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レース・イベント






2012年8月、傷ついた身体の清成龍一はARRC(アジアロードレース選手権)第3戦が行われる中国へと向かった。レース1でザムリ・ババ(YAMAHA)とトップ争いを展開して2位。レース2はトップ争いとなるもトラブルで後退。優勝は藤原克昭(Kawasaki)、清成は13位でチェッカーを受けた。第4戦日本は全日本ロードレース選手権と併催で行われ、清成は高橋 巧の代役としてJSB1000にも参戦した。ARRCはセットアップが決まらずに苦戦して4位&6位。全日本は中須賀克行(YAMAHA)に次いで2位となり表彰台に登った。
■文・佐藤洋美 ■写真:赤松 孝
■写真協力:清成龍一、チーム高武

 清成は、ARRC第5戦カタール(最終戦)へと向かう。砂が風で動くスリッピーなコースは砂漠の中にあり、昼夜の温度差が大きく難しいコンディションになることで知られている。ランキングトップは藤原で、清成は16P差の2位。藤原がPPを獲得、2番手にチームメイトのアズラン・シャー・カマルザマン、3番手ザムリ・ババ、4番手伊藤勇樹とヤマハ勢が続き、清成は5番手だった。
 レース1は、ババが優勝し、清成は2位に食い込み、藤原は4位で、ポイント差は9Pと詰まる。レース2は、路面温度が下がり、タイヤマネージメントが勝敗を分けた。4番手走行の清成はレコードに迫るタイムで猛追し6周目には首位に立った。追いかけたのはアズランだったが、清成は振り切り優勝を飾り、藤原は5位となり、逆転チャンピオンを決定する。
「タイヤのグリップが下がってからでもタイムをキープできるセッティングが勝因だった」と、清成は約束通りにチャンピオンとなった。
 だが、Moto2参戦は立ち消えになる。そして2013年、清成抜きでHonda Team Asiaは始動した。

#kiyonari-vol06
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ARRC第5戦(最終戦)カタールのレース1で清成は2位。そして迎えたレース2を制した清成は、藤原との16ポイント差を跳ね返しチャンピオンとなった。

■2013-BSB

 2013年、清成はBSB(ブリティッシュスーパーバイク選手権)に戻る。チームはSamsung Honda(CBR1000RR)に変わりランキング6位となる。
 鈴鹿8時間耐久はジョナサン・レイと組んでF.C.C.TSR Honda/CBR1000RRW)から優勝候補として参戦するがリタイヤに終わった。

■2014-BSB

 2014年、清成にはカワサキからの誘いもあったが、BSBにBuildbase BMW/BMW・S1000RRから参戦することを決めた。「WSBK(ワールドスーパーバイクレース選手権)にも参戦しているチームで、WSBKにワイルドカード参戦が出来るチャンスがあった。ホンダへの恩義も感じていたし、ホンダのライダーでいなければとも思っていたが、自分の世界を広げたい」と移籍する。WSBKのチャンスを掴もうとしていた。
 この決断は鈴鹿8耐への参戦がなくなる事でもあり、日本のファンにとっては、気落ちする出来事でもあった。清成は期待通りにタイトル争いを繰り広げた。WSBK復帰を視野に、タイムも、“世界”で通用するようになることを意識して挑んでいた。終盤のケガでランキング2位となるが、マシンが変わっても速さも強さも健在だった。

■2015-BSB

 2015年にはチーム継続となりBMWを駆った。万全の体制でタイトルを取る計画が、マシンが新型となり、電気系のセッティングが要となる。しかし頼りにしていた電気系のエンジニアが辞めてしまい、セッティングできる人間がいなくなると苦戦が続いた。
「チーフメカが電話で聞きながらセッティングをする状況で、全然マシンが仕上がらずに開幕戦でハイサイド、その後もめちゃくちゃ転びました。また、鎖骨を折って……。出来てないバイクで頑張るから転ぶ。復帰して転び、ケガで思うように走ることが出来なかった」
 BSBでは解決策のないままにランキング20位でシーズンを終えた。

