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井形マリさんを偲ぶ

 「チームマリ」の創業者であり、日本の女性ロードレーサーのパイオニアでもある国際A級ライダー・井形マリの「お別れの会」が都内で開催され、200人近くの人が訪れ別れを惜しんだ。

 マリさんは1975年に18歳で本田技研工業に入社、1978年にはレースデビューし、筑波選手権プロダクション125で年間ランキング3位となり、1982年に国際A級ライセンスに昇格。女性としては小沼加代子に続き2人目の快挙だった。1983年から84年と鈴鹿8時間耐久ロードレースに出場した。1985年、全日本選手権国際A級125ランキング5位とトップライダーとして活躍。1987年、筑波大会でポールポジションタイムを記録した直後に転倒し、懸命に復帰を目指したが1990年に30歳で現役引退。妹でレーシングライダーの井形ともと共に「チームマリ」を結成した。

 1994年からは井形ともをロードレース世界選手権(WGP)に送り出すと共に(井形ともは2016年にFIM Women Legendを受賞)、一般の女性ライダーへの安全運転普及活動に力を注ぎ、体格、筋力に頼らないビューティ・ライディングを唱え、チームマリとして、16000名以上の女性を指導した。

 2003年難病指定の「重症筋無力症」を発病し闘病生活を送っていたが、2024年8月13日に66歳で急逝した。

 ともさんはお別れの会で挨拶をした。

「姉の体調が急変して救急搬送されたのが8月の11日、その2日後の8月13日には帰らぬ人となってしまいました。私と姉は八つ違いで小さい頃は一緒に遊んだ記憶はないんです。後で聞いた話ですが私が赤ん坊だった時に姉は私を抱っこして公園に出かけてベンチに置いて来てしまい、母がびっくりして探しに来たということもあったようです。

 一緒にいるようになったのは、姉が本田技研に入社して、社内チームのブルーヘルメットというチームに通い始めた頃で、私は小学生でしたが姉がレースに打ち込んでいる姿に強烈なインパクトを受けました。私がこの世界に入ってからは本当に寝るときも食べるときも全部一緒でした。


 姉の時代は昭和な男社会だったようでブルーヘルメット入部を何度も断られ、やっと許してもらってからは“女が認められるには速くなって結果を出さなきゃ駄目、速いのは偉い”っていう、非常にシンプルな考えで、私もそういう教えを受けてレースに打ち込んでいきました。

 マリの師匠であり、ブルーヘルメットの創設者・神谷忠さんは、ちょっと今の時代では問題発言になってしまうかもしれませんが“女にしておくのは勿体ない”とよく言ったそうです。気が強くて愛想笑いも全然しないし、つっけんどんな性格だったんですけれども、関わった方々が“なんかこいつ面白そうだな、やってくれそうだな”と期待を持たせる魅力のあるレーサーだったんだと思います。

 井形マリを有名にしたのは鈴鹿8時間耐久でした。姉は常々“参戦することに意味がない。勝たなきゃ駄目だ”と女性でも男性と渡り合える125ccクラスにこだわっていたんですけども、レース参戦を続けるための資金獲得のためにと師匠の神谷さんからの助言があり人気の高い8耐に参戦したようです。参戦したことで知名度が上がり、大きなスポンサーがつき、走りにも良い影響があり8耐経験後のランキングは5位と上昇しました。

 この女性レーサーの全日本の年間ランキング5位っていうのは破られてなかったのです。私は6位でしたが、今年、岡崎静夏選手がランキング4位を獲得して39年ぶりに更新しました。姉の亡くなった年にと感慨深いものがあるなと思っております。

 姉がライダーとして成熟期を迎えたのは1987年、30歳のときでした。全日本選手権筑波で驚異的なポールポジションタイムを記録した後の最終コーナーの入口で“もっといける!”と思ったそうです。そこで転んで、大腿骨や骨盤を骨折、内臓損傷してしまいます。

 姉は懸命にリハビリをしましたが、以前のように走ることができないと10年間の現役生活にピリオドを打つことになりました。参加することに意味がないと言っていたマリちゃんの潔さを感じるような終わり方、引退の仕方だったと思います。

 引退後は女性だけのロードレースチームを作りました。女性には女性に合った指導が必要ということで講習会Beautyライディングレッスンを鈴鹿でスタートさせます。

 女性がなかなかいなかったレースの時代、一方で安全運転スクールとどちらも未知のフィールドを真正面から大ナタを振るって切り開いていました。

 私が世界グランプリに参戦できたのも姉のサポートのおかげで、海外レースでなかなか結果が出なかった時に姉が珍しく手紙をくれました。“誰が何と言おうと、私がともの味方だ。守ってあげる”と書いていありました。“守ってあげる”ってなかなか言えない言葉だなと姉の大きな愛情を今はより強く感じています。その後私が性同一性障害の認定を受けて、このままスクールを続けていいものかどうか悩んだ時も姉は“あんたも大変だったね”と受け止めてくれ、『FIMウーマンズ・レジェンド・ライダー』を受賞したときにも”よかったね。行っておいで“と、本当に短い言葉なんですけれども、優しい目で言ってくれました。

