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―ジョアン、あなたはチコ・ロレンソ(ホルヘ・ロレンソの父)氏のスクールでバイクに乗り始めたそうですね。そこで2年ほど走った後に、あなたのお父さんは趣味でやるならそれくらいで充分だろうと判断して辞めさせた、という話ですが。
「それはちょっと事実と違うんだ。父はいつでも、ぼくのやりたいことをやらせてくれた。二輪ロードレースはいろいろと大変なことの多いスポーツなので、ぼくがそんなものに興味を示さなければよかった、とは思っていたみたいだけど。で、その話だけど、チコのスクールは独特のメソッドがあって、いつも小さな駐車場みたいなところで練習をしていた。
そのスクールには1年半ほど在籍したけど、もっといろんなことを学びたい、と思うようになった。当時のぼくはまだ幼かったとはいえ、将来のことを考えるとあまり時間を無駄にしたくなかったんだ。たとえ9歳でもいろんな理由でイヤになってしまうと、他のことに目移りしてしまうものだよね。だから、なんだかあまり面白くない、このスクールにこれ以上通ってもチャンピオンになれない気がする、と父に相談した。チコは教える方法がとても上手な人だけど、そこでやることはやりきってしまったので、もっと大きなコースで走るスクールに移ることにしたんだ」
ジョアン・ミル(Joan Mir):1997年9月1日生まれ。スペイン出身。2015年オーストラリアGPのMoto3クラスで世界戦デビュー。翌年、同クラスをKTM でフル参戦(1勝・ランキング5位)、2017年はホンダでチャンピオンを獲得(10勝)。2018年のMoto2クラス(ランキング6位)を経て、2019年MotoGPクラスデビュー(ランキング12位)、翌2020年MotoGPクラスチャンピオン獲得。好きなコースはオーストラリアのフィリップアイランド。
―当時の友だちも一緒に?
「皆、残ったよ。自分ひとりでスクールを移った。友だち全員よりも早く成長しなきゃならない理由が、ぼくにはあったんだよ。うちはお金が潤沢ではなかったので、ひとつのチームでのんびりと学習を続けるような余裕がなかった。父はスケートボードやウェイクボードなどを販売する商売をしていて、ぼくのバイクやガソリンの費用を賄うのにも苦労をしていた。いつも家に帰ってくるのは夜の10時頃で、『やりくりは大変だけど、バイクは続けなきゃな』と言ってくれていた。あえてそう言うことで、父は何もわからない子供にしっかりとした責任感を持たせようとしてくれていたのだと思う。
ピットバイクではすぐに勝つようになって、125ccのプレGPでスカラシップを獲得した。勝たなかったら打ち切りになるので、いつも必死だったよ。その後、ルーキーズカップに参戦できることになった。初年度(2013年)は、まだ体格が小さかったので苦労したけど、2年目はたくさん勝つことができた(3勝・ランキング2位)。次の2015年はCEV(Moto3ジュニア世界選手権)に参戦した(ランキング4位)。 今の自分を形づくってくれたのは、あの日々があったからこそだね」
―自分では自分自身の性格をどう思っていますか?
「どんな状況でも、そのときを楽しむ楽天家。一番好きなことをして、それでお金を貰えるのだから、今の自分はすごく恵まれていると思う」
―ダビデ・ブリビオとスズキのあなたに寄せる信頼があるからこそ、ですね。
「ホントにそのとおりだね。ダビデこそ、ぼくに賭けてくれた最大の人物なんだ。たくさんの人たちがぼくの力を信じてくれたけど、ダビデほど全幅の信頼を寄せてくれた人はいない。ぼくが今ここにいるのは、まさしく彼のおかげなんだ」
―世界選手権に来てわずか5年で2回の世界チャンピオン獲得、という経歴は、バレンティーノ・ロッシ選手やマルク・マルケス選手と同じですね。ただし、彼らの場合は最高峰クラスのデビュー初年度に初勝利を飾っていますけれども。
「自分が彼らふたりと比較される日がくるなんて、まさか思ってもいなかったよ。ぼくは彼らの域には、まだ到底手が届いてもいないけどね。でもそうやって比較をしてもらえるのは、ぼくもなかなかがんばってきたということなのかもしれないね」
―チコ・ロレンソ氏、Moto3時代に在籍したレオパード・レーシングのテクニカルディレクター、クリスチャン・ランドバーグ氏、そしてマネージャーのパコ・サンチェス氏はいずれも、あなたはマルケス選手に対抗しうる頭脳と才能を備えている、と話しています。
「そう言ってもらえるのは、とてもうれしいよ。ぼくがここにいるのは、勝つためなんだからね。今、最強の選手はマルケスだから、真っ正面から彼と勝負をしたい。今年はとても素晴らしいシーズンになったけれども、ぼくにとって本当の勝負は来年だと思うんだ。もし今年チャンピオンを獲れていなかったとしても、その事実は揺るがない。来年にマルクと戦うことが、今からとても待ち遠しいよ」
―あなたはいつも、何をするときでも笑みを絶やしませんね。プレッシャーのことを尋ねられたときでも、いつも笑顔で応えていましたよね。その明るさと打ち解けた姿勢があなたの武器、ということなのでしょうか?
