ミスター・バイク アーカイブス第5回 1976年8月号(第4号)
1976年(昭和51年)4月(月号では5月号)に創刊し、2010年(平成22年)7月号で休刊(書籍コード=ミスター・バイクの場合は08489が生きている限り廃刊とはいわないらしいので)して、現在はWEBでなんとか生き延びているミスター・バイク。長いようで短いのか、短いようで長いのか、35年間で420冊(増刊号は含まず)を発行しました。これも多いのか少ないのかさえ分かりません。創刊号から最終号まで、おもしろそうな内容をピックアップして、一部ではございますがご紹介させていただきます。あと416冊となると量が多いので、不定期更新になりますが、お気に召すまま気長にお付き合いくださればとおたのみもうします。
3号目にして明るみに出た真実(……)
オレンジ色のベストはともかくネクタイ着用。ミスター・バイクの表紙を飾るのですから、そこそこの著名人(だんだん普通の人も出るようになりますが、まだ先のお話)です。知らない人から見れば「JAFの方ですか?」と思われそうなこの紳士は誰でしょう。知っている人はもちろん知っている、知らない人は知るはずがない。知るはずがない人でも、名前を聞けば「ああ、この方があの」と思うかも知れません。もちろん思わない人は思いませんが。ヒントはバイクです。BULTACO SHERPA TとMONTESA COTA247というトライアラーです。これもマニアックといえばマニアックですが、当時はトライアルブームですし、そもそも外国車というだけで高嶺の華でした。ブルタコに付いているグリップはトマゼリの生ゴムでしょうか。撮影地はおそらく編集部から近かった多摩川の河原でしょう。何故にネクタイ? の答えですが「二輪ライダーはこきたないというイメージがありますけど、それはライダー自身の問題ですね。イギリスのライダーはワイシャツにネクタイでトライアルをしています」とのこと。え! ほんとですか?? と、ここまで引っぱると「いいかげんにしろ!」という声が聞こえてきそうですが、最後まで読んでいただきたいので誰なのかは後ほど。
巻頭カラーは「マン島それはバイク野郎にとって一度は行ってみたい“夢の島”だ」というシビれる書き出しで始まるマン島ウイークです。私のバカ変換ソフトは、MANTOと入力したら饅頭と変換しやがりました。片山敬済氏も参戦していたようです。
モノクログラビアは「翔んでるあいつ!!」です。先月のMVに続きこのタイトルもきっとなにかのパロディではないかとおもいますが……おぼえていません。出演は超ベテランライダーの方なら「なつかしいねえ」と言われるであろうディスコ・ボランテの社長沢田さん。カフェレーサーブームを仕掛けた方のようです。おなじみ「女」(今回はスリーサイズのスペックも記載されておりました)を挟んで、「決め手はやっぱりスクーター」「このナウなスクーターたち」というスクーターマニアの高橋さんを紹介。スクーターといえばヤマハパッソルの登場で爆発的なブームを起こすのですが、登場は1977年3月なので、ラビットやシルバーピジョンが流行った第一次スクーターブームの残党? かベスパに代表される外国勢という、ニッチなカテゴリーでした。1年後に起こる大ブームを予見した特集だったら、すごいですが……。チャレンジ企画は、「ガソリン1リットルちょうだい」というメッセージボードを街道や住宅地などで出して、実際に分けてくれるのかという、安易に思えるけどやるのはめんどうで壮大な実験。止まってくれるバイクもそこそこあったようで、当時のライダーの連帯感が伝わってきます。当時の雰囲気を伝える貴重な資料かも。さすがミスター・バイク(ヨイショっと)。
活版ページの第一特集は「中古外車の徹底調査」です。表紙が外国車だからというわけではありません。なぜなら、創刊号はわかりませんが2号、3号も外国車ですから。そういえばいつから外車から外国車という呼び方に変わったんでしょう。トルコ風呂がソープランドになった頃でしょうか、おそらく違うと思います。国電に代わるE電は評判が悪くまったく定着しませんでしたが、ソープランドはすんなり定着したように思います。一般公募で選ばれたようですが、名付けの親はどんな賞品をもらったんでしょう。えーっとなんの話でしたっけ。
活版の第二特集は「この夏キミもやってみないか 林道走破初体験!!」です。7月号のなんちゃって企画とはまったく異なり、10日間、予算5万円、全行程2000Km! のモデルコースをきちんと設定してあります。「マシンタイプ別 荷物はこうして積め!」「野宿のための道具」と続いて、旅心を煽りっております。ミスター・バイクの読者さんなら実行した人がいるのではないでしょうか。
読者ページには「7月号でメダマの石井さんの顔見ました〜(中略)〜ラジオで声を聞く限りではもっとふけたオッサンかと思っていたらビックリ!」という投稿が。今では編集部員が登場するのは当たり前ですが、昔は「裏方は表に出るな」みたいな風潮がありました。が、近藤さんのように、顔出しOK? といいますか、顔出してナンボみたいな例外もいます。その近藤さんですが、今号もチャレンジ教室で革チョッキ自作してます。編集後記には読者さんが送ってくれた似顔絵があったり、この当時からイジられ&愛されキャラだったんですね。
センターのモノクログラビアは「マイウェイ・エンデューロ」というモトクロスの草レース、後半グラビアは世界モトクロス選手権デンマークGPと、オフものの割合が多いのも、当時の流行りを反映しています。
あ、表紙の紳士は西山俊樹氏です。知りませんか? 内外のトライアルやモトクロスレースで活躍し、かつてKTMの日本総代理店などもやっておられたトシニシヤマのトシ西山さんといえば、オフに興味のあまりない方も、あ〜! となることでしょう。
ではまた次回。
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