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ルリカミドリ バイク好いとっちゃん  最終回「やっぱりバイクが好いとっちゃん!!」の巻

ルリカミドリ バイク好いとっちゃん

 えーワタクシごとで大変恐縮ではございますが、先日父親が大往生いたしました。
 
 一年半程前の早朝、突然体調を崩し入院していたのですが、いよいよ危ない、との連絡を受け、福岡に帰省しましたところ、もうすでに意識はなく、二日後に永眠しました。享年は91歳。でも十二分に生きたと思っているので、最後はビール片手に、お疲れさまでした! と、笑ってお別れしてきましたよ。

 父は子供の頃、骨の中の髄液にバイ菌が入り込むという病気にかかりまして、一部の筋肉が腐ってしまったため、その影響から左腕を自由に動かせない身体障がい者でした。

 若い頃は車の免許を取ろうとしたらしいのですが、今と違って当時は福祉車両があまりなくて、ハンドルを回すのが困難なため、断念したそうで、地元の町役場の支所に通勤するときにはいつもバイクを使っていたのです。バイクなら自由に運転できるんです。

 日韓共催のサッカーワールドカップのとき、カメルーンの選手たちが合宿したことで全国的に有名になった、大分県の中津江村というところまで、実家からバイクで1時間くらいで行けるのですが、バイクの後ろに乗っかって、釣りに行ってたことを思い出します。近所の川よりはるかに魚影が濃くてよく釣れるんです。

 釣り名人の父と二人でハヤ(関東だとウグイ)を200匹くらい釣ってきて、それを父が甘辛く煮てくれるんです。頭からバリバリ食べられるし、ピリ辛の味付けで、あれはホントおいしかったなぁ。 

 左腕は自由に動かせないのですが手先はとにかく器用で、竹でかごを編んだり、棚を作ったり、書道をする友人のためにハンコを彫ったり、竹とんぼとかコマとか凧とか作ったりして近所の子供たちにあげたりしていましたよ。
 
 実はワタシがバイクに興味を持ったのは、この父親のおかげなんです。中学二年のときに乗り方を教えてもらったのですが、少し前に流行った中古の「シャリーホンダ」だったので比較的簡単に運転できたし、父親が帰宅したあと、よく田舎の公道を乗り回していましたよ。今考えるとかなりヤバイ話なんですけどね。

 ワタシの兄も弟もバイクに乗っていますし、看護師やってる二人の姪っ子と愛知県で働いている甥っ子も免許を取って、バイクライフを楽しんでいるみたいです。みんなジィちゃんの血を引いているんですねっ。
 
 バイクに出会わなかったらワタシの人生はかなり暗いものとなっていたような気がします。以前このコラムで書いたことがありますが、ワタシはとにかくすぐに落ち込んだり悩んだりしてしまうタイプなんです。でもそんなとき、フラっとバイクで出かけると、心の中のモヤモヤが一気に吹き飛んで、晴れやかな気分になるんです。これまでどれだけバイクに救われたことでしょうか。

 北海道、東北、北陸、長野、和歌山、金沢……今思い出してもいろんな所に行きました。本当に楽しい思い出ばかりです。バイクという乗り物を開発してくださった方には心から感謝したいと思っています。特にワタシはホンダ党なので、本田宗一郎さまには最敬礼であります。

 さて、2010年の7月から始まりましたこのコラムも、今回で99回目となりました。なのでキリもいいし、そろそろ卒業させていただきます。

 バイクに関する思い出とか、旅のレポートとか、旅先で食べたおいしいものとか、とにかく好きなようにやっちゃってください……って依頼を受け、始めたのですが、文字通り好き勝手にやらせてもらった何でもありの連載で、やっててとても楽しかったです。

 長い間、つたない文章と漫画と写真をご覧いただきましてありがとうございました。

 どうぞ皆様も体調管理をしっかりして、安全運転を心がけつつ、これからもバイクの運転を楽しんでくださいね。

 もちろんワタシも、ずっとずっとバイクに乗り続けますよっ。だってまだまだ行ったことないところがたくさんあるしねっ。

 ワタシ、本当に心からバイクが好いとっちゃん!! 了

ルリカミドリ バイク好いとっちゃん


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2022/12/25掲載