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試乗・解説

インド北部のヒマラヤを巡る旅『Moto Himalaya』
ヒマラヤ行きませんか? すべては、こんな軽い会話から始まりました。具体的には、8月にロイヤルエンフィールドが主催するヒマラヤ周辺を回るバイクツアー『Moto Himalaya/モトヒマラヤ』に同行する、バイクに乗って写真が撮れる人を探してるんです。で、コウノさん、行きません? と言うものだった。そして僕は、何も躊躇せずに、行きましょう!と答えたのでした。素晴らしい体験になるだろうと予想はしていましたが、バイク人生最高の旅になるとは、このときは予想もしていませんでした。
■取材・文:河野正士 ■写真:ロイヤルエンフィールド東京ショールーム ■協力:PCI https://www.royalenfield-tokyoshowroom.jp






 インドは、巨大な国内二輪市場を持っています。Covid以前は約1700万台、2020〜21年は1500万台という数の二輪車を1年間で販売するくらいの市場規模。そのほとんどが排気量150cc以下の小型車ですが、年間40万台ほどの日本の市場と比べると、その大きさは桁違いであることが分かります。そのなかでロイヤルエンフィールド(以下RE)は、排気量350ccから650ccまでの排気量モデルのみを展開する中間排気量モデルのトップブランド。現地のライダーに聞いたら、少し背伸びをしたら手が届きそうな憧れのハイクオリティ・ブランドという位置を確立しているようです。そのREは2021年の世界での総販売台数は60万台弱ですが、Covid以前は80万台近くを記録していたこともあり、Covidによる生産現場や流通の、さまざまな混乱が収まれば100万台を目指し、それは実現可能な数値目標だと明言するほどなのです。

 そんなREが主催する、ヒマラヤ周りをバイクで巡るオフィシャルツアーのひとつが『Moto Himalaya/モトヒマラヤ』です。REは、過去30年にわたってさまざまなヒマラヤツアーを開催しており、その中身は3週間ほどかけてインド中部からヒマラヤを目指すツアーから、半径2kmに人工的な光りが存在しない場所まで行って夜空を撮影するツアーまで、じつに多彩。そこでの経験を活かして、2017年から新たにプログラムしたのが『Moto Himalaya』なのです。同タイミングで市場投入した、RE初のアドベンチャーモデル『Himalayan/ヒマラヤ』が、ツアーのメイン車両。そのフレンドリーなモデルキャラクターからも分かるとおり、普段スクーターに乗るようなライダーからベテランまで、あらゆるキャリアのライダーが安全に、そして確実にヒマラヤツーリングを楽しめるマシン開発とツアー・プログラムで構成。同時に、メカニックや医師の帯同と言った、充実のサポート体制も組み込まれています。
 

標高が上がると、雲がどんどんと近くなり、空の青さは墨色を帯びてくる。バイクに乗ってると気がつかないが、降りて少しでも歩くとすぐに息が上がり、空気が薄くなっていることに気がつく。もちろんバイクも苦しそう。3000mを超えると、フューエルインジェクションを搭載していても、地上と同様のパフォーマンスを発揮することはできないが、それでもエンジンを目一杯回して走ると、バイクは力強く峠道を駆け上がっていく。

 
 ヒマラヤに行きませんか、と聞かれたときには、標高の高い山々をツーリングするというザックリとしたイメージしか持っていませんでしたが、いざツアー参加が本決まりとなり、インドへの渡航や走行ルートの情報を受け取るにつれて、いままで経験した海外イベント取材や国際試乗会などとは雰囲気が違うぞと、これは心して掛からなければならないぞと言う気持ちが大きくなっていきました。

 インド入国にはビザが必要。その申請を、すべて自分自身でやるとなればそれなりの手間を必要としますが、それらは旅行代理店が用意してくれた書類に、指示された必要事項を書き込むだけ。これはイージーでした。またネットで検索すれば、いくつかの予防接種を勧める記述を多く見かけましたが、ツアーには医師も同行するし、バイクに乗る以外はさほど自由に動き回ることもないだろうと、予防接種系は何もしないことに決めました。今年の8月は、インドに入国の際も日本に帰国するときも、Covidの陰性証明書が必要でしたが、Covid後の海外旅行でいつも懸案だった、帰国に際して現地でのPCR検査の確保と日本政府が定めた証明書書式への書き換えも、ツアー同行医師が担当してくれるとのことで、出発前に気を揉むこともありませんでした。
 

