全日本ロードレース選手権最高峰JSB1000クラスが三重県鈴鹿サーキットで開催された。YAMAHA FACTORY RACING TEAMの中須賀克行が熟成の進んだYAMAHA YZF-R1を駆り開幕勝利を飾り、ドゥカティ・パニガーレV4Rの水野涼(DUCATI Team KAGAYAMA)が2位に入った。3位には岡本裕生(YAMAHA FACTORY RACING TEAM・YAMAHA YZF-R1)。
新型CBR1000RR-Rを駆るホンダ勢はダンロップタイヤ開発をしながらの長島哲太(DUNLOP Racing Team with YAHAGI)が4位。高橋巧(JAPAN POST HondaDream TP)は5位となった。(※長島以外はブリヂストンタイヤ)
今季のJSB1000クラスはオフシーズンから、噂や憶測が飛び交い賑やかだった。加賀山就臣監督がスーパーバイク世界選手権でV2を獲得したドゥカティで参戦、ホンダ育ちの水野涼を起用すると発表した。水野は加賀山とのつながりはなかったが、昨年のシーズン途中に加賀山に相談に出かけている。ブリティッシュスーパーバイク選手権(BSB)での2年間の戦いを終え、自身の力を示したい。勝ちたいと渇望を持ち「全日本でヤマハに対抗できるのはヨシムラマシン、そのマシンを走らせている加賀山さんにチャンスはあるのか」と問いかけている。加賀山は最終戦鈴鹿のレース1で勝利した水野を訪ね「2024年を一緒に戦わないか」とその思いに応えた。水野は加賀山に見られているという認識を持ってレース2に挑みダブルウィンしている。だが、この最終戦で「勝ったのは嬉しいが、複雑な心境」と語っていた。
YAMAHA FACTORY RACING TEAMの中須賀と岡本は最終戦鈴鹿のレース1でトップ争いの最中に接触して転倒している。中須賀は「あそこで行かなきゃライダーじゃない」と果敢なアタックで守りの走りはしないとライダーとしてのアッピールを見せた。岡本は「勝てたレースだった」と悔しさをにじませた。岡本は、昨年SUGO戦で中須賀に競り勝ち中須賀の27連勝を止めている。その力が中須賀に拮抗していることは誰もが認めていた。そのチームメイト同士の転倒だった。岡本はレース1で足を痛めたがレース2に参戦してトップでチェッカーを受けるも、最終シケインの攻防でコースアウトがショートカットと判断され2位。中須賀は負傷してレースは欠場している。
水野は、中須賀がレース2ではいなかったこと、自身がトップでチェッカーを受けていないことから中須賀、岡本と真っ向勝負して勝つことを求めた。中須賀は転倒で終わってしまった鈴鹿で勝利して王者の貫禄を示そうとしていた。岡本も不完全燃焼で終わった鈴鹿最終戦のリベンジを誓った。
開幕戦に闘志を燃やすライダーは、上記の3人だけではない。野左根航汰は2020年、YAMAHA FACTORY RACING TEAMの大先輩である中須賀を押さえJSB1000チャンピオンを獲得したことを認められて2021年スーパーバイク世界選手権参戦(SBK)を掴んだ。2年間をSBK、昨年はMoto2参戦するが、思うような結果を残せずに全日本復帰を決めた。それもヤマハを離れAstemo Honda Dream SI Racingからの参戦だ。
中須賀は「俺を負かした航汰ときっちり勝負がしたい」と語り岡本も「チームノリック出身と共通点の多い先輩と走れることが楽しみだ」と言い、野左根の復帰を歓迎していた。勿論、野左根も「負ける気はない」と海外帰りの速さを示そうと狙っていた。
