第11戦アラゴンGPの決勝は、いろんな意味でスズキのレースだった、といって差し支えないだろう。
決勝で勝負の主導権を握り、レースをリードして今季初優勝を飾ったのは、みんなの仲間リンちゃんことアレックス・リンス(Team SUZUKI ECSTAR)。そして、持ち味である安定感の高さを今回も発揮して、今季クラス最多の5表彰台目を獲得し、チャンピオンシップポイントトップ、つまり年間総合優勝争いの首位に立ったのがチームメイトのジョアン・ミル。
これらの結果により、Team SUZUKI ECSTARはPETRONAS YAMAHA SRT やDucati Teamを抑えてチームランキングでも首位に立った。
さて、優勝を飾ったリンちゃんだが、じつは土曜の予選を終えた段階では、優勝候補の一角とまでは目されていなかった感がある。金曜午前午後と土曜午前のフリープラクティス3回を終えて、上位タイムの選手が走る予選Q2へのダイレクト進出を果たしたものの、この段階で圧倒的な速さを見せていたのはヤマハ陣営のライダーたちだ。リンちゃんはQ2組に入ったとはいえ、彼ら有力候補選手たちよりも下の位置で、日曜に向けてくっきりとした存在感をいまひとつ主張しきれない様子だった。
決勝のレースペースを探る土曜午後のFP4でも、それは同様だった。ここで日曜の23周に備えた強さを感じさせたのは、金曜から安定して高いスピードを発揮してきたヤマハ勢と、スズキではジョアン、そして、前回のフランスGPで初表彰台を獲得して自信をつけている様子が明らかな次男勢の一角、アレックス・マルケス(Repsol Honda Team)だった。
じっさい、リンちゃんはこのFP4で11番手。さほど目立つパフォーマンスを発揮していたわけではない。ただし、やや気になったのが、この週末のモーターランド・アラゴンはかなり冷えた温度条件で、大半の選手がリアタイヤに関してはソフトコンパウンド一択、という状況だったのだが(*ただし、決勝ではドゥカティ勢などがリアにミディアムを選択している)、リンちゃんはフロントとリアにミディアム/ミディアム、ソフト/ソフト、というふたとおりの組み合わせをFP4のセッションで試しており、ずいぶん入念にタイヤを見極めているのだな、という印象だった。
その後に行われた予選では、タイムアタックがうまく決まらず、獲得したグリッドは4列目10番手、とやや厳しい位置。一方のジョアンは2列目6番グリッド。こちらもけっして最高、といえる予選結果ではない。とはいえ、スズキはタイムアタックで他メーカーの渾身一発ラップタイムと比べて、どうしてもややおとなしくなりがちな傾向があることを考えれば、2列目6番グリッドはまあまあ悪くない位置、とはいえるかもしれない。
日曜午前に20分間行うウォームアップ走行でリンちゃんは、中上貴晶(LCR Honda IDEMITSU)、マーヴェリック・ヴィニャーレス(Monster Energy Yamaha MotoGP)に次ぐ三番手タイムで、ふむ、と思わせたのだが、ただ、このセッションは午前の早い時間で路面・大気ともかなり冷えた状態の中で行われたために、「を、これは!!」という強い確信を抱かせるほどのものではなかった、ともいえる。この段階では、ウォームアップでも5番手だったジョアンや4番手のマルケス弟のほうが、午後の決勝に向けた地固めを着々と進めているようにも見えた。
リンちゃんが、真に皆を「をを……」と唸らせたのは決勝のスタート直後。4列目10番手、という比較的深い位置からスタートを巧みに決め、するすると順位を上げて3コーナーでは4番手につけていた。このスタート直後の作戦について、リンちゃん自身は
「スターティンググリッドにいるときは、落ち着いてライン取りについてじっくり考えていた」
と振り返っている。このときの読みと狙いが、1コーナーに向けて全員が一気に突っ込んでいく慌ただしい展開のなかでみごとにハマった、ということなのだろう。
じっさいに、今年のスズキは予選順位が比較的低いときでも、スタートをうまく決めて序盤から上位にするするっと食い込んでいく展開が多い。その傾向はオーストリアあたりでもすでに顕著だったのだが、これはスズキGSX-RRが搭載しているホールショットデバイスの効果によるところもおそらく大きいのだろう。
