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レース・イベント

●文:西村 章 ●写真:MotoGP.com/Yamaha/Ducati/Suzuki

 それにしても、予想もしないことがホントに次から次へと起こるものである。

 2戦連続のレッドブルリンク開催となった第11戦オーストリアGPは、走行開始前の木曜からメインイベントの日曜午後MotoGP決勝レースまで、立て続けにびっくり箱を開けるような出来事が五月雨式に発生して、心臓の休まるヒマもない週末になった。

 まず今週末のびっくり箱第一弾は、ヤマハが木曜にマーヴェリック・ヴィニャーレス(Monster Energy Yamaha MotoGP)の欠場を発表したことである。第10戦決勝レース中に、バイクに対して大きな損傷を与えかねないほどの「イレギュラーなマシン操作」を行ったことにより、ライダー自身のみならず他の選手も危険に晒しかねない事態を生じせしめた、との理由で出場を見合わせることになった、というものだ。

 すでに各所で既報のとおり、ヴィニャーレスは最後尾を走行していたレース終盤の数周で、鬱積したフラストレーションのはけ口としてエンジンを故意に何度もオーバーレブさせており、走行中にそのような危険行為に及んだ事態を重く見たヤマハ側が、ついにたまりかねて「停学処分」を下した、というわけだ。

 彼にしてみれば、自分のマシンにだけ様々なエラーが発生する、うまくバイクが仕上がらない、レースではまったく思ったように走れない等々、それなりにフラストレーションのたまることばかりだったのだろう。だが、それにしても、故意にエンジンを壊そうとするような操作は、八つ当たりにもほどがある行為である。その行為が招きかねない危険性に対する想像力のなさは、プロフェッショナルとしてあまりに軽率で、充分に重い処分に相当することにも、異論の余地はおそらくないだろう。

 今年のヴィニャーレスは、開幕戦でこそ優勝を達成したものの、以後はいまひとつピリッとしないレースが続いた。予選・決勝ともに冴えない内容で、そうこうするうちにある日いきなりチーフメカニックが交代。成績低迷の打開を図ってヴィニャーレスに相談せずヤマハ側が大鉈を振るった、ということになっているが、このときも水面下では様々な憶測や噂が流れた。ウラを取れないものごとなのでそれら噂話ひとつひとつの信頼性はともかくとしても、すくなくともここからわかるのは、多少の事情を知った者たちの間でそのような話が流布するほど、ヴィニャーレスを取り巻く状況はすでにぎくしゃくしていた、ということだ。

 そのしばらく後、前半戦の区切りとなる6月末には、ヴィニャーレス側の意向により、2022年まで継続するはずの契約を今季限りで終了する、という突然の発表があった。

 そして今回の事態である。

#12
#35
写真は第10戦スティリアGP(以下、写真をクリックすると大きく、または違う写真を見ることができます)。

 この木曜の発表を聞いたときには、ジョン・コシンスキーとマックス・ビアッジの顔が即座に脳裏にうかんだ(古い話ですいません)。ともに、ライダーとしての技倆は並外れていたものの、性格的な癖の強さがキャリアに多少の悪影響を及ぼした選手たちだ。

 コシンスキーは、スズキファクトリーで250ccクラスに参戦していた1993年、ダッチTTのレース終了後に憤懣のはけ口として故意にエンジンをオーバーレブさせて壊してしまい、解雇されたという。これは自分がグランプリ取材を開始する前の出来事で、この「事件」については伝聞情報以上のことは知らないのだが、それでも後年、彼の奇行に関するいくつかの話はパドックで耳にした。紆余曲折を経てSBKでチャンピオンを獲って500ccクラスへ復帰したときにも「大丈夫か!?」と思った憶えがあるので、奇矯な行動はおそらく当時から有名だったのだろう。

 マックス・ビアッジは、その才能が天下一品であることは万人の認めるところだが、性格的にとにかくアクが強いことでも有名な人だった。250ccクラス4連覇を経て、500ccのデビュー戦となった1998年開幕戦鈴鹿では、圧倒的な速さを見せて鮮やかなポールトゥウィンを飾った。このときは、衝撃といってもいいほどの強烈な印象を残したが、その一方で、バレンティーノ・ロッシとの確執等もあり、生来の激しい気性はすでに有名だった。

