●文:西村 章 ●写真:MotoGP.com/Ducati/Pramac Racing/Gresini Racing
ドゥカティの記念すべき100勝目である。しかも地元のミザノワールドサーキット・マルコ・シモンチェッリで達成、そしてそれを成し遂げたのがファクトリーライダーのエネア・バスティーアニーニ(Ducati Lenovo Team)なのだから、いやじつにスバラシイ。
しかも、この結果により、ドゥカティは2024年シーズンのコンストラクターズタイトルも早々に確定させてしまった。このコンストラクターズタイトルは当然といえば当然の結果なのだが、それにしても強い。
さらにいくつかの数字を並べれば、今回でドゥカティは11連勝、表彰台独占はシーズン10回目。チームチャンピオンシップの決定はまだ数戦先になるだろうが、おそらくDucati Lenovo Teamが獲得するであろうことはかなりの確度で濃厚で、ライダーズタイトルもいずれにせよドゥカティライダーが手中に収めることは確実。と、まさに向かうところ敵なしの「ちぎっては投げちぎっては投げ」状態、というか「もうええでしょう」状態である。
というわけで、今回のレースをドゥカティにとって最高の日曜日にした最大の功労者、バスティアニーニのことばをまずは紹介しておこう。
「この週末は、あまりいい走り出しではなかった。昨日の予選後には(決勝に向けた)改善点について、だいぶ自信を持てるようになった。スプリントの後は、さらに自信がついてきた。昨日はチームの皆と一所懸命がんばった。夜10時にボックスでデータを検討して、その段階で最強だったペコのものをよく見た。
レースではホルヘが序盤から強くて、かなり攻めていた。序盤で引き離しにかかっていたけれども、その後数周して自分も彼との差を詰めていった。最終ラップは4コーナーが唯一の勝負どころだと思った。向こうはラインを締めようとしていて、こちらもフロントが限界に近かったけれどもコーナーに入っていって、レースに勝つことができた」
この攻防は、上記の言葉にもあるとおり、最終ラップの4コーナーアプローチまで前にいたホルヘ・マルティン(Prima Pramac Racing/Ducati)に対して、バスティアニーニが勝負を賭けてイン側へねじ込んでいった結果、マルティンがアウト側へはじき出されてしまい、これでレースの帰趨が決した。
バスティアニーニはこの勝負について、以下のように述べている。
「あそこがおそらく唯一のチャンスだった。セクター3の10コーナーから先はホルヘがすごく強かったから。バックストレート終端では、いつも0.2から0.3秒の差が開いていた。だから、レースで勝つためにはあそこしかなかった」
この手の厳しいバトルは、たとえばヘレスの最終コーナーで過去に何度もあったことはご記憶の方も多いだろう。最も有名なものは、2004年の最終ラップ、バレンティーノ・ロッシvsセテ・ジベルナウの攻防だ。直後にいたロッシが最終コーナーでジベルナウのイン側に飛び込んだ結果、接触が発生してジベルナウはグラベルまでコースアウトし、2位で終えることになった。
2013年にも、ホルヘ・ロレンソとマルク・マルケスの間で似たような状況が発生した。このときはダニ・ペドロサがトップを独走し、ロレンソとマルケスは2位争いという状況だったが、最終ラップ最終コーナーのバトルで雌雄が決した、という意味では同種の攻防だ。
今回のバトルについて、バスティアニーニのコメントは上で紹介したとおりだが、もう一方の当事者であるマルティンは以下のように述べている。
「序盤周回はよかった。ペコとバトルしていたところから強さを発揮できるようになり、さらに速く走るようにがんばった。ペースは上々で、エネアが近づいてくるのがわかったけれども、落ち着いていた。ペコの転倒も見ていたので、良いラインをとってクレバーに走るよう心がけていた。(バスティアニーニ)の仕掛けは、少しやりすぎだったように思う。とはいえ、今からそのことを蒸し返してもしようがない。何かが変わるわけでもないし。今後に向けて、レースディレクションの判断はこれでかなりクリアになったと思う。もし次に自分が同じようなことをしなければならなかった場合、自分に対して何らかの処分は下らないと思いたい」
この4コーナーでの攻防について、マルティンはさらに以下のようにも話している。
