五月といえばフランスGP、フランスGPといえばル・マン、ル・マンといえばマックィーンである。
パリの南西約200kmほどの距離にあるこの街へ日本からアクセスする方法は、おもにふたとおり。フランスのハブ空港であるパリ郊外のシャルル・ド・ゴール空港からレンタカーで走るか、あるいはシャルル・ド・ゴール駅からフランス高速鉄道TGVでル・マン駅まで行き、駅前でレンタカーを借りるか。
シャルル・ド・ゴールから一気に自走するのは、電車の乗り降りなどの必要がないだけ気持ち的にはラクちんなのだが、問題は高速道路の渋滞である。パリをぐるりと周回する環状線(ペリフェリック)の混み具合は尋常ではなく、日本の首都高がひどく混んでいるときの1.3倍から2倍くらいの状態を想像していただければよいだろうか。
ル・マン方向を目指す場合はペリフェリックを通過してA11号線に入る必要があり、ペリフェリックを走行する区間はせいぜい15km程度なのだが、悪名高い渋滞を避けるためにこのペリフェリックを通常ルートの南下する方向で走行するのか、あるいはあえて逆方向にぐるりと大回りに走ったほうが早いのか、それとも途中でいったん下道に降りてベルサイユ郊外のランブイエあたりから改めてA11に上がった方が結局は早いのか。こればかりは、電光掲示板の渋滞表示案内やナビの情報などとにらみ合いながら、臨機応変に判断するしかない。
いままでにいろんなルートを試してみたが、もっとも時間がかかったのは約5時間。電車ならル・マンまで行って帰って、なおお釣りが来るくらいの時間である。ペリフェリックの渋滞を避ける最善の方法は、結局のところ、夜明け前の超早朝や深夜に近い時間を選ぶか、あるいは最初から諦めて覚悟を決めて渋滞の中に突っ込んでいくか、の二者択一しかなさそうである。ちなみにこの環状線を通過してしまえば、高速道路は基本的にいつも流れがよく、非常に快適に通行できる。
一方、高速鉄道のTGVでル・マンへ向かう場合、空港から駅が直結しており、ル・マン駅までは直行便でたしか2時間もかからず到着する。運賃も、記憶では片道50ユーロ程度とコストパフォーマンスも良い。問題は、(フランスにはよくある話だが)いきなりストを決行する、というところ。もう15年以上も昔の話だが、チケットカウンターの対面販売で駅職員からル・マンまでの乗車券を購入し、列車が到着するまで一時間ほど構内で時間を潰していると、いきなり周囲がざわつき始めたので何かと思ったら「スト決行でこの便は運休になりました」なんてこともあった。
で、そのル・マンで開催されるフランスGPだが、季節的な関係なのか、ウェットセッションが非常に多い会場のひとつでもある。
MotoGP初年の2002年は、レース途中から雨が降りはじめ、トップを走行していたバレンティーノ・ロッシが予定周回数の2/3を過ぎたあたりで挙手により走行の危険性を意思表示した。その直後を走行していた宇川徹とマックス・ビアッジも続いて挙手をしたため、レースディレクターの判断により競技が中断。この段階の順位でレースが成立した。
ところがこの方法だと、先頭を走行する選手が恣意的にレース結果を決定できる可能性が残る。それを排除するために、雨でレースが中断した場合でも、残り周回数の多寡にかかわらず第2レースを行う、というルール変更が適用された。
さらに、レースが中断した場合は、第1レースのタイムや順位は第2レースのグリッドを決定する要素にのみ適用されることになり、第1レースと第2レースのタイムを合算して総合結果を判定する従来の方式は、以後、採用されないことになった。
2003年のフランスGPも雨のレースだったが、このときはいったんレースが中断したあと、第2レースが13周で争われ、セテ・ジベルナウが優勝、ロッシが2位でゴールした(ちなみに、第1レースと第2レースのタイムを合算する方式だと、計算上の優勝はロッシ、2位はジベルナウ、という結果になっていた)。
