全日本ロードレース選手権最高峰JSB1000クラスで、2024年度の新チャンピオンに輝いた岡本裕生がワールドスーパースポーツ(WorldSSP)に『Pata Yamaha Ten Kate Racing WorldSSP Supported Team』から参戦する。チームメイトは昨年ランキング2位を獲得したステファノ・マンジだ。
昨年ヤマハはWorldSSPではYZF-R6で戦っていたが、新世代スーパースポーツとして2025年からYZF-R9がデビューし、岡本はその新型マシンを駆る。マネージャーに就任した元EWC(世界耐久選手権)ライダーのニッコロ・カネパらと2025年2月21~23日に予定されている、オーストラリアのフィリップ・アイランドでの開幕戦に向けて準備を進めている。
■文・佐藤洋美 ■写真:赤松 孝
14歳の岡本裕生の決意
岡本裕生はワールドスーパーバイク(WSBK)に参戦すると思われていたが、ヤマハは「成績によってはさらなるステップアップの可能性もある」と判断しWorldSSPを選択した。岡本は当初WSBK参戦を望んでいたが「初めての環境となる海外に慣れるためには良い選択だといろいろな人からアドバイスをもらい、今は納得しての参戦です」と語った。
岡本はバイクブームの1980年代を知る父親の影響で、6歳の時にスポーツランドSUGOで行われたバイク教室参加をきっかけにポケバイに乗り始める。当初は兄も一緒だったがスパルタな父親の指導から逃げるように辞めてしまい「自分はタイミングを逃してしまって辞めたいと言えなくなった」ために続けることになった。
レースはスピードを競うスポーツなので高い集中力が求められる。少しの気のゆるみが事故につながることもあり親は厳しくせざるを得ないが、岡本にとっては辛い時間だったようだ。
「タイムが出ない時は父に怒られるのでサーキットに行くのが嫌で憂鬱でした。でも、バイクを操ること競うことは好きだったんだと思います」
レースが楽しいと思えるようになったのは、自分の人生の選択としてバイクを選んだ時からだ。子供や動物が好きな岡本は「保育士になりたい」と漠然とした未来を考えていた。バイクで生きて行けるとは思っていなかったからだ。そんな時にチームノリックから声がかかる。
チームノリックは、故阿部典史さんが立ち上げたチームで、父の光雄氏が引き継ぎ野左根航汰を筆頭に優秀なライダーを全日本に送り出している。14歳の岡本は「ライダー」として生きて行く決意を固めるのだ。チームノリックは徹底的な走り込みで知られ、ライディングの基本を叩き込まれる。
2015年岡本は地方選手権ST600クラスに参戦しコースレコードを記録し、SUGOと筑波のシリーズチャンピオンを獲得する。翌年は全日本選手権に昇格し、J-GP2クラスへのステップアップが決まっていた。しかし、シーズンオフの練習で大腿骨骨折してしまう。さらには上腕骨骨折と大きな怪我をしてしまい前半戦を棒に振った。復帰するが、思うような走りが出来なかった。
来季の契約条件として目標タイムが設定された。岡本はまだ癒えない身体で、そのタイムを記録するために勇気を振り絞って挑むがコンマ数秒足らずに来季の契約がなくなってしまう。
「諦めることが出来ませんでした。このまま終わるのが嫌でした」
岡本は全日本参戦チームに「僕を走らせてくれませんか」とメールや電話で問い合わせ続けた。地方選手権のチャンピオンといっても、大怪我をした無名のライダーを走らせようとするチームはなかった。
絶望の中にいた岡本に唯一手を差し伸べたのが宗和孝宏だった。宗和は元カワサキワークスライダーで、1980年代後半から1990年代中盤まで全日本で活躍、AMA(アメリカスーパーバイク)でルーキーオブザイヤーを獲得したライダーだ。2014年には10年ぶりとなる全日本に復帰しST600に参戦し関係者を驚かせた。
