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レース・イベント

新型コロナウイルスの影響により、世界中のレースが開催伸び伸びとなっておりますが、MotoGPの場合も新たなカレンダーの発表がまだ行われていません。そんなこともあって、現地情報をお届けすることができないかわりに、MotoGPを元年(2002年)から取材しているジャーナリスト・西村さんが各国のGPを総集編的に振り返る「MotoGPはいらんかね? revisited」をお届け中。第5回はイタリア篇です。イタリアと言えば地元ドゥカティが来シーズンからジャック・ミラーを起用することを発表しました。
●文・写真:西村 章

 日本GPのキャンセルが発表された。イギリスGPとオーストラリアGPのキャンセル発表に続き、10月16日~18日に予定されていたこの大会の今年度開催休止決定は、青天の霹靂というよりもむしろ、いま現在も世界中で蔓延が続くCovid-19の感染状況や、見通しが不透明な人と物流の移動管理事情などを勘案すれば、至るべくして至った結論、といったほうがいいだろう。

 判断が保留されていた諸大会の開催休止がここに来て続々と発表されるようになったことは、しかし、ある意味では、欧州大陸内で12戦程度の開催、とも見込まれている2020年正式カレンダー発表がいよいよ近い、ということなのかもしれない。

 と、そのような最新諸情報は各種モータースポーツニュースのSNSや当Web Mr.Bikeのニュースコーナーにおまかせするとして、さて、こちらは本題の〈MotoGPはいらんかね Revisited〉である。今回の舞台は、最初の2020年カレンダーで5月31日に決勝レースが予定されていたイタリアGP、ムジェロサーキット。同国トスカーナ地方の緑深く風光明媚な山間地域にある、名コースだ。

ムジェッロ
ムジェッロ

ムジェッロ
ムジェッロ
長いシーズンのなかでも最も盛り上がる会場のひとつ。プレスルームの喧噪度合いも、他国の1.5倍(当社比)。
※以下、写真をクリックすると大きく、または違う写真を見ることができます。

食
ムジェロのパドックレストラン。ビュッフェ形式で、お味もバツグン。

女性
おねいさん ああおねいさん おねいさん。

 ボローニャとフィレンツェを結ぶ高速道路のややフィレンツェ寄りに位置し、ボローニャからだと車で1時間少々、フィレンツェからは40分程度、といったところだろうか。高速道路の最寄り出口を降りてから小さな集落を通過して山のなかを縫うように走り、そして住宅地の路地を通り抜けてようやくサーキットのゲートへたどり着く、という行程を経るので、自分で運転する手段がないかぎり交通のアクセスはきわめて悪い。いわば、宇都宮や水戸からツインリンクもてぎを目指す経路と、雰囲気的にはかなり類似しているといえば、ある程度想像をしていただきやすいだろうか。

 そんな場所に立地しているので、初めてこのサーキットを訪れるのであれば、欧州を走り慣れているか、イタリア語を解するのではないかぎり、かなり苦労することを覚悟したほうがいいかもしれない。それでも、このコースの素晴らしさは、苦労してたどり着く努力をする価値が充分にある。「ベニスを見て死ね」ではないけれども、「ムジェロを見て死ね」という箴言をレース好きの諸兄姉に提示して差し上げたいほどである。

 自然地形の高低差を巧みにレイアウトへ採り入れているこのサーキットでは、過去にいくつもの素晴らしい勝負が繰り広げられてきた。が、このサーキットといえばやはり誰を措いてもバレンティーノ・ロッシである。会場を訪れるレースファンのふたりにひとり、いや3 人にふたり、いやいや5人のうち4人がロッシファンなのではないか、と思わせるほど、レースの週末は黄色い人々が観客席やパドックを数多埋め尽くす。

ロッシ
ロッシ
スーパースターということばはまさにこの人のためにある。

 イタリア随一のスーパースターで、しかも2002年から08年まで7年連続優勝を飾っているのだから、それもむべなるかな。ムジェロで毎年勝ち続けていたこの時期のロッシは、ここではもう絶対に負けることがないんじゃないか、と思わせるほどのオーラがあった。