 いつも一緒だった姉が重症筋無力症という難病の診断を受けたのが2003年。その難病に加えて、いろいろな病気が襲ってきて、スクールの現場に行くことがだんだん厳しくなって2010年に姉は勇退して私がチームマリを引き継ぎました。

 姉は勇退後もてんかんで倒れて骨折したり、いろいろとありましたが、調子のいいときは大好きな犬の散歩に行ったり旅行に行ったりしてました。ですが、2016年に胸に腫瘍が見つかって手術をしたら、激しい痛みが出て亡くなる寸前までの8年間ずっと続いて苦しい日々だったと思います。そんな中でも気丈で決して弱音や愚痴を言うことはありませんでした。姉の心の支えになっていたのは、やっぱり夫の小島さんだったと思います。

 入院が多かったので、今もどっかにね、入院していて“病院のごはんはまずかったよ”って言って帰ってくるような気がします。10月の私の誕生日には、いつも短い誤植だらけの誕生日メッセージをくれたんですが、今年はなんか届かなくて、やっぱり、たった1人の兄弟がいなくなっちゃったなっていうふうに感じています。

 今回、姉のお別れ会を開催するにあたり、昔のレースやスクールの写真などをたくさん見ました……。ちょっと泣いてしまいそう……。

 シャンプーとかリンスとか石鹸など良い香りのするものが大好きで、戦争ものや八甲田山雪中行軍が大好きで、チームの新年会では人生ゲームで迷惑をかけて笑って、いつも優しい目で叱ってくれたマリちゃんでした。今日は、こんなにもたくさんの方々に来ていただいて、改めてマリちゃんの大きさを感じています」


 マリさんのご主人の小島秀俊氏の姪の笠井愛子さんが、サックスでマリさんが好きだった荒井由美の『卒業写真』を演奏した。日本モーターサイクル協会・鈴木哲夫会長、ブルーヘルメット先輩・鯉沼慶次郎氏、レースを通じての友人・富樫ヨーコさんと腰山峰子さん、MIE RACING HONDA TEAMのCEO・森脇緑さんたちが次々と挨拶をした。



 森脇さんは「自分も日々世界で戦っているもんですから、悔しい思いすることも不安あるんですよ。マリさんも一緒だったと思いますし、皆さん一緒だと思います。でも、こうやってマリさんの思いを共有させていただいて来シーズンもその先も、未来の人たちのために自分は頑張らなきゃいけないなと勇気をいただきました」と語った。

 会場に駆け付けた岡崎静夏は「マリさんが切り開いてくれた世界で、それを受け継ぎ走り続けているのだと思いました。私が日本GPに参戦した時もともさん以来21年ぶりの女性ライダー参戦でしたし、今年ランキング4位となり、マリさんの残した記録を抜いたと聞き、深い縁を感じています。これからも、マリさんやともさんの意志を受け継いで行きたいと思います」と語った。

 最後にともさんが挨拶に立った。

「時代が違えば姉は世界で大活躍していたんじゃないかと思う反面、あまりにも激しい性格なので、大きなクラッシュをしていたのじゃないかとも思っております。現在、チームマリからエントリーしている藤原雫花(しずか)という16歳の選手がいます。アジアの国別対抗選手権で優勝しました。今年は筑波選手権ランキング3位になって来年はいよいよ全日本選手権に挑戦することになりました。岡崎静夏選手と同じJ-GP3クラス参戦で“Wしずか”になります。静夏選手とは実力が違いますので、引っ張ってもらって力を貸して頂きたい。JP250の石井千尋選手というサプライヤーもこの育成に携わってくれています。雫花のメカニックは私が現役のときにやっていたメカニックです。女性の世界選手権も始まり、世界を目指す女性レーサーを育成していきたいっていう気持ちもムクムクと高まってきております。

 本日はたくさんの方にお集まり頂きまして、姉は本当に素晴らしい仲間に支えられた人生だったのだと強く強く感じております。これからも姉が切り開いた女性ライダーが安全にバイクを楽しむためのサポート、情熱を傾けたレース活動にも積極的に関わっていきたいと思っていますのでこれからもチームマリをよろしくお願いしたいと思います」

 ともさんの挨拶に、多くの人が涙をこらえられずにすすり泣く場面もあり、偉大なライダーであり、指導者であったマリさんの死を悼んだ。だが、久しぶりの再会を喜ぶ笑顔を見ることも出来、マリさんの繫いだ輪が、クラブの名前通り『マリ輪CLUB』として人と人を結び付けていることも感じることが出来た会だった。

 また、来季の全日本ロードでのチームマリ再開がサプライズ発表され、大きな希望となり名残を惜しむ人々の心に光を灯した。

チームマリ
https://t-mari.net/

2024/11/18掲載