB 空冷4ストロークOHC単気筒343cc。
モGB350
2021年 GB350 空冷4ストロークOHC単気筒348cc。

ドリームSA
1955年 ドリームSA 空冷4ストロークOHC単気筒246cc。
GB350
350ccのドリーム SBと比較すると、エキゾーストパイプ、マフラーの形状や燃料タンクが小さめになっています。

 250ccのドリームSAは、1955年の富士登山オートレースに出場し見事に優勝。高性能エンジンのポテンシャルを大いに発揮しました。
 そして、同年に開催されたビッグレース「第1回全日本オートバイ耐久ロードレース」(浅間高原レース)のライト級(250cc)に、レース用に改造を施した「SAZ」で臨みました。SAZは、大村美樹雄選手によって途中までトップを快走していましたが、トラブルで脱落。2位を走行していた谷口尚己選手に期待がかかります。しかしながら、僅差でライラックに乗る伊藤史朗(ふみお)選手が真っ先にゴールを果たし、SAZは2位という結果に終わりました。伊藤選手は、16歳という若さで優勝を獲得し、後にヤマハのワークスライダーとしてWGPで数々の優勝を獲得するなど、卓越したテクニックを持つ天才ライダーでした。

  
 ホンダの谷口選手は、ホンダが初めて出場した1959年のマン島TTレースに於いて、6位に入賞するなど、輝かしい成績を残したライダーとして知られています。
 一方、ドリームSBは、ジュニア級(350cc)用として「SBZ」を、セニア級(350~500cc)には排気量を380ccにアップした「SDZ」のレース仕様で出場しました。結果は、ジュニア級でSBZの大村美樹雄選手が優勝。2位、3位もSBZと上位独占の圧勝でした。大村選手は、前年1954年にブラジルの「サンパウロ市400年祭国際オートレース」にベンリイを改造した125ccのレーサーで出場。22台中13位で完走を果たした貴重な国際レース経験者です。
 セニア級では、SDZの鈴木淳三選手が優勝。380ccの小排気量ながら、500ccのメグロ、キャブトン、DSKなどのメーカーを押さえての優勝でした。
 この浅間高原レースは、メーカーの威信を賭けた重要なレースと位置づけ、社長の本田宗一郎氏自ら現地に赴き激を飛ばしていました。当時のホンダ社報では、250ccのドリームSA改造のSAZで臨んだレースで負けたことを大いに反省するコメントが残っています。浅間レース特集号を発行するほどですから、いかにこのレースを重要視していたのかが分かります。
ホンダ社報0
1955年発行 ホンダ社報 浅間レース特集号の表紙

【1956年発行のカタログから】

ホンダA型

1956年発行のカタログ
1956年発行のカタログ

1956年発行のカタログ
1956年発行のカタログ

 ドリームSBのボア×ストロークは、76mm×76mmとスクエアタイプです。当時としては、高回転・高出力型で、最高出力は15PSを5,400回転で発生しました。
 GB350と比較するのは意味が無いかもしれませんが、GB350のボア×ストロークは、70mm×90.5㎜の超ロングストロークです。最高出力は、20PSを5,500回転で発生します。

【その後のドリームSAとSB】

 翌年の1956年には、早くもモデルチェンジし、ドリーム SAは「ドリーム ME」に、ドリーム SBは「ドリーム MF」へと名称を変えるとともに、MFは最高出力を5PSも高い20PSまで引き上げられました。ちょうどGB350と同じ最高出力というのも、面白いですね。

ドリームME
1956年 ドリームME 250cc フロントフォークには、リーディングリンク式ボトムリンクを採用して走行性能向上を図りました。

【4ストローク2気筒の時代へ】

 ドリーム ME/MFは、他社の追い上げが激しくなり優位性を保ち続けるのは難しい状況となりました。新たに開発したのは、空冷4ストロークOHC 2気筒の250ccで、ホンダにとって初めての2気筒エンジンです。1957年に「ドリーム C70」として発売。最高出力18PSを発揮する高性能エンジンと、神社仏閣型と言われた存在感あるスタイリングで、たちまち人気を博しました。このエンジンの派生は、ドリームCB72スーパースポーツに搭載され、スポーツバイクメーカーとして確固たる地位を獲得しました。
 1955年に誕生した、空冷4ストローク・バーチカルシングルエンジン(250cc/350cc)は、わずか数年で2気筒にバトンを渡すことになります。