ホールショットデバイスは、今回からKTMも使い始めたことにより、全陣営が備えるようになったが、その機構はメーカーによって様々に異なるようだ。サスペンションのストロークを抑えることでスタート時の動力を的確にタイヤから路面へ伝えることを目的とするこのデバイスの仕組みは、レギュレーション上、電子的なサスペンション制御が禁じられている。つまり、ホールショットデバイスは機械的な操作でサスペンションのストロークを制御していると思われるのだが、現在はピットレーンでマシンを観察できないため、スズキのホールショットデバイスがいったいどういう仕組みになっているのか、まったく推測のしようがない。機会があれば、この装置の仕組みについて技術者諸氏等に訊ねてみたいと考えている。
さて、リンちゃんに話を戻すと、1周目からうまくトップグループにつけた後は、着実にポジションを上げ、5周目にはトップを走るヴィニャーレスの背後につけた。
「まだまだ行ける、これからだぞ。でも、リアを使いすぎないようにしながらすこしずつ行けよ」と自分に言い聞かせながら走っていたのだとか。
そして8周目でトップに立つと、以後は後続との距離をしっかりマネージした、と振り返る。
だが、その8周目以降、全23周を走りきってチェッカーフラッグを受けるまで、リンちゃんは完璧なコントロールでレースを圧倒的に支配した、というわけではない。追い上げてきた後続選手たちも隙を見て勝負を仕掛けようとしており、最後まで緊迫感に充ちた戦いが続いた。その緊密な内容は、リンちゃんの次のことばにもよく表れている。
「終盤もジョアンと、とくにアレックス・マルケスが後方にいて、彼らが攻めてきているのがわかっていた。ラスト3周あたりに、ストレートでマルケスに向けて出しているサインボードが目に入ったんだけど、”0.4toMir”と記してあって、『わ、もう片方のマルケスが来たか』と思ってビックリした。落ち着くのが大変だったけど、ミスをしないようにとにかく最新の注意をしたよ」
その終盤周回では弟マルケスが仕掛ける場面もあったものの、マルケス側のミスに加えリンちゃんのレースマネージメントが効いて、最後は0.263秒差できっちりと抑えきり、トップでチェッカー。
シーズン11戦目でスズキ陣営が獲得した念願の2020年初勝利で、リンちゃんは今年8人目の優勝ライダーとなった。
「この長いシーズンは、僕に運が向いて来なかったけど、このアラゴンでやっと勝つことができた」
と、心から安堵した様子で語るのもむべなるかな。今年のスズキは開幕前のプレシーズンテストでもバランスのよさそうな仕上がりを見せていたが、今季緒戦となった7月のヘレスでリンちゃんが転倒して肩を負傷。その影響もあって、序盤数戦は思いどおりのリザルトを残せないレースが続いた。そんな状態でも数戦で4位や5位に入っていたのだから、ヘレスでケガをしていなければタイトル争いで今ごろもっと上位のポジションで争っていたかもしれない。
〈たら・れば〉を言っても詮ないけれども、現実に目を戻すと、今回の優勝でランキング7番手に浮上し、トップのジョアンまで36ポイント差。シーズンはまだ4戦を残している状態で、この点差は計算上では充分にチャンピオン射程圏内、ともいえる。だが、リンちゃん本人はそこまでは現実的ではない、と考えているようだ。
「ジョアンがとても速くて安定しているので、ぼくがチャンピオンを獲るのはかなり難しいと思う。ノーポイントレースがいくつもあったし、苦しいレースもあり、ケガもした。そのぶんプレッシャーもないので、これからは1戦ごとに全力でしっかり戦っていくよ」
この結果により、スズキ、ヤマハ、KTM、ドゥカティの4メーカーが優勝を達成。2020年の優勝未経験陣営はホンダとアプリリアのみ、となったわけだが、そのホンダも遠からずいつ優勝してもおかしくない、と思わせるくらいに高いパフォーマンスを発揮している。
シーズン序盤からつい先ごろまでのホンダ陣営は、孤軍奮闘する中上貴晶におんぶにだっこ、という状態だったが、前戦の雨のル・マンで初表彰台を獲得したマルケス弟が今回も素晴らしい走りを見せた。
マルケス弟は金曜と土曜のフリープラクティス3回を終えて、上位10番手以内に入るタイムを記録。MotoGPで初めて、予選Q2へのダイレクト進出を果たした。その予選では、タイムアタックがいまひとつふるわず12人中11番手。グリッドは4列目真ん中の11番グリッド。とはいえ、最高峰クラスに昇格した今シーズンではベストグリッドである。予選を終えた彼に話を訊いた際には
