世界的な異常気象と言われる酷暑の夏、インド北部ラダック地方(中国チベットから続くヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に囲まれたカシミール地方の秘境)にバイクでツーリングに出かけた高齢者がいた。かくいう高齢者とは、当年とって70歳(古希)を迎えたレポーター、私のことである。古希を迎えた高齢者が「世界の屋根」と称されるヒマラヤの秘境をバイクで走った結末や如何に?
ラダックへの道
そもそも「ヒマラヤ」をバイクで走るなどということをなぜ思い立ったのか、という理由だが。「若かりし頃」というだけで何十年前のことかなど微塵も覚えていない昔の話であるが、白川議員(シラカワ ヨシカズ)という山岳写真家の写真「ヒマラヤ」を見る機会があり、いつの日かヒマラヤをこの目で見てみたいと夢を抱いたのが大元のキッカケだったと思う。
その後オートバイに乗るようになり、あちらこちらと走るようになり、走ってみたいところの候補の中に「風の谷のナウシカ」の舞台モデルになったという、パキスタンの「フンザ村」に思いがたどりついたのが2020年のことだった。
この「フンザ村」はパキスタンを南北に貫く中国との経済協力でできた「カラコルム・ハイウエイ」の途中に位置し、カラコルム山脈とヒマラヤ山脈を跨ぐヒマラヤを貫く屈指の動脈だと判明し、即ツーリング計画を立てたのだけれどコロナの流行に見舞われ計画が頓挫してしまったのだ。加えてパキスタンはウィーン条約の加盟国でありジュネーブ条約の締結国である日本の国際免許では現地を走ることができないことが判明。コロナもさることながらヒマラヤへの思いは募るばかり、そのような中「You Tube」の投稿にインドの北部地方Ladakh(ラダック)を巡るツーリング動画を発見し、これにハマってしまった。コロナが明けたら絶対に「ヒマラヤ(ラダック)」をツーリングすると決め、実行に向け計画づくりを始めたのだ。
とは言うものの、インド側のヒマラヤを走るためにクリアーしなければならない課題が立ちはだかった。一つはパキスタン、中国との国境紛争地帯であり通行許可を申請しなければならないこと。これが一人では許可が下りないのだ。もう一つは高度の問題で、ツーリングの基点としようとするLeh(レー)の街ですら3,500m(富士山の頂上とほぼ同等)もの高度があり、ツーリングで巡ろうと考えているKardung La Pass(カルドゥン・ラ峠)5,359m、Chang La Pass(チャン・ラ峠)5,360mもの標高があるので高山病にかかるリスクがあるのだ。
そこでツーリング決行のための準備として同行者を募ったところ、KN君、HT君、SN君、HY君が名乗りをあげてくれたのだが、残念なことにHY君が出発直前に新型コロナに感染してリタイアとなった。
高山病対策としては、出発前に医療診断を受けて「ダイアモックス」という薬を処方してもらい、さらにプロスキーヤーの三浦雄一郎さんが主催している「ミウラ・ドルフィンズ」というスタジオで「海外高所テスト」を受けての出発とした。
そして、ツーリングに必要な通行許可証(インナーライン・パーミッション)は、現地レーではちょっとした有名人「上甲紗智」さんに手配をお願いをした。上甲さんは日本からレーに嫁がれ、旦那様の主催する旅行代理店「Hidden Himalaya」の旅行業と、その事務所の下の階で「HAHA Japanese Bakery & Cafe」というお店を営まれているのだが、ヒマラヤの奥地という、何かと不安な場所での、旅に必要な情報や手続きをお願いするには日本人として心強い存在なのだ。
実際、今回「デリー」から「レー」までのフライトをインドのLCC「GoFirst」で手配をしていたのだけれど、出発前から「GoFirst」が経営不振でフライト・キャンセルの可能性があるという情報を上甲さんから頂いて、早々に「VISTARA Air」の手配をして、事なきを得ることができたのだ。また、「Hidden Himalaya」では、本来パーミッションのみの取得手続きは実施していないのだが、今回は無理をきいていただいた。読者の中で同様の許可申請をされる方は「Web Mr.Bike」を読んだと言っていただければ相談に応じていただけるとのことだ。
もう一つ、インドは日本人にとってそう多くない「VISA」の必要な国なのである。取得自体はさほど難しくはないのだけれど、とにかく面倒臭いの一言に尽きる。かくいう私はインターネットで申請をしたのだけれど「ビザ申請代行サイト」にひっかかり、余計な支出を余儀なくされたフィッシング・サイトとまでは言わないが、インド政府公式サイトと見間違うような代行サイトがあるので注意が必要だ。
ここまで紹介したようにラダックへの道のりは、なかなかのハードルが待ち受けているが、それだけに現地への期待感は膨らむのも事実だ。私も古希を迎えそれなりの体力不足の不安は否めないので、今回は10時50分羽田発デリー行の直行便を利用することにした。デリーで一泊し、翌日の朝9時にはレーの空港に降り立っていた。
