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レース・イベント


全日本ロードレース第5戦が栃木県モビリティリゾートもてぎで開催された。JSB1000クラス決勝、ポールポジショングリッドからスタートした水野 涼(ドゥカティ)は、ホールショットこそ野左根航汰(ホンダ)に譲るものの、すぐに首位に立った。その後は一度もトップの座を明け渡すことがなかった。水野は最終コーナーを立ち上がり優勝のチェッカーを目指した。
彼の目にピットロードのフェンスを越えて身体を突き出し、驚喜しながら特大のガッツポーズするスタッフたちの姿が見えた。
それを見た瞬間に「勝ったんだな~」と実感したと言う。
水野が勝利のチェッカーを潜り、それにヤマハファクトリーの中須賀克行、岡本裕生が続いた。王者・中須賀、期待の岡本を従えての圧倒的勝利だった。

■文:佐藤洋美 ■写真:赤松 孝

 ポール・トゥ・ウィンだった。全日本ロードレースの最高峰クラス史上初の、国産車以外の車両での優勝を果たした。全日本ロードレースの歴史において1994年スーパーバイククラスで芳賀紀行がドゥカティで3位となっている。GP250では1995年に宮崎 敦がアプリリアで勝利しているが最高峰クラスで外国車勝利は初となる(日本モーターサイクル協会の正式記録がないため手元調べとする)。
「歴史的優勝を自分が飾れたことが誇らしい」
 水野は記者会見でそう語った。

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 今シーズン開幕前にイタリア大使館で大々的に行われたチームカガヤマのDUCATI team KAGAYAMAの発表会で、加賀山就臣監督が水野 涼を起用しDUCATIパニガーレV4Rファクトリーを駆り参戦することを発表した。「黒船襲来だ! 日本メーカーに、外国車にやられてよいのかと問いたい」と宣言し、その挑戦は始まった。

 水野は故加藤大治郎が始めたポケットバイクのDaijiro-CUPチャンピオンで、全日本ロードレース選手権GP3、GP2でもタイトルを獲得している。ホンダの育成ライダーとしてエリートライダーの道を歩んできた。2018年にJSB1000にステップアップ。そして自ら望んで2021年~2022年とブリティッシュスーパーバイク(BSB)に参戦した。2023年には帰国し伊藤真一監督の元で走り始めた。最終戦にはヤマハファクトリーを押さえてダブルウィンを飾っている。

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 BSBから帰国した全日本にはホンダワークスチームがなく、市販マシンのキット車でヤマハファクトリーに挑む厳しさがあった。最終戦の勝利も、中須賀と岡本がレース1で接触転倒し、レース2では中須賀が欠場、岡本はケガを抱えての参戦だったから、水野は心から勝利を喜ぶことが出来なかった。

 この年のシーズン中盤には水野は加賀山就臣を訪ねている。「勝ちたい」と……。加賀山はヨシムラチューンのマシンを走らせており、水野にとっては勝てるマシンを持つチームだと感じたからだ。ふたりの接点はほとんどなく、水野は勇気を持って加賀山を訪ねたのだ。
 
 この時点では、加賀山は来季の体制を決めてはなく、水野の行動を好ましく受け取っただけだった。だが、ドゥカティでの参戦を考えた時に戦闘力のあるライダーとして水野が浮かんだ。勝ちたいという渇望にも似た気持ちを持つライダーの強さを加賀山は自身に重ねたのかも知れない。

 加賀山は水野起用を決め鈴鹿最終戦で告げる。水野は新たな挑戦が始まることを胸に秘めて挑み勝利したのだ。水野は「勝てるマシンを手に入れるのだから、それを証明したい」と誓った。BSBでは苦汁を舐めた。だが、ワンメイクECU、トラクションコントロール禁止、ほぼスタンダードのバイクで年間11戦、1戦で3レース開催、年間33レースを消化する戦いを2シーズンこなした。帰国直後の全日本での8戦、全12レースの戦いでは示せていない力を強烈に示すことを願っていた。
「2年間、BSBで経験を重ねたことはライダーとしてスキルアップに絶対になった。それを日本で証明したい」
水野は勝つための舞台を求めていた。