宗和は練習走行で岡本と走ったことがあった。
「荒いけど勢いがあっていい走りをしていた。その走りは衝撃的でもあった。こいつ、速くなるなと記憶に残っていた。送られて来たメールが、滅茶苦茶丁寧でしっかりしていて驚いた。礼儀正しい子というのが第一印象。若手育成がしたいと思っていたタイミングでもあった」
宗和は岡本を迎え入れた。
2017年、宗和は現役に終止符を打ち監督としてスタートを切る。17歳の岡本は希望の糸を手繰り寄せるように走り始めた。激戦区のST600参戦1年目ながらトップ争いに顔を出しランキング3位となり、2018年にはチャンピオンに輝く。宗和の目が正しかったことを証明する。
2019年は同クラスランキング3位となるが、イタリア選手権参戦と武者修行にも出かけ、事前テストに参加出来ないというハンデの中での結果だった。2020年には2度目のST600タイトルを獲得する。ヤマハ車を駆る岡本にとってヤマハファクトリー入りは明確な目標だった。チャンピオンになった年には声がかからなかった。2回獲得しても同じだった。もっとインパクトのある結果が必要だった。
2021年にはST1000クラスにステップアップする。このクラスはホンダ勢が優勢で最終戦までホンダが勝ち続けた。岡本はデビューシーズンではあったが、果敢にトップ争いに絡み表彰台に登るが勝てずに最終戦オートポリスを迎えた。
ホールショットを決めた岡本はトップを走行するが最終ラップに入ったメインストレートで抜かれてしまう。だが、ブリッジ前の右〜右と続く登りコーナーで岡本が逆転する。スリリングなライディングに感嘆の声が沸き上がった。岡本は追いすがるホンダの作本輝介を振り切り0.228秒差で勝利を捥ぎ取った。掴んだ勝利は岡本のポテンシャルを強烈に示した。岡本にとってST1000クラスで初優勝というだけでなく、ヤマハ車にとって唯一の勝利となりヤマハを動かす。
2022年岡本はヤマハファクトリーライダーに迎えられた。
ファクトリーチームは何もかもがこれまでと違った。全てがグレードアップする環境の中で岡本は最高峰JSB1000クラスに参戦する。ヤマハブルーに身を包み尊敬する中須賀克行のチームメイトとなる。子供の頃の岡本の部屋には中須賀のポスターが貼られていた。憧れのライダーが自分が越えなければならないライバルとなった。
開幕戦はモビリティリゾートもてぎで開催された。ヤマハファクトリー入りしての初戦、初めてのJSB1000参戦にチームスタッフも「無理はせずに」と声をかけた。だが、岡本はその言葉に甘えるわけにはいかなかった。世界を目指す岡本にとって全日本は通過点でしかない。
この時、JSB1000で10度のタイトルを獲得している王者中須賀に岡本は臆することなく挑んだ。レース1は中須賀が勝ち岡本は5位でチェッカーを受けた。レース2はスタート前に雨が落ちた。ウェット宣言が出される。路面は濡れているところと乾き始めている部分と微妙なコンデションでウェット路面をJSB1000で走るのは初の経験となる岡本にとっては厳しい局面に見えた。
だが、岡本はグイグイとポジションを上げトップに浮上するのだ。どよめきにも似た歓声が沸き上がる。岡本の背後につけた中須賀は、岡本のミスを逃さず首位を奪う。岡本は2番手となり中須賀に迫る。S字で中須賀に仕掛け前に出るがクロスラインで中須賀がトップを奪い返し武器でもあるレイトブレーキングを駆使してトップを死守してダブルウィンを飾る。岡本は0.550秒差の2位となった。中須賀の貫禄勝利に称賛が集まるが、中須賀の本気を引き出した岡本のポテンシャルに誰もが驚愕する。スーパールーキー岡本の衝撃デビューだった。