ここでまたまたビックリしたのは、インドの空港や搭乗の際のセキュリティチェックの厳しさだ。空港施設に入るためにセキュリティチェック、航空会社チェックインの際にセキュリティチェック、搭乗時にセキュリティチェックとこれでもかという具合に検査をされるのだ。我々の飛行機ではなかったが、帰りのレーからの飛行機でセキュリティチェックが間に合わずに出発がディレイした航空会社があった。
我々がホテルにチェックインすると、ホテルのマネージャーが朝食を出してくれて、食べたらまず寝なさいと促してきた。長年の経験からだろう、高山病にならないためには、急激な活動を避け、十分な休息と十分な水分補給が大事だと教えてくれた。マネージャーの教えに従って、十分な昼寝をとった後に街の様子を見に行くことにした。
夏のラダックは観光ハイシーズンのようだ。レーの街のメインストリートは東京の銀座の様相を呈していた。インド人をはじめとして、チベット人、白人やアジア系など人種のるつぼと化している。ここがヒマラヤの奥地であることなど微塵も感じさせない賑わいだ。後で聞いたところによると、この時期にはチベットのお祭りがあり、真意のほどは不明だがダライ・ラマ14世も逗留しているとのことだった。さすがチベットかなと思う光景は、レーの街のそこら中に牛が闊歩し、犬が群れ、街並みの屋根の合間には雪を頂く日本では見ることのできない、高い山の頂が見え隠れすることだ。
レンタルバイクを借りて、まずは慣らしツーリング
翌日(レーに入って2日目)もこれといった行動予定は決めておらず、肝心なレンタルバイクの調達に時間を費やした。レーの街にはレンタルバイク店が何軒も軒を連ねており、バイクの品定めには困らない。とは言っても、何処の店を覗いても、ほとんどがロイヤルエンフィールド・クラシックとヒマラヤンばかりで、たまにKTMやスクーターが置いてある程度なので潤沢な選択肢があるという訳にはいかない。ひとしきりレンタルバイク店を巡り、マシンの物色やら値段交渉をするも、ベター・コンディションのバイク4台となるとなかなか揃わないのが現実。結局ホテルの近くで最初に入ったレンタル店で借りることに決定した。
レーのレンタルバイクは使用されるシチュエーションがヒマラヤだけあって、ハードな使われ方が当前なので、ブレーキパッドの減りやタイヤの摩耗など確認どころ満載だ。「ボス」と称する「Tashiという店」のオーナーに、借りるに当たって値段もさることながら、メンテナンスをしっかりとやるという交渉からスタートした。結局レーに帰ってくるたびにマシンチェックを行う、という約束で4台6日間借りることにした。値段は日本では考えられないくらいに安かった。契約したその日の夜にはマシンを借りることができ、翌朝から即ツーリングに出発できる状況だった。
体の慣らしとバイクの完熟を兼ねて、翌日はレーの街から西方に115km離れたチベット仏教の僧院「ラマユル・ゴンパ」を目指すことにした。ラマユルまでの道路は、Srinagar~Leh Road(スリナガール・レーロードと呼ばれ、ほぼ全面舗装路の走りやすい道だったが、地元のドライバーはかっ飛ばすので、運転には気をつけないと事故に繋がりやすいと感じた。
レーから30kmほど走ると「Magnetic Hill(マグネティック・ヒル)」という観光名所にたどり着く。ここは、いわば周りの景色と目の錯覚によって、下っているように感じるのに実際は登っているといった幻覚が起こる場所。多くの観光客が車を止めて幻覚を実感していたが、日本では経験できない面白い場所だった。
マグネティック・ヒルからさらに3kmほど進むと「Sangam view point」という場所に至る。Sangamとはサンスクリット語で合流という意味らしい。ここは、インドにおいて聖なる川「インダス川」と「ザンスカール川」が交わる聖地。二つの河川が交わってアラビア海へと下っていく。ザンスカール川の上流はいまだにヒマラヤ・チベットの辺境の地と言われ、標高3,500mから7,000mの高地であり、ザンスカール川の凍結によってのみアプローチが可能と言われるほどの秘境らしい。
そこからさらにスリナガール~レーロードを進みLamayuru Monastery(ラマユル・ゴンパ)を目指す。走る道路から見る周りの景色は、ヒマラヤの荒涼とした山塊が迫るように続いている。時々開けた場所には国境紛争が起こりうる歴史の地ならではの「国境警備のための軍の施設」が点在している。当然ながら周辺の写真撮影は禁止であり、今風だなあと思うのは道路脇に立っている「ドローン禁止区域」の標識だ。
