MotoGPは中上貴晶(LCRホンダ・イデミツ)が肩の手術を受けるために今季最後のレースだと公表し、痛みと戦い完走。Moto2の長島哲太(ONEXOX TKKR SAG Team)を始め、Moto3の鈴木竜生(SIC58 Squadra Corse)、佐々木歩夢(ペトロナス・スプリンタ・レーシング)、真崎一輝(BOE Skull Rider Mugen Race)、鳥羽海渡、小椋藍(共にホンダ・チーム・アジア)らフル参戦組、そしてワイルドカード参戦した山中琉聖(エストレージャ・ガリシア・0,0)が懸命の走りを見せた。
ホンダWGP参戦60周年を記念して1960年代に活躍したジム・レッドマン、高橋国光、1980年代のフレディ・スペンサー、そして、現代のマルク・マルケス、ホルヘ・ロレンソらが出席してイベントが開かれた。レースウィーク中、テレビモニターには、過去活躍した日本人ライダーたちの若かりし頃の映像が繰り返し流されていた。一大バイクブームを牽引した平忠彦は1980年代に活躍、その後、大勢の日本人が参戦し、日本人ライダーはトップ争いの常連だった。GP250で原田哲也が1993年、加藤大治郎は2001年、GP125では1994年と1998年に坂田和人、1995年~1996年には青木治親が世界チャンピオンとなっている。
その後、世界への道は閉ざされたかに見えたが、全日本の活躍が認められたライダーに与えられるホンダスカラシップを得て2004年に青山博一、2005年高橋裕紀、2006年に青山周平らが世界へと飛び出す。
そんな中、注目したいのが青山博一だ。
青山博一は、アルベルト・プーチ(現ホンダチームマネージャー)率いるチームで、ダニ・ペドロサをチームメートに戦い始め、参戦2年目となる2005年日本GPでポールポジションを獲得、ロレンソ、アンドレア・ドヴィツィオーゾ、ケーシー・ストーナーらとのバトルの末に初優勝を飾る。2006年はホンダスカラシップの2年間が終了、KTMに移籍した。この年の日本GPでも青山博一は勝ち、表彰台の真ん中で泣き崩れた。日の丸が優しく揺れ、総立ちの観客の声援も拍手もなかなか止まなかった。
「KTMはGP参戦1年目で、自分自身も移籍1年目、誰も僕が勝てるなんて思ってなかったと思う。でも、母国GPは、大きな重圧もあるけど、力をくれる。この表彰台では、いろいろな思いが込み上げて来て……。忘れられない優勝になった」
青山は、2009年に4勝を挙げ、全レースで高ポイントを獲得する堅実な走りで、この年限りとなったGP250の最後のチャンピオンとなり、原田、加藤に続き王座を得た3人目の日本人ライダーとなった。2010年には最高峰MotoGPクラスに参戦開始し2013年まで走り続けた。2014年にはスーパーバイク世界選手権参戦。2015年からホンダのテストライダーとなり、プーチが着手したライダー育成にも力を注ぎ、若きライダーのアドバイザーとして活躍。2018年からホンダ・チーム・アジアの若き監督に就任した。
ホンダ・チーム・アジアは世界のトップレベルで戦い、活躍できるライダーを広くアジア全域から発掘、育成することを目的に2013年に発足した。今ではアジアライダーの憧れのチームであり、世界への夢を叶えてくれる存在となっている。アジアで行われるセレクトレースで選ばれた若いライダーたち(中学生や高校生)がアジアタレントカップやルーキーズカップに参戦、そこでの活躍が認められるとFIM・CEVレプソルカップ(旧スペイン選手権)へ送り込まれ、鍛えられ力を示すことで、ホンダ・チーム・アジアに迎えられる。現在所属するMoto3の鳥羽海渡も小椋藍も、そのルートを通り、ここまで這い上がって来た。
青山は、多くのライダーをWGPに送り込んで来たプーチの絶大なる信頼を得て、育成段階のタレントカップやCEVで若手ライダーをサポートして来た。さらに、多くの若手ライダーと同じようにポケットバイク、ミニバイク、ロードレースと経験、WGPを戦い抜き、現在も変わらずライダーとしてのスキルの高さを誇る。現役ライダーに近く、気持ちに寄り添うことの出来る優しい人柄から、青山を監督にという声はだいぶ前から上がっていた。
「自分がWGPチャンピオンになったのは26歳。5歳からポケバイに乗り始めて21年かかった。苦労や努力は必要だが、若手ライダーたちが遠回りしないようにと思う」
青山は就任直後にそう語った。