「中須賀選手とのバトルで白線に乗って転倒しそうになりましたが立て直すことが出来て良かった。中須賀選手のブレーキングの巧さを間近で見ることができて勉強になりました。勝てなかったのは残念だし悔しいけれど、中須賀さんと一緒に表彰台に立てたことは嬉しい」
吉川和多留監督がシーズンの目標を「ヤマハ1、2フィニッシュ」と掲げていたが、それを開幕戦で岡本は叶えてしまう。
だが、中須賀は全勝でのチャンピオン獲得でタイトル数を11へと伸ばす。岡本はコンスタントに表彰台に登るも、ケガもありランキング3位でシーズンを終えた。
2023年も中須賀の強さは変らなかった。中須賀は勝ち続け、追いかける岡本は2位でチェッカーを受け続けた。開幕戦から4連勝と勢いの衰えない中須賀を第3戦SUGOで遂に捉え岡本が捉えて勝利する。だが、レース2では中須賀が勝つ。中須賀に勝てた喜びは束の間で、連勝出来ずに勝利を奪われた悔しさは、これまで以上の大きさで岡本を包んだ。確実に中須賀との差を削りとっているのだが、中須賀は連勝し最終戦前の岡山国際で自信12回目のタイトルを決めた。
最終戦鈴鹿では「タイトルのことを考えずに戦える」と真っ向勝負を挑む中須賀と岡本の戦いとなる。激しいトップ争いを繰り広げるふたりが最終ラップを迎え1コーナーから2コーナーでは中須賀が先行する。S字では岡本がトップに立つがヘアピンでは中須賀が前に出る。西ストレートで前に出た岡本は、トップで130Rを立ち上がって最終シケインに向かった。だが、岡本を捉えようとアプローチした中須賀が岡本に接触しふたりは転倒してしまう。
岡本はノーポイントとなり中須賀は危険な走行として失格となった。レース2は中須賀がケガで欠場、岡本も足を痛めていたが参戦して2位となり、シリーズランキングも2位で終える。
それでも岡本の力が確実に中須賀を脅かすまでになったことを強く印象付けた。
「勝てたのではという思いが残りモヤモヤしますが中須賀選手の深いブレーキングに対抗するにはどうすればいいか」
岡本は課題を残してシーズンを終える。吉川和多留監督も「世界で勝負するなら強いブレーキングは必須」と語っていた。
そして2024年シーズンを迎えた
2024年「打倒中須賀」を掲げてJSB1000ライダーは孤高の王者に戦いを挑み敗れ続けて来た。そこに現れたのが岡本だった。遂に交代劇が起きるのかという予感の中でシーズンが開ける。
ホンダのエースライダーである高橋 巧が参戦を開始。新たにドゥカティワークスマシンを駆る水野 涼、チームノリック、ヤマハファクトリーの先輩でもある野左根航汰が海外参戦から帰国してホンダへとマシンを乗り換え参戦する。JSB1000は最高峰クラスに相応しい顔ぶれが揃う。
激しい戦いとなるが中須賀の強さは変らずに開幕戦鈴鹿、2戦目もてぎの2レースと3連勝。3戦目のSUGOを迎えた。岡本は事前テストから速さを示し予選でも唯一レコードを更新しポールポジションを獲得する。ライバルたちも岡本の速さに戦々恐々とし「今回は岡本が来る」と警戒していた。
岡本もレースをコントロールできる自信を持ってレース1のグリッドに着いた。だが「序盤は様子を見よう」という作戦が失敗し中須賀の先行を許す。レース2は序盤から逃げ切り独走優勝を飾った。作戦ミスがなければ、ダブルウィンを飾っていたのではと思わせるほどに岡本の走りは抜きん出ていた。ライバルを追いやり独走優勝は岡本の覚醒を印象付けた。