ツアーで最初の5000m越えの峠の手前。小休止してココロとカラダを落ち着けると同時に、給水し、防寒インナーを仕込む。しっかりと水分補給することが高山病予防の基本。ほとんどの参加者がキャメルバッグを背負っていて走りながらでも給水できるが、休憩をこまめに取ることでコンディションも整える。3500mのスタート地点では汗ばむほどだったが、標高が5000m近くなると気温もぐっと低くなる。
最初の5000m越えの峠/カルドゥン・ラ。気圧も酸素密度も低いことから体調が変化しやすく、滞在は15分、決して走らないようにと注意された。とんでもない秘境を想像していたが、クルマをチャーターしてきた観光客も多く、記念碑の前は記念撮影の順番待ち、写真好きのインド人たちを待ちきれず、自分たちの記念撮影を強行すると、その辺にいた観光客も我々の撮影にジョイントしてきた。

 
 唯一気がかりだったのは、高山病とお腹の調子。ツアーの拠点となるインド北部の街/レーですら標高3500mにあり、そこからバイクで5000m越えの峠を4回行い(天候不良などによるルート変更で結果5回の5000m峠越えでしたが……)、ツアー中の宿泊地も4000m越えがほとんど。富士山はもちろん、山登りもしない自分は、そんな高地で自分自身がどうなってしまうのか想像がつかなかったし、インドで水が合わずに到着直後からずっと下痢したなんて話は、そこら中で聞くし……そこでバイクを走らせながら、ツアー参加者の写真を撮るという使命を全うできるのだろうか。でもネットで調べまくって高山病の予防薬を日本で手に入れ、それをお守り代わりにするくらいしか、出発前の僕にできることはなく、そのときの自分にはまったく自信がありませんでした。
 

 

昼食はルート途中にある食堂のような場所で。カレー味のインスタントラーメン/Maggie(マギー)に目玉焼きを入れたEgg Maggieが美味しくて、そればかり頼んでいた。そして標高の高い場所でも、そこら中に犬がゴロゴロ。今回のツアーには日本人のジャーナリスト&ツアー参加者に加え、インドネシア、タイ、韓国のジャーナリストが参加した。

 
 でも現地を走り始めると、その不安はすっ飛んで行ってしまいました。もちろん、キツイ帽子を被ったくらいの頭痛というか違和感はあったものの、運良く高山病の症状はなく、何を食べてもお腹の調子が変わることがなかったくらい体調が良かったことが、その不安を吹っ飛ばす要因でした。そしてなにより、美しいという言葉では言いあらわせないくらい美しい景色の連続で、それに見とれて、自分の体調なんて気にならなくなっていました。帰国してしばらく経った今でも、ふとしたことがきっかけでその景色が脳裏に蘇り、チャンスがあればまたヒマラヤに行きたい、と思うほどです。
 

↑参加者は、名前と番号が紐付いたゼッケンステッカーをヘルメットとバイクに貼る。信じられないほどの数が走っているヒマラヤツーリングのバイクの中から、ツアー参加者を識別し、トラブルなどで停まってしまった場合、最後尾を走るサポートバンが参加者を見つけやすくするためだ。タルチョと呼ばれる、インド北部のお寺に飾られる5色の祈願旗もヒマラヤを巡るツーリングライダーの定番アイテム。ある日の昼食は、前夜の宿泊地が造ってくれたビリヤニ(炊き込みご飯)。これも美味かった。

 
 空気や太陽という、普段の生活では強く意識することがない、でも我々人間が生きていくうえではなくてはならない存在が、標高が高くなり、空気が薄くなること、太陽からの距離が近くなることで、これほど自然や人間の活動に影響を及ぼすのかと、痛感したのでした。なにせ、撮影のためにバイクから降りて、道路を渡って撮影ポイントまで早足で移動するだけで、息はゼェゼェ、心臓はバクバクになりますから。またスマホの天気予報では23?25度と表示されているのに、直射日光下ではまさにジリジリと肌が焼かれる感覚で、体感気温は35度くらい。でも日陰に入るとヒンヤリと涼しく、極度に空気が乾燥しているために、ライディングジャケット下で大量にかく汗も、ベンチレーションから入る走行風ですぐに乾いてしまいます。ちょっと不思議な感覚です。
 

