「ヨシムラ創業70周年、2024FIM世界耐久ロードレース選手権(EWC)シリーズチャンピオン獲得」祝勝会が、神奈川県厚木市内のホテルで行われた。約250名が参加し、ヨシムラの偉業を称えた。
1954年に故吉村秀雄氏(ポップ吉村)がヨシムラモータース創業し、1989年に息子の不二雄氏が代表取締役就任、今季、ポップ吉村の孫である加藤陽平氏が代表取締役、不二雄氏は相談役となった。加藤氏の母はポップ吉村の次女・故由美子さんで父は故加藤昇平さん(レーシングライダー)だ。そのふたりが揃って創業70周年を迎えられたことに感謝の意を述べた。
ヨシムラR&DのDon Sakakuraさんが登壇、Donさんは1980年からヨシムラR&Dで働き、ヨシムラを支えたひとり。ケビン・シュワンツら、アメリカのライダーをヨシムラへと繫いだ人物でもある。続いてライダー兼メカニックとしてポップ吉村と働いた福富友宏さんが紹介された。福富さんは「ふくちゃんと呼んで下さい」と陽気にマイクを握り、創業当初のヨシムラは、ポップ吉村のチューニング技術がアメリカ兵の人気だったが、お金の回収が出来ずに、4人いた従業員の3人が辞めてしまい自分に声がかかった。「ポップの技術が盗めるなら」と無給でも良いと手伝いはじめ、そのことをポップ吉村が喜んでくれたこと、アメリカ兵とやり取りしてお金の回収でも力を発揮し「今のヨシムラがあるのは私のお陰です」と笑顔で苦労時代を振り返った。
乾杯の音頭は森脇南海子さん(ポップ吉村の長女)。南海子さんを囲むようにヨシムラと関わりのあったスタッフやライダーが檀上に上がった。
南海子さんは「70周年を亡くなった父(秀雄さん)、母(直江さん)、陽平の父(昇平さん)、母(由美子さん)も今日の日を喜んでいると思います。彼らが一緒にいると思ってお聞きください。ヨシムラのロゴのことを話させてもらいます。四輪のドライバーの人達がヨシムラのステッカーを作ってほしいと言い出来上がったのが、なんの変哲もない赤白のヨシムラのロゴです。クルマが父のチューニングで速くなるとドアに貼ってあるステッカーが盗まれるようになりました。父は戦争も闘病も経験しましたが、一番苦しい戦いだったのはアメリカでヨシムラレーシングが奪われ、そのヨシムラのロゴを取り戻すためにヨシムラR&Dを立ち上げ戦ったことです。その時、父は53歳でした。その辛い戦いを乗り越えて、皆さんのおかげで70周年が迎えられました。Donさんが『ヨシムラのお陰で良い人生を送ることが出来た』と言ってくれました。私の後ろに立ってくれている人達も、そんなふうに思ってくれている人がいてくれたらとても嬉しいです。夜中の2時過ぎに思い立って習字で私の思いを書かせてもらいました。私が小学生の時の正月に習字の練習をしていると父も筆をとって『勝って兜の尾を締めよ』と書いたものは、掛け軸にして今も残っております。父からの私たちへのメッセージのように思います。今日は母の残した服を来て、由美ちゃんの愛用していたブローチをして来ました。父はル・マン24時間耐久に挑戦したことがあり、その時は駄目でしたが、陽平君がEWCで勝ってくれました。そのことも、父母、陽平君の父母も喜んでいると思います」と語り「乾杯」と音頭を取った。
2024年のEWCでスズキGSX-R1000Rを駆りル・マンとボルドールの24時間耐久を制して、スパ、鈴鹿の8時間で表彰台に登る活躍で2度目のチャンピオンとなった報告が行われた。開発ライダーを務め、第4ライダーとして参戦、鈴鹿8時間耐久では3位に導いた渥美心も挨拶した。
元TOKIOの長瀬智也氏が「ヨシムラの応援団長です」と登壇して祝福した。フランスからチームマネージャーのダミアン・ソルニエ、ライダーのグレッグ・ブラック、エティエンヌ・マッソン、ダン・リンフットからもビデオメッセージが届いた。スズキ株式会社 代表取締役社長 鈴木俊宏氏、Motulのフランス代表であるオリビエ・モンタ―二氏からもビデオメッセージが届いた。ビッグボトルのシャンパンもお祝いに届けられた。
スズキCNチャレンジ プロジェクトリーダー 佐原伸一氏、MotulJapan代表取締役社長 岡本崇氏、株式会社ブリヂストンMCタイヤ開発部 部長 古賀宏明氏、株式会社デンソー エンジン機器事業部 事業部長 中島樹志氏らが、檀上でお祝いの言葉を述べた。
トークショーでは、ヨシムラライダーとして活躍した加賀山就臣、津田拓也、渥美心が加藤陽平氏と激闘の鈴鹿8耐を振り返った。加賀山と津田は申し合わせてヨシムラにちなんで赤いネクタイを締めお祝いの気持ちを込めた。
加賀山氏はヨシムラから参戦し鈴鹿8耐勝利を飾ったライダーで、昨年はヨシムラとタッグを組んで全日本参戦していたが、今季は水野涼を起用しドゥカティを駆り全日本ロード参戦。鈴鹿8耐ではヨシムラと表彰台を争った。
「昨年はヨシムラのロゴを胸につけていた自分が、今年はヨシムラと表彰台争いをしました。こんなことがあるのかと、レースの神様のすごい悪戯を感じました。エースライダーの水野涼を前半で酷使してしまい、最後の走行に出したかったが、全身痙攣をおこしていてとても無理でハフィス・シャリーンを送り込んだ。そして逆転された。自分の采配ミスもあったが渥美の気迫に負けたのかなと思う」と語った。
ラストスティントでヨシムラの渥美はベストタイムを連発してドゥカティを追い詰め逆転で3位表彰台を獲得、ヨシムラのEWC2連覇に貢献した。
津田はヨシムラで参戦した2018年鈴鹿8耐でポールポジションを獲得し「鈴鹿8耐は世界的に有名なレースなので、スズキでMotoGPにスポット参戦した時にも8耐でPPを取ったライダーと見てもらえた。自分の名刺変わりになる記録」と振り返った。
加藤氏は「80、90、100周年とヨシムラが続くことを願いますが、先の見えない時代でもあり、モータリゼーションは大きな変革の時を迎えています。それでも、未来の礎となるためには皆さんの心を打ち続ける活動をすることしかないと感じています。皆が憧れるカッコ良い大人になり、そのカッコ良い大人が乗るオートバイ、クルマにつけるカッコ良い部品やマフラーを作り、それを楽しんでもらう。その中心にモータースポーツの活動がある。オートバイってカッコ良い、レースって良いなと思ってもらう。その仲間を増やしていくことが未来につながることだと考えます。これからも、みなさんに応援してもらえるように、ファンの方々に楽しんでもらえる活動を続けます」と語った。
来季もEWC参戦し3度目の世界タイトルに挑む予定だ。無論、鈴鹿8耐はヨシムラのDNAでもあり勝利を目指す。
(文・写真:佐藤洋美)