「その3~4周くらい前から、エネアが背後につけているのはわかっていた。自分としては(うまく凌げる)自信があった。だから、ラインを締めてパスさせないようにした。あそこでラインを締めたから入ってくることはできないし、もし入って来られたならバイクを引き起こしていたと思う。でも、接触する結果になった。これについては、今からあれこれ言ったところで何が変わるわけではない」
「このような事態が起こるとレースディレクションと話をすることもあるけれども(判断の)基準は必ずしも明快ではないし、同じ裁定が下るとも限らない。さっきも言ったとおり、もし自分が同じことを今後した場合、何の処分もないはずだ。まあ、今後はどうなるか、そのときにわかるだろう。自分はああいうオーバーテイクをするライダーではないけれども、決定は尊重するし、前を見て進んでいくよ」
マルティンが上で述べているとおり、今回の決勝レースではペコ・バニャイア(Ducati Lenovo Team)が3番手走行中に転倒を喫したため、そこから4秒ほど引き離されて走っていたマルク・マルケス(Gresini Racing MotoGP/Ducati)が、いわば棚ぼたで表彰台圏内に繰り上がることになり、3位でゴールした。
マルケスは、バスティアニーニとマルティンの出来事について、このような見解を述べている。
「チャンピオンシップの興趣を盛り上げることになった、ということはいえるだろう。リプレイを見たところ、エネアはコースのイン側に停まりきれていなかったようなので、1ポジション降格もありえるのかな、とも思うけれども、そこはレースディレクションの決めることだから」
「自分としては、あのオーバーテイクは納得している。あれが、あの2台のバイクでは唯一のオーバテイクのやりかただった。接触の結果、ホルヘがアウト側へとび出たので、そこが疑問の発生する余地になると思うけれども、コースに残ることができなかったなら、1ポジション降格になったかもしれない。
しかし、コースには残っているので、自分としては(処分がなくても)OKだと思う。というのも、あれが2台の間では唯一の方法だったし、正々堂々としたオーバーテイクだった。たしかにアグレッシブだったし、ギリギリではあったけれども、最終ラップの攻防だったんだから。今年のアッセンでは自分もエネアに仕掛けられてこっちが飛び出したけれども、文句は言わなかった。クリーンな勝負だったし、彼はコース内にとどまっていた。だから自分としては文句はない。それもレースのうちなのだから。というのが、自分の考え」
ここでマルケスのいう「アグレッシブだったし、ギリギリ」というオーバーテイクがはたして本当に処分に相当しないのかどうか、ということは常に議論になる。いわゆる”irresponsible riding”(無責任な走行)の処罰基準がいつも一貫しているわけではない、というマルティンの主張にも、たしかに一理はある。
ただ、さきに紹介したロッシvsジベルナウやロレンソvsマルケスのときにもとくに処罰は下されておらず、今回も処分がなかったことは、これもまたマルティンの言うとおり、今後に向けて裁定の基準が明らかになった、ともいえるだろう。
オーバーテイクでバイク同士が接触し、ラインを外れてアウト側に大きくはらんでしまった直後のマルティンは、怒りが収まらない様子だったが、クールダウンラップでは一応握手を交わして、表彰台前の控え室では普通に会話をしていたので、おそらく本人同士にわだかまりのようなものは残っていないのだろうと思われる。マルティンが決勝後に「ちょっとやり過ぎだったと思う」と述べているとおり、若干の苦々しさは心中に残っているのかもしれないが、いずれにせよ「それもレースのうち」ということなのだろう。
一方、3番手を走行中に転倒したバニャイアは、序盤を過ぎたあたりからペースを上げづらそうで苦労しているように見えながら、15周目と16周目にいきなり全区間最速でレース中のベストタイムを記録して前に肉薄するかと見えたものの、17周目にはふたたび苦しいラップタイムに戻って、そして21周目に転倒……、というじつに不可解というか不安定な走りであったように見えた。