 1998年のカネモトホンダからヤマハファクトリー、ホンダサテライトを経て、2005年にはホンダファクトリーチームRepsol Honda Teamのシートを獲得する。この年は、経験豊富なHRC技術者がビアッジのチーフメカニックを担当したのだが、その理由は、パドックじゅうが彼の癖の強さに辟易して誰もチーフメカニックを担当したがらなかったから、という(真偽のほどはともかくとしても)いかにももっともらしい噂も流布した。

 と、そんなふうに遙か昔のあれこれをつい思い出してしまうほど、今回のヴィニャーレスを巡る一連の出来事とヤマハの下した「出場停止」処分は、一般常識に照らし合わせてもちょっと珍しいくらいの、ライダーの奇矯な言動が招いた顛末だった、といっていいだろう。

 そしてさらにいえば、このレッドブルリンクは、奇しくも2018年のレースウィーク中にヤマハの技術者がメディアの面前で開発の遅れをライダーに対して謝罪するという、まるで公開処刑のような出来事があった場所でもある。そのときに感じた強い違和感は、2018年オーストリアGPのコラムで「正義の名の下に糾弾されて自己批判させられている人を見ているときの違和感ややりきれなさ」と表現しているのだが、いま振り返ってもこれはあながち的外れな比喩ではないように思う。

 ともあれ、ヤマハは、そんな「自傷行為」にも敢えて応じるほど、ライダーに対して礼を尽くし謙虚な姿勢で応じる企業風土がある、という(ただの先入観かもしれないけれども)個人的な印象があった。そんな彼らが、要するにホンダやドゥカティのようにある種コワモテのする陣営ではなく、あのジェントルなヤマハが、自分たちのライダーに対してこのような強い処分を下した、というところも、この出来事をなおさら強く印象づける一因になった気がする。

 そして、ヤマハからこの「停学処分」を受けたヴィニャーレスはというと、金曜日に3コーナーのコースサイドでセッションを眺める様子が確認されていた。そして、土曜にはイタリア放送局などのインタビューに応じ、あの行為はフラストレーションがたまっていたための軽率な行動だった、と謝罪の意を示した。

 Moto3時代からいろいろとお騒がせ案件には事欠かなかった彼が、この一件で据えられたキツいお灸を自覚して今後の行動が改まるのかどうか。それは、まだわからない。ライバルたちが精力的にコースを走っているときに、自分だけが指をくわえてそれをただ眺めているよりない状況では、きっといろんなことを考えたのはまちがいないだろう。だが、この謝罪からはなんとなく「カノッサの屈辱」感が拭いきれないような気も、一面ではする。

 ヴィニャーレスのこの謝罪に対して、チームダイレクターのマッシモ・メレガリは、土曜午後のピットレーンインタビューで「そのような事実があったことは聞いている。謝罪をしてくれたことは大きく評価するが、現状では(処分は)何も変わらない」と木で鼻を括ったようなコメントを述べている。

 ヴィニャーレスに対するこの「停学処分」が、事実上の放校に等しい無期停学になるのか、あるいは謹慎処分のような程度で済むのかは、おそらく次の第12戦シルバーストーンに向けた対応で近日中に明らかになるだろう。ちなみに、ヴィニャーレスが2022年にアプリリアファクトリーから参戦することが、日本時間の8月16日(月)午後に正式発表された。

 いずれにせよ、ヤマハ側としては、次のレースでヴィニャーレスを元の場所に戻すか、誰かを代役で参戦させる必要がある。第11戦を終えた段階でチャンピオンシップをリードしているのは、ヴィニャーレスのチームメイト、ファビオ・クアルタラロで、ヤマハは第10戦終了段階でコンストラクターズチャンピオンシップもリードしていたのだが、第11戦のレース結果により、ドゥカティに3ポイント逆転されることになった。チームチャンピオンシップでは、Duati Lenovo Teamに対してMonster Energy Yamaha MotoGPは37ポイントのリードを維持している。ヤマハが三冠達成を狙うなら、それが誰になるにせよ、戦闘力の高いライダーをラインナップする必要がある、というわけだ。

※         ※         ※

 そして、さらにヤマハ関連でびっくり箱がもうひとつ開いた。

 サテライトチームのPetronas Yamaha SRTのタイトルスポンサーであるマレーシアの燃油企業ペトロナスが、今季限りでスポンサーを降りることを土曜に正式発表したのだ。

 ペトロナスは、2018年にMoto2とMoto3クラスに参戦するSIC (Spenag International Circuit) Racing Teamのタイトルスポンサーとなって、チームもPetronas Sprinta Racingと改称した。そして、チームは2019年にYamaha陣営のサテライトチームとしてMotoGPクラスへも参戦を果たした。以来、この3年間の活躍は広く衆目の知るところである。

