BMWモトラッドが2年に一度、アドベンチャーバイクの世界的アイコン、GSシリーズを使って行うアドベンチャーツアー、インターナショナルGSトロフィー。英語のコミュニケーション能力、7日間のハードなアドベンチャーツーリングに耐えられる体力、そして与えられたGSに乗り路面を問わずライディングして仲間とともに旅をするスキルを持っていると自認するGSユーザーが参加する選考会で「選ばれしライダーが集うイベント」だ。
2008年に初回を開催してから2年ごとに行われているこのイベントは、2022年のアルバニア大会で8回目を迎えた。今回も参加を表明した多くの国から、男性チーム、女性チーム合わせて21チームが集まった。
インターナショナルGSトロフィーは、2008年、チュニジアのサハラ砂漠で砂丘の中を走り、2010年にはスワジランド、南アフリカの大地を越えアフリカ大陸の南北に足跡を残した。さらに2012年、当時、ダカールラリーの舞台でもあったチリ、アルゼンチンを走りアンデスの高地を越えた。2014年には北米カナダでは長距離移動と深い森にGSを走らせ、2016年、タイでは雨林の道に轍を刻み、2018年モンゴルでは広大な大草原や土漠を抜け中央アジアの地にも轍を残す。2020年、ニュージーランドを縦断、オセアニアをアドベンチャートリップした。そして2022年。初のヨーロッパ開催となるアルバニアへとやってきたのだ。
日本はこのGSトロフィーの発祥にも深く関わり、同時に初回から全てのイベントに代表チームを送り出している。連続出場を続けているのは日本とUSAの2カ国のみ。そんな意味ではチームジャパンはスゴイのだ。
毎回、インターナショナルGSトロフィーに向け、国内選考会では3名の代表選手が選ばれる(男子)。今大会の大きなトピックは、女性ライダーにも代表選手の道が開かれたことだ。実は2016年のタイ大会からインターナショナルフィメールチームが組まれ、3名1組が参加していた。2018年のモンゴル大会に向け日本でも選考会に女性ライダーが参加。上位2名が南アフリカで開催された国際予選界に参加した。2020年のニュージーランド大会も同様、現地に来た女性ライダー達はいわば世界選抜。スキルは相当に高かった。
このアルバニア大会からついに各国の予選で男女の選出を行い、女性チームは2名6チームの国の代表女性チームとしてGSトロフィーの本戦に参加している。選考会でのファイナルでは、各国が同じコンテンツ、同じレイアウトでテスト項目を走行。スタートからフィニッシュまでの距離も同じにすることで、走行テスト課題とタイムで上位を決め、参加した国々の中から上位6カ国がアルバニアへの参加を果たすというもの。
2022年はブラジル、フランス、ドイツ、ラテンアメリカ、メキシコ、そして南アフリカから6チーム、12名の女性ライダーが集まった。
日本も選考会で女性ライダー2名を選出したが、リザルト的に上位6カ国に届かずアルバニアへの参加は叶わなかった。
2022年、アルバニアへの切符を手にした日本代表は、舟橋理人、藪田真吾、そして中澤聡の3名。R1200GS アドベンチャー、R1250GS、R1250GSアドベンチャーのオーナー達だ。
ティラーナ郊外にあるトロフィーのスタート地点からR1250GSのトロフィーバイクを得て意気揚々とスタートしたのだが、2日目の午後、中澤が転倒。鎖骨を折る怪我でGSトロフィーを去ることになった。
そして3日目……。
中澤が転倒し病院へと運ばれた翌朝、起床してテントの撤収作業を終え朝食の時、そしてスタートを待つ間他の参加者から「怪我をした彼は大丈夫か?様子はどうだ?」と心配と見舞いの言葉をもらう(実はこれはこの日から最終日まで続いた)ことになった。いない中澤はすでにGSトロフィーのファミリーの一員だったのだ。
病院に空路向かった中澤だが、彼の荷物がこのキャンプにある。ライディングウエアで着の身着のままなはずだ。その荷物も病院へと届けてくれるそうで、一安心だ。
この日、スタートをしたチームジャパンだが、日々行われる2度のスペシャルステージ。今回は3台で走るコンテンツが多く、1台を欠いたチームジャパンは自動的に賞典外となる。そんな宣告を受けてのスタート。やっぱり気持ちが抜けるような部分は否めない。2021年9月下旬、選考会で代表を勝ち取った3名は、ことあるごとに練習を重ねてきた。走ることはできる。序盤の出来事に集中力のよりどころをどうするのか、自問したのではないか。取材者の立場で同行している自分ですら、その気持ちが痛いほど伝わってくるようだ。
日々のステージの順位をポイント化して順位を決める国別チームコンペティションであるGSトロフィー。順位狙いで出るイベントではないが、バイクを操るコンテンツでは、低速バランスが求められる超タイトターンの連続など、ライン取り一発で回れないのがわかりテンパるようなコース造りがされることが多い。オフロードを低速でしかもR1250GSを意のままに走らせるスキルを試される。運営のさじ加減が絶妙なのは、走りの充足感と難しさを速度も交えつつしかし転倒によるダメージや怪我が最小になるようなステージ設定をしていること。