「ぼくにも二面性はあるよ。いま、こうやって話している〈オフ〉のジョアンと、レースで〈オン〉のジョアン。その状態のときにカメラを向けられたとしても、目を合わせないよ。〈オン〉のときはいまの自分とはちょっと違って、全力で最高の結果を狙いに行っているからね」
―自分は知的な人物だと思いますか?
「そうだね、そう思うよ」
―あなたのものごとの進め方や、人々を牽引していく姿を見ていると、ロッシ選手を彷彿させるところがあります。もちろん、ふたりともまったく異なる人物像ではあるのですが。
「何かものごとを進める際の取捨選択について、ぼくが最も研究してきたのは、実はバレンティーノなんだ。人となりについてもずいぶん観察した。それはなにも、彼のようになりたいと思ったからじゃなくて、自分自身と共通するところがあるかもしれない、と思ったからこそなんだ。だって、ぼくはマルケス的な性格じゃないからね。さらにもうひとり、尊敬している選手で研究したのは、ドヴィツィオーゾだよ」
―いよいよ次の日曜が最終戦です。ドヴィツィオーゾ選手がいなくなるのは、やはり残念ですか?
「そうだね。本当に、すごく残念だ。アンドレアはトップライダーで、まだまだここで戦い続けてしかるべき選手なんだから。それはぼくたちには自明の事実だよ。でも、ドゥカティはそう思っていなかった、ということなんだろう。彼がこれまで達成してきたことを考えると、とても残念というほかない」
―あなたは、スズキの歴史に新たな一章を書き加えました。スズキに勝利をもたらした人物として、自分ではどんなふうに感じていますか?
「すごく意義深いことだと思う。いまは、すごくバイクがよく走ってくれている。でも、けっして最初からそうだったわけじゃない。チームとスズキの皆ががんばってくれたからこそ、現在のぼくたちがあるんだ。
ぼくたちのチームは、他のメーカーと比べてけっして大規模だとはいえない。最初にここに来たときは、すごく大きな組織だと思ったけど、それはぼくがMoto2やMoto3のチームと比べていたからにすぎない。MotoGPクラスに馴染んできて、ホンダやヤマハ、ドゥカティの仕事ぶりを見ると、『エッ、ぼくたちはこんなに小さな所帯だったの!?』ってこともわかってくる。でも、だからこそぼくはスズキを選んだんだ。
もしホンダに行っていたとすると、そこで勝てればもちろん素敵だろうけど、業務をこなすように感じていたかもしれない。でも、スズキで勝利を掴めるとしたら、それはホントにすごいことだし、なによりもやりがいと達成感を味わうことができる。挑戦者、という立場が気に入ったんだ。そこからスタートして頂点に到達したら、最高だよね。ダビデもそうやって話して、ぼくを奮起させてくれたよ」
―自分は新時代のケビン・シュワンツになれると思いますか? マーヴェリック・ヴィニャーレス選手の場合は、そうは考えなかったようですが……。
「ぼくは2年間の契約更改をしている。今シーズンが終わって、あと2年このチームで走ることができるのは、とてもハッピーなことだよ。タイトルを1回獲得したから自分の務めはこれで終わった、なんて思っちゃいないよ。このチームでもっともっと勝ちたいし、勝てると思っている」
―自分のレース人生で最も重要な人物を3名挙げるとすれば、誰でしょうか。
「まずは自分の父。そしてパコ(・サンチェス)。もうひとりは、クリスチャン(・ランドバーグ)だね。ぼくのレース人生初期に、大きな援助を与えてくれて、とても重要な役割を果たしてくれた。その後にレースキャリアを進むに際しては、たくさんの人たちが助けてくれたよ」
―アレックス・リンス選手についての印象を教えてください。
「とてもいいチームメイトだと思う。選手として、お互いにとても尊敬しあえている。去年は、彼に対してぼくが敬意を持っていないと書き立てたメディアもあったみたいだけど、けっしてそんなことはないよ。彼といい関係を築き上げて、長い時間をともにうまく過ごせていると思う」
―ブリビオ氏は、実力の高いチームをうまく作り上げたようですね。チーム内の信頼関係も非常に良好に見えます
「どのチームでも、ガレージの両サイドにはライバル関係がある。ぼくたちの場合もそうなんだけど、他所とウチが違うのは、どちらかのバイクが壊れたとすると、ウチではお互いのメカたちが協力して助けあうんだ。何かを祝うときも、全員が一緒。日曜にチャンピオンを獲得したとき、アレックスも記念Tシャツを着てくれたことにはほんとうに感謝をしている。チームメイトだからあたりまえだと思うかもしれないけど、この世界じゃそんなことをしてくれる選手はなかなかいないんだよ」
―来年はナンバー1をつけて走りますか?
「まだ決めていない。でも、そうするのも悪くないなとは思っている。ナンバー1をつけて走ったのは、ニッキー・ヘイデンとケーシー・ストーナーが最後だから、1番をつけるのは、ちょっと特別なことだよね」
【パオロ・イアニエリ(Paolo Ianieri)】
国際アイスホッケー連盟(IIHF)やイタリア公共放送局RAI勤務を経て、2000年から同国の日刊スポーツ新聞La Gazzetta dello Sportのモータースポーツ担当記者。MotoGPをはじめ、ダカールラリーやF1にも造詣が深い。
[第十四回 バレンティーノ・ロッシ インタビューへ]