FIM世界耐久選手権(EWC)にフルエントリーするTeam Étoile/チーム・エトワールは、2024年に「10年間の活動を前提とし、長期的な成長計画を立てて参戦いたします」と市川貴志代表が語り、BMW M1000RRでSSTクラスにエントリーし、ランキング5位になった。挑戦2年目の2025年はタイトルを目指す。
■文・写真:佐藤洋美 ■写真提供:チーム・エトワール
近年EWCは、TSR、ヨシムラ、カワサキフランスとチャンピオンを争うチーム監督が日本人であり、注目度が高いレースとなっている。そこに、全く無名であり、レース経験のないチームが挑戦した。EWCクラスではなく、比較的プライベートチームが多いSSTクラスだが、それでも経験豊富なチームがひしめく。そこに挑んだのだ。チーム結成直後の海外参戦の大胆さに、すごい挑戦だと感嘆したが、それ以上に「大丈夫なのだろうか?」と、この無謀さを不安視する見方の方が大きかったように思う。また、突然現れた市川貴志氏とは何者なのか? と関係者の間では話題だった。
昨シーズン、市川代表はフランスと日本にガレージを置き、淡々と準備を重ねて開幕戦となったル・マン24時間耐久はトップ争いを見せるのだ。最終的にはリタイヤとなってしまうが、第2戦スパ8時間ではポールポジションを獲得。第3戦鈴鹿8耐で2位表彰台を獲得する。ランキング争いを繰り広げ、タイトルの可能性を残した最終戦ボルドール24時間耐久では、マシンの不調でリタイアとなるがランキング5位に入った。
参戦初年度からチャンピオン争いを見せるチームを率いる市川代表は、いったい、何者なのだろうか?
10年計画の1年目を戦い終えて、2年目を迎えるエトワールが開幕を前にモビリティリゾートもてぎでテストをすると聞き取材に出かけた。
2025年のラインナップは、大久保 光、渡辺一樹、伊藤元治、奥田教介だ。テスト日は寒さが厳しい天候となるが、開幕戦となるル・マン24時間耐久の夜間走行の厳しい寒さに対応するためのテストとしては、その寒さが好条件だった。緻密に立てられた走行スケジュールに沿って、ライダーたちはコースへと出て行く。走行を終えたライダーのコメントは、全て録音され記録として残っていく。データを蓄積しながらテストが繰り返された。
テストの合間に代表でもあり監督でもある市川氏に話を聞いた。
—フランスでシェフを目指していたことがあると聞きました。その時に耐久レースに出会われたのですか?
「10代の頃ですね。高校卒業後にどの方向に進みたいのかと考えた時に車やバイクなどのモータースポーツ、乗り物に関わる仕事か、料理か、パソコンが得意だったのでITかと悩みましたが、その時は料理を選びました。フランス滞在のために研修ビザを所得してレストランに住み込みで修行していました。その頃はレストランで朝から晩まで過ごし、休日はありましたが、他のことに目を向ける余裕はまったくなかった。20代になってTVでレースを見たり、街乗りのバイクを購入したりする過程で、ヨーロッパがモータースポーツの本場なのだなと、レースをやる以上、そこを目指して行こうと思うようになりました」
—エトワールというチーム名はフランス語で星という意味ですね。ミシュラン星付きレストランガイドで、料理の質やサービス評価を星の数で表すことが知られていますが。
「チームに料理は関係ないですが、当時の自分の料理人としての特別な星としてチーム名に重ねました。それと、チーム名を短く5文字くらいにしたかったこと、カタカナで書いても、本場と日本の発音が同じ音になる。違う読みになるものが多いので、エトワールはそのまま発音できるので、それも良かった」
—料理の道は断念された?
「これからの時代はITの方が飯を食えるのではないかと、20~21歳で帰国して料理人としての就職はせずに証券会社に入りました。1999年には窓口で販売していた株がパソコンで売買できるようになった時期で、2000年から働き始め10年の間に上場もあり、当初25人の従業員が1000人まで増え大きくなりました。あまり大会社は好きではなく、少人数でワイワイやっているのが楽しい。じゃ、起業しようと、仲間6人で金融系のウェブサービスをする“マネーフォワード”を立ち上げました。そこも上場して、10年くらいたったら社員が1500人前後と大きくなり、そろそろ違うことがしたくなりました」
—それで、レーシングチームを立ち上げ10年計画で世界チャンピオンになろうと……
「会社が大きくなる過程で人が成長して行く姿を見るのが好きなのだ、と思いました。10年かけてチームもライダーもメカニックも成長して行けたらと思っています。そのきっかけとなるチームでありたいので、ベテランと若手の組み合わせで、若手にはベテランから学んでほしい、その段階を踏んで時間をかけてチャンピオンを目指したい」
—チームを作ろうとまで思われたバイクとの出会いを教えて下さい。
「バイクはカッコ良いなというイメージがありましたが、実際に乗り出したのは27~28歳頃、社会人になってからです。ある程度お金と時間が出来て趣味としてヤマハXJR400を購入しました。上手く走れるようになりたいとライディングスクールに通い、そこで知り合った人たちからもてぎで開催される“誰でもエンジョイ耐久、DE耐”に出ようと誘われました。装備は上から下まで揃う10万円くらいのツナギやグローブのセットを購入して参戦しました」
—レース参戦のハードルは高くはなかったですか?