「今日は、何が『ノーマル』なのかわからない一日だった。朝(のウォームアップ走行)からとても奇妙だった。(転倒の際は)バイクはまっすぐでリーンアングルは32度だった。32度でクラッシュするなんて、ありえない。ハードにブレーキしたわけでもなく、最速ラップを記録したときよりも18メートル手前でかけ始めたのに、存在しないバンプにそこで乗ってしまったみたいにフロントが切れてしまった」
「リアが作動しなかった。他のライダーの障害物みたいな状態で、本当に奇妙だった。タイヤが15周目から作動しはじめたというコンプレインなんて、今まで聞いたことがない」
というのが本人の弁。
この言葉を受けて、ミシュランのピエロ・タラマッソはバニャイアの一貫しなかったパフォーマンスとその結果の転倒について、以下のようにコメントしている。
「ペコとも話をし、現在はデータの分析結果を待っている状態。ペコは非常によいスタートを切って、序盤の4~5周はレースをリードしていた(正確には、4周目にマルティンにオーバーテイクされている)ので、ホルヘやベスティアと同じように周回していた。
その後の5~6周は、コンマ2秒かコンマ3秒ほど遅くなり、12周目から調子が上がりだした。とても速いラップタイムで、16周目にはレース中の最速タイムも記録した。ものすごく力強い復活で、前のふたりに迫りはじめた。なので、今はなにがあったのかという理解につとめているところ。データが届けば、わかってくるだろう。序盤はとても調子が良くて、そこからぐっと落ち込んで、その後またいいパフォーマンスを取り戻す、というのは、あまり普通の事象ではない。何が起こっていたのか、しっかりと究明したい」
ちなみに、バニャイアのマルティンvsバスティアニーニの一件に対する見解は以下のとおり。
「ホルヘが過去に自分に対してやってきたことと比べても、なにも特別なことじゃない。去年のカタールやインドで、彼は同じようなことをしていた。普通のことだと思う」
それにしても、バニャイアはさぞや自分でドゥカティ100勝目を達成しかったことだろう。今回のレースは、バニャイア自身の最高峰クラス100戦目という節目でもあったのだから。土曜のスプリントでは勝利しているだけに、おそらく決勝レースのグリッドについた段階では、自分自身でそれを達成する気満々だったのだろうことは容易に想像できる。それだけに、今回のノーポイントは悔しさもひとしおだろう。
このレース結果で、ランキング首位のマルティンとバニャイアのポイント差は24に広がった。とはいえ、現在のMotoGPは土曜に最高で12ポイント、日曜に25ポイントを獲得できる仕組みで、それがまだ6戦計12レースも残っているのだから、24ポイントなど一瞬で差が縮まってあっという間に逆転されかねない「僅差」といっても過言ではない。
一方のMoto2クラスでは、小椋藍(MT Helmets-MSI)が4位で13ポイント加算。タイトルを争うチームメイトのセルジオ・ガルシアは転倒で終わったため、ふたりのポイント差は22になった。
こちらもMotoGP同様、6戦を残して22ポイントという点差は、何かあれば一発逆転もありえる数字だけに、まだまだ油断は禁物、という状況が続く。
次戦からカレンダーはフライアウェイシリーズとなり、まずは今週末がインドネシア、ロンボク島のマンダリカサーキットで第15戦。現状では週末に向けて下り坂という予報もあるようですが、週間予報の予定は未定。レイン・ハンドラーを呼ばなくてもすみますように。ではでは。
(●文:西村 章 ●写真:MotoGP.com/Ducati/Pramac Racing/Gresini Racing)
web Sportivaやmotorsport.com日本版、さらにはSLICK、motomatters.comなど海外誌にもMotoGP関連記事を寄稿する他、書籍やDVD字幕などの訳も手掛けるジャーナリスト。「第17回 小学館ノンフィクション大賞優秀賞」「2011年ミズノスポーツライター賞」優秀賞受賞。書き下ろしノンフィクション「再起せよースズキMotoGPの一七五二日」と「MotoGP 最速ライダーの肖像」、レーサーズ ノンフィクション第3巻となるインタビュー集「MotoGPでメシを喰う」、そして最新刊「スポーツウォッシング なぜ<勇気と感動>は利用されるのか」(集英社)は絶賛発売中!
[MotoGPはいらんかね? 2024 第13戦サンマリノGP|第14戦エミリアロマーニャGP|第15戦インドネシアGP]