「7C」というのは、どんなレーシングチームなのか?
2021年の全日本ロードレース選手権J-GP3クラスには、ロードレース世界選手権(WGP)を経験し、Moto3にも参戦していた尾野弘樹が名門7Cからエントリー、最終戦オートポリスの大逆転でタイトルを獲得した。
尾野のJ-GP3へのエントリーは注目を集めていた。しかし海外参戦から2018年に帰国後、クラスをJ-GP2へと変更していたが、海外参戦から2018年に帰国後、クラスをJGP2へと変更したが、目立った結果は残していなかった。2020年はST1000へのステップアップを決めるが、新型コロナウィルスの影響からチームが参戦を取りやめ、テストに専念することになった。その傍ら、チームメイトの村瀬健琉のJ-GP3タイトル獲得をサポートしている。実戦としては、1年のブランク、そして小排気量に跨がるのは実に5年振りであり、彼のライダーとしての力量が、現状どこにあるのか測りかねる状況でもあった。
尾野は、2020年のオフシーズンにダンロップの開発を兼ねての全日本参戦の誘いがあり「走りたい」と快諾した。チームが「7C」であったことも決め手となった。尾野は「7Cから出る以上、タイトルを期待されるのは当然」だと受け止めている。
ここで7Cの歴史を振り返っておこう。
1988年、代表の坂井信人がライダーとしてDinky Racingを設立。1994年、坂井氏自身はエンジニアとして活動を始め、チーム監督となる。1997年にはTubeのドラマー松本玲二氏を監督に迎え、全日本エントリーライダーは10人という大型チームとなり存在感を示し、菊池寛幸がGP125ccクラスで最多勝を数えランキング2位へと浮上する。2000年代に入ると他チームのコーディネイトも開始し、熊本レーシングの葛原稔永をロードレース世界選手権(WGP)125ccクラスにフル参戦させている。
2005年には、坂井氏が「藤沢(裕一)の嫉妬するほどの才能に惹かれた」と藤沢氏とジョイントし、10月に株式会社7Cとしての活動を始める。藤沢氏は1987年にJha(城北ホンダオート)に入社。1993年には工場長に就任、エンジンチューニングの独自のノウハウを築き、1994年全日本GP125ccクラスで宮坂賢がタイトルを獲得、1998年には仲城英幸がチャンピオンとなる。仲城はその後、通算5度のタイトルを獲得する。藤沢氏は2005年にJhaを退社。7C入りし、2006年から本格的に若手の育成へと乗り出している。
7Cからは、2009年富沢祥也、2013年渡辺陽向、2014年長島哲太、2020年國井勇輝がWGPデビューを果たしている。彼らの全日本時代も支え、世界への力を育んだ。巨大ワークスの後押しがなくては、世界参戦の夢を叶えるのが難しいという状況の中で、ライダーの夢を支え続けている。その実績は信用となり、HRCから新型車両の開発を委託されるまでになる。
2013年にはHonda Team Asiaの企画で尾野の全日本参戦、WGPもてぎラウンドでのワイルドカード参戦やスペインで行われるCEVレプソルインターナショナル選手権(CEV)スポット参戦のチーム運営も手掛けている。2014年に藤沢氏はHonda Team AsiaのMoto3チームの責任者としてCEVに赴き、尾野をランキング3位へと押し上げた。当時7Cに所属していた國峰琢磨はアジアタレントカップ(ATC)でランキング3位。2015年ATC参戦、ランク2位、全日本GP3でランク4位となった。
2016年には坂井氏のサポートで國井はATCを戦い、同時にCEVにも参戦を開始し、2020年にはWGPに挑戦している。全日本では2017年、小室がJ-GP3ランキング2位、2018年にはランキング3位とタイトル争いを繰り広げ、小室悲願のチャンピオン獲得に多大なる力を注いだ。2019年には成田彬人がGP3でランキング9位、2020にはランク3位へと急浮上する。