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 だが、全日本勝利は、そう簡単ではない。ヤマハファクトリーの強さは特筆出来るものだ。YAMAHA YZF-R1は9年目を迎えるマシンだが、その熟成度は高く、ファクトリーの技術が投入され、ポテンシャルは向上している。
 高橋 巧が「僕が2019年に鈴鹿で2分3秒台のレコードを出したワークスマシンは10年目のCBRですからね。年代はあまり関係ない」と語っている。
 ライダーは12回ものJSB1000タイトルを獲得している王者中須賀。毎年、彼のスキルがアップしていることは誰もが認めるものだ。だからこそ、チャンピオン獲得記録を更新し続けている。チームメイトの岡本は、その中須賀の後継者として抜擢された逸材で、中須賀を追い詰め勝利し加速度的に成長を示している。今年も第4戦SUGOのレース2では中須賀を破った。
 水野同様に海外経験を積み帰国した鈴鹿8耐覇者の高橋 巧や新たなホンダのエースである名越哲平、ヤマハからホンダへの移籍を果たした海外帰りの野左根、強者の清成龍一、長島哲太らがHonda CBR1000RR-Rを駆り、SUZUKI GSX-R1000Rを走らせる津田拓也らがいる。

 水野は開幕戦からトップ争いに絡み表彰台の常連となるが、勝利には、あと少しと及ばなかった。だが、その走りのポテンシャルの高さは、誰の目にも明らかだった。水野の参戦で、全日本のレベルは一気に上がっている。
「想定していたアベレージタイムがグンと上がっている。こちらも、その想定タイムを上げていかないと勝負にならない」
 岡本は今季の厳しさを口にした。

 水野は「後少し」と勝利へ近くなっていることを感じていた。今季から参戦のマシンであり、データがなく、それを積み上げて行かなければならい。トライ&エラーを重ねながら進むしかなかった。だが、チームカガヤマは、プライベートチームながら脅威のスピードでマシンを仕上げて行く。これはスタッフの手腕に他ならない。

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 決定打となったのは鈴鹿8時間耐久参戦だった。チームカガヤマを発足させた2011年当初、加賀山監督は「鈴鹿8時間耐久は、本当に難しいレースで、まだ、自分たちは参戦出来るレベルにない」と語り、足固めをして3年目に参戦を開始している。その鈴鹿8耐に、今季はドゥカティを走らせた初年度から挑戦を決めた。
 水野にとって鈴鹿8耐は、自身をアッピールする場でもあった。チームの上位2名のタイムの平均で決まる計時予選では2番手を記録。この上位10チームが参加するトップ10トライアルでも水野の注目度は高かった。勿論、ポールタイムを狙う。だが、走行5分前にトラブルがあり、アタック用マシンには乗れずにコースインとなった。それでも、2分5秒台を叩き出し2番手を獲得する。

 決勝でもトップ争いを繰り広げた。後一歩で表彰台へと迫る活躍を残した。チェッカー後、加賀山監督は「準備不足で、ライダーに申し訳ない」と涙をにじませた。だが、この挑戦には大きな称賛が集まった。耐久用マシンに必要なものを自ら手作り装着、限られたテスト期間内に仕上げたこと、その速さを示し、常に話題を集め続けたことは「加賀山だから出来たこと」と言わしめた。その力を示したのが水野の走りだった。
 レース後、水野は語っている。
「トップ10では、ポールタイムをめちゃくちゃ狙っていた。見せ所だったから……。でもバイクが変わり、フィーリングが違って攻めきれずに心残りだった。決勝も……。ライダーとして負けたとは、まったく思えなくて……。悔しさしなかった。この悔しさを絶対に忘れない」

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 水野はその雪辱を全日本勝利に求めた。鈴鹿8耐から、約1ケ月後JSB1000クラスのみ開催で4輪のスーパーフォーミュラとの併催で行われる2&4もてぎの戦いだ。
 鈴鹿8耐でしっかり乗り込みができたことでマシンのセットアップが進んだことが、水野の力強いライディングに表れていた。鈴鹿8耐参戦をしていないヤマハファクトリーは、鈴鹿8耐の期間、テストコースを走り込んでいたというが、レースの緊張感とは違うはずだ。水野は鈴鹿8耐テストから本戦までの走行でマシンの熟成が進んだ。水野は「理解度が高まったことが大きい」と、その成果を実感していた。

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 台風接近の予報で雨だったが、水野は「雨でも晴れでも大丈夫」と自信をのぞかせていた。雨はSUGOラウンドの事前テストで走っており、そこではホンダ車で記録した自己ベストを大幅に短縮していた。
 台風予報で蒸し暑いレースウィークとなったが、土曜日に行われた40分間の計時予選では1分47秒732でポールポジション(PP)を獲得した。予選開始直後にトップタイムを記録、そのタイムを超えようとライバルがアタックに飛び出す。今季から全日本参戦を決めたホンダの野左根は、水野のアタックのタイミングを計ってコースインしタイムアップする。だが、水野は終盤にさらにタイムアップして強さを見せつけた。
 水野は第2戦のもてぎのレース2でPPを獲得しているが、これはセカンドタイムで決まったもので、トップタイムを記録してのPPは初となる。2番手野左根、3番手岡本、4番手に中須賀となる。

