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若井伸之の生涯


フラミンゴ(flamingo)はアフリカ、南ヨーロッパ、中南米の塩湖や干潟に生息する。塩湖やアルカリ性の湖といった特殊な環境に適応しており、数千羽から百万羽程度の巨大な群れを形成する。フラミンゴという名前はラテン語で炎を意味するflammaに由来しているとされる。

1980年代後半から1990年代初頭、ロードレースが華やかな輝きを放っていた時代を若井伸之は生きた。180cmと長身で手足が長く痩せていた。その身体を折りたたむようにGP125ccマシンに密着させ、激しいコーナリングを見せ、イン側の肘や膝を擦った。その姿が優雅なフラミンゴのようだった。

今も、スペイン・へレスサーキットの1コーナーアウト側に、若井の死を悼み、フラミンゴの像がたっている。

■文:佐藤洋美 

第4戦スペインGP・へレス 

 ロードレース世界選手権(WGP)第4戦スペイン、へレスの250㏄クラス予選中の事故により救急車で病院に運ばれた若井伸之の安否を案じる恋人の瑛美(仮名)にその知らせが届いたのは、辺りがすっかり夕闇に包まれた頃だった。

「ここには戻らない」

 若井のチーフメカニックの新国 勉は、そう告げた。

 タイムアタックのためピットロードからコースに出ようとしていた若井の前に突然観客が飛び出してきた。この観客はパスがなければ入れない場所に無断で入りピットロードを横切ろうとして、若井と衝突した。若井が観客を守ろうとしたことで、その人物は大腿骨骨折と脳震盪となったものの命に別状はなかった。若井はバランスを崩してピットロードのコンクリートウォールに激突し頭部を強打し、病院に運ばれた。だが、懸命の治療の甲斐無く帰らぬ人となってしまう。

 夜のパドックは、自身で夕食の支度をするチームも多く、暖かい湯気が上がり、美味しそうな食べ物の匂いが流れ、ほのぼのとしたムードになる。共同シャワーに向かう者や、立ち話する者たちの笑い声が時折り聞こえる。心地よい音楽が聞こえることもある。昼間の緊張感がなりをひそめ家庭的な温かい雰囲気へと変わる。

 特に日本人村は騒がしいことで有名だった。なのにこの日は、誰もが押し黙り悲しみを抱えたまま、息を殺すように息苦しく重たい空気がパドックを支配した。

 誰もが信じられない思いを抱きながら夜を過ごす。パドックに止められたモーターホームやキャンパーの明かりは、いつまでも消えることがなく眠れない夜をすごしていることを伝えていた。

 決勝日の朝、日本と欧州の時差の関係でジャーナリスト・遠藤 智は朝早くプレスルームに出向き、パソコンに向かって若井の原稿を書いた。自然に涙があふれ画面の文字がかすむ。その遠藤に黙ってコーヒーを差出してくれる人や、慰めの言葉をかけてくれる人が何人もいた。遠藤と同じように若井の死を悼む人たちの優しさを感じながら、遠藤は黙々と原稿を打った。

 日本で若井を応援しているファンのために事実をきちんと伝えなければならない。若井がどんなに素晴らしいライダーであり、どんなにみんなにとって大切な人間であったのかを、どんなに愛されていたのかを自分は伝えなければならない。その使命感が遠藤をパソコンに向かわせた。

 決勝の朝、上田 昇はパドックの脇に咲いた野の花を摘んでピットロードに向かった。それまで、あまりのことに信じられない思いだけを抱え涙を見せることがなかった坂田和人だが、ピットロードで上田と目があった瞬間、歩み寄るふたりの目からは大粒の涙が堰を切ったように溢れた。

「なんで若井なんだよ……」「信じられるかよ……」「うそだろ……」とお互いの胸に倒れこんだ。

上田が、悲しい事故現場に手向けた素朴で可憐な花の周りに、若井と親交のあったライダーやスタッフたちが自然に集まり幾重にも人垣が出来た。そこに集まった人々は静かに目を閉じた。

 朝のウォームアップラン後に若井の追悼セレモニーが行われた。明るく強い太陽の光が降り注ぐアンダルシア地方の青い空と澄んだ空気の中でFIM会長やヘレス市長も参列し、ライダー、関係者、パドックの住人たち、ケータリングスタッフもトラックドライバーもGP観戦に訪れた観客も立ち上がり、黙祷を捧げ若井の死を悼んだ。

