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生形秀之という生き方──後編「そして、これからも」


Team Suzuki CN Challenge は、2024年鈴鹿8時間耐久への参戦を決定。怪我が完治したとはいえない生形秀之はそれでもタイムを記録しエティエンヌ・マッソン、濱原颯道と共にライダーラインナップに名を連ねた。スズキカラーのツナギに身を包んだ生形の復帰は、大きなニュースとなった。そこに向けられた視線は称賛と危惧が入り混じったものだった。
■文・佐藤洋美 ■写真:赤松 孝 ■写真提供:生形秀之

 チームメイトのケアやマシンへのアドバイスなどチームへの貢献度は高かったが、生形は本戦を走ることは叶わなかった。
生形は全日本最終戦・鈴鹿への参戦を計画する。最終戦参戦には全日本でのポイント獲得が条件となり、岡山国際に参戦するがポイント獲得とはならず、鈴鹿への権利を失った。生形の中に、不完全燃焼のような苦い思いが残った。
「僕の身体の85%は、悔しさと挫折で出来ているんです。このままでは終われない」
 そう語り、2025年に向けて生形は最後の鈴鹿8耐参戦を決めた。そして、前年走ることのできなかった最終戦・鈴鹿で、ライダー生活に終止符を打つことを決断する。

 麻美は、生形の意見を尊重した。
「いつも自分で決めて、『こうするから』と報告してくれるのですが、今回は真剣に相談してくれました。野球やサッカーの選手でも、契約がなくなり、自分の気持ちとは関係なく続けられなくなる人が多いように思います。でも生形は幸いにも自分でチームをやっていたことで、自分で決めることができた。自分でチームをやっていたからこそ、ここまで続けることができた。だから最後も自分で決められることは幸せなことだと……」
 ここまで精魂込めて走り続けてきた生形にとって、引退を決めることは想像以上に難しい決断だった。まだ「これからだ」という思いが、なかったわけではない。
「ライダーとして自分のレベルを上げていけると信じていたから続けてきた。まだ成し遂げたいことがないわけではない。だが、それがいつまでできるのかと、先輩ライダーたちの終盤の姿を考えるようになり、引き際を考えました。最後の挑戦というカードを今切ろうと思った」
 最後への思いは、悔いのない走りへとつながっていく。

 大きなターゲットである鈴鹿8耐に向け、準備のために飛び回る日々が始まった。スタッフの確保、宿の手配、スポンサー交渉──生形は忙しさに忙殺されていく。麻美が献身的にサポートするが、ラストイヤーであるがゆえ、その負担は例年以上だった。
鈴鹿8耐を戦い抜く身体も作らなければならない。しかし生形は太れない体質で、トレーニングをしても食べても痩せてしまう。体力維持は、常に大きなテーマだった。
 麻美は「家の中にはトレーニング器具がいろいろなところに置いてあって、電話しながら、PCに向かいながら、ダンベルを持ち上げたり握力の器具を握ったり。いつもどんな時もトレーニングをしています。忙しくて食事を忘れてしまうこともあるので、いつでも食べられるように準備しています。『食べて』と、口に運ぶこともあります」とほほ笑んだ。
 鈴鹿8耐は、ワンスティントで1〜2kgも体重が減る過酷なレースだ。疲労が極限に達すると食欲も落ちる。栄養補給もまた、大きな課題だった。

#生形秀之
#生形秀之

 チームメイトは、CNチャレンジで一緒だった濱原颯道、そしてKTM MotoGP開発ライダーのジョナス・フォルガー。濱原は事前テストから参加したが、フォルガーはぶっつけ本番で鈴鹿に入る。
 鈴鹿8耐の表彰台を目指し挑み続けてきた、その集大成の舞台だった。Hondaワークス、YAMAHAファクトリー、勢いを増すドゥカティ、BMW、そしてヨシムラ、CNチャレンジのSUZUKI──いずれも強力チームが揃っていた。
 だが、濱原が予選1回目、2回目と立て続けに転倒する。生形は「忙しさで、彼のメンタルケアができていなかった」と悔やんだ。
 メカニックが徹夜で整備にあたるが、決勝日のウォームアップ走行でも濱原が転倒。決勝用マシンは断念し、もう一台のマシンで挑むことになる。スタートライダーは濱原からジョナスに変更され、濱原、生形とバトンをつなぐ。
 しかし118周目、S字で再び濱原が転倒。オフィシャルが退避したマシンをピットまで運び、修復を行いチェッカーを目指す。
 生形の最後の8耐を、リタイアで終わらせるわけにはいかなかった。スタッフの熱気と緊迫感の中、仕上がったマシンに生形が乗り込みコースへ復帰した。
 チェッカーはジョナスが受ける予定だった。しかし、スタッフは生形に受けさせようと計らう。ジョナスがピットに滑り込み、生形は暗闇の鈴鹿へと飛び出した。
 目の前でエンジンブローするマシンが現れる。「ここで転んだら、皆の思いが台無しだ」と生形は危険を回避し、チェッカーを目指した。

#生形秀之
#生形秀之

 8時間を走り切ったライダーたちが、ゆっくりとコースを一周する。生形は最終コーナーを下り、チェッカーライダーたちを称える色とりどりのペンライトが揺れる観客席の情景を目に焼き付けた。スタッフの待つピットに戻り、共にフィナーレの花火を見上げた。
「ライダーとして、この景色を見るのは最後なのだな」
 その思いが、胸をよぎった。
 残念ながら、周回数が足らず完走扱いとはならず、生形にとってはほろ苦い最後の鈴鹿8耐となった。しかしチェッカーライダーを務めた余韻は、生形にとって忘れられないものとなった。