「もちろん上位2列とかのほうが良かったけど、ここは1周が長いし、直線も長くてバイクも速く走ってくれている。予選前のFP4でもいい内容だった(トップに迫る僅差の二番手)ので、明日は集中してがんばりたい。表彰台を目指すのはたぶん現実的な目標じゃないと思うので、トップエイトやトップ10を決勝レースの目標にしたい」と話していた。
日曜のレースでは周回ごとに、じわ、じわ、じわ、とポジションを上げ、やがてリンちゃんとジョアンのスズキ勢1-2に割って入った。そして終盤ではレースをリードするリンちゃんに果敢に挑みかかり、〈アレックスvsアレックス〉の勝負を仕掛けたものの、ミスもあってトップ奪還はならず。
「残り2周の1コーナーでミスをしてはらんでしまい、それで(リンスとの距離が)離れてしまった。最終ラップにもう一回狙ったけど、仕掛けるにはちょっとリスキーだった」
と、この攻防を振り返るが、ミスをしたときのことについては、こんなふうにも語っている。
「タイヤ左側のコンパウンドが少しソフトすぎたのでバイクをうまく停めることができなくて(*マルケス弟がリンちゃんに勝負を仕掛けた最終コーナーや1コーナーはいずれも左旋回)、それで(勝負を仕掛けられずに)優勝を逃してしまったけど、いいわけをしてもしようがない。挙動はあったけれどもコントロールはできていたし、最初から最後まで100パーセントの力で走って、2戦連続表彰台を獲得できたわけだから、今日は充分に満足だよ」
表彰台の上がりかたをおぼえた選手は、その自信がさらに自分の強さを引き出すのだなあ、とつくづく思わせる今回のリザルトである。
マルケス弟の場合は、どうしてもスーパー級の天才である兄と比較されてしまいがちだけれども、ルーキーシーズンでドライとウェットの両コンディションでそれぞれ表彰台を獲得し、しかも2回目の表彰台は優勝を争った結果、というこの内容は、いちライダーとして充分に瞠目に値するパフォーマンスといっていいだろう。前回も記したことだけれども、Moto3とMoto2のチャンピオン獲得は、やはりダテじゃない。
マルケス弟は、レース中に中上貴晶ともバトルをしている。中上はインディペンデントチーム最上位の5位でチェッカーを受け、今季の高い安定感をアラゴンでもしっかり発揮した格好だが、その中上はレース後に「今日のアレックスは本当にうまく走っていた」と、マルケス弟の走りを振り返った。「ペースも良かったし、タイヤのサイドグリップもしっかり温存して性能をさらにうまく発揮していました。彼に抜かれたときは、自分よりも2~3本内側のラインをクルッと回っていったので、正直、驚きました」
タイヤの持ちや旋回性に違いが出たのは、2020年型と2019年型の差なのか、それともライディングスタイルなどの違いによるものなのかと訊ねてみると、
「バイクの違いについては、ぼくは2020年型をよく知らないのでそこはなんとも言えないのですが、今回はアレックスのホームGPだったので、初日から調子良く走っていました。そういったエクストラモチベーションがあったことも、大きな理由のひとつだと思います。ひょっとしたら、電子制御も何か違うのかもしれないので、そのヘンはちょっと知りたいですね」
そのマルケス弟は、今回のレースを優勝争いの結果2位というリザルトで終えてもなお、次戦以降の目標について「表彰台を狙うのは現実的じゃなくて、自分の目標はあくまでもルーキーのトップ。そして、トップエイトやテン圏内にいつもいること」と落ち着いた様子で話す。その地に足のついたさまが、むしろ逆に、彼のただ者でなさを感じさせる。
さて、そして3位に入ったジョアンである。
この結果により、ジョアンは2020年シーズンのランキング首位に浮上した。スズキのライダーがチャンピオン争いで首位に立つのは、2000年のケニー・ロバーツJr以来、20年ぶりのことである。
とにかく、今季の彼は決勝レースで誰よりも抽んでた安定感と強さを発揮している。表彰台獲得は全選手中最多の5回。ただ、優勝はまだ経験していないだけに、今回もそれが一抹の悔しさとして残ったようだ。
「チャンピオンシップの貴重なポイントを獲れたことは、とても良かったと思う。でも正直、レース結果についてはちょっと残念。リアを温存して、序盤から中盤ではスムーズに走るように心がけていたので、後半はもっと行けると思っていた。でも、フロントの左側が辛くなってきてしまった。決勝はこのウィークでもっとも温度条件が高くなったことと、他の選手の後方で走っていたために厳しくなってしまったのだと思う。でも、要は自分がこのタイヤをうまくマネージできなかった、ということが問題なので、チームとミシュランと、ぼくを支えてくれた皆には本当に感謝してる。
