バレンティーノ・ロッシは、ロードレース世界選手権(WGP)参戦以来15年間で9回のワールドチャンピオンを獲得しており、「史上最強のライダー」と呼ばれた。2021年限りで引退し、翌年にはベルギーの名門チームWRTと共に四輪GTレースへの参戦を開始し、2024年からは『46』のBMW M4 GT3をマキシム・マルタン、アハマド・アル・ハーティと組んで世界耐久選手権(WEC)に参戦している。四輪ドライバーとしてWEC第7戦『富士6時間耐久レース』のLMGT3クラスに参戦するロッシを訪ねた。
■取材・文:佐藤洋美 ■写真提供:WEC
ロッシがWGPで無名の頃、故阿部典史がワイルドカード参戦した1994年日本GPの走りを見て憧れ、ろっしふみ(ロッシ+のりふみ)と自ら名乗り、阿部のニックネーム「ノリック」から、Valentinic(バレンティニック)と書いたステッカーをマシンに貼った。
「ろっしふみ がんばって」のステッカーは引退までマシンに貼れていた。
もう一人のアイドルはWRCドライバーの故コリン・マクレーだ。1995年世界ラリー選手権ドライバーズチャンピオンで通算25勝を挙げ、その攻めの走りと豪快なドリフト走行で世界的な人気を誇った。誰もが認めるスピードと派手なクラッシュで「マクラッシュ」の愛称で親しまれた。
「子供の頃からゴーカートに乗っていた。バイクも同じようにやっていて、バイクへの道へと進んだけど四輪への興味は持ち続けていた。MotoGPを走っている時からカーレースには参加していたしね。ライダーとしての引退を決めたが、レースが大好きだという気持ちは消えなかった。競争することを辞めたくなかった。新たな冒険としてカーレースを選んだ。その選択は正解だったと思う。とても楽しめているから」
ロッシはWGPデビュー以来「46」のゼッケンナンバーを使い続けている。これはWGPライダーだった父グラツィアーノが現役時代の1979年に優勝した時の数字だ。通常、タイトルを獲得した翌年はチャンピオンナンバーの「1」で走る権利を得るが、ロッシは「46」で走り続けた。
そして、新天地での挑戦でもロッシは「46」のカーナンバーで走っている。
今季のWECは、クラス区分がル・マンハイパーカーとLMGT3の2クラスだけとなった。今季から導入されたのはFIM GT3規定を使用するLMGT3クラス。日本で開催されているスーパーGTシリーズGT300クラスも、この規定の車両だ。WEC参加マニファクチャラーは、アストン・マーチン、BMW、シボレー、フォード、フェラーリ、ランボルギーニ、レクサス、マクラーレン、ポルシェだ。ロッシはBMWファクトリードライバーとなり富士を訪れた。
「日本に来たのは2019年のMotoGPのもてぎ以来になる。富士に入る前の2日間は東京にいて楽しい時間を過ごした。日本のサポートは素晴らしくて、いつも特別なんだ。戻って来ることが出来て嬉しい」
熱狂的なロッシファンは、世界中にいて、日本も例外ではなく多くのファンがロッシを一目見ようと駆けつけていた。
ロッシはMotoGPのトップライダーだったが、ここではトップカテゴリーのハイパークラスでの参戦ではない。二輪で言うとハイパークラスがMotoGPで、ロッシの参戦しているLMGT3クラスがMoto2といった単純なものではないが、F1チャンピオンのジェンソン・バトンやF1ライバーだったダニール・クビアド、ロバート・クビサ、ミハエル・シューマッハの長男ミックらがいる。日本人では小林可夢偉、平川亮らが参戦するハイパークラスに挑戦するには、まだ時間がかかるようだ。それでも彼らに並ぶか、それ以上の注目と人気を誇っている。
WEC主催者は「ロッシの人気は高く、イタリア大会では、彼の姿を見ただけで、涙を流すファンもいる。観客動員に大きく貢献してくれている」と語る。
元々、観客動員の多いル・マン24時間耐久は例年の30万人と変わらないが、他ラウンドは、2倍〜3倍と増えている。ロッシ人気だけでなく、BoP(性能調整)を行い、チューニングのスキルをもたないチームでも参戦可能となったことで、マニファクチャラーが増えたこともあるが、それでもロッシ加入は歓迎する出来事だ。
ロッシに二輪レースをしていたメリットはあるのかと尋ねた。
「二輪で走ったことのあるコースでは、どこにギャップがあるかなどを知っていること、レースキャリアでのプレッシャーへの対処の仕方などのメンタル面、オーバーテイク、ブレーキング、ライン取りと生かせることも多い。だが耐久レースは、スプリントレースとは違う。扱っているマシンが違うから、全てがチャレンジだと思っている。何より、ハイパーカークラスと混走だからね。これまで、単一クラスでのレースしか経験がないから。僕たちのGTマシンに比べてハイパークラスとはラップタイムが10秒も違う。集中して走らないと後ろに見えたら、すぐに追いついてくる」
ロッシは富士での目標を「表彰台に上がることがターゲットになる。少なくともトップ5だ」と語り、金曜日の午後のセッションではFP1では1分43秒284をマーク、FP2では1分41秒387とタイムアップしてチームのベストタイムを記録する。FP3ではタイム更新とはならなかったが、予選では1分41秒866でクラス12番手からスタートした。ロッシはオーバーテイクを連発して3位表彰台へと上がる活躍を示した。
「とてもハッピー! 皆が素晴らしい仕事をした」と日本のファンの目の前で、富士山が描かれたトロフィーを高く掲げた。
ロッシは、これまでのレースで「憧れのル・マン24時間耐久に参戦できたことは、とても素晴らしい経験だったと振り返った。「誰もが知る大きなイベントで、フルコースのトラックは素晴らしく、ものすごく長い週末を過ごした。レースはリタイヤに終わったが、特別の時間だった」と語る。
二輪レースでの1番の思い出は「2004年開幕戦南アフリカ、ホンダからヤマハに移籍して初めてのレース、ベストレースだと思う」と語った。マックス・ビアッジ(ホンダ)とのバトルを制して優勝した。ウイニングランにマシンを止め、ヘルメット越しにYZR-M1にロッシはキスをした。ホンダからヤマハに移籍して成功できるのかと猜疑的な目で見る関係者も多かっただけに、その声を抑え込んだ歴史的勝利だった。
ロッシ自身のトレーニングのためもあり作ったイタリアのトレーニング施設で腕を磨いたライダーたちがMotoGPで活躍している。ロッシが設立した「VR46アカデミー」の筆頭は2022~23年V2チャンピオンのドゥカティのフランチェスコ・バニャイアだ。現在も才能豊かなライダーを輩出しMotoGPを支える存在となっている。イタリアGPではロッシの姿を見ることができる。
二輪界で数々の伝説を残したロッシは最後に「ハイパークラスに挑戦したい」と言った。その願いも、きっと、近い将来には叶えてしまうのだろう。
「時間が流れ、家族が出来、いろいろなことが変化した」とロッシは語った。それでも、駆けつけたファンに向けた笑顔、スタッフとの真剣なやりとり、レースへの情熱は、少しも変っていないように見えた。
(取材・文:佐藤洋美)