ちなみにこの2003年の決勝は、加藤大治郞の後任として抜擢された清成龍一が、MotoGPに初めて参戦したレースでもあった。なにもかもが初めて尽くしで、しかも雨に翻弄される難しいコンディションの週末だったが、結果は13位で3ポイントを獲得した。
優勝を争ったのはジベルナウとロッシだったが、その1周遅れで、ジベルナウのチームメイト、清成が13位。ロッシのチームメイト、ニッキー・ヘイデンが清成の0.253秒前の12位でゴールをした。清成はこれがMotoGP初レース、ヘイデンもMotoGP初年度で、このときがウェットレース初体験。チェッカーフラッグを受けるふたりの姿をモニター越しに眺めながら、ひょっとしたら数年後にはこのふたりがチャンピオン争いをしているのかもしれないな、と頭の片隅で思ったことを憶えている。
レース中の雨によりスリックからウェットタイヤを装着したマシンへ乗り換えることが許可される〈フラッグ・トゥ・フラッグ〉(FtoF)ルールが導入されたのは2005年から。ルールが最初に適用されたのは同年のポルトガルGPだが、このときはマシンの乗り換えを許可する白旗が提示されたのみで、実際のマシン交換は行われていない。
フランスGPでもFtoFルールが運用されているが、印象深いのは、2007年のレースだ。このときはクリス・バーミューレンが目の醒めるような速さを披露して、スズキにMotoGP時代初優勝をもたらした。この優勝の次にスズキが表彰台の頂点に立つのは、2016年8月まで待たなければならない(このあたりの細かい事情については、拙著〈再起せよースズキMotoGPの一七五二日〉を参照のこと、とわざとらしく宣伝)。
ことほどさように、フランスGPは雨(あるいはウェットからのドライアウト)によるコンディション変化がレースを大きく左右する。
調べてみると、2002年から2019年までの18レースのうち、ウェットコンディションは8回。単純に計算しても44パーセント、つまり約2回に1回の割でウェットレースになる、ということである。2014年以降は6年連続でドライコンディションのレースになっているのだが、これとて決勝レースはともかくとしても、週末のどこかで雨に見舞われる場合が多く、三日間ずっと晴れ、という奇跡のようなコンディションは非常に稀だったように思う。あるいは、週末を通して僥倖のようなドライコンディションを維持したものの、日曜の決勝レースが終わって夕刻になるといきなり猛烈な勢いで豪雨が降りはじめ、仕事が終わって荷物をまとめ、帰路に駐車場へたどり着くまでの間にずぶ濡れになる、なんてこともあった。
レースを終えた日曜の日暮れどきに、大伽藍のようなブガッティサーキットのパドック裏のあちらこちらで、雨に濡れながらいろんなチームが撤収作業に追われる様子も、それはそれで風情があっていい……、などと思えるのはおそらくいま自分が日本にいるからこそであって、日没が迫る日曜夜9時頃にひとまず荷物をまとめてサーキットを撤収しようと思った矢先に冷たい雨に降られたりなどしようものなら、寒いし腹は減るしこれからパリまで走ってその夜の宿へたどり着いてからさらに仕事を続けなければならないことなどを考えると、それだけで疲労感に襲われたものである。
年数を重ねれば、やがてそういった疲労を負荷分散する方法も憶えるようになっていくものだけれども、まあそれもこれも含めてのフランスGP、ル・マン・ブガッティサーキットの週末である。
【西村 章】
web Sportivaやmotorsport.com日本版、さらにはSLICK、motomatters.comなど海外誌にもMotoGP関連記事を寄稿する他、書籍やDVD字幕などの訳も手掛けるジャーナリスト。「第17回 小学館ノンフィクション大賞優秀賞」「2011年ミズノスポーツライター賞」受賞。書き下ろしノンフィクション「再起せよースズキMotoGPの一七五二日」は絶賛発売中。