「勝利へのカウントダウンが始まったか?」
 私は訊いた。
「自分の走りが出来れば」
 水野が答えた。

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 雨予報は外れ、走行終了後に雷雨となる日があったが、決勝日も雨は降らなかった。予測のつかない空模様は、ドラマチックな演出であるかのようでもあった。何かが始まろうとしている期待感を否応なく煽った。決勝朝のウォームアップでも水野はトップタイム1分48秒287をマークする。
 決勝は20ラップと他ラウンドに比べて長い。午前中から晴れ、気温が上がった。路面温度も上がり、ライダー、マシンにとって過酷な状況となる。

 緊張感を破るように決勝スタートで飛び出した野左根がホールショットを奪う。だが、水野はダウンヒルストレートでトップに立つと後続を突き放す。追い上げる中須賀は、やっと野左根を捉えて5ラップ目には2番手に浮上するが、水野との差は1秒4と開いていた。中須賀の追撃をかわすように水野はタイムアップする。1分48秒台前半で周回する水野を捉えるものは現れることなく独走態勢を築く。中須賀は追い上げて来た岡本との争いとなり、水野の独走を許してしまう。
 水野はポール・トゥ・ウィンを達成して歓喜のチェッカーを受けた。2位は中須賀、3位に岡本、4位に野左根となった。ウイニングランする水野にライバルたちは、次々に手を差し出し祝福した。

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「短い期間で、ここまでマシンを仕上げたチームの凄さ、そのマシンの力を引き出した水野選手に完敗です。本当におめでとうと言いたい」
 中須賀は、水野の勝利を祝福した。

「JSB初優勝(昨年の最終戦)は心残りがあったから、めちゃめちゃ嬉しいです。今年の前半戦は勝てそうで勝てないレースが続いたので、圧倒的な速さをみせて勝てたことが本当に嬉しい。序盤からプッシュして後ろを離そうという作戦通り」
 水野は完璧な勝利を振り返った。

 中須賀、岡本を従え真ん中に立つ水野に「今の気分は?」と聞くと「最高」と笑顔を見せてくれた。水野の、こんな素直な笑顔を見たのは初めてではないかと思った。

 以前の水野は、優勝しても冷静で「何故、嬉しそうにしないのか?」と聞かれ、よくわからないと言った感じで「クールがカッコ良いと思っているからかな」と答えていた。

 きっと、これまでの優勝は心から嬉しいものではなかったのではないか? GP3やGP2、そして昨年の最終戦の勝利も……。笑顔の記憶がない。

 世界を目指している水野にとって、GP3、GP2の勝利は取って当然のもので、勝ったからといって喜びにはつながらなかったのではないか……。昨年の最終戦は実力でもぎ取ったものと思えず結果に満足してもライダーとしては納得していなかった。

 水野が願っていた勝利をもぎ取ったことで、やっと、水野の笑顔を見ることが出来たように思った。

「今から“黒船襲来”がスタートです。ヤマハには実力で勝てたと思いますし、カワサキのヨーロッパのバイク、ホンダの8耐優勝マシンの参戦を受けて立ちたい」

 加賀山監督の宣言でもあった。

 ドゥカティ&水野の破壊力が、全日本を大きくかき回し始めたことを示す勝利だった。

 次戦は中須賀のホームコース、岡本も得意とする大分県・オートポリスで開催される。

追記:

 加賀山監督がドゥカティで水野という才能を引き出して圧勝してロードレース史上に残る歴史的勝利を刻んだ。この勝利で、ホンダ、カワサキ、そしてスズキも…。日本のメーカーが心をざわつかせ、立ち上がってくれることを願う人は多い。かつてのバイクブームのように、ワークスチームがしのぎをけずることは難しくても、日本には実力のあるチームがあり、メーカーが直接チームを結成しなくても、ファクトリーマシンを走らせることができる土壌を育んで来た。水野のように才能豊かなライダーを抱えているのが全日本ロードレース選手権だ。この勝利を起爆剤として、新たな全日本を構築することができるはずだ。ドゥカティ参戦で確実に観客動員数は増加傾向にある。レースの面白さを、そこに情熱を燃やす人々がいることを、世界に誇るモータースポーツ文化を育んで来たメーカーは受け止めるべきだ。

(文・佐藤洋美、写真:赤松 孝)

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2024/09/05掲載