 最初に行われたレースはGP250だった。

 原田哲也は若井の事故以来、モーターホームに引きこもり姿を見せなかった。たったひとりで若井の死と向き合っていた。打ちひしがれている原田にチームメイトのフランチェスコ・キリが声をかけた。

「お前が頑張れば若井がフォローしてくれる」

 原田はその言葉に勇気づけられた。

「勝つことが若井君に対して最善のことだと思った」とグリッドに向かう。

 スタートダッシュで飛び出したのはロリス・カピロッシだったが、原田は2コーナーでカピロッシを捕らえトップに浮上する。カピロッシを交わして原田を追ったのはマックス・ビアッジだった。ビアッジは原田に迫るが、原田はファーステストラップを記録してビアッジを突き放す。

 原田は独走体制を築き上げ、5周目には2番手のビアッジに5秒ものアドバンテージを築き上げ、最終ラップには6秒と拡げ勝利のチェッカーを潜り抜けた。

 原田が表彰台の下にマシンを止め、原田に歩み寄るスタッフの目からもとめどない涙があふれていた。原田のピットに何度も顔を出していた若井のことは、原田のスタッフも良く知っていた。若井が原田にとって大切な友人であり、その死を乗り越え勝利した原田の勇気と偉大さへの感動の涙でもあった。

 原田は「勝たなければ」と意識の深い部分で考えていたことしか覚えていない。若井がいなくなってしまった事実を受け入れられないという思いと、いなくなってしまった現実が胸を押しつぶしていた。今も、この時のレースのことは思い出そうにも思い出せないという。

 原田の所属するTelkor Yamaha Valesi Racingは原田の心情を察して、表彰台も記者会見もキャンセルしてリリースが出された。

「僕は今日、最愛の友、若井伸之選手のために走り、このレースを勝った。このスペインGPの勝利を心から彼に捧げたい」

 GP125は、1分51秒574を叩き出したダーク・ラウディスがポールポジション(PP)、2番手に坂田が1分51秒593で付け、3番手ラルフ・ワルドマン、4番手ブルーノ・カサノバでフロントローに並ぶ。

 坂田は「今のラウディスの速さは、正直、誰もかなわない。マシンも速いし人間も乗れている。でも、とにかく勝つ、あいつのためにも勝ちたい」とグリッドに着いた。上田は予選11番手で自分が勝つ可能性が低いと判断し坂田に勝利を託す。

 辻村 猛がホールショットを奪い坂田が続く、そしてラウディスはクラッチミートをミスして出遅れ中盤に埋もれる。参戦1年目の辻村は23周の決勝レースを自分がトップをキープし続ける自信はなく坂田を先行させる。

 辻村だって若井のことが好きだった。上田、坂田、若井の3人コンビの仲間には入れてもらえないまでも、面倒見のいい若井に助けてもらうことがたくさんあった。

「こんな人がいずれはチームを作って、レース界を引っ張っていく。ライダーだけで終わる人じゃない」

 若井に対して憧れと尊敬の気持ちを持っていた。辻村は坂田の勝利への思いを理解し、出来ればサポートしたいと願った。

 オープニングラップを6位で通過したラウディスはバトルを繰り広げるが、その戦いでカサノバと接触しコースアウトして転倒する。坂田がトップを走り、2番手は辻村。3番手に上がったワルドマンは辻村に猛攻をかけるが辻村は巧みに交わす。そして、ワルドマンが辻村を捕らえ2番手に浮上した時には、レースをリードする坂田との差は2秒と拡がっていた。ワルドマンが2番手に浮上したことを知ると坂田はファーステストラップを叩き出しながら逃げ、その差を瞬く間に4秒と広げ突き放す。だが、坂田のハイペースに耐えられなくなったタイヤが悲鳴を上げ始めた。ペースダウンを余儀なくされた坂田は懸命にコントロールする。だがワルドマンの視界に坂田が大きく入り始めると、ワルドマンは勢いづき坂田の背後に迫る。

 レースは残り3周、坂田は高速コーナーでグリップを失いハイサイドしかけるが首位を死守する。だが、もう自身のラインを忠実にトレースする余力がない。ラインは乱れ、ペースは乱れていく。それでも坂田は諦めなかった。諦めることが出来なかった。坂田の脳裏には若井との思い出が次々と浮かんでは消えていた。

「あいつは本当にレースが好きで、若井がいて上田がいて俺がいる。俺たち3人は最高のライバルで最高の友達だった。あいつのために勝つ。あいつが欲しがっていた優勝を掴む」