#生形秀之
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 全日本最終戦・鈴鹿への参戦権を得るため、岡山国際サーキットへと向かう。だが、不順な天候となり、スポット参戦の生形は思うようにタイムを上げることができず、決勝グリッドに並ぶことは叶わなかった。
 しかし鈴鹿8耐での貢献、そしてこれまでのレースキャリアが認められ、推薦枠で最終戦への出場権を得る。
レース1を終えた後、生形のためのセレモニーが用意されていた。本人にはサプライズのため、悟られるわけにはいかない。メカニックは生形に知られずマシンを運ぶ算段をし、麻美は生形を見張った。
「サーキットでも彼の忙しさは変わらないので、『セレモニーに連れて来て』とスズキの方に頼まれたのですが、すぐにいなくなってしまうので、椅子に縛っておいた方がいいかなと心配したくらいでした(笑)。翌日にレースが控えているのに、たくさんのライダーはじめ関係者の方が集まってくれて、幸せだなと思いましたし、皆さんにご報告ができて良かったなと思いました。何も言わずに静かに去る方もいますが、ファンの方にも伝えることができ、最後のレースを見ていただき、『目に焼き付けたよ』『お疲れさま』と声をかけていただきました。彼を応援してくれた、すべての方に感謝します」

#生形秀之

 生形はセレモニーで、「明日、転べないね」とライダー仲間に声をかけられたという。「ちょっとプレッシャーだった」と語るが、しっかり走り切ろうと誓っていた。
「これが最後だという思いは当然ありましたが、豪雨からのセーフティーカー導入など、危険な状況でのリスクや怖さは分かっている。その中でも、しっかり走り切ることが大事なミッションだと思い、レースに集中していました。13番手争いになり、14位でも13位でもどちらでも変わらない、という人もいると思いますが、それはちょっと違うなと。リスクを背負ってでもチャレンジしてプッシュする。そうやって走ってきた姿勢を崩したくないと思いました」
 生形はその姿勢を貫き、前車を捉えてポジションを上げ、突き放してチェッカーを受けた。観客から大きな拍手を受け、生形はピットへと戻った。
「リアルに危ない目に遭い、死にかける怖い思いから解放されるのだ」
 静かな安堵感が胸をよぎった。

#生形秀之
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 FD(モトフィールドドッカーズ)代表取締役会長兼社長CEOの岡本章弘は、長年にわたり生形を支えてきた人物だ。
「2007年、スズキの販売店の集まりのゴルフが初めての出会い。『レースを応援してください』と声をかけられてね。その時、ゴルフのスコアが100を切れたら、という条件を出した。一緒に回ったけど、生形は約束の100を切れなかったのに、応援することになった(笑)。
 メカニックの松本も誘って、『一緒にやろう』と……。
 最初のレースで表彰台に上がって、翌年はオートポリスで勝った。このレースが一番印象に残っている。チャンピオン争いをしてね。面白くなって、3位はお通夜みたいに真っ暗で、2位でやっと顔を上げられた。勝たなきゃ満足できないという戦いを一緒にできた。生形はいつも無茶振りでね。大変なことしかなかったけど、4年連続ランキング2位。チャンピオンにはなれなかったけど、面白かった。この時代のチャンピオンは渡辺一樹、野左根航汰、高橋裕紀、浦本修充、水野 涼だよ。生形は彼らと互角に戦った。渥美 心を見つけてきたり、渡辺一樹や津田拓也と8耐を走ったり、いろいろなレースを一緒に戦ってきた。大ケガから復帰して驚かされたし大変だったが、無名のプライベーターが、こんなに有名なライダーになった」
 岡本は「生形のために清水にバイクショップを作り、引退したら、そこの店長でもやってもらうしかないか」と、引退後の人生を案じるほど惚れ込んだ。無事にライダー人生を全うし、最終戦では仲間たちに胴上げされ幕を引いたことを、自分のことのように誇らしく喜んでいた。
 生形は「セレモニーも胴上げも、それをやろうとしてくれた人たちの気持ちが何よりも嬉しかった。胴上げで引退するライダーは、自分が初めてじゃないかな。これから胴上げが流行ったら、ルーツは自分だから」と笑顔を見せた。

#生形秀之

 2025年の鈴鹿8耐、全日本岡山国際、最終戦・鈴鹿と、これまで生形を支えてきた、さまざまな面々が集結し、コースへと送り出した。
 麻美が、生形と一緒に過ごしてきた時間を振り返る。
「彼は贅沢をしない。高級車に乗るとかもないんです。休まず、自分の時間をすべてレースのために使ってきました。決して手を抜かない。自分を甘やかそうと思えば、いくらでもできるのに、しないんです。応援していただいて、好きなことをさせてもらっているので当たり前かもしれないけど……。
 チームの中で、彼と私が一番頑張らないといけないと思っていました。私たちが頑張らないと、スタッフの方々に頑張ってもらえない、いろんな方に応援してもらえないと思ってきました。毎年、そんなふうに過ごしてきましたが、今年は準備の段階から大変だったので、やり切れたことを嬉しく思います。
 思い出されるのは、思い通りにいかない辛いレースだったりしますが、苦労して、その悔しさを形にできたレースもあって、応援してくださる方がものすごく喜んでくれる姿を見られたことが心に残っています。私は本当に普通に生きてきて……。彼と一緒でなければ見ることができなかった景色を見ることができました。今年は最高の景色を見させてもらいました」
 最終戦・鈴鹿では、