「そうですね、自分がまさかサーキットを走るなんて全く思っていなかったのでハードルは高かったです。でも、みんな素人でちょっと出てみようと、そんなに敷居は高くないという誘いだったので」
—楽しかったですか?
「7人で参戦したので、走ったのは1スティントだけですが、練習会の時から高揚感とか非日常的な感じがあり、小学生が遠足に行くような感覚が面白かった」
—それで、レーシングチームを作ろうと?
「そこからは、15年くらい経っていますが」
—その間は、どんなふうに過ごしていたのですか?
「DE耐の参戦に続き、ミニバイクから250にステップアップして地方選のビギナークラスに参戦し、もてぎのモテローにも出ていました。筑波のツーリストトロフィーに年間4戦くらい参戦。目を三角にして突き詰めるというのではなく楽しみで続けていました。土日を楽しんで月曜日には会社に行くというスタンスです」
—そこからチームを結成しようと思ったきっかけは?
「家から近くにモトバムがあり、お客さんとして通っていたんですが、全日本ロードレース選手権にクルーとして参加するようになり、最終戦鈴鹿あたりになると、いい走りをしていたなと思うようなライダーでも、来季のシートが決まっていないという話が聞こえて来る。自分の子供のような若者が、チャンスがなく次のステップを踏めないという姿を見ていました。自分の資金を使って、今後の人生をどう送ろうかと考えた3~4年くらい前にレーシングチームを造りたいと思いました。自分のチームが一つできたくらいで状況が大きく変わるとは思いませんが、レースは面白いですし、若いライダーにチャンスをあげることが出来たら、自分の人生としても幸せかなと……」
—そこからの準備はたいへんでしたか?
「創業した会社を離れられるタイミングがいつかということだけでした。引継ぎに1年くらい時間がかかり、それが落ち着いたタイミングでチーム結成に向けて動き出しました」
—チーム作りはどのように始めたのですか?
「自分がレースをしていたこと、個人的に25人くらいのライダーやチームをスポンサーしていて、相談する相手先がおりましたので、相談者には困りませんでした。海外経験のある長島哲太選手に相談をしたら、大久保 光選手を推薦されました。彼の拠点がヨーロッパで、いろんな生活基盤を整える上での苦労を知っているので力になってくれるだろうと。彼のノウハウは、エトワールでレース経験を積み卒業するライダーにとっても貴重なものになると思いました。関口太郎選手もヨーロッパで走っていた時の知り合いをつないでくれ助けてもらいました。マシン選びも、各メーカーを経験した彼が試行錯誤するだろう初年度のチームには、ある程度出来上がっているアルファ―レーシングのセットで購入できるBMWが良いだろうとアドバイスしてもらいました」
—耐久チームを選ばれたのは?
「最初のきっかけがDE耐というのもありますし、耐久レースの方がみんなで力を合わせてやるというところがあり、なかなかうまくいかないことを何度も何度もやって成功した時の達成感があると思いました。抱えるライダーも3人~4人になり、スタッフも多く必要なので、成長という部分で喜びが大きい」
—結成までに耐久レース観戦はされていましたか?
「鈴鹿8耐は見ていましたがヨーロッパでと言うと2023年ですね。ロードレース世界選手権も見に行きましたが、現在はヨシムラのライダーですが、渥美 心選手がフランスのチームからEWC参戦していて、そこのチームを手伝うという名目でスタッフに入れてもらい全戦行きました。特に仕事があるわけではなく、ライダーが連れて来たスポンサー枠というか、半分お客さんですね。その時は、もうレーシングチームをやろうと考えていたのでリサーチの意味合いもありました」
—感動が大きかった?
「やはり24時間を走り切った後の達成感は、DE耐とはだいぶ違うなと思いました(笑)」
—SSTクラスを選ばれたのは?