この日、用意されたステージも興味深いものだった。最初の一つはこうだった。一辺がおよそ15メートルの正方形が湖畔の平らな場所に造られている。そこにはバイク1台が通れる入り口と出口が設けてある。ルールはこうだ。
1.チーム全員が続けて入り口からその四角いエリアにバイクで入る。
2.枠外(といってもすぐ際)に立っているマーシャルからエンジンオイルのボトルを受け取る
3.そのボトルを受け取ったら、次のライダーにそれを渡す。
4.受け取ったライダーはまた次のライダーにそのボトルを渡す。
5.オイルボトルを渡したライダーは出口ゲートから枠外に出る。
6.全員が出たらタイムアップ。
7.ただし、足着き、転倒、枠外にはみ出した走行はペナルティー。
ということで、要するに枠内でオイルボトルをリレーのバトンのように渡す、というもの。足着き減点だから停止して待つわけにはいかない。そして、皆が回遊魚のように同じ方向に枠内で走っていたらオイルボトルを渡せない。つまりすれ違う瞬間に渡すなどが必要。3名でのトライの場合、ライダーAからライダーBへと受け渡す際、ライダーCはうまく立ち回り、Bからのバトンを受け取る体勢を整えて待つ、というもの。だれしも走りながらだから、これが難しい。
でも、ルールの説明を受けたら即スタートとなるから、じっくり戦略を考える時間もない。
右手で渡すか、左手で渡すか、それもその時の判断だし、2番目のライダーと3番目のライダーの連携が難しく、ロスするのも当たり前だった。焦りが出ると、余計うまくいかない。簡単そうに見えてこれが難しそうだった。
3名よりは楽に思えたチームジャパンの2名でのトライも、受け取ることに神経を使い過ぎてバランスを保てず枠外に出てしまうことに。GSトロフィーのステージは本当に絶妙なるゲーム性でライダー達を揺さぶるのだ。
ステージを終えて走る。移動の先にあった泥の道には驚いた。なぜ、ここだけこんなぬた場が!? 土の轍に泥水が轍に満ちていてズルズルに滑る。それが点々と続き、距離にしてせいぜい1㎞から2㎞程度だが神経を使うコトに。轍は深く、左右に出たR1250GSのシリンダーが地面に摺りそうになるようにも見える。その分、轍の尾根の部分には足は楽に届く。が、ソールが捉えた泥の尾根は氷のように滑る。前を進むパーティーの様子をみれば明らか。
よくもまあこんな道を探したものだ。というより、ここがルートだ。進むしかない。
日が傾き始めた頃、この日二つ目のステージが行われる会場についた。低い山をぐるりと回るようにコーステープで仕切られた周回コース。そこをチーム全員同時スタートし、全員がゴールするまでの時間を計測するタイムトライアルだ。
途中、先行スタートのグループが山陰で見切れたところで止まっているようだ。走ったチームジャパンのメンバーによれば、ちょっとした斜面を登り切った先にバイクが1台分入るような穴があり、その先がコースを細く絞られた右90度ターンがある、そこでコースオーバー、あるいはそれを避けようと止まると脱出が大変、という罠があったようだ。
舟橋はそつなくクリア、藪田はその罠で少し止まったようだが、その先はミスない走りでゴールにGSを運んだ。午前のステージもそうだったが、多くのチームがあちこちに散りばめられたトラップでシャッフルされたようだ。下見無し、でも競技区間だからアクセルを開け気味に走ると……。というパターンだ。
こうしてタフな1日を走り終えキャンプ地に到着した。キャンプ場であり高原牧草地のような場所だ。テントを設営し、シャワーを済ませ夕食のころになると気温はぐっと下がった。居合わせたチームUSAやチームコリアのライダーも「彼の様子はどうだ?」と聞かれる。
夜、その日のステージ順位の発表で多いに盛り上がる。チームジャパンの成績は見るべくもないが、2人の代表ライダーはGSトロフィーという時間を楽しむことにシフトしたように見えた。代表になれるのは人生で一度だけ。これもGSトロフィーのルールだ。この機会を味わい尽くすしかない。
DAY4
夜露が盛大にテントを濡らしていた。草地の奥にある山陰から太陽が昇ってもまだ空気はひんやりしている。スタート直前、ようやく寒さが和らいだ。今日はこの場所に連泊する。朝の儀式であるテントの撤収や身の回りのものを詰め込むダッフルバッグへのパッキングやそのバッグを運ぶ必要がないだけで朝の時間にゆとりがある。しかもこの日の移動は短い。それでも前半は川沿いに走る林道のようなダート路を走り、後半、山岳地に上り、その下りは石畳が敷かれた文字通りガタガタ道を走ってきた。急傾斜の道、ガレ場、ホコリ。その目まぐるしく変わるハードな場面にも耐性が出来てきたのだろう。ああ、今日もいわゆるアルバニアの道ね、と驚くことが無くなってきた。どの代表ライダーも余裕が出てきたのだろう。