そうした風景の中、通過しようとした軍の施設の町の様な所で突然「ピピーッ」と笛を吹かれ、面食らってバイクを止め、笛を吹いたと思しき兵隊さんの所へ行くと「パスポートとインナーライン・パーミッション」を求められた。事前に聞いていたところでは、レーとラマユルの間ではパーミッションを求められることはないと言われていたので戸惑ったが、上甲さんに準備していただいたパーミッションとパスポートを出すと、同行メンバーと私のバイクのナンバーを控えられ無罪放免となった。
そういえば上甲さんが普段はチェックポストでの許可証確認はいい加減な場合があるが、時々、生真面目な役人がいてしっかりと許可証確認される場合があると話していたのを思い出した。途中、体慣らしとはいえ、流石に3,000mを超える高度は明らかに酸素が薄いと感じ、日本ではたいした距離と感じない走行距離でも疲労感が違うことに気がつく。幸いにも、道路脇にはロードサイドカフェのような店がポツンポツンと看板を挙げている。先頭を切って走っていた若手のHT君ですら疲れた様子を隠そうともせず、躊躇なくカフェの駐車場へと吸い込まれていった。
幾つかの村を通過すると、左側にインダス川見て、その向こう岸の山肌の色が突然クリーム色に変わった。「Lamayuru Moonland」だ、その奇景が月面の風景の様であることから、有名になったと言われているヒマラヤの観光ビューポイント。確かに、この世の景色とは思えない風景がインダス川の対岸にそびえ広がっている。
ムーンランドから少し行くと右手の山上にラマユル・ゴンパが見えてくる。つづら折れの道を登りゴンパにたどり着いたのだが、ゴンパ内は入場禁止になっていて入れなかった。どうも我々が入り口を間違えたようだ。「ラマユル・ゴンパ」は、ラダックでも最古で最大のチベット仏教僧院の一つと言われ、険しく切れ込む谷に突然と現れるムーンランドのような奇景の中に存在する、いかにもチベット仏教の真髄を体現したような僧院だった。
世界一の高みへ「カルドゥン・ラ峠」
ラマユルからレーに戻り、その日のうちにガソリンを補給するか否かを迷った末、結局疲労に負けて燃料補給は翌朝に先送りした。翌朝(レーについてから3日目)もホテルで朝食を取りながらグダグダとした時間を過ごし、重い腰を上げてまずはガソリンスタンドへ直行した。何故かHT君は前日給油に入ったガソリンスタンドのおばちゃんにチップを取られたらしく、ご機嫌斜めの様子。こちらのスタンドはペトロール(ガソリン)とディーゼル(軽油)しかないので間違いようがないのでHT君としては、チップの意味が分からないと言って怒っていたようだ。
燃料が満タンになったところでスタンドの前の道路「Khardung La Rd」カルドゥン・ラ・ロードを北上して本日の目的地「Nubra valley」ヌブラ渓谷を目指した。このカルドゥン・ラ・ロードには標高5,359mの「Khardung La Pass」(カルドゥン・ラ峠)があり、ごく最近まで自動車で行ける世界一高い峠と言われていた峠だ。
「言われていた」と過去形で表現したのは、今回のツーリングで後日走破する「Chang La Pass」(チャン・ラ峠)が5,360mで、いずれも最近になって衛星測位によって表記の高度が正確であることが認定されたのである。カルドゥン・ラ峠に至っては、過去世界一を争うために標高を5,602mと水増ししていたという経緯がある。したがってチャン・ラ峠が1m高く世界一の評価は返上せざるを得ないというのが現実のようである。
さらに、最近「Pangong Tso Lake」(パンゴン湖)から南下した所に「Umling La Pass」ウムリン・ラ峠)という峠道が開通し、ここの標高が19,024フィート(約5,798m)というから3位にまで転落している。
とは言うものの、その高さ5,000mを超える天空の世界には違いなく、我々が訪ねた日に車で観光に登ってきた女性は高山病で吐きまくっていて、その悶絶の様子は見ていて気の毒としか言いようがなかった。もちろん、我々も御多分に洩れずで、必然的にだるさに襲われ、息苦しさは当然、喉が乾くこと常態化し、不調との戦いだったことは言うまでもない。マシンも4,000mを超えたあたりからエンジンがパワーダウンし吹けなくなり自ずと走行はペースダウンせざるを得なかった。
しかし、5,000mを超える天空の世界から見る地球の景色は、想像を超える迫力とその美しさに見る者を圧倒する世界であり、行った者にしか分からない世界だ。頂上までの道のりは勾配のきつい舗装、未舗装の混在する、決して状態が良いとは言えない狭路が続くハードな道程だ。途中「South Pullu」(南プルル)というところにチェックポイントがあり「インナーライン・パーミッション(通行許可証)」の確認が必要となる。途中、道路崩落補修の工事も行われており、しばしの間通行止に待機も余儀なくされる。そうして登ってきた峠も酸素が薄いために長時間の滞在は危険なのだ。ツアーで来ていた観光客などは記念写真もままならぬうちにコンダクターに促され、強制的に下りのバスに乗せられていた。
我々も具合が悪くならないうちに、早々と目的地へのルートを降りることにした。※後編に続く。
(文・写真:泉田陸男)