「夢と希望を持ち続けること。チャレンジをする勇気を持ってほしい!」というメッセージ・
テスト中の事故で半身不随となった元GPレーサー青木拓磨選手が、22年振りにバイクで走行する“Takuma Rides Again”プロジェクトと題したイベントが、鈴鹿8時間ロードレース大会第42回大会(鈴鹿8耐)が開催された鈴鹿サーキットで行われた。
青木拓磨といえば、1995~96年に全日本ロードレース選手権スーパーバイククラスを2連覇し、1997年にはホンダNSR500Vを駆りロードレース世界選手権(WGP)に挑戦。デビューイヤーでランキング5位を獲得し、翌年もWGPを戦う予定だったが、そのシーズン前のテスト中にクラッシュ。脊髄を損傷して下半身不随となってしまう。
しかし、その後は車いすレーサーとして四輪レースに転向し、様々なカテゴリーのレースに参戦。2020年にはル・マン24時間レースへ参戦するべく、現在も積極的に活動を展開している。また、レースには出場しないものの、二輪の耐久レースである「レン耐」(レンタルバイクで気軽に参戦できるレース)を主催するなど二輪の活動も展開している。
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青木拓磨が鈴鹿8耐に参戦したのは、事故の前年の1997年のこと。ウルトラマンレーシングから兄・宣篤とペアを組んで参戦した。そこから22年、再びこの鈴鹿8耐に戻ってきた。 今回の“Takuma Rides Again”プロジェクトは、弟・治親が発案し、宣篤とともに「もう一度 拓磨をレーシングバイクに乗せたい」という想いからスタートしたもの。8耐に出場するマシンのベースモデルとなるホンダCBR1000RR SP2を拓磨が駆り、鈴鹿サーキットの本コースを走るのだ。
その走行を前に開催されたトークショーでは、プロジェクトの経緯を説明。事の発端は、弟の治親選手が、障がい者であってもバイクに乗りレースをしているという人たちがいることを知り、企画書を作ったこと。そのよう治親選手の行動に兄の宣篤選手が驚いた話などが語られた。
拓磨は「障がいを負った人はもちろん、そして障がいのない人でも、あきらめなければ必ず夢は叶うし、支えてくれる人がいれば何でも実現が可能だって改めて思うんです。このプロジェクトは、バイクに乗ることが最終目標じゃなくて、チャレンジをするってことを改めて皆さんに認識してもらいたいというところを目標でやっています。青木拓磨がバイクに乗れるなら、俺だって何かできるじゃんって思いを持ってくれたら、このプロジェクトは成功だって思っています」と今回のプロジェクトの趣旨を説明。今回の拓磨の走行によってより多くの人を勇気づけられたらという思いも語られた。
当初は決勝前日となる7月27日(土)の前夜祭での走行も予定されていたが、東海地方を襲った台風6号の影響で鈴鹿周辺の雨はいつまでも降り続いたためキャンセルとなってしまった。
しかし鈴鹿8耐の決勝日となる7月28日(日)、ウォームアップ・セッション後のオープニングセレモニーは快晴の真夏の日差しの下で行われた。ホームストレートに登場した青木三兄弟、「(拓磨が)鈴鹿に帰ってきたよ~」というMCの言葉に、グランドスタンドはもちろん、ピットウォーク中のピットロード側からも盛大な拍手が沸き起こる。
そしてこの多くのファンが三兄弟の様子を見守った。兄弟に抱えられてバイクにまたがった拓磨の姿に場内からは多くの拍手が沸き起こり、拓磨はタンクに顔を伏せて涙を流す。もちろん、その様子はファンの涙も誘い、場内全体が非常に暖かな雰囲気に包まれた。
エンジンに火が入り、ゼッケン24をつけたCBR1000RR SP2が走り出すと、場内全体が拍手でこれを送り出し、それに応えるように拓磨はスタンドに手を振りながら走り始める。すべての観客スタンドはもちろん、フラッグポストからも拍手を受けながら、鈴鹿のフルコースを2周半走行した。ピットロードに戻ってきた拓磨は多くのファンに取り囲まれ、身動きが取れないほどだった。
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