 チームプリンシパルであるマレーシア人ラズラン・ラザリの辣腕と人脈で、彼らのパートナーシップ関係は強固であるようにも見えていたのだが、世の中は何があるかわからないものだ。まさに一寸先は闇、というやつである。

Petronas Yamaha SRT





 いずれにせよこのスポンサー撤退により、チームは来年以降の組織運営に大きな軌道修正と規模縮小を迫られることになった。Moto2とMoto3からは撤退し、MotoGPクラスのみの運営に絞るのではないかと見られているが、チームによると、詳細は次戦のシルバーストーンで発表する、とのことである。そういえば、彼らが2018年にペトロナスとのパートナーシップ及びMotoGPクラス参戦を発表したのも、たしかシルバーストーンだった。参戦と撤退の発表が同一会場になったのはただの偶然なのだろうが、なにか巡り合わせめいたものも感じないではない。

 
 そして、この一連の組織再編に伴い、来年の同チームMotoGPクラスには、現在Petronas Sprinta RacingからMoto3クラスに参戦するダリン・ビンダーが飛び級で昇格するのではないか、とも一部では囁かれている。この噂に対して、兄のブラッド・ビンダーは「そういう話があるのは聞いている。ダリンと一緒に走れればとてもうれしいので、噂が本当になってほしいよ」と述べている。もしもこれが実現すれば、来季はエスパルガロ兄弟、マルケス兄弟に続く3家族目の兄弟MotoGPライダーが誕生することになる。じつは今年もロッシ/マリーニ兄弟がいるため、すでに3組の兄弟ライダーが存在しているのだが、彼らは姓が異なるため、字面を見ただけでは兄弟とわからない。いずれにせよ、もしもダリンの昇格が本当に実現すれば、タイムシートの見た目的にもちょっと珍しい事態になることは間違いなさそうだ。

※         ※         ※

ブラッド・ビンダー

 そして、この週末最大のびっくり箱はダリンの兄ちゃん、BBことブラッド・ビンダー(Red Bull KTM Factory Racing)が優勝を飾った日曜午後のMotoGP決勝レースである。

 予測不可能な展開、というものは過去にも数々あるけれども、あまりに急激な戦況変化とめまぐるしい順位の入れ替わりは、ちょっと類例を思い出せないくらいのダイナミックでドラマチックな展開だった。フラッグトゥフラッグという条件設定ゆえに実現したスリルと、選手たちそれぞれの思惑や駆け引きの攻防が劇的に交錯する、いわばレースの魅力が凝縮された一戦だったが、要は簡潔にいってしまえば、

 心臓に悪い

 というひとことに尽きる。

 雨が激しくなってきたレース最終盤に、ピットインしてウェットタイヤのマシンに交換するのか、あるいは残り3~4周を我慢してスリックタイヤで走りきるか。濡れた路面をスリックで走るリスクとそれによるタイムの落ち幅、そしてマシン交換をした場合のピットイン/アウトに要する時間のロスと、そのロスを埋め合わせるだけのタイムアップ可能性、という両天秤のどちらをとるか。

 残り周回が極端に少なくなっていただけに、この判断はじつに微妙で、どちらを選択するにせよ博奕になることは間違いない。

スリックタイヤ
ウェットタイヤ

 イチかバチか最後までスリックで走りきるという勝負に出たビンダーは、みごとにその賭けがハマって優勝。しかも、ゴールタイムは2位以下を12秒991という大差で引き離しているところにも、「ロト7大当たり!」感がある。余談になるが、ビンダーのこの勝ちかたをみてちょっと思い出したのは、1999年の鈴鹿8耐で雨の降るなか、ピットインのサインが出ていたにもかかわらずアレックス・バロスがそれを無視してコースを走り続け、結果的にこの判断が奏効して岡田忠之/バロス組が優勝した一件である(古い話ですいません)。

 ビンダーの優勝後には、トラックリミット違反で3秒のペナルティが科され、後にそれが撤回される、というちょっとしたゴタゴタもあったのだが、適用されていたとしても13秒差の優勝が10秒差の優勝にになっただけなのだから、びくともしない。ビンダー自身、ペナルティを通告されたことに対して「仮に自分が2位で3秒加算の結果、表彰台を逃すことになったのなら大ごとだけど、べつに(優勝という)結果は変わらないんだから喜んでペナルティを受ける」と笑顔で話している(上記のとおり、のちにペナルティは撤回された)。

