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エンタメ

第116回 「魚肉、山田、香港の三題噺(クレームはCOVID-19まで)」

 魚肉ソーセージお好きですか。あのピンク色のぶるんとしたやつ、生のままかじってもいいんですが、ちょっと焼くと表面がカリッとしてごはんもう一杯(個人的見解)。お金はないのにあらゆる欲が噴出していた若い頃、ずいぶんお世話になりました。そんな魚肉ソーセージを「魚ソ」と呼ぶ人がいらっしゃるとか。ウイキ先生に書いてあるくらいですからいるのでしょう。なんと呼ぼうが個人の勝手ですが、ソはそばの略にしている私にしたら、魚ソ=「魚そば」になります。魚そばに出会ったことはないので問題化しておりません。ただし、いつまでも平和日々がのほほ〜んと続くかといえば……なんでもない日常が当たり前でなくなるという事実に直面した今日、安穏としていてはいけません。
 それよりたった今気がついたのですが、肉といえば魚の対義語です。なのに魚肉は魚の肉という意味で違和感は感じません。しかし逆にして「肉の魚」なんて言おうものなら、かなりの確率で頭のおかしい人だと思われます。ちなみにgoogleで「魚肉」を訳してみたらなんのひねりもなく「fish meat」と出ました。「meat fish」は「肉と魚」ですと。

 ついでにもうひとつ。魚は海の中でも魚。市場でも魚。食卓に並んでも魚です。野菜もしかり。しかし肉は? さらに、さかなくんはいるのに、にくクン、やさいクンはいません(すでにいらっしゃるかもしれませんが)。さかなくんは「ぎょぎょ!」という理想的なキャッチフレーズがありますが、肉や野菜ではこれ!というのが思い当たらないのも一因かもしれません。

 そこでブレイク前の芸人さんにご提案です。「そばクン」「うどんクン」はいかがしょう。「そそそそ、ズルっ!」「うどうどうど、こねこね」等々、わかりやすいキャッチーなコピーもお使いいただけます。讃岐うどんブームは一時より下火とはいえ、埼玉や宮崎など日本全国ご当地うどんが発掘されていますし、立喰・ソブームの兆しもあります(たぶん)。アメトークで「山田うどん芸人」が放映される前に、ここは一発勝負してみてはいかがでしょうか。その節は当コラムでヒントを得たとウィキ先生に書いておいてください。ただし、さかなくんはとんでもない魚知識と、しゃべりがあるからこその「さかなくん」です。付け焼き刃で簡単に二番煎じができるほど甘い世界ではないでしょうが。

 魚肉ソーセージからちょっと本題に近づいてまいりました。山田うどん(現在の正式な屋号は「ファミリー食堂 山田うどん食堂」)の蒲田店が2020年5月22日に閉店してしまいました。かつては東京23区内に何店か存在して山田うどんですが、蒲田店は23区最後の砦でした(関係ないですが、取手に山田うどんはありません)。蒲田店が閉店したことにより、東京23区内から山田うどんは消滅したことに対し、山田者と呼ばれるファンのみなさまの気持ちは幾何か。山田うどんに数回しか行ったことがない私ごときが、語ることが出来るはずもありません。大やけどする前にこの話題はここまで。

meat fish

山田
山田
第57回でご紹介させていただいた山田うどん蒲田店は東京23区内で最後の山田うどんでした。正式な名称「ファミリー食堂 山田うどん食堂」が示すように立ち食いスタイルではなく、ファミリーレストランのような雰囲気でしたが、店内には心意気を表すようにステキなのれんがありました。(2015年4月撮影)

 で、うどんといえば、讃岐うどんの名店中の名店「たにべい」こと谷川米穀店が昨年末閉店したことを、つい先ほど知りました。麺通団の田尾団長がタウン誌TJ Kagawに連載し、讃岐うどんブームの発端となった「ゲリラうどん通ごっこ」で発掘された伝説のS級店のひとつです。どれくらいすごいかといいますと、その昔、意中の人を「ちょっとうどん喰いに行こう」と連れて行ったら、あまりのおいしさに一発ツモしたくらいです(もちろんウソです)。バブル華やかなころ「ちょっと中華に行こうか」と香港へ連れて行けば、リーチ一発ツモドラドラで満貫(一応時事ネタっぽくしてみました。テンピンまでならいいんですよね?)なんてことが、まことしやかに言われておりましたが、ホントですか。