 語り草になる数々のレースのうちでも印象深いのは、まずは2002年。この時期のロッシは、優勝後のウィニングランで数々のユニークなパフォーマンスを披露していたが、この年のムジェロは、彼の歴代優勝パフォーマンスでも屈指のものといってもいいだろう。

 トップでチェッカーを受け、1周のウィニングランを終えたロッシをゴールラインで待ち受けていたのは、ふたりの警官。呼び止められたロッシは圧倒的な速さで勝ってしまったためこの警官たちに速度違反キップを切られる、というオチだ。

 ウィニングランといえば、ムジェロサーキットは決勝レース後に観客たちのトラックインヴェイジョン(コースなだれ込み)が昔から名物のようになっていて、レースが終わって選手が戻ってくるとチーム関係者は観客の大騒ぎに巻き込まれないよう、即座にピットガレージのシャッターを降ろすことが通例になっている。

名物なだれこみ
名物なだれこみ
密です。密です。

 2002年のレースでは、ロッシ優勝で昂奮した観客たちが選手たちのクールダウンラップ中にコースへなだれ込んできたため、あわやというひと幕があった。そのような事態があったために、2003年以降のチェッカー後クールダウンラップは、コース前半の半周で終えてショートカットする格好で選手たちがピットへ戻るようになった。

 2004年のレースも忘れがたい。この年は、玉田誠がバレンティーノ・ロッシに猛追し、互角以上の優勝争いを繰り広げた。しかし、その激しいバトルの真っ最中にタイヤから不審な挙動が発生し、玉田はコースサイドにバイクを停めてリタイア。タンクを叩いて悔しがる玉田と、ため息のようなどよめきが観客席から一斉に上がったあの瞬間は、音と映像が密接に連関する記憶としていまも鮮明に脳裏に描くことができる。

 そしてその数瞬後に、同じブリヂストン勢である中野真矢のリアタイヤが最終コーナー立ち上がりの加速中にバーストし、マシンから投げ出された中野のからだはホームストレート上を猛スピードで転がっていった。ピットウォールのコンクリートに中野の身体が激突していれば、大惨事になっていたところである。後日、中野にこのときの様子を聞いたところ、バイクの速度計は200数十キロを指していたと言っていたような記憶がある。

2004年の玉田
速かった。強かった。でも勝てなかった。

2004年の中野
腹の据わったライダーであることを再認識。

2004年のモリワキ
MD211VF。進取の気性に充ちた意欲的なプロジェクトでした。

2004年のホルヘ
おれちんが、だれかわかるかな?

 このタイヤアクシデントは、じつはこの決勝日にいきなり発生したわけではない。開幕前のプレシーズンセパンテストで、当時スズキ勢だったケニー・ロバーツJrと玉田のタイヤに同様の事故が発生していた。ブリヂストンの技術者たちは原因究明と問題解決を急ぎ、課題を潰しこんでシーズンを迎えたはずだった。じっさい、このイタリアGP決勝日まで問題は再発していなかった。

 じつは、ということをさらにもうひとつ言うなら、この2004年の決勝日朝に駐車場で山田宏氏にばったり遭遇した。同じタイミングで現場へ到着し、隣同士の場所へ偶然にも車を停めた、というわけだ。

 駐車場から雑談を交わしながらパドックまで歩き、「じゃあまたあとで」とブリヂストンオフィスとプレスルームへそれぞれ別れたわけだが、そんな事態のあった日だから、決勝レース後はかなり遅くまでプレスルームで仕事をしていた。現場を撤収した時刻はたしか深夜11時を回っていたと思うが、駐車場へやってくると、車はもはやほんの数台しか残っていなかった。そして、自分の車の隣には山田氏のレンタカーが、当然のようにまだぽつんと駐車したままだった。