藤沢氏は「ライダーの目標を聞き、そこへ届くように現実的なプランを立てて行く。それが世界なら、世界へ。高い目標に限ったことではなく、全日本でポイントを取りたいという目標なら、そこに向けて確実な計画を立てて進んで行く。東大に受かるために受験勉強の計画を立てるプロセスと同じ」と語る。
2021年は尾野弘樹と、全日本デビューした桐石瑠加をJ-GP3参戦の体制とした。尾野は当然、タイトルを狙い、桐石は15位以内、ポイント圏内に入ることを目標とした。
7Cは、世界有数のトップチームであり、その技術力の高さは過去の実績が物語っている。尾野は、その力を知るライダーのひとりであり「チャンピオン」という目標を掲げることになる。藤沢氏は「尾野の価値を示すことが出来る仕事だとも考えた。もちろん、若手ライダーが目標を持ちステップアップしていくことも大事だが、世界を走ったライダーが、その技術を示すことが出来る場も同じように重要」と語り、坂井氏も「ライダーを世界へと送り出すことも大事だが、受け皿も必要」と7Cにとって、尾野の存在価値を高めることも、レース界にとって必要なことだと考えた。
シーズンが始まった。尾野に立ちはだかる小室旭がいた。
2021年、まだ肌寒い中で行われたツインリンクもてぎでのテストで、尾野はJ-GP3のマシンに5年振りに跨がった。探るように周回を重ねたが、その走りが第一線にあることは誰の目にも明らかだった。ワイルドカードで日本GPに参戦した岡崎静夏は「あぁ〜、これこれ、Moto3ライダーの走りだ」と、尾野の走りに嬉しい驚きを感じていた。岡崎がワイルドカード参戦した2016年時から追い求める走りが、そこにあったのだ。
尾野の存在は、全日本に新たな指針を生むことになる。尾野を世界基準として、ライダーたちは自らの走りを見つめることになった。
開幕戦を迎えた2021年全日本ロードレース選手権シリーズ。舞台となるツインリンクもてぎは、雲が多いもののドライコンディション。最初の公式予選となるJーGP3クラスは、小室旭(KTM)と尾野弘樹(Honda)が序盤からトップタイムを争う展開となる。決勝で尾野はホールショットを奪い集団のバトルを制して優勝、小室が2位となる。
2戦目はSUGO。尾野はテストで肋骨と右足の甲を骨折してしまう。自力で歩くのが困難なほどで、レースを走り切ることが出来るか心配されたが、トップ争いを展開し2位に食い込んだ。勝利したのは小室だった。3戦目の筑波は、2レース開催され、不順な天候の中で、レース1で尾野は追突されて転倒リタイア。レース2では2位に入るも、2レースを制したのは小室だった。小室は3連勝と勢いに乗りタイトルに向けて突き進んでいた。
尾野はノーポイントレースがあり、逆境に追い込まれたことで「後は勝つしかない。勝ち続けることでしか、チャンピオンの可能性はない」と腹を括る。だが、残り3戦、勝ち続けることが出来たとしても、小室の好調ぶりを考えると、その望みは限りなく低いものだった。それでも勝利に賭ける思いは、7Cにとっては、逆境だからこそ強いものとなる。藤沢氏は、これまで以上にマシンへと向き合うことになる。藤沢氏は「マシンを仕上げる上で、アイディアを出し、工夫を重ねて、考えに考えて行くことをしないとバイクは速くならない」と語る。
尾野の世界の走りと7Cの技術力の高さが奇跡を起こすのだ。
12ポイントという大きな差で迎えた最終戦。
尾野がチャンピオンになるための条件は厳しいものだった。
5戦目となった鈴鹿、尾野は「やっと自分の走りが出来たように思う」とPPを獲得した。決勝は、尾野と小室のトップ争いで始まり、尾野が抜け出し独走で優勝を決める。小室は2位争いの集団に飲まれ3位。2位に成長株の若手ライダーである細谷翼(Honda)が食い込んだ。
6戦目は岡山国際。予選はウェットからドライのコンデション。尾野はコース状況を見極め終盤にコースインすると、小室とPP争いを見せトップタイムを記録する。決勝は晴天となり陽射しが降り注ぐ中で行われ、尾野が鈴鹿に続く独走優勝で勝利を飾った。2位争いは細谷が制し、小室が3位になったことで、タイトル決定戦は最終戦へと持ち越された。