 鈴鹿8耐には、Team KAGAYAMAから声がかかる。かつてはBSB、WSBKのライバルだった加賀山就臣は自らチーム運営し全日本ロードレース選手権にフルエントリーし、鈴鹿8耐にも参戦していた。
 加賀山がその時のいきさつを語ってくれた。
「プライベートでも、俺はキヨのことを慕っていて、清成のいる埼玉までバイクトレーニングをしに出掛けたりしていた。日本のロードレースライダーの中で、一番体力があるんじゃないかな。筋力、持久力、トルクっていうか、体力お化け。もちろん鈴鹿8耐の実績もある。それまではメーカーの壁があって誘えなかったけど、この時はそれもなくなっていた。芳賀紀行もそうだけど、いつか一緒に走りたいと思っていた魅力的なライダーだった。熱烈オファーを出したら“加賀山さんのところなら”と受けてくれた」

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「いつか一緒に走ってみたい魅力的なライダーだった」と語る加賀山就臣は、清成を鈴鹿8時間耐久に誘った。

 清成はSUZUKI GSX-R1000を駆った。チームメイトは加賀山、芳賀。かつてWSBKで争った面々が顔を揃えた。清成は果敢に攻め、転倒もあったが、チームの中心ライダーとして先輩の加賀山、芳賀を支える健闘で3位表彰台を獲得した。
 加賀山は「慣れないスズキのバイクに乗って、情報も何もないのにポンとタイムを記録していた。金曜日の走行では、誰よりも、たぶん中須賀克行(YAMAHA)よりも速かったんじゃないかな。ある程度のグリップ感を出してあげて、後は環境と雰囲気をチーム側が整えれば良い。抜群に速いのは分かっていたから、お膳立てさえできれば大丈夫。その信頼に応えてくれた。清成の性格はわりとシンプルで、チームにもすぐに溶け込んだ。そしてあいつは本当に速かった」と振り返った。
そしてこの関係は翌年の8耐間でも続いた。

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清成龍一、加賀山就臣、芳賀紀行という“記録にも記憶にも残る”3人のライダーで8耐に挑んだ。

 加賀山は清成の良き理解者でもあった。
「BSB、WSBKと出かけた時期が1年ずれていたけど重なっていた。清成を見て思うのは、あいつは自分と戦えるライダー、自分がどこまで行けるかということに向き合っていた。周りのライダーとの駆け引きで勝つんじゃなくて、究極まで攻め抜いていくという印象がある。BSBの過酷さを知っているだけに、そこで清成は3回のチャンピオン、しかも最後は復帰してのタイトル獲得でしょう。BSBの歴史に残る活躍だと思う。俺はチャンピオンになることが出来ていないので、悔しいなと思う。立派だよ」

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「加賀山さんとなら」とオファーを受け、SUZUKI GSX-R1000を駆った。結果は堂々の3位だった。

■2016-BSB

 2016年はBSB参戦となるが、前半戦はBennetts Suzuki(SUZUKI GSX-R1000)後半戦はSmith Racing (BMW S1000RR)で戦った。鈴鹿8耐は加賀山就臣・浦本修充(Team KAGAYAMA SUZUKI GSX-R1000)で走り6位となる。

 Smith Racing(BMW S1000RR)で2017年もBSB参戦を進めていたが、森脇 緑氏から連絡が入る。全日本JSB1000でピレリのタイヤ開発をしながら、WSBK参戦を目指すというプロジェクトへの誘いだった。
「面白いプロジェクトだと思いましたし、子供の頃から世話になり、つながりのあったモリワキでWSBKに行きたい」と清成は全日本参戦を決意する。

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2016年の8耐もTeam KAGAYAMAからのエントリーだった。

■2017-全日本ロードレース選手権

 MORIWAKI MOTUL RACING(Honda CBR1000RR)のチームメイトは高橋裕紀だった。高橋は「それまでまったく接点がなかったが、鈴鹿8耐の活躍を知っていましたし、最強のチームメイトだと思いました。嬉しい反面、負けられない。それは、お互いに思っていたと思います。それが良い刺激になった」と言う。
 ふたりは開幕前のセパンテストに行った。まったく同じパッケージのバイクを操り、高橋がタイムを上げてピットに戻れば、清成がそのタイムを抜き、そして高橋が抜き返す。切磋琢磨するふたりは、お互いのレベルを上げて行った。
 ふたりはタイヤテストを繰り返しながら懸命に挑んだが、タイヤ開発は難しく清成は最高位が7位のランキング11位で終えた。高橋は9位だった。
 鈴鹿8耐は高橋裕紀/ダン・リンフットと組んでMORIWAKI MOTUL RACINGから参戦して27位となる。

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MORIWAKI MOTUL RACINGから8耐に参戦した。チームメイトは高橋裕紀/ダン・リンフット、結果は27位だった。