宿泊地は、こんな簡易テント。中にはベッドがあり、バスルームとトイレもある。とはいえお湯が出るシャワーが用意されているのは希で、出ても19時から30分だけと限定的だったり、濁ったお湯だったり。水シャワーしか出ない場所は、バケツ一杯のお湯が支給され、それに水を混ぜて使う沐浴スタイル。夕食は地元スタッフが造るインド料理。彼ら的には、野菜や鶏肉、羊肉を焼いたり煮たりして、異なるスタイルの料理のようだが、僕ら的には個性的なスパイスで様々に味付けられたカレーという認識。僕は、辛くて食べ進められないものもあったが、どのカレーを食べても美味しく感じられ、バクバクと食いまくった。

 

ドクターが帯同してくれたことは、本当に心強かった。僕自身は体調を壊さなかったが、それは運が良かっただけ。ツアー参加者のなかには高山病に苦しむ人、おなかの調子が悪い人、疲れがたまって体調を壊す人などがいたが、ドクターがきめ細やかに対応してくれた。

 
 目に見える景色も違います。雲ひとつないドピーカンの青空は、青ではなく墨色がかった濃紺とも言うべき色。日本だと遠くに行けば行くほど霞が掛かって少しぼやけて見える山々は、手前も奥もエッジがクリア。ガードレールの無いコーナーの奥にそんな景色が広がっていると、道路の終わりと山の峰々との境が分からなくなるほど。ネットで調べれば標高に対する気圧や酸素密度の変化が分かると思いますが、標高5000mでは、気圧も空気も地上の半分くらいになってしまいます。したがって空気中に含まれる水分やチリも少なく、それがスーパークリアな景色を造り上げているのだと思います。
 

ツアーの最後尾を走り、トラブルが出た車両を直したりピックアップしたり、宿に着いてからは各マシンの調子を確認したり、各ライダーの要望に合わせて操作系を微調整したり……とにかく八面六臂の活躍をしてツアーをサポートしてくれたメカニックにもお礼を言いたい。(写真右)ツアーを牽引してくれたアルジャイ(右写真中央)、後ろからツアーをサポートしてくれたジティン(右写真右)、日本や韓国のマーケティングを担当しているアナンド(右写真左)にも感謝

 
 加えて鉱石の影響で、ときおり赤や青の山々が出現したり、その脇を走る川もその鉱石の影響で赤みがかっていたり青みがかっていたり。そしてヒマラヤの山々に積もった雪は、夏は昼に溶けて流れ出し、それが貯まって巨大な湖を造り出しています。標高4000mを越える場所に、美しい湖が優々と横たわっていて、そこから溢れた水が大河となって麓に恵みをもたらす。そんな自然の循環を、とてもシンプルに感じることができます。
 

 
そしてあんなに力強く照りつけていた太陽が山に隠れて日が暮れると、気温は一気に下がり、さっきまでTシャツでも暑いくらいだったのに、ダウンジャケットがないと居られないほど寒くなる。太陽の偉大さを、これほど感じたことはありませんでした。
 

 
 もちろん、バイクにとっても厳しい環境です。今回、約1週間でおおよそ1000kmを走った『Moto Himalaya』で使用した排気量411ccの空冷単気筒SOHCエンジンを搭載したREのアドベンチャーモデル”ヒマラヤ”は、日本で試乗すると、2?3000回転もエンジンを回すと都内では十分に速く走ることができるし、4000回転も回せばかなり速い。しかし標高3500mのレーで走り始めると、その東京で試乗したときよりも使用するギアはひとつ下、エンジンも4000回転から上を常用。レッドゾーンの7000回転付近も頻繁に使用しました。そして標高が上がると6000回転以上を常用。5000m越えの峠を登るときは、ギアは2速、ヘアピンなどでは1速を使い、エンジンも目一杯回しながらの走行になります(もちろん、ノンビリ走ればそれほどエンジンを酷使しないと思いますが……)。でも”ヒマラヤ”は、そういった使い方を想定していて、何事もなく峠を登っていきます。今回20台近いグループでツーリングをしましたが、その1000kmの道中でパーツが緩んだり取れたり、水没からの復帰に時間を要したトラブルはあったもの、エンジントラブルは皆無でした。
 