 消耗したタイヤはグリップを失い、いつ転んでもおかしくない状態だった。背後に迫るワルドマンも、坂田の苦しさは見てとれた。ワルドマンは牙を剥き、何度も坂田に仕掛ける。坂田には攻撃に出る余力はなかった。喘ぎながらも巧みなブロックを見せワルドマンの動きを封じ込めた。

 そのライディングには不思議な力が宿ったように見えた。坂田の人車一体の動きは、見るものを捕らえ離さなかった。坂田とワルドマンが最終コーナーを並んで駆け抜けた。坂田は渾身の力を振り絞るように、ゴールラインを目指した。そして、コンマ6秒差で優勝をもぎ取るのだ。

 坂田は勝った。彼にとっても念願のGP初優勝の瞬間でもあった。

 2位ワルドマン、3位に辻村が表彰台に上がった。上田は5位でチェッカーを受けた。

「ウイニングランでは泣かないように、何度もウィリーをして他のことに集中して若井のことは考えないようにしたんだ。だけど、表彰台の下に戻って皆に囲まれたら、“バカヤロー、何で死んでしまったんだ”って若井のことしか考えられなかった」

 坂田は涙を抑えることが出来なかった。

坂田の健闘を讃えるために原田も表彰台へと駆けつけた。坂田は原田とがっちりと抱き合う。坂田も原田も泣いていた。

 表彰台の真ん中で空を見上げる坂田の両目から涙があふれ、真ん中に上がった日の丸が爽やかな風に吹かれ揺れた。君が代のメロディが、悲しく切なく流れた。

 坂田の涙は、記者会見場でも乾くことはなかった。

「この勝利を若井に捧げたい。若井がいなければ、俺は世界GPを走っていなかったと思うし、今回の優勝もなかった。若井、本当にありがとう」

 声を絞り出した。

 上田はレース後、若井の事故現場まで自身のマシンで近づき、コンクリートウォールを軽く叩いた。

 瑛美は、坂田が勝ったことも、原田が勝ったことも知らなかった。すべてのレースが終わり、若井の眠る病院に行こうと新国が呼びに来た。

 決勝レースが終わったヘレスの町はお祭り騒ぎで賑わっていた。酒を飲んで嬌声を上げる熱狂的なファンでごったがえしていた。有名ライダーではないかと車を覗き込むファンの視線を避け、その人波を縫うように瑛美を乗せた車がノロノロと進んだ。

 ライダーたちも、やっとの思いで病院に到着する。語学堪能な上田が通訳をしてくれたが、遺体が安置してある部屋には親族以外は入れないと言う。皆の悲痛な雰囲気を察し取った病院側は、代表者を1名ならと歩み寄る。

「哲也行けよ」と坂田が原田に声をかける。だが、原田は動かない。

 誰を代表とするのか決められないのを見た病院は、仕方がないと思ったのか「全員来い」と安置室に案内してくれた。巨大なロッカールームのように箱の扉が広がっていた。その箱の中から若井の眠る箱が、ガラガラと嫌な音をさせ引き抜かれ、ガチャンと大きな音がして、静かになった。

 若井の顔は内出血のため半分が腫れていた。その顔を見た瞬間、声をあげて瑛美が泣き崩れ倒れてしまう。坂田はとめどなく流れる涙を止めることが出来ずに号泣する。原田は信じられないといった表情で、目をカッと見開き微動だにせず若井を凝視していた。

 上田が悲痛な声を張り上げた。

「若井ぃー、哲也来てるぞー。哲也勝ったぞー、さんちゃんも勝ったんだぞー。何やってんだよ。お前、早く目を覚ませよ。こんなとこで何やってんだよ」

 スペインGPが終わった翌日、ヘレスサーキットには強風が吹き荒れた。激しい雨がサーキットを叩いた。

 遠藤はプレスルームでリザルトを見つめていた。若井が最後に残した結果は、原田のつけるナンバーと同じ31番だった。

「若井は原田にいろいろな思いや願い、夢を託して逝ってしまったんじゃないかな……」

 瑛美は、気がつくと病院のベッドに横たわっていた。薬で眠り、目覚め、ぼんやりした頭の中で、若井がいなくなってしまったというのは夢だったのだと思った。

 若井家にはレーシングサプライの福島秀彦が電話をしている。

(最終回に続く)

(文:佐藤洋美)

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2025/02/21掲載