高橋巧は、2017年JSB1000チャンピオンを獲得している(MuSASHi RT HARC-PRO. Hondaから参戦)。中須賀と真っ向勝負できるライダーとして誰もが認知している。2019年最終戦鈴鹿で高橋が記録した2分3秒592のレコードは、未だ破られてはない。高橋はSBK、BSB参戦を終え帰国、Hondaの開発ライダーとしてのスキル維持のために全日本参戦を決め、昨年はJAPAN POST HondaDream TPからST1000クラスに参戦、何故JSB1000ではないのか、と誰もが首を傾げるチョイスだったが、遂に今季はJSB1000クラス参戦となった。鈴鹿8時間耐久で5勝を挙げ、先輩の宇川徹と勝利数で並ぶHondaの圧倒的エースの帰還だ。
その高橋と鈴鹿8耐に参戦2連覇を果たした長島哲太もJSB1000クラスにフル参戦を決めた。高橋同様Hondaの開発ライダーを継続、DUNLOP Racing Team with YAHAGIとしてダンロップの開発もしながらの参戦を決断した。ダンロップは3年計画を立て「タイトル獲得」を掲げた。そのために必要なライダーとして長島を選んだ。否、長島が賛同してくれたから、この計画が形となったのかも知れない。
長島は「ライダー人生を賭ける」と語り、ダンロップは、その言葉に鼓舞され最大級のバッグアップを誓っている。この計画を支えるのは長島にとって古巣の7Cだ。小排気量では数々のチャンピオンを輩出しているが、大排気量に関しては未知数だった。長島は「中須賀さんを倒すのは簡単じゃない。でも、それに挑むのが俺らしい」と語っている。
さらにJSB1000クラスは継続参戦の(SDG Honda Racing)ハルクの名越哲平、中須賀のライバルとして存在感を示すTOHO Racing清成龍一、成長株の伊藤和輝(Honda Dream RT 桜井ホンダ)、岩田悟(Team ATJ)、秋吉耕佑(MurayamaUnso Team AKIYOSHI)が継続参戦。また、2&4鈴鹿にはST1000クラスでV3を達成した渡辺一馬(Astemo Honda Dream SI Racing)、渡辺一樹(TOHO Racing)、日浦大治朗(Honda Dream RT 桜井ホンダ)、亀井雄大 (Honda Suzuka Racing Team)らがスポット参戦を表明していた。
開催スケジュールが発表された時点で、3月上旬の開催に「何故?」と思った人が多くいた。例年なら「鈴鹿ファン感謝祭」(ファン感)が開かれる時期で、この感謝祭の翌日に、JSB1000のテストがあるのだが、2022年はここでの転倒で清成や名越がシーズンを棒にふるケガを負っている。路面温度が上がらない冬の時期への走行に疑問符がついていたからだ。昨年のファン感は暖かさに恵まれたが、それでもレース日和とは言い難い。
主催者側は各チームに、この日程での開催をチームに打診している。「ライダーの安全が担保されるのなら」と応えている。10時~午後2時の路面温度が高い時点での走行、低い路面に対応するタイヤの選択などがあげられた。ライダーアンケートでは反対が大多数だったようだ。だが、開催が決まる。
世界耐久選手権(EWC)は気温が氷点下となることもあり、その寒さに対応できるタイヤがあり、EWC用のタイヤが用意されることになった。だが厳格なルールはなく、EWC用タイヤのタイムアップは難しく、タイムを狙うライダーたちは普通タイヤでの走行を選択する。
事前テストで2月25日26日は、ダウンジャケットを着ても寒さが身に染みる。気温は8℃、路面温度は15℃(手元計測)、通常は30℃くらいがタイヤのグリップが生きると言われている。30台が参加したが、11台が転倒、赤旗続出のテストとなった。スタートしてから最初の左、3コーナーで転倒者が続出、130Rでの転倒も多く、アウトラップの転倒が見られた。
「攻めていたわけではない」と転倒してしまったライダーは困惑した表情を見せていた。SANYOUKOUGYO&RS-ITOHの柳川明、清成は、ここでのケガで、2&4鈴鹿の出場を断念している。中須賀も転んだ。野左根はマシンを大破させた。他にもダメージを負ったマシンが多く出て、すでにサバイバルな戦いとなっていた。