ドリームC70
1957年 ドリームC70 空冷4ストロークOHC2気筒247cc 前傾型です。
ドリームCB72
1960年 ドリームCB72スーパースポーツ 最高出力は24PSまで高められ、スポーツマニア垂涎のモデルとして高い人気を誇りました。

【1970年以降の直立型シングルエンジン】

 ホンダの4ストローク直立型エンジンは、1970年発売の「ベンリイCB90」で新しい時代に入りました。このCB90は、他社の2ストローク勢に対抗するために新開発されたもので、最高出力は10.5PSを発揮しました。そして、このエンジンをベースとして125ccのベンリイCB125Sやバイアルス125などが生み出されていきます。

 15°前傾したエンジンですから、バーチカルとは言えませんが、直立型エンジンのメカニカルな美しさは多くのファンを魅了しました。
 1971年には、50ccにも直立型エンジンが採用されます。ベンリイCB50の誕生です。
 50ccクラスでは、1958年発売のスーパーカブC100に採用された水平型エンジンがスポーツバイクにも採用されていました。しかしながら、他社の2ストロークスポーツバイクに対抗するには、新たなエンジン開発が急務でした。このような背景で誕生したこのエンジンは、バイアルスTL50にも採用されました。その後、R&PやXE50などにも流用されました。そして、2001年に登場した「エイプ(50)」に受け継がれ2017年まで息の長いエンジンとして活躍しました。

ドリームC70
1970年 ベンリイCB90 空冷4ストロークOHC単気筒89cc。
ドリームCB72
1971年 ベンリイCB50 空冷4ストロークOHC単気筒49cc やや前傾したこのエンジンは、精密で芸術的なエンジンとも言われ、最高出力の6PSを10,500回転という高回転で発揮しました。

 1972年には、250ccクラスで直立型シングルエンジンを搭載した「ドリーム SL250S」が誕生しました。こちらも、他社の2ストロークオフロード車に対抗するための新開発エンジンでした。

エイプ
2001年 エイプ(50) 空冷4ストロークOHC単気筒49cc 30年前のベンリイ CB50から続く直立型エンジンは、このモデルが最後になりました。47年という半世紀近くも愛用されました。
ドリームSL250S型
1972年 ドリームSL250S 空冷4ストロークOHC単気筒248cc 軽量化を実現したエンジンは、オフロード走行に於いて軽快なハンドリングを提供しました。(当時のカタログより)
軽量化を実現したエンジンは、オフロード走行に於いて軽快なハンドリングを提供しました。オフロードからロングツーリングまで、オールマイティに楽しめるモデルとして広く支持されました。

【1972年の総合カタログから】

1972年の総合カタログ
ロードスポーツモデルの直立型単気筒は、50、90、125の3車種。
1972年の総合カタログ
オフロードモデルの直立型単気筒は、90、125、250の3車種。他は2気筒でした。

 ホンダのスポーツモデルには、メカニカルな美しさで定評の直立型が多く採用されました。バーチカルシングルエンジンは、GB350の登場まで60年以上も待たなければなりませんでした。GB350の新たなエンジンは、このような歴史的な変遷を考えますと大変興味深く五感をくすぶるエンジンに違いありません。

 


高山正之
高山正之(たかやま まさゆき)
1955年山形県庄内地方生まれ。1974年本田技研工業入社。狭山工場で四輪車組立に従事した後、本社のモーターレクリエーション推進本部ではトライアルの普及活動などに携わる。1994年から2020年の退職まで二輪車広報活動に従事。中でもスーパーカブやモータースポーツの歴史をPRする業務は25年間に及ぶ。二輪業界でお世話になった人は数知れず。現在は趣味の高山農園で汗を流し、文筆活動もいそしむ晴耕雨読の日々。愛車はホーネット250とスーパーカブ110、リードのホンダ党。


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2021/04/08掲載