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レース・イベント

2019年JSB1000のチャンピオンが決まる戦い 最終戦に賭ける中須賀克行
 全日本ロードレース選手権最高峰JSB1000の最終戦が11月2、3日(2レース開催)、三重県鈴鹿サーキットで開催される。タイトル決定戦となる戦いで中須賀克行(YAMAHA FACTORY RACING TEAM)が、自身9度目となるチャンピオンを狙う。
■取材・文:佐藤洋美 ■写真:赤松 孝

 
 今シーズンのJSB1000を振り返ってみよう。開幕戦のツインリンクもてぎは2レース開催となり、中須賀克行がダブルポールポジションを獲得し王者の貫禄を示す。だが、背後には急接近するTeam HRCの高橋 巧がいた。ワークス復活2年目に賭けるホンダの脅威は、第2戦鈴鹿2&4で形となる。中須賀が持つ2分4秒976のレコードを1秒近く詰め2分3秒874を記録。セカンドタイムも3秒台に入れ、ダブルポールポジションから圧倒的な走りを見せ、高橋がレース1、レース2と勝利を飾る。レース1で高橋と激しいトップ争いをした中須賀は、ファーステストラップを叩き出し逃げる高橋を追っていた3周目のデグナーカーブ2個目でスリップダウンしリタイヤ、痛恨のノーポイントとなる。この中須賀の転倒に高橋は「中須賀さんの本気を引き出せた」と手応えを感じることになる。
 中須賀は、2レース目は手堅く2位となり、第3戦SUGOでも連続2位。高橋が勝ち続ける。第5戦もてぎ2&4は、高橋が負傷を抱えての参戦となり、新生・水野 涼(MuSASHi RT HARC-PRO.Honda)との戦いを制して3勝目。第6戦岡山国際は雨のレースをチームメイトで後輩の野佐根航汰が制し、2位に水野。リスクを回避した中須賀が3位。高橋は4位となった。
 

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 そして、福岡県北九州市出身の中須賀にとって地元となる大分県オートポリスの第4戦を迎えた。地元ファンが大勢駆けつける戦いは、中須賀の背中を押し、勝率の高さが目立つ。また、この難コースで、中須賀は、その能力を示して来た。事前テストから好調な中須賀は、予選で自身の持つコースレコードを更新。さらにセカンドタイムを記録し反撃体制を整える。
 
 レース1は予選が行われた後の午後に行われた。中須賀はスタートを決めるが、第1コーナーでラインを外し、野左根がトップに浮上する。そして水野が続き、レース序盤は3人がトップグループを形成。しかし、水野はトラブルを抱えレース中盤以降でタイムが上がらずに徐々に後退。代わって高橋が3番手に上がるが、この段階で野左根と中須賀には約1秒差があり、野左根は自分のペースと走行ラインをしっかりと守って、これまでとは違う強さを示す。中須賀は野左根のスリップストリームに入り仕掛けるも、ポジション変わらず。だが、17周目の第1コーナーで、遂に中須賀がトップに浮上し自己ベストタイムを記録し引き離しにかかるが、野左根は離れなかった。
 中須賀、野左根の2人は揃って自己ベストタイムを更新。19周目には野左根がさらにベストタイムを詰め中須賀に迫る。最終ラップに中須賀もベストタイムを更新し逃げる、それを野左根がファーステストラップを更新し追撃、レース終盤の高タイム連発の接近戦を中須賀は綺麗なブロックラインを通り0.183秒差で野左根を抑えて優勝を遂げた。中須賀は今季4勝目を挙げ、JSB1000通算50勝目の記念の勝利を飾った。
 

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地元オートポリスで行われた第4戦のレース1で、次世代のエースを狙う後輩の野左根航汰を抑え、中須賀克行はJSB1000通算50勝を上げた。

 
「50勝と聞いて、長く全日本を戦っているのだなと思う。その期間、トップライダーとして決してレベルが低い戦いではない全日本を引っ張って来たという誇りを感じる。常にプレッシャーがある中で、進化し続けて来た。今後も、その姿勢は変わらない」
 中須賀の顔に自信が戻っていた。

 中須賀は、父親と二人三脚でレースに挑んでいた。プライベートライダーとして全日本GP250を戦い始めたのが2000年。大学に進学し、学業との両立をしながらの参戦だった。全日本のオートポリスで元気のいい走りを見せる中須賀に、ヤマハの名門SP忠男チームから声がかかる。2004年のオートポリスでは、後にロードレース世界選手権に参戦する高橋裕紀、青山周平を抑えて初優勝を飾るまでになる。また、鈴鹿8時間耐久の第3ライダーに選ばれ、ヤマハファクトリーマシンに乗る機会を得、そこで非凡な才能を見せたことで2005年にはJSB1000へ昇格のチャンスを掴んだ。
 中須賀は天才肌のライダーではあるが、人一倍の努力を重ね実力を蓄えステップアップして来た苦労人でもある。その真摯な姿勢はアドバイザーとなった先輩の吉川和多留の支え、スタッフの献身的なサポートを生むことになる。中須賀は遂に2008年に全日本ロード最高峰JSB1000のチャンピオンに輝く。ホンダの秋吉耕佑、伊藤真一といったベテランを押しのけての初の栄冠だった。2009年V2達成する。2010年にはV3の期待が高まった。
 

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JSB1000に挑戦して4年目の2008年、遂にチャンピオンとなる(写真左)。そして翌2009年にはV2を達成(写真右)。