それでも、あちこちにある轍が谷に向かってキャンバーになった道が草に見え隠れする場面など、タイヤのグリップとバイクの走破性に助けられる。R1250GSが持つテレレバーサスペンションという前輪の懸架方式はロール方向の動きを低い位置から左右へのハンドリングへと還元してくれるので、低速でそうした場所を通過する時に安心感が高い。大型アドベンチャーモデルの中でも人気が高いのが解る。
いつもより早い時間にキャンプ地に戻ることになったGSトロフィーの一団を待っていたのは、3つのスペシャルステージだった。キャンプ地奥の広大な草地などを利用して設けられたステージ。うち2つは走行コンテンツ。一つはBMWモトラッドの純正ナビを使ったゲームだった。
チームジャパンが回った順にゲームを紹介すると……。
●一つ目──スローレース。チーム全員の走行時間の一番長いチームが上位となる。
ルールは次のとおり。
1.幅、1.5メートルほど、全長30メートルほどの直線コースの枠内を走行。
2.タイム計測はフロントタイヤがコースイン、リアタイヤがコースアウトするまで。
3.レーン逸脱、足着ききはその時点でタイムアウト。
4.3チームが横並びで同時スタート
5.他の車両に触れてはいけない。
これはライダー心理を揺さぶった。最大9人、9台が横一線に並んでスターするだけに、一人でじっくりコース幅全てを使って行きたいのだが、すぐ隣のレーンに他のライダーがいる。グリップの先、体が触れたらペナルティーを取られるし、バランスを崩して足を着けばその場で計測終了になる……。ポイントはチーム全員のフィニッシュタイムの合計がチームのタイムになること。10メートルまでダントツで遅乗りトップでも、その先でエンスト、足を着けばそれで終了。無理のない範囲で3人ともゴールラインまで遅乗りを続けるのがポイントになる。見ていると、勝負にでるあまり、粘り過ぎてエンスト、足着きという惜しい展開があったのも事実。瞬時に「ゴール設定」をする判断力が求められる。
●二つ目──GPSチャレンジ 純正ナビを使ったポイント探しとその機材の入力を正しくできたかを競うゲーム。
ルールは次のとおり。
1.スタートからチーム全員でナビゲーションに指示されたポイントにナビの画面を見ながら進む。
2.その場所にあるもう一つのナビゲーションにその場所を「お気に入り地点」に登録してスタート地点まで戻る。
3.チーム全員が戻ったらタイム計測終了。
ガーミンがOEMとなるナビ、BMWモトラッドナビゲーター6を使い、スタート地点から歩いて(あるいは走って)目的地を目指す。広大な草地とその隣にある草地を隔てる小さな流れを越え、その場所にある同じナビゲーションが置いてある場所へ。そのナビに地点登録をして戻る、というもの。
ナビが指し示す場所は遠くないものの、途中、トゲのある灌木が生い茂るブッシュ、しかも深くはないが谷があり底には小さな流れが。それを飛び越え、向こう側の草原へ。草原の中にある木の下にもう一台のナビゲーター6を見つけ、その場所を地点登録するのだが、扱い方を知らないと歯が立たない。チームジャパン、ナビ問題が出たらオレがやります、と言っていた中澤は現在、病院で治療中。万事休す。誰かが担当、ではなくだれでも出来るよう共有しておけばクリアできたかも。残念ながら走るコンテンツではないので、章典外ではなかったが、チームジャパンはポイントを取りこぼすことに。
●三つ目──チームリレー 走行コンテンツ。女性チームは2名、男性チームは3名で走行。スタートライダー以外、指定されたコースの交代場所バイクと次のライダーがスタンバイ。
チーム全員が走り、フィニッシュラインまで走り、終了。
ルールは、
1.足着き、コース逸脱はペナルティー加算
2.ライダー交代時はハイタッチ
3.フィニッシュには大会スポンサーのイネオス・グレネーダー(クロスカントリービークル)に繋がれたモーターサイクルトレーラーが。そのトレーラーにバイクを押して載せ、ラッシングベルトで固縛する。
多くのチームが3つのコンテンツをローテーション式にトライをした。チームリレーは夕方にトライしたチームジャパン。2名での走行だがそつなくこなし、フィニッシュまでバイクを運ぶ。トレーラーへのローディングの無事完了。忙しい気分の1日はこうして終わった。
その日も同じキャンプ地だ。そして気温が下がり静かな夜が始まる。この日はたき火をかこみ、アルバニアの民族舞踊が披露された。オープニングセレモニーで見たものとはまた異なる音楽とダンス。夜気の中参加者達も踊り出す。4日目が終わったインタンーナショナルGSトロフィー。中盤を迎えすっかり国境が溶け始めていた。
(第4回へ続く。レポート:松井 勉)