だが、小室の130ポイントに対し尾野は118ポイント。12ポイント差は大きく、尾野のタイトル獲得の条件は、勝ったとしても、小室が3位以下というものだった。
尾野は「小室さんの速さと安定感を考えると3位以下になることは考えにくい。でも、自分に出来ることは勝つことだけ」と冷静に分析していた。
最終戦の舞台はオートポリスだった。予選はウェット宣言が出されてスタート。アタック開始1周目のトップタイムは尾野。対する小室はコースインするが、すぐにピットに入る。尾野は4周目に2分00秒000をマークして他を圧倒。再びコースインした小室が3番手に浮上する。尾野は5周目に1分59秒661をマーク。唯一1分59秒台に入り、更に自己ベストを更新、1分58秒台となる1分58秒327をマークしポールポジションを獲得。それに1分59秒653の高杉奈緒子(KTM)、1分59秒824の小室が続いた。
決勝はドライコンディションとなった。尾野弘樹がホールショットを決め、それに高杉、小室が続く。2周目のメインストレートで高杉が尾野の前に。しかし、すぐに尾野がトップを奪う。高杉、小室が続いた。その後方の細谷、徳留真紀(Honda)が4番手争いを繰り広げ、さらに木内尚汰(Honda)が接近、その3台が小室に迫り、大きな集団となる。その中から細谷と徳留が抜け、尾野を追う。尾野は独走態勢を築き、徳留がバトルを抜け出し2番手となった。
最終ラップ、小室と細谷の3番手争いが激しさを増す。細谷と小室は並んでコントロールラインを通過。同着に見えたが、細谷は0.008秒差の3位となり、小室は4位でチェッカー。この結果、獲得ポイント(143P)で尾野が小室と並び、勝利数を4勝とした尾野が逆転チャンピオンに輝いた。
尾野は、自身がシリーズチャンピオンを獲得したことを知らずに勝利のウイニングラン。コース上で、チャンピオンフラッグを渡されて初めて、自身が逆転したことを知る。
2位に入った細谷は「尾野さんしか見ていなかった。尾野さんに届かず、バトルが出来なかったことが悔しい。来年は、絶対に勝負できる自分になる」と誓う。尾野に届くことを目標として掲げ、無心に追いかけた細谷の頑張りが、尾野のタイトル獲得を後押しした。
7Cが願った「尾野の価値を高め、全日本の活性化」と願った通りのシーズンになった。
尾野は「昨年は村瀬健琉(2020年J-GP3チャンピオン)のサポートでレースを見ていたので、情報はあったが自分がどこまで出来るのかという不安があった。序盤戦は、前年度1000ccのテストをしていた感覚が抜けずに、自分の理想とは程遠い走りだった。やっと鈴鹿で勝ち、岡山国際の優勝で自分の走りが戻った。チャンピオンになれたのは、勝てる環境を用意してくれたチームのおかげでもある。勝てるバイクを用意してくれ、勝つことしか求められない。その厳しさが、自分を高めた」と語った。
尾野は、世界チャンピオンを期待された逸材だ。
尾野は3歳からポケバイに乗り始め、5歳でオフロードを経験してモトクロスを始め、その後ロードへと転向した。早くから海外参戦を実現し、スペイン、イタリア、ヨーロッパ選手権へと出かけ、ロードレース世界選手権(WGP)のチャンスを掴んだ。だが体制が整わず、アジアドリームカップに参戦し、そこからもう一度、世界への道を模索した。2015年〜2016年とMoto3に参戦するが、満足な結果を残すことはなかった。2017年にはCEVスペイン選手権でMoto2クラスに参戦し、もう一度、WGPへの道を探ったが、2018年に帰国。ターゲットを全日本とした。
「世界チャンピオンを目指して、たくさんの挑戦をしてきました。でも、今は世界しか見ていなかった頃とは、いい意味で気持ちを切り替えられている。あの頃より、頭を使ったレースが出来るようになり、ライダーとしてのスキルやレベル、その精度を上げられている」