「レースにおいてタイヤのウエイトは大きいのでワンメークのSTクラスの方が、若手の成長と言う意味で良いと考えたことがあります。10年という計画の中で、5年はSTクラスで戦い、残りの5年でEWCに挑戦したいと思って始めましたが、STクラスの方がチームの方向性にあっているのかなとも思い始めています」
—参戦1年目はたいへんなことが多かったと思いますが。
「大変でした。大変でしたが、まあ会社を創業して1000~2000人の組織にし、海外の方を雇用して文化が違うことで、とんでもないことが起こったりしたことに比べれば、そんなでもないかと……」
—ライダー選びは?
「大久保選手は長島選手の推薦で最初に声をかけさせてもらいました。奥田選手は関口選手の8耐を手伝った時に、耐久の走り方っていうのを、だんだん学んできて、ちょうどおいしいところにいて、よく仕上がった状況になっていると助言をもらい加わってもらいました」
—渡辺選手は?
「渡辺選手が全日本ロードに参戦していた時に私も現地で見ていましたが、ヤマハファクトリーのふたりと鈴鹿のシケインでバトルするライダーですし、地方選のビギナーライダーである自分からすれば雲の上の存在です。無名の実績のないチームで走ってもらえるとは思っていませんでした。このチームで誰が走ってくれるのかという立ち上げの時に知人の紹介もあり加わってもらうことになりました。育成という意味でもお手本になるライダーでもあります」
—伊藤元治選手は市川さんと出会ったことでEWCを目指したと言っていました。
「伊藤選手は世界戦を目標としていて、そのためには例えば英語も当然できなきゃいけないからとライディングスキルだけではなく英語の勉強をしていて、昨年のもてぎでのアジアロードレース選手権の時は通訳をしてくれました。若いライダーがたくさんいる中で、ヨーロッパで走りたいと言うが、そのために具体的に行動しているのか、どこまで行きたいと思っているのかと考えた時に、気持ちの強さがさまざまじゃないですか。彼はEWCの経験ありませんが、昨年は全日本でST1000にスイッチして、EWCにもヘルパーとして手伝いに来てくれていました。レースを始めたのは17歳と遅いですが、その伸び率に才能を感じていますし成長を期待できる魅力があります」
—オ―ルジャパンのチームが出来上がりましたが。
「当初の目的から考えると、全日本に出ている日本人のライダーが対象になるっていうのが基本的な考えですが、そのうち考えも少し変わるのは当然あり得るとは思います。チームとしてはライダーに限らずですが、せっかく世界選手権なので何割かはヨーロッパの人がいた方が、若手が伸びていくところを見ることが出来るのかなと思います。生活様式や文化の違いから変化が生まれる可能性があり、みんなの成長につながるかもしれません。なので、変わる可能性はあります」
—昨年、戦って一番印象に残るレースは?
「やっぱり表彰台に上った鈴鹿でもありますし、シリーズ戦ということで考えると、1年目からまさかシリーズチャンピオンに手が届く位置にいるなんて思ってもいなかったので最終戦。そういったリザルトに近づけたっていうのは、チームに協力してくれるみなさんのおかげだと思います」
—チーム運営、監督業をやってのやりがいや魅力をどこに感じていますか?
「1人じゃできないことですよね。30人ぐらいいないと成り立たないレースですから。自分があんまり何かの役をやるというのではなく、自分が考えた役割分担でスタッフの仕事が回る状態になって行く。今も私がいなくてもスタッフは動いてくれていますが、この状態があることが醍醐味でもあると思います。まだ、24時間を完走出来ていないですが、そこにリザルトが残るとなれば、達成感や充実感を得られると思います」
市川監督を始め、4人のライダーたちが目標として掲げたのは「24時間耐久の完走」だ。開幕戦となるフランス、ル・マン24時間耐久で、その願いが叶うのか注目が集まる。
これまでのレーシングチームとは違う成り立ちでの挑戦、そこに成功したビジネスの思考を持ち込み、チームワークという武器を構築して世界1を目指す。それも、ただ、1番になりたいのではなく、人々の成長というロマンを込めての戦いだ。市川氏を強烈に惹きつけた耐久レースの魅力がエトワールの戦いから見えてくるような気がする。
(文:佐藤洋美、写真提供:チーム・エトワール)
- EWC 2025 シーズンレーススケジュール
- 第1戦:ル・マン24時間レース(フランス、ル・マン): 4月19~20日
- 第2戦:スパ8時間耐久レース(ベルギー、スパ・フランコルシャン・サーキット) 6月7日
- 第3戦:”コカ・コーラ” 鈴鹿8時間耐久ロードレース 第46回大会(日本、鈴鹿サーキット):8月3日
- 第4戦:ボルドール24時間レース(フランス、ポール・リカール・サーキット) 9月20~21日