↑旅の途中で出会ったインド人ツーリングライダーたち。みな大荷物で、ゆっくりと峠を登ってくる。途中の休憩地では、インド版デコトラにも遭遇

 
 そもそも”ヒマラヤ”というバイクは、普段はスクーターに乗っているようなライダーでも、パッと”ヒマラヤ”に跨がりヒマラヤツーリングを安全に、確実に楽しめるように、エンジンパフォーマンスや車体が設計されています。いわゆる欧州メーカーがラインナップするアドベンチャーモデルとは、その見た目もパフォーマンスも異なるのは、その出所が違うからなのです。もちろん電子制御技術や悪路での走破性が高いサスペンションの装着によってもライダーをサポートすることができますが、複雑な電子制御パーツにトラブルが出ると人里はなれた高地で修理することは不可能だし、足の長いサスペンションは乗り手を選ぶ。それにすれ違ったり追い抜いたりした、星の数ほどのインド人ツーリングライダーたちは皆、後ろからはライダーが見えないほどの大荷物を積んでいたり二人乗りだったりして、そしてどんな路面状況でも座ったまま、ときには両足をバタバタさせながら峠を登ってきます。
 であればマシンは出来るだけシンプルで、スリムで軽量で、足つき性が良いバイクがイイに決まっています。だからREの”ヒマラヤ”は、アドベンチャーモデルでありながら、あのスタイルとパフォーマンスを採用したのです。そう思うとRE”ヒマラヤ”は、1980年代半ば、当時オフロード人気&エンデューロレース人気で市販オフロードモデルが高性能化していくなかで、短いサスペンションストロークと低いシート高、それに225ccという、当時のトレンドとは違う小排気量エンジンを採用し、速さよりも、“二輪二足”で道なき道を分け入る楽しさをアピールしたヤマハ・セロー225に近い存在と言えるかもしれません。
 

 
 またエンジンを高回転まで回し、スタンディングポジションで峠を越えているのは我々ツアー参加者だけで、インド人ツアラーたちはシートに座ったままゆっくりと峠を越えてきます。最初は、なんでスタンディングしないんだろう? スタンディングした方が膝で衝撃吸収できるからカラダも楽なのに…なんて思っていましたが、何日もスタンディングで走り続けると疲れてしまうし、延々と続く悪路の上から美しい景色を眺めながら走っていると、スタンディングでその場を足早に駆け抜けることに意味があるのかと考え始めちゃいました。ついには、欧州メーカーの、悪路の制覇を目的としたアドベンチャーモデルより、その悪路を走りきる最低限の装備で十分と考えた”ヒマラヤ”の潔さにドンドン心が惹かれていったのです。そしてその潔さは、ヒマラヤという偉大な自然に対するREのリスペクトなんじゃないか、なんて考えにまで及んでしまいました。
 

最後の5000m峠越え/タグラン・ラで記念撮影。ツアーが終わった夜に開催されたクロージングパーティでは、旅の思い出を語り合いながら、ツアーの完走証明書が手渡された。

 
 まぁこんなふうに、目の前を流れていく景色を感じながら、いろんな方向に想像を膨らませ、思いを巡らせられるのもバイクの楽しいところ。インカム付けて会話したり音楽聴いたりしちゃうと、そっちに意識が奪われて、この楽しみが減っちゃうんですよね。

 そうそう、バイクに乗ることって、ファンタジーだと思うんです。そして「Moto Himalaya」で体験したヒマラヤを回るツーリングでは、そのファンタジーを強烈に感じることができるんです。まぁヒマラヤは現実にそこに存在するので、厳密にはファンタジーではないのですが、その体験から想像できるアレやコレやは、間違いなくファンタジーだと思うんです。
 そして、また行きたいなぁ、と思ってしまうのも、そのファンタジーをもう一度体験したから、なんだと思います。
(取材・文:河野正士)
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2022/12/02掲載