「独走優勝は初めての経験で自信になりました。ヤマハ3年目となりスタッフとのコミュニケーションが取れるようになりバイクへの理解が深まったことで、テストからしっかり組み立てが出来ようになり、タイムアップが早い段階から出来るようになりました。ロングランをしてアベレージタイムを維持できるようになったことも大きい。課題だったブレーキングも中須賀さんにはかなわないけど、なんとか勝負できるところまでは行くことができたかなと思う」
岡本は勝因をそう語った。
ヤマハファクトリーチームは、プロフェッショナル集団であり、ライダーの力を引き出すスタッフが揃う世界に誇るチームだ。中須賀、岡本のデータはお互いに見ることが出来、チームメイトとして最善を尽くす環境が揃う。吉川監督は、中須賀に岡本のフォローを命じている。岡本は巨大な壁であった中須賀から多くを学び、それを乗り越え始めた。
全日本はサマーブレイクに入り、鈴鹿8時間耐久を挟んで後半戦へと突入する。ヤマハファクトリーは鈴鹿8耐参戦がない。岡本は「鈴鹿に苦手意識があるのは、ライバルの多くが鈴鹿8耐を経験してテストから鈴鹿を走り込んでいるが自分には一度もない。また、8耐を走ったライダーたちは力を付けて後半戦に挑んで来る」と警戒しトレーニングに集中する。
早朝4時30分か5時には自転車で走り出し、ジム通いも強化した。トレーナーにメニューを作ってもらい、それもこなす。170cm、60㎏の岡本は、そこから5~6㎏も体重を絞って第4戦もてぎに現れた。
だが、もてぎは「8耐より暑い」と酷暑となる。もてぎ戦はMotoGPに合わせて長い周回数を設定しているためライダーへの負担は大きい。連勝を期待された岡本は勝てずに4位で終わり。過酷なトレーニングで体力維持が難しかった。
「アスリートとしては理想的な状態だったと思うが、耐久並のレースでは体力不足となり終盤は全身が攣ってしまい、自分の走りが出来なかった」
過酷なトレーニングを重ねてまで追い求めた勝利を岡本は、第5戦オートポリスで完璧な形で飾る。
もてぎ戦の時に父が亡くなる。家族は岡本を思いレース後に連絡をしている。
岡本はレース1に挑みファーステストラップを連発して中須賀を突き放し勝利した。
「父のせいでバイクやレースが嫌いになったこともあり好きな父親ではなかったが、レース中盤に突然父親のことが頭に浮かび、勝たなければと集中力が増した。この優勝は父に捧げたい。今の自分があるのはバイクに出会わせてくれた父のおかげでもあるから」
岡本はレース2も勝ちダブルウィンし第6戦岡山国際でも勝ち連勝する。そしてチャンピオンが決定する最終戦鈴鹿を迎えた。
「勝ち続けなければならないことは大きなプレッシャーがあります。でも、それを何年もやり続けている先輩が、すぐそばにいる。だから、そこに挑んで行きたい」
最終戦は独特の雰囲気がある。タイトル争いに賭けるライダーたちの熱気は、もちろんだが、ここで勝ちシーズンを締めくくりたいと願うライダーたちの思いが緊張感を伴いながらも上がっていく。
14周で争われたレース1。ポールシッターの岡本がホールショットを決め、野左根、水野、中須賀が続く。鈴鹿8耐でマシンのデータを収集したドゥカティを駆る水野が牙を剥く、ヤマハファクトリーマシンを凌ぐ速さを見せ、西ストレートで水野が首位に躍り出る。最終ラップのスプーンカーブで中須賀がトップに立つが、水野が先行、岡本、中須賀の順でチェッカーとなる。
中須賀と岡本は優勝回数、2位回数、3位回数とすべて一緒の同点で並びレース2で先にチェッカーを受けた方がチャンピオンとなる。
頂上決戦に緊張感が高まる中で、岡本も中須賀も静かにグリッドに着いた。シグナルグリーンと同時に飛び出した岡本がホールショットを奪う。中須賀が追い、野左根、水野が続く。6周目には岡本がスパートをかけてトップ集団から抜け出す。水野は中須賀を捕らえて2番手を奪い、岡本を追いかけトップ争いに持ち込む、中須賀と野左根は3番手を争う。