青山はスタッフ集めに着手し、チームの基盤を作る。ライダーたちは、青山が海外の拠点とするスペイン・バルセロナのアパートで共同生活をし、青山も参加しながら自転車や筋力トレーニングを欠かさない。トライアルでは世界チャンピオンにもなった藤波貴久、ダートトレーニングではマルケスとの時間を作るなど、青山の人脈を生かしている。
「世界一流のアスリートを過ごした時間が、大きな刺激になるはず。自分と比べて、足りないものを感じてほしい」
青山の狙いはそこにある。
さらに自身がMotoGP時代のトレーナーを呼び、メニューを考え、それぞれのライダーの弱点を強化して行く。そのトレーニングの的確さや過酷さを、昨年チームに所属していた長島哲太はこう言っている。
「これまで、自分はハードに身体を作って来たと思ったけど、青山さんの指導で、今までのトレーニングはトレーニングとは呼べないと思った。富士山を自転車で一気に登るって感じの、信じられないくらいの過酷な内容。それを38歳の監督もこなすから、何も言えない」
このハードトレーニングで、長島は「身体の基本が出来た」と感謝している。
身体トレーニングだけでなく「体力も技術も問題ない。鳥羽に足りないのはメンタルだ」と鳥羽にはメンタルトレーナーをつけた。英会話もCEVの中に取り込まれていて、鳥羽も小椋もWGP参戦時には完璧とは言えないまでも、スタッフとのコミュニケーションに困ることはない。先日は二人が先生となり、CEVを戦う若手ライダーたちを指導して来たと言う。
今季のホンダ・チーム・アジアは、Moto2にソムキャット・チャントラ、ディマス・エッキー・プラタマ、Moto3に鳥羽、小椋の布陣。青山は4人のライダーと、スタッフ、総勢24人をまとめている。開幕戦カタールでは鳥羽が遂に初優勝を飾った。第14戦アラゴンでは小椋が2位表彰台獲得と確実に力をつけて来ている。
青山に喜びを聞いてみた。
「嬉しいし、良かったと思うが、表彰台を見ながら、もう次のレースを考えている。世界チャンピオンを目指しているんだから、ひとつの優勝や表彰台は通過点。鳥羽も小椋も、俺より才能があり、チャンピオンを取れる可能性があると思う。そして、次へのステップ、Moto2へと行くための準備を今からしなければならない」
そしてホームとも言えるもてぎを迎えた。
「ホームGPは、ものすごく緊張する。海渡は3度目だが、小椋は初だから。FP1のタイムやポジションで流れが決まる」と頭脳派でもある青山監督は語っていた。現役時代から、初日のリザルトを見れば、その後の流れを把握し作戦を練って来た。鳥羽は9番手、小椋13番手の滑り出しで始まり、青山監督は「良くも悪くもなくギリギリの合格点」と語ったが、表情は厳しかった。
予選日は雨となり、鳥羽16番手、小椋18番手。ドライとなった決勝は大きな集団の中で、健闘するが小椋が14位、鳥羽17位。Moto2のチャントラ13位、プラタマは21位でレースを終えた。多くが注目する中で、思うような結果を引き寄せられなかった小椋は、ピットで顔を伏せたまま、なかなかその場を離れることが出来なかった。鳥羽も、固い表情のままピットを後にした。
「青山監督は世界チャンピオンという最高の結果を残しています。その目線は的確で、私生活を含め学ぶことばかり」
小椋はそう語った。
「来季はKTMに行くので、青山監督の元で走るのは、今年が最後。ホンダで走り続け、青山監督に助けてもらった。後半戦、ホンダにも青山監督にも恩返しが出来るレースがしたい」
鳥羽はそう誓った。
WGPライダーになること、世界チャンピオンになること、どれもが高いハードルだが、GPチームの監督になれる人物はなかなかいない。そして、その仕事で成果を上げることは、ライダーとして何かを成し遂げることよりも難しいことなのかも知れない。青山は、これまでのキャリアを武器に新たな可能性を切り開き、ライダーから尊敬を、スタッフから信頼を勝ち得ていた。
「かけっこが好きだった。競争して勝ったら、すごい達成感があるでしょう。バイクは面白くて楽しい、それを使って、ずっと、かけっこしているような感覚、やったぁ~という達成感を求めて、サーキットにいる。自分は天才じゃないから、努力して走って、勝って、チャンピオンにもなれた。周りの人に恵まれて、ここまで、来られた。だから、次は世界チャンピオンの誕生を助けたい」
青山には、自身に続くチャンピオンを自身の手で生み出そうとしていた。最終戦は11月17日、バレンシアで行われる。(文:佐藤洋美)