 そのような出来事が発生した一方で、ロッシのムジェロ快進撃は続いていた。2009年、そこに終止符を打ったのがケーシー・ストーナーだ。ストーナーがドゥカティにチャンピオンをもたらした2007年は年間10勝を挙げたが、この年もムジェロはロッシが抑えていた。とはいえ、このサーキットはドゥカティのホームコースでもあり、2009年のストーナーの勝利は、当地からわずか一時間のボルゴパニガーレに本拠を構えるドゥカティにとって、切歯扼腕し続けた積年の悔しさをついに晴らした一戦、というべきだろう。2010年以降は、ホンダが2勝(2010、2014)、ヤマハが5勝(2011、2012、2013、2015、2016)、ドゥカティが3勝(2017、2018、2019)という結果で推移している。

2008年のドヴィ
2008年といえば12年前。つまりひと昔前であります。

2008年のタディ
2008年はこの人もワイルドカードで参戦していました。

2011年のユーキ
プレスルームで仕事(?)をする2011年の髙橋さん。

2012年のタカ
そうか。もう8年も前になりますか。

 2010年は、ロッシが金曜午後のFP2で転倒して右脚脛骨を開放骨折し、以後のセッションをキャンセルした。ロッシファンで埋め尽くされる会場は、お通夜のような……とまでは言わないまでも、毎年の熱狂が妙に冷めたような週末になった。

 2013年のレースも忘れがたい。この年は、最高峰に昇格したばかりのマルク・マルケスが金曜のセッションで転倒。2004年の中野真矢とは転倒場所こそ違え、同様のハイスピードクラッシュで肝を冷やす出来事だったのだが、本人はまったくあっけらかんとした様子で、あまつさえ決勝レースでは激しい表彰台争いを繰り広げた。最後は転倒してしまうのだが、「この選手の頭のなかは、いったいどうなっているのだろう……」と思わせるような週末だった。ちなみに優勝を飾ったのは当時ヤマハのホルヘ・ロレンソ。マルケスは、翌2014年にムジェロを制覇する。

 2017年は、ニッキー・ヘイデンの追悼レースになった。イタリアGPレースウィークの10日ほど前に、同国ミザノで自転車トレーニング中に自動車と衝突して逝去したという訃報はあまりに突然で、多くの選手が彼のバイクナンバー69をマシンやヘルメットに貼って弔意を表した。また、パドックにはヘイデンが駆った歴代マシンが展示された。この年の優勝は、ドゥカティ時代のチームメイトだったアンドレア・ドヴィツィオーゾであることも、なにやら象徴的だ。このときのドヴィツィオーゾの勝ちっぷりは、まさに「雄渾」ということばが相応しいレース内容だった。

2012年のマルク
最高峰クラス昇格前年の覇王。

2017年ヘイデン追悼
あまりに急な出来事で、誰もが気持ちの整理をつけられないでいた。

2018年、ホンダの昔の写真
2018年、NRプロジェクトに参画した伝説的メカニック、C・ムレリ氏がパドックを訪れた。

2018年のホルヘ
世界をビックリさせる二日前の表情。

 そして2018年。この年のイタリアGPといえば、世界じゅうがびっくりしたロレンソの移籍発表だ。ドゥカティのホームグラウンドでファクトリー2年目の初優勝を達成して大向こうを唸らせたかと思ったら、翌々日にレプソルホンダへの移籍を発表して世のレースファンを驚かせた、あの一件だ。これをお読みの皆さんも、あのときのびっくり具合はきっといまも鮮明にご記憶のことだろう。

 そして昨年、2019年はダニロ・ペトルッチのキャリア初優勝。マルケスやドヴィツィオーゾとの激戦を制した一戦は、激しくも心温まる、じつによいレースでありました。

 かくしてやはり、名コースは名勝負を生む、ということでムジェロサーキットの巻はひとまずここまで。次回はモンメロ、カタルーニャサーキットでお会いいたしましょう。

【西村 章】
web Sportivaやmotorsport.com日本版、さらにはSLICK、motomatters.comなど海外誌にもMotoGP関連記事を寄稿する他、書籍やDVD字幕などの訳も手掛けるジャーナリスト。「第17回 小学館ノンフィクション大賞優秀賞」「2011年ミズノスポーツライター賞」受賞。書き下ろしノンフィクション「再起せよースズキMotoGPの一七五二日」は絶賛発売中。


[第4回 フランス|第5回 イタリア|第6回 カタルーニャ]

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2020/06/03掲載