しばらく間が空いちゃいましたが、いわゆるギョーカイ関係者の愛車紹介である『オレ、コレ乗ってます』の第2弾は、カメラマンの赤松孝さん。赤松さん、ご自宅のガレージにこんなお宝を隠し持っているんです!
初めてのバイクはZ400FX
マイク・ヘイルウッド・レプリカ──それが900MHRの正式名称。60年代にホンダRCシリーズで世界グランプリに出場していたことでも知られるレジェンドライダー、マイク・ヘイルウッドが、1978年にマン島TTレースで優勝したことを記念に発売されたモデルだ。
「僕が24~25歳くらいのときかな、たまたま出かけた先のファミリーレストランの駐輪場で初めてMHRを見たんです。もう、衝撃でね。うわぁ、ナンダコレ! フルカウルの赤フレーム、もうレーシングバイクじゃないか、ってね。MHRの存在は知らなかったけど、ドゥカティの存在は知ってたのかな。当時はまだレーサーレプリカブームなんて言われる前のことで、フルカウル車やレーサーっぽいバイク、もちろん外国車なんてまだまだ珍しかったから、MHR見た時の衝撃が大きかったんだろうね」
赤松孝さん。Webミスター・バイクをはじめ、月刊オートバイやロードレース専門誌「ライディングスポーツ」でおなじみのフォトグラファー。もともとバイク好き、モータースポーツ好きでこの世界に飛び込んでン10年。その間も、ずっとバイク乗りでもあった。
「免許を取ったのはちょっと遅くて23歳くらい。最初のバイクはZ400FXですよ。もう大学を卒業してサラリーマンをやってて、当時すごい人気だったFXを買ったんです。80年代を目前として、バイクブームが盛り上がり始めるころでね、僕もあちこち走りに行ったなぁ」。
そんなある日のこと。たまたま出かけたファミリーレストランの駐輪場で、衝撃の出会いがあったのだ。知ってはいるけれど、めったに見ることなんかない外国車、しかも見たこともないフルカウルのビッグバイク! 真っ赤なフレーム! 赤松さんはいっぺんにMHRが気になってしまった。
「それでも、おいそれと買える値段じゃないもんね。しばらくは『欲しいなぁ、でも買えないよねぇ』って感じだった。あの頃はFXの次に、当時カフェレーサー的カスタムバイクで人気があったモータープロダクトヤジマによく出入りしていて、CB250RSのヤジマカスタムに乗ってたんだ。そうしたらヤジマさんとこでMHRを扱うなんていうから……」。
当時、カスタムバイクとして人気があったヤジマのコンプリートカスタムは、下の写真のように、当時まだ珍しかったフルカウルルックスのロードスポーツ。ベースモデルはCB250RS-Zの限定モデルで、MHRと同じように真っ赤なフレームが特徴的だった。
「それでも、やっぱりMHRの衝撃は忘れられなくてね。まずは大型免許取らなきゃ、って試験場に通って、6回目で限定解除できたのかな。それが83年の秋で、ヤジマさんのところにMHRをオーダーして、納車は84年の2月、僕が28歳の時だね。数字とか人の名前とか、どんどん忘れちゃうけど、限定解除とMHR納車の年のことは覚えてる」。
やはり当時のMHRの値段も忘れていて(笑)「たしか150万円くらいじゃなかったかなぁ」という赤松さん。当時の大卒の初任給は127200円、2024年の大卒初任給は226341円(厚生労働省の年次統計より)というから、現代に換算すれば、MHRの価格は約270万円。今で言えば、大型免許を取ったばかりの28歳の青年が、ドゥカティ・パニガーレV2を買うようなものかな。
RZ250Rは人生最初で最後の2ストローク車。「これ、僕のバイク人生の中で一番楽しかったバイクだね」。そして、いま900MHRと2台持ちしているのが、このER6-n。「まわりの編集とかライターのみんながイイ、イイっていうから。黄色を探して買ったし、今でも大事に乗ってるよ」。
「確かに高い買い物だったけど、当時のトヨタ・カローラがそんな値段してたから、それを考えたらMHRなんて安いものじゃない、って思ったのを覚えてる。それまで乗ってた400FXともCB250とも違うし、街乗りに持っていたSR400とも違う、ビッグバイクらしい、力があるバイクだな、って思ったなぁ。ライディングポジションは確かにキツかったけど、当時は低いセパハンってカッコいい象徴だったんだよ(笑)」。
ドゥカティといえば今も昔も、イタリアのプレミアムブランド。外国製品やクルマ&バイクが「舶来品」なんて言われて憧れの的だった当時は、今よりももっと珍しく、希少価値もあり、パフォーマンスだってズバ抜けていた。何と言っても、ヘイルウッドの前に敗れたのは、あの「無敵艦隊」ことホンダRCBだったのだ。
「あの頃の外国車なんてさ、よく壊れるでしょうとか、維持費が大変でしょう、なんて言われるけど、そんなことはなかったかな。でもMHRの持病なのかな、走ってるとキャブレターが落っこちちゃうことはあったかな。いま4万kmくらい走ってるけど、一度エンジンから車体までフルオーバーホールして、FCRキャブにしたり、電気系統を日本製パーツにしたり、経年劣化したパーツを取り替えたりして、調子よく乗ってる。あぁそうだ、買ってから今年でちょうど40年だね」。
今では「一時間乗ったら二時間は磨く」という赤松さん。ツーリングに誘われても、前後数日の天気予報をきっちりチェックして、雨の心配があったら行かない(笑)。また、そういう時のために、カワサキER-6nも買って、これもピカピカに乗っている。ちょっとした修理や整備は自宅ガレージで出来てしまうから、赤松さんの持ちモノは、クルマもバイクも、もちろんカメラもピカピカの完全整備ものばかりだ。
「ついこないだは房総のいちばん南の方までグルッと走ってきたかな。片道100kmくらいが限界かな、泊まりでツーリングに行くなんて体力ないから、ERで行っちゃう。ERも楽しいんだよ~」
購入して40年、大きなトラブルもなく、乗らない時期はあっても、半年ほど車検を切らしたことがあるだけで、ずっと乗り続けている。もう手放さないよね、あのポジションで乗れなくなったら、ガレージの隅にでも置いときたいな、と赤松さんは言う。
「いまね、乗るとアクセルオフの時に、なんだかパンパンうるさくてさ、二次エア吸ってるんじゃないかな。撮影が終わったら、帰ってキャブレター回り、バラしてみなきゃなぁ。トラブルだって、ずっと付き合ってたらなんとなく原因がわかるから、そんなに苦にならないよ」。
「帰ってキャブばらさなきゃな──」そう言う赤松さんは、なんだかとても嬉しそうだった。
(文・写真:中村浩史)
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