このテストで、新型となったHonda CBR1000RR-R、ドゥカティとシェイクダウンのマシンが多かった。ドゥカティチームは初日の午前中は走行を見合わせている。イタリアからのパーツの到着を待ち、それを現場で装着という慌ただしさで、2回目の走行に登場したマシンには報道陣が群がった。ストレートを独特のサウンドで通過すると、スタッフは抱き合って喜んだ。走り出せた感動は、ここまでの準備のたいへんさを表すものだった。
加賀山は「三日三晩寝てない。ちょっと、休んで、また、寝られない日々」と開幕までの時間を過ごす。スタッフも同様で、不眠不休の時間を過ごして来た。
加賀山監督は「SBKのファクトリーチームは2~30人のスタッフがいるでしょう。全日本のヤマハファクトリーチームだってたくさんのスタッフがライダーを支えている。うちはプライベートチーム8人のスタッフが何役もこなしている。だからさ、無事に走り出せた感動は大きい」と語っていた。
中須賀は「日本最高峰クラスとしての役者が揃った。岡本の成長も想像以上。巧(高橋)とはタイトルを争った中だし、野左根もチャンピオンを獲得している。長島とは走ったことがないので、どんな走りをするのか楽しみ。水野のドゥカティも、本番ではどこまで仕上げてくるか楽しみ。久しぶりにライバルが増えて自分の意気込みも高まる」とライバルを歓迎した。
レースウィークに入り木曜日、金曜日とフリー走行が行われた。事前テストと変わらぬ寒さに走行を見合わせるライダーもいたが、長島が2分05秒626を記録して堂々のトップ。水野が2分06秒072、岡本が2分06秒471、中須賀2分06秒513、渥美心(Yoshimura SERT Motul)が2分06秒673となった。
ヤマハ、ドゥカティ、スズキのワークスマシンをきっちり抑えた長島の5秒台は「勝ちを狙って行く」という言葉を裏づけた。だが寒さは変らず、長島も「まだ、攻め切ってはいない」と誰もが抑え気味の走りであり、ライダーたちのポテンシャルの高さを知らしめる結果となった。
芳賀瑛大(NITRO WORK NAVI OGURA CLUTCH)が3コーナーでスリップダウン。名越は転倒してマシンを大破させ、岡本も転ぶなど転倒者が続出した。
予選の前に雪がちらつき、予選中止がアナウンスされる。長島は鈴鹿8耐の予選で記録したタイムを超える2分4秒台を狙っていた。渥美も予選で上位を狙っていた。ふたつのチームは予選中止を不服として抗議している。
長島は「転倒者が出てケガ人が出ることを望んではいない。だから、中止の判断を理解できなくはない。だけど寒い中を待っていてくれたファンに申し訳ない。危ないから走らないは、プロとしておかしな話だ。EWC用のタイヤを使う選択もあったはず、ファンに向き合う者として最善を尽くしたのか」と悔しさをにじませた。ヨシムラの加藤陽平監督も「年々酷暑となる鈴鹿8耐も、暑くて危険だとやめるのだろうか?」と疑問を投げかけた。
フリー走行の順位でグリッドが決まり長島はポールポジションとなった。
決勝朝のウォームラップランは8時30分から20分間行われ、走行しないライダーもいたが、路面温度や気温を考えると予選の時と変わらないか、それ以上の過酷さだった。ここでも転倒者が出て赤旗中断となる。再開後は長島が「意地で出した」と言う2分05秒935がトップタイム。中須賀が2分06秒468、渥美が2分07秒231、水野が2分07秒575となる。
決勝レース、長島は中須賀を捉え、水野をもパスしてオープニングラップを制する。2周目に水野がトップに立ち、4周目に突入したとき渡辺一樹が最終コーナー立ち上がりで転倒し赤旗中断となる。周回数は14周のままでクイックリスタートがアナウンスされた。