今日は自分たちにとってベストの日じゃなかったけど、また表彰台にあがれてよかったよ」
ジョアンが世界選手権でMoto3クラスのフル参戦を開始したのは2016年。2017年にMoto3クラスでチャンピオンを獲得し、翌年にはMoto2クラスへステップアップして、次の2019年にスズキから最高峰へ昇格した。彼のレースキャリアを思い返せば、Moto3のチャンピオンを獲得した2017年もずば抜けた安定性を発揮していた。コンスタントに表彰台を獲得し、それが参戦2年目のチャンピオン獲得に繋がっていった。
彼に初めて単独インタビューをしたのは、その2017年シーズン、まだチャンピオン街道をひた走る前のシーズン序盤第2戦、たしか、アルゼンチンのテルマス・デ・リオ・オンドだった。
このときのジョアンはフル参戦2年目の19歳。他のスペイン人選手と比較すれば遅い年齢からレース活動を始めたこともあるためか、話をしていても冷静で落ち着いた物腰が非常に印象的な若者だった。MotoGPでチャンピオンシップをリードしている現在も、そのときの面影や雰囲気を色濃く残している。
……というか、そもそも彼がMoto3でチャンピオンを獲得したのはまだ3年前、2017年の秋のことだったのだ。その青年が、現在MotoGPのタイトル争いをリードしている姿をみると、なんとも言いようのない感慨をおぼえる。
今回のレースでは、チャンピオンシップを争う直近のライバル、ファビオ・クアルタラロ(Petronas Yamaha SRT) が決勝レースに選択したタイヤが裏目に出てしまい、途中からえぐるようにポジションを落として最後は18位、という結果で終わってしまった。
クアルタラロは予選のパフォーマンスが随一で、シーズン優勝回数も全選手中最多の3回を数えるわりに、今回のように予選と落差の激しい決勝結果に終わることもしばしばで、それが不安定な浮沈の激しさに現れてしまっている。この出来不出来の波の激しさを抑えて、いかに高いレベルで安定させるかが、クアルタラロがチャンピオンを狙うために残り4戦の重要なカギになるのだろう。
さらに、チャンピオンシップの帰趨を左右する大きなファクターとしては、新型コロナウィルス感染症(Covid-19)、という誰にもどうしようもない不確定要素があることも、残念ながら現実の問題として認めなければならないだろう。
これまでにも数名のパドック関係者が罹患し、第11戦アラゴンGPのレースウィークでは、バレンティーノ・ロッシやトニ・アルボリーノの感染が判明した。そのため、両選手はそれぞれMotoGPとMoto3の戦線を離脱することになり、さらには、日曜にミシュランの技術者1名にも陽性が確認されたという発表があった。
MotoGPでは、関係者の罹患やパドック内での罹患を防ぐために、細かい行動指針や予防手続きの取り決め(プロトコル)が定められている。ちょっとしたルールブック並みの細かい規約だが、不運にも感染が判明した各氏はいずれもこれらの指針を厳密に遵守している。それくらいしっかりとプロトコルを守っているにもかかわらず、感染に至ってしまうのは、ある意味で運が悪いとしかいいようがない。つまり、それほど広く世にCovid-19が蔓延している事実を反映する結果、ということなのだろう。
2020年シーズンの行方を左右するゲームチェンジャーにこのような要素が介入してくるのはなんともやりきれないが、それがつまり今年(そしておそらくは来シーズン)という時代を象徴している、ということでもあるのかもしれない。
ともあれ、来週もレースはここモーターランドアラゴンで、テルエルGPと名称を変えて第12戦が開催される。次の日曜もまた、素晴らしいレースとならんことを。
【西村 章】
web Sportivaやmotorsport.com日本版、さらにはSLICK、motomatters.comなど海外誌にもMotoGP関連記事を寄稿する他、書籍やDVD字幕などの訳も手掛けるジャーナリスト。「第17回 小学館ノンフィクション大賞優秀賞」「2011年ミズノスポーツライター賞」優秀賞受賞。書き下ろしノンフィクション「再起せよースズキMotoGPの一七五二日」は絶賛発売中。
[MotoGPはいらんかね? 社会的距離篇第10戦| 第11戦 |第12戦]