10周目に転倒者が出たことでセーフティカーが導入される。残り3周で解除され、岡本、水野、中須賀、野左根が一斉に1コーナーに突入する。トップ浮上を狙う中須賀が転倒した。トップに立ったのは野左根、水野が追い、岡本は3番手に付ける。水野は野左根を捉え0.251秒差で優勝。岡本は2位野左根に0.323秒差の3位となりタイトルを獲得した。
「3位で終わり悔しいですがチャンピオンを獲得することができました。今年はレースタイムも大きい所では20秒以上も上がり、考えた以上のレベルの高い戦いでした。そのシーズンにタイトルを獲得できたことは誇りでもあります。ここまで走ることができるようになったのは、ヤマハのスタッフの支えと中須賀さんのおかげです。だから最後は中須賀さんと一緒にチェッカーを受けたかった。中須賀さんがいる時代に走ることが出来たことを感謝しています」
今季岡本が挑むWorldSSPには32人のライダーがエントリーを表明している。WSBKからの参戦ライダーもいる。Moto2からボ・ベンズナイダー、ジェレミー・アルコバ、ハウメ・マシア、ハビエル・カルデリュス、Moto3からのフィリッポ・ファリオリ。スーパースポーツ300での世界タイトルを獲得したアルディ・マヘンドラが昇格、女子世界チャンピオンのアナ・カラスコも参戦と注目度が高い。
2024年タイトルを獲得したアドリアン・ウェルタスがMoto2に参戦するため、チャンピオン不在の戦いとなりランキング2位のステファノ・マンツィがタイトル候補に挙げられている。彼は岡本のチームメイトだ。マシンもホンダ、ヤマハ、カワサキの他、ドゥカティ、MVアグスタなどが参戦している。
「簡単に行くとは思っていません。イタリアのサーキットは知っているところもありますが、ほぼ、知らないコースで、新チーム、そして新型マシンです。ここで世界の厳しさを味わい乗り越えて、次のステージへと進んでいきたい」
岡本はそう誓った。
岡本が世界への切符を得たことは全日本ライダーたちに希望の灯をともした。周りを納得させる走り、結果を残せば夢が叶うのだと……。岡本は「ここからがスタート」と気を引き締めている。岡本の願う夢の舞台は、もう少し先にある。
優等生のエリートライダーのように見えるが、困難を乗り越え、乗り越えることで強さを増して来たライダーだ。怒りもエネルギーに変え勝負所で見せるライディングは、レースの神様がほほ笑んだような次元の違う走りとなる。無謀にも見えるが、しっかりとした計算があることが強みだ。
JSB1000に参戦しタイヤの使い方を学び、課題のブレーキングを克服し、中須賀から多くを吸収して武器を増やしていった。また厳しい世界で切磋琢磨することで岡本は強くなるはずだ。
シーズン開幕は、もうすぐだ。
●追記:岡本選手を初めて取材したのはチームノリックの体制発表の時、まだ、あどけなさの残る少年だった。14歳の岡本からは希望があふれていた。だが、大きなケガが続き、走り続けることが出来ないかもしれないとケガの痛みの残る身体で渾身の走りをした話を聞いた時、胸がいっぱいになり泣きそうになった。チームのシートがなくなることはよくある話だが16歳の絶望と痛みが胸に迫った。でも、このことが岡本の覚悟を生んだように思う。力を示したいという欲望が、岡本を突き動かし続け諦めない意志が全日本王座へと押し上げたのだと思う。だから、辛いことがあったら、その時の覚悟を思い出してほしい。そこを乗り越えることが出来たのだから、乗り越えられないものはないと信じてほしい。身に着け続けるであろう武器を駆使して挑んでほしい。また、夢を叶える姿が見たい。
(文・佐藤洋美、写真:赤松 孝)