谷川米穀店
谷川米穀店
さぬきうどんブームの初期、なんとラッキーなことに田尾団長のお話を聞く機会がありました。で、団長に教えていただき、まだ地元の人以外の行列がなかったたにべいに行けました。知らなければここがうどん屋さんだと分かるわけがないです。あまりのうまさにうどんの写真はブレブレで申し訳ない……(2001年8月撮影)

 ということで、ちょっとだけ検証してみましょう。バブル真っ盛りということは1980年代後半から1990年代の頭です。羽田のレギュラーは国内線と中華航空(台湾)だけで、国際線は新東京国際空港と名乗っていた成田空港(現在は成田国際空港株式会社という民間会社ですが当時は特殊法人の新東京国際空港公団)。成田空港直下の駅は1991年開業ですからギリギリありません。成田エキスプレスは当然なくて、京成スカイライナーも現在の東成田駅発着。空港ビル(北ウイング&南ウイング)まで行くにはバスに乗り換えが必要でした(500mほど歩いても行けます。今も連絡通路は健在です)。
 バブル期はゴルフ場だらけの千葉への高速道路は平日でも渋滞は日常茶飯事。首都高も今とは比べものにならない慢性的な渋滞で「長大な駐車場」と言われていました。都内から成田までシーズンなら最低2時間は見ておく必要がありました。当時国際線は出発2時間前に搭乗手続きが当たり前でした。香港までのフライトは3時間ちょっと。香港はビルの谷間に降りていくようなスリリングな語りぐさの啓徳空港で、市街地までタクシーで10分くらいという福岡空港のような好立地でした(まるで何度も行ったような書きっぷりですが、香港はトランジットで1回降りたことがあるだけ)。
 ということで、19時に晩飯を食べるために都内を出るのは昼の11時。成田で時間がありますから遅めの昼食、IATA(国際航空運送協会)加盟の国際線は機内食が出ましたから、それも食べた後に脂っこい中華。果たして一発ツモできたんでしょうか。

B747-246B
il-62
成田空港内の写真を撮った記憶があるのですが、見つかったのは飛行機のみ。左は1985〜6年頃の夕暮れ時。一番手前のジャンボはニューヨーク直行便特別仕様のB747-246B。EXECUTIVE EXPRESSと呼ばれ、エコノミーよりもビジネスクラスの方が席が多いという、元気いっぱいの日本経済を象徴するようなジャンボ。3機しかいないのに偶然写っていました。右は1992年頃。今は亡きソビエト社会主義共和国連邦国旗とCCCP機体番号が時代を感じさせるイリューシンil-62? こんなポンコツがモスクワから成田まで飛んできていたんですね。一度くらい(一度で十分)乗りたかった。こんなおもしろそうな飛行機も少なくなりました。立喰・ソも同様です。

京成
さらに押し入れを探していたら、京成電鉄の封筒を発見。中から出てきたのはお手紙と絵はがきと切符でした。初代スカイライナーのペットネームに応募してたようです。ペットネームどころか応募したことすら覚えていません。考えたのは「ゴールデンボール」とか「成田だよ全員集合!」とか、出来の悪い小学生が考えそうな名前で間違いないでしょう。せっかく銅賞当選したのに、勉強にはげまなかったのでこんな大人になってしまいました。川崎社長ごめんなさい。ちなみに川崎社長は、東京ディズニーランド招致に尽力した、東京ディズニーランドの父ともいうべき人です。ディズニーファンのみなさん、名前くらい覚えておきましょう。

 長々とどうでもいいことを書いてきて結論は? こんな時代はもう来ないかもしれませんが、毎日心配しないで立喰・ソをすすれる日々がいかに素晴らしい日々であることか。しみじみ思う今日この頃ですということです。
 
 この春、またも幾多の老舗立喰・ソが幻立喰・ソになってしまいました。言ったところでどうにもならないのですが、なにも出来ない私は「COVID-19のばかやろ!」と心の中で叫ぶしかありません。
 長い間おつかれさまでした……


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2020/06/30掲載