レース再開。長島がホールショットを奪い、中須賀、岡本とヤマハファクトリー2台が背後につける。水野はトップ集団に追いついてトップ浮上する。水野、中須賀、長島、岡本の背後に渥美がつく。そして水野と中須賀が逃げ、長島、岡本、渥美が3位争そいを繰り広げた。
中須賀は水野の背後につけ7周目のスプーンコーナーでトップに立つ。水野が2番手となり、10周目のS字コーナーで渥美が転倒しセーフティカーが導入される。一気に差がなくなった戦いは、セーフティカー解除に向け、タイヤに熱を入れるための蛇行走行がグランドスタンド前で行われ熱いバトルが繰り広げられる予感が支配する。長島は「絶対にもう一度勝負しようと思っていた」と誰よりも大きくマシンを振り弧を描いた。その横で野左根は「長島さんの熱は、自分にも伝わり、自分だって意地でも前にでようと思ってタイヤに熱を入れた」と言う。だがS字コーナーで児玉勇太(Team Kodama)が転倒したことにより赤旗中断となり、そのままレース成立。中須賀が優勝。2位は水野、3位は岡本、そして長島は4位、5位に高橋が入った。津田拓也(AutoRace Ube Racing Team)は6位、野左根は7位という結果だった。
事前テストからレースウィーク、決勝と赤旗の出ないセッションはなかった。レース終盤に転倒した児玉は「あの路面温度でセーフティカーが入り、一気にタイヤの熱が奪われ、いつでも転ぶ状態だった。なんの予感もなく、防ぐことが出来ない転倒、ライダーとしては一番怖い転倒だと思う。訳が分からずに自分が転び、赤旗の原因となった自分は悪者になってしまったし、申し訳なく思うが、本当に誰が転んでもおかしくない状況だった」と言う。津田も「なんとか走り切れた」と語っていた。
戦いを終えて、中須賀の強さを確認することになった。通常は終盤にトップに出ることが多かったが、不確定要素の多い今回は中盤に前に出て勝利をものにしている。だが、水野の速さも特筆出来るもので、130Rからシケインの飛び込みで首位浮上したシーンではどよめきが起きるほどの衝撃であり、ドゥカティの威力をまざまざと見せつけた。中須賀も「水野が短期間でドゥカティ乘りを身につけていた」とその適応力を称賛した。岡本は不用意な転倒の影響もあり本領発揮とならずに悔しさを抱えた。
予選中止になり4輪走行後の路面の確認が出来なくなり2&4初参加の長島にとってはハンデが残った。それでも、過酷な状況でトップタイムを連発した長島とダンロップの本気が、今後の戦いを面白くしてくれることは間違いない。支えるチームの7Cの力量も示された。
高橋は「自分はJSBが長いがチームにとっては初挑戦、じっくり行く」と不敵な笑みを見せた。野左根も「テストでマシン全損してしまい、決勝までロングランも出来ず準備不足のまま決勝を迎えたが、これから、しっかりと詰めて行く」と宣戦布告している。
いずれにせよ、この寒い時期でのレース開催が投げかけた課題は多い。レース数を確保してあげたいという主催者や関係者の思いがあっての開催だろうが、長島の言うように「ファンに対しての誠意」を貫けたのかは疑問だ。シーズン序盤のケガやつまずきはシーズンを左右する。また、低い路面に適応したタイヤでの走行がルール化されず、なんでもありは、闘争心の塊であるライダーたちは、絶対にタイムアップを狙いリスクを伴う走行となってしまったように思う。
最後に、加賀山が参戦会見で「カワサキにだってSBKで走らせているファクトリー車があるから持ってくればいい。ホンダも鈴鹿8耐で勝ったマシンを出せばいい。このままじゃ、イタリアのドゥカティにタイトルを獲られるよ。メーカーが帰ってくれば必ず日本のレースが盛り上がる。またファンがいっぱい振り向いてくれると思う」と語っていた。「自分は悪者で良い、黒船襲来、日本メーカー、目を覚ませ」と訴えた加賀山の声が、伊達ではないと示された戦いでもあったことを記す。
(文:佐藤洋美、写真:赤松 孝)