 
 ヤマハはV3してこそ、一人前という定説がある。偉大なる先輩たちが成し遂げてきた記録だ。WGP500ではケニー・ロバーツ(1978年~1980年)、ウエイン・レイニー(1990年~1992年)でV3を飾り、全日本500では平忠彦(1983年~1985年)、藤原儀彦(1987年~1989年)とV3を獲得している。中須賀はV3に向けて走り出しランキングトップで挑んだ最終戦。この年は、確実にポイントを重ねるも、勝利に恵まれなかった。
「1勝もせずにチャンピオンになるのは嫌だ」と勝ちに拘った中須賀だったが、転倒してしまい、V3のチャンスをふいにする。
 

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V3達成という夢の実現へ──。それは2012年 から始まった(写真左)。2013年は、年間4勝を上げてチャンピオンに輝く(写真右)。

 
「V3を逃した大きさを知ったのはレース後だった。ライダーとして勝ちたいと挑んだことに後悔はないが、V3達成までの時間を思うと、その大変さが身に染みた」
 中須賀がV3を達成したのは2014年だった。舞台は、同じく鈴鹿最終戦。中須賀はウェットパッチの残る難しいタイトル決定戦に挑み、一本しかないラインを誰にも譲らずに走り切り、念願のV3に輝いた。そこから中須賀は勝ち続け2016年にはV5を達成する。押しも押されもせぬ絶対王者へと上り詰めた。
 2017年にはレギュレーションの変更で、ホイールサイズが16.5から17インチへと変更されたことで、中須賀の極限まで完成された走りに狂いが生じる。トップ独走での転倒があり、ポイントを失った中須賀はタイトル争いから脱落。それでも後半戦は5連勝、最多優勝者となり、その速さは誰もが王者のものだと納得せざるを得ないものだった。だが、連続チャンピオンの道は途絶えた。2018年、力を取り戻した中須賀は、8度目となるタイトルを得る。そして、今季は9度目の逆転チャンピオンを狙う。
 

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2014年、念願のV3を達成(写真左)。続く2015年は、ヤマハ・ファクトリーからの参戦で、年間7勝を上げV4(写真右)。

 
 オートポリスの2レース目も制し51勝目を挙げた中須賀は、ランキングトップの高橋に11ポイント差と迫った。残りは最終戦、鈴鹿の2レースのみ。1位と2位のポイント差は3ポイント、1位と3位のPポイント差は5ポイント、1位と4位の差が7ポイントだ。中須賀は両レース勝利したとしても高橋が2位か3位に入れば、タイトルは高橋のものになる。中須賀が勝ち、間にふたり入り、高橋が4位とならなければ、中須賀のチャンピオンはない。
 
 高橋は「このチャンスをものにできなかったら、今後もチャンピオンになることはないだろう」と語りタイトル獲得を誓う。ランキング3位の野佐根、4位の水野にも逆転チャンピオンの可能性が残っている。野佐根と水野は、タイトル以上に勝利への渇望がある。このふたりが、タイトル争いをかき回すことになるだろう。

 中須賀は言う。
「これまで、どのチャンピオンも、楽に簡単に取れたものはなかった。それに、チャンピオンを目指すという意識ではなく、懸命に勝ちに拘った結果としてタイトルがある。だから、これまで同様に優勝目指して行くだけ」
 長らく鈴鹿サーキットのレコードは中須賀のものだった。自らの進化を示すように最速ラップを刻み続けて来た。
「ホンダへの対抗策を、いろいろと模索して対策して来て、ニューパーツを投入し、オートポリスでは、それが機能した。鈴鹿でもうまくいくかは分からないが、レコードを取り戻したいと思う」
 中須賀の決意だ。

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最大のライバルである高橋とのチャンピオン争い。そして台頭してきた野左根、水野との戦い。最終戦の鈴鹿GPは見逃せない。

 
 今季、絶好調のホンダのマシンは、鈴鹿スペシャルと囁かれる完成度を見せ、高橋とのマッチングは素晴らしいものがある。高橋自身のケガも癒え、真っ向勝負に向けて牙を剥く。予選から火花散る戦いは必至だ。レース1は14ラップのハイスピードバトル、レース2は20ラップの頭脳戦、異なる戦略も見どころだ。

「オートポリスの2勝は、チャンピオン争いにおいて大きな意味を持つ。ポイント差は11と大きいが、何が起きるかわからないのがレース。巧はチャンピオンを狙い、野左根や水野は若さでぶつかってくるだろう。守るものはなく行くだけ。勝つことだけを考えて、バイクをどれだけ速くして挑めるかも楽しみ。ここまでバランスを崩しながらも造って来たものが、どこまで通用するのか、精一杯にやるだけだ」
 中須賀が、そのキャリアのすべてをかけ勝利に挑む。
 これまで、中須賀は完璧なコントロールを見せ、レースを支配し、狙い定めたように優勝をかすめ取って来た。その闘志に陰りはない。常に挑み続けて来た中須賀が、劇的な逆転劇で9度目の王座に就くことが出来るか、誰もが固唾をのんで、見守ることになる。

PS. 中須賀はヤマハのMotoGPマシンの開発ライダーの責務もあり、そのテストで日本GPのワイルドカード参戦を、過去7年間続けてきました。常に日本人として最速を示し、代役参戦した2012年の最終戦バレンシアGPでは2位表彰台。ヤマハの鈴鹿8時間耐久のエースライダーとして4連覇達成と、世界の中須賀としての活躍が全日本のレベルの高さを示してくれているのです。今年の日本GPは参戦がなく、多くのファンを失望させましたが、テスト項目がクリア出来れば参戦すると約束してくれていました。プライベートでは、愛妻家で、また奥様は美しく、良きパパで、ファンを大事にする、大学出のインテリで、話上手、レースも完璧なら、私生活も完璧で、言うことなしで、ライダーのお手本のような人なのです。
 
(文・佐藤洋美)
 


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2019/10/31掲載