■2018-全日本ロードレース選手権

 2018年には高橋裕紀がオートポリスで3位となり表彰台に登った。清成は最終戦鈴鹿に挑み、雨のレース1決勝は高橋 巧が勝ち、高橋裕紀は5位、清成は10位となる。レース2は雨が止むが路面はウェット。清成はオープニングラップで3番手まで浮上し、そのままの勢いのまま先行する高橋 巧、中須賀克行をパスするとトップに浮上した。インターミディのタイヤ選択が功を奏し独走体制を築いた。同タイヤを選択した高橋裕紀もポジションを上げた。清成はファーステストラップを更新して優勝を飾った。高橋裕紀は4位でチェッカーを受けた。
 清成は森脇 護氏と共に表彰台に登った。
「バイクを大きく変更したことで、良いフィーリングで走ることが出来た。モリワキ2年目の最終戦で勝つことが出来た」

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全日本ロードレースをMORIWAKI MOTUL RACINGで戦った。最終戦は鈴鹿。そのレース2で清成は勝利を飾った。この年のシリーズチャンピオンの中須賀克行も祝ってくれた。

 鈴鹿8耐は、ラタパーク・ウィライロー/高橋裕紀(MORIWAKI MOTUL RACING/Honda CBR1000RR)で挑み8位となった。
 高橋裕紀はランキング5位、清成は8位でシーズンを終えた。

 清成は藤原克昭に相談しカワサキを訪ね移籍を決断していた。
「カワサキで井筒仁康さんが、全日本でチャンピオンを獲得した。Kawasaki ZX-7RRが好きでした。MotoGPマシンも、何か、愛おしいというか……。惹かれるものがあり、ライダー最後の移籍先としてカワサキは良い選択だと思っていました」
 だがそこに「待った」が入った。ホンダが清成を引き留めた。清成が提示する条件をすべて飲む。WSBKに参戦して欲しいと言うのだ。

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モリワキでの初勝利。森脇 護さんと共に表彰台に上がった。

■2019-WSBK

 WSBK復帰を目指していた清成は、Honda残留を決めた。カワサキには「WSBK参戦します」と話した。全日本が条件だったKawasakiには、引き留める術がなかった。
 清成は念願のWSBK参戦を掴む。10年ぶりの復帰だった。
「ライダーとしていろいろな経験してきたことをすべて出したいと思っていた。ヨーロッパに行き始めての頃はコースを覚えられずに苦労したが、その時の経験からすぐにコースを覚えられるようになっていた。勝負がしたいと思って参戦したが、バイクのセッティングが進まない。テストをしにきているのに、何度も転倒して……。まったく結果が残らずで、ものすごく恥ずかしくて、なるべく外に出ないようにしていた」
 ライダーとしての充実度としては、適応力、メンタル、技術と最高レベルに達していた。Hondaも、それが分かっていたからの抜擢だったはずだが、それを証明することが出来ずにランキング19位となる。
 この年のチャンピオンはカワサキのジョナサン・レイ、ランキング2位にドゥカティのアルバロ・バウティスタ、3位にヤマハのアレックス・ローズと、かつて清成と戦ったライダーたちが上位を占めていた。
 マニファクチャラー・ポイントでも、カワサキ673P、ドゥカティ626P、ヤマハ451P、BMW243Pの下にHonda88と、Hondaにとっても屈辱のシーズンとなる。

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 鈴鹿8時間耐久は、「清成さんと鈴鹿8耐に参戦したいとお願いし続けて、やっと恩返しができる」と言う高橋 巧とステファン・ブラドル(Red Bull Honda/CBR1000RRW)で挑むことになった。高橋はHondaを代表するライダーとなり全日本JSB1000で2017年にタイトルを獲得、ヤマハファクトリーの中須賀との熾烈な戦いを繰り広げるライダーとなっていた。
 2010年の鈴鹿8耐の借りを返し、清成と表彰台の真ん中へ立ちたいと熱望していた。Hondaの首脳陣に掛け合って、清成起用を懇願してのラインナップだった。だがWSBKで思うようにならないマシンと格闘し続けていた清成の身体は悲鳴を上げていた。思うようパフォーマンスが出来ないと苦汁の判断を下し、清成は参戦を断念した。
 高橋は「成長した自分を清成さんに見せたい」と奮闘する。台風6号の影響を受けてトップ10トライアルは中止に。決勝は晴れて気温が上昇し、ドライコンディションでのレースとなった。清成を欠いたが、高橋はカワサキ、ヤマハとワークスチーム三つ巴のトップ争いを展開し3位となった。高橋にとっても清成にとってもほろ苦い思いが残る表彰台となった。
 高橋が、清成への思いを語ってくれた。
「8耐で清成さんに恩返ししたいと、出来るライダーになりたいと頑張っていました。チームオンの合宿に10年以上参加させてもらって、バイクに乘るだけでなく、フィジカルに強い清成さんのトレーニングの仕方を見て研究させてもらいました。レースに向かう姿勢など、学ぶことが多く、一緒に過ごすことが出来た時間に感謝しています」