尾野が、もう一度、世界を舞台に戦う姿を見たいと願うファンもいる。尾野は「もうGPにはこだわりがない。でも、調子に乗って来たら、また、走りたいと思うかも知れない」と笑顔を見せた。そして、「調子に乗っていけるように努力したい」とも語った。
尾野は2016年から「Team HIRO」の活動も続けている。ポケバイやミニバイク、地方選に参戦するライダー8人が所属している。そこで、尾野は監督として手腕をふるっている。
「自分が育ててもらったように、育成にも関わりたいと始めた」と言う。
昨年まで7Cに所属していた成田彬人は「尾野さんが声をかけてくれなければ、自分はレースを続けていなかった」と言う。不甲斐ない結果に悔しさを抱えた成田を見ていた尾野が声をかけた。成田は「ビリ3だった自分に、俺について来たらトップライダーにする自信がある、って……」。その出会いで、成田は頭角を現し全日本までやって来た。今季の尾野のチームメイトである桐石瑠加もTeam HIRO出身だ。JP250に参戦する姉世奈も同様に尾野との出会でレースの楽しさを見出した。
桐石瑠加は「趣味で始めたバイクですが、尾野さんのアドバイスで、目標が上がって行きました。全日本を走るなんて、夢の、また夢と思っていましたが、目の前のことをひとつひとつクリアして来たら、ここまで来られた」と言う。姉の世奈も「尾野監督のアドバイスで、タイムが変わる、ライディングが変わるんだって、実感しました。自分たちだけでやっていた時とは違う楽しさを教えてもらった」と語る。
尾野は「自分のライダーとしての活動と、平行してTeam HIROの活動も大事にしていきたい」と語った。現役ライダーが監督を務めるチームは珍しく、ライダーの夢を育てる地道な活動として注目と期待を集めている。
●追記:2012年にHondaが始めたアジアドリームカップに大久保光と尾野弘樹が参戦した。初代チャンピオンは大久保、尾野は2013年のチャンピオンだった。アジアドリームカップは、アジア各国から若手が参戦するシリーズ戦で、同じマシンに乗り、切磋琢磨する戦いで、尾野はその走りを評価され、世界への切符を掴んだ。2015年Honda Team AsiaのライダーとしてMoto3に参戦、2016年の日本GPではポールポジションを獲得、3位で表彰台を獲得するも、車検で違反が判明して失格となった。幻の3位としてファンの脳裏に刻まれている。あの時の悔しさややりきれなさを思い出すと、なんだか今も辛くなる。だからもう一度、挑戦して幻ではない表彰台を獲得してほしいと願っている。
尾野は、どこかひょうひょうとしていて、つかみどころないイメージだが、レースしかないという闘志を強く感じさせるライダーでもある。レース以外のことは考えていないんじゃないかと……。失礼だが、人付き合いが苦手なタイプだと思っていた。自分のレースにのみフォーカスしている感じだ。だから、Team HIROの活動が意外だった。監督と呼ばれて、チーム員から慕われている尾野が、レースの楽しさをバイクの面白さを伝えている姿が新鮮だった。ライダーとして世界の走りを示し全日本の底上げをして、チーム活動同様、レースを面白く興味深いものにしてくれ、レースに貢献していることを尊敬する。
7Cは、プロフェッショナルという言葉が似合うチームで、多くのチームやライダーに影響を与える存在だ。敷居が高いイメージがあったが、どのレベルのライダーにも門戸を開いていることを、今回の取材で知った。成長しよう、レベルを上げたいと願うライダーに寄り添うチームとして、最高レベルのマシンを準備し、レースを継続することが出来るように手を差し伸べていたことを知ることが出来て嬉しかった。
(取材・文:佐藤洋美)
◆7C:https://www.seven-c.jp/
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