 2位にはフランチェスコ・バニャイア(Ducati Lenovo Team)、3位はホルヘ・マルティン(Pramac Racing/Ducati)が入った。惜しくも表彰台を逃した4位はジョアン・ミル(Team SUZUKI Ecstar)で、2位から4位の3名はタイヤ交換組、5位のルカ・マリーニ(SKY VR46 Avintia)と6位のイケル・レクオナ(Tech3 KTM Factory Racing)はスリックでステイ組。7位のファビオ・クアルタラロ(Monster Energy Yamaha MotoGP)は交換組、8位のバレンティーノ・ロッシ(Petronas Yamaha MotoGP)はステイ組。

 バニャイアとマルティンは、ウェットタイヤのマシンへ交換してピットアウトした際に11番手と12番手まで落ちていた。そこから2周で一気に表彰台まで上がっていったという事実が、このラスト3周の混迷した状況をなによりも雄弁に物語っている。これこそまさに、イタリア語でいうところの「casino」というヤツである。 3位に入ったマルティンが「先週の優勝よりうれしいかも。表彰台を獲れるとは思っていなかった」とレース後に述べたのは、じつに正直な心情だろう。

#63
ミル

 この大混乱を振り返って、4位のミルはレース後に「正直なところ、コースにステイして最後まで走りきることも考えた。直接のライバルであるファビオやバニャイアがピットに入っていくので、自分もそれに合わせた。皆と同じ選択にして、コースに残るかマシンを換えるか決めるのがよいと判断した」という旨のことを述べている。

 これは、ゲーム理論でいうところの「囚人のジレンマ」にきわめてよく当てはまる状況だったといえるかもしれない。

 「囚人のジレンマ」を非常にざっくり説明すると、ふたりの囚人が、それぞれ個人のみに最大の利得を得る選択をした場合には、かならずもふたり総合での望ましい結果を得ることにならず、それぞれが少しずつ我慢する選択をした場合にふたりの総利得が最大になる、というミクロ経済学理論だ。

#20

 バニャイア、マルク・マルケス(Repsol Honda Team)、クアルタラロ、マルティン、ミルの6名は、雨が激しくなってくる最終盤までトップグループを構成していた。「残るか、換えるか」というレース結果を左右する戦略判断はじつに微妙だったが、彼はいずれも、チャンピオンシップという最優先事項があり、いまバトルをしている目の前の相手との攻防にどう対処するか、という要素もある。その点で、ビンダーとは戦略の選択誘因が大きく異なる。

 第11戦の最終盤は、彼らそれぞれの攻防の機微がぎゅうぎゅうに詰まっていた濃密な3ラップで、見ている者の心拍数をおもいきり上げる要素が満載だったことはまちがいない。後年まで語り継がれるであろう近年屈指の劇的なバトルロイヤル、ともいえるかもしれない。


※         ※         ※

 そしてMoto2クラスでは、小椋藍(IDEMITSU Honda Team Asia)が2位表彰台を獲得した。

#25
小椋藍

 前週の第10戦では、表彰台圏内が確実に見えたレース終盤にトラックリミット超過でロングラップペナルティを受け、目前に迫った表彰台を逃していた。今回は金曜の走り出しから快調で、フリープラクティスでも常に上位タイムを記録。土曜午後の予選ではフロントロー3番手を獲得。盤石、といっていい状態で臨んだ日曜午後の決勝は、まさに獲るべくして獲った2位表彰台、という結果になった。昨年のMoto3時代には表彰台の常連であったように、おそらく今後のレースでも何度も優勝争いに加わり、力強いレースを見せてくれることだろう。これからも期待してます。
 というわけで今回は以上。

 では、2週間後に英国シルバーストーンでお会いしましょう。

レッドブル・リンク

【西村 章】
web Sportivaやmotorsport.com日本版、さらにはSLICK、motomatters.comなど海外誌にもMotoGP関連記事を寄稿する他、書籍やDVD字幕などの訳も手掛けるジャーナリスト。「第17回 小学館ノンフィクション大賞優秀賞」「2011年ミズノスポーツライター賞」優秀賞受賞。書き下ろしノンフィクション「再起せよースズキMotoGPの一七五二日」と最新刊「MotoGP 最速ライダーの肖像」は絶賛発売中!


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2021/08/16掲載