 2020年は高橋 巧が清成との入れ替わりでWSBKに参戦することになった。
 清成を引き留めたHondaだが、WSBKは1年で終わってしまう。
「2011年にも、家族のために収入を確保するのに、オートレースへの転向を考えたことがあった。その時は、募集がなく断念しました。そしてこの時もレースを辞めて、違う生き方を探さなければと思った。これで終わるのか、と悔しさもあった」

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■2020-2021 全日本ロードレース選手権

 2020年には全日本ロードレース選手権からHondaワークスチームが消え、サテライトの有力チームがHondaブランドを引き継ぐことになる変革の時でもあった。ワークスマシンではなく、Honda勢は市販キット車での戦いとなった。そこでチームを立ち上げることを決意した伊藤真一から連絡が入る。
 最高峰クラスJSB1000でヤマハの中須賀が9度チャンピオンを獲得していた。伊藤は「中須賀に対抗できるのは清成しかいない」と声をかけた。清成はこの申し出を受け入れた。
 世界的なパンデミックのコロナ禍の中でレース数は4戦となるが、JSB1000は2レース開催で8レースが行われ、Keihin Honda Dream SI Racingから参戦した清成は開幕戦となったSUGOレース2で2位となると、トップ争いの常連となり、中須賀を追い回しランキング2位となる。

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市販キット車でファクトリーマシンのヤマハに挑んだ。ランキングは2位となる。

 2021年に日立オートモティブシステムズ、ケーヒン、ショーワ、日信工業の4社が経営統合して出来たAstemo Honda Dream SI Racingは、ヤマハファクトリーマシンを相手にHondaCBR1000RR-Rのキット車で挑むシーズンが始まった。清成は果敢な走りでトップ争いを見せランキング3位を獲得する。
「中須賀選手に対抗するためには、マシンのポテンシャルを引き上げなければならない。自ずと求めるレベルが高くなります。いろいろなことを試して、トライ&エラーを繰り返しながら進めていましたが、2年目にはそれが少しズレ始めたような気がします。確実に良くなっているのに、結果がついてこなかった」

 鈴鹿8耐は2020年~21年と中止となる。国内外における新型コロナウィルスの感染拡大を受け、海外からの渡航解除の見通しが立たず、海外チームの入国が難しい状況を鑑みての決定となった。

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HondaCBR1000RR-Rのキット車で挑んだが、ファクトリーマシンとの差は如何ともしがたかった。思い切って攻めたが年間ランキングは3位だった。

■2022~2024-全日本ロードレース選手権

 2022年、清成はTOHORacingへの移籍を決める。TOHORacingは、2011年にバイク好きの福間勇二氏が立ち上げたチームで、2012年には鈴鹿8耐で2位に入る快挙を成し遂げ、全日本でも優勝を飾る躍進を見せたがチーム活動を休止していた。そして2020年に再開、2022年に清成を迎えた。
 福間氏は「清成のチーム加入は夢のような出来事だ」と手放しの喜びようだった。トップライダーの清成を迎え、チームの士気は大いに上がった。
「伊藤さんのチームに不満があったわけではなく、引き続き参戦を希望してくれていましたし、自分を起用してくれた恩義も感じていました。ですが、アステモさんの支援であるということで、使えるパーツが限られます。素晴らしい製品でありますが、自分としては、自由な組み合わせでバイク作りをしてみたいと思いました。福間さんは、柔軟に対応することを認めてくれ、受け入れてくれました。そして若い奴にJSB1000のシートを渡したかった」

 アステモで清成の穴を埋めたのはチーム高武の後輩でもある作本輝介だった。(続く)

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TOHORacingへの移籍を決めた2023年の戦いが始まった。


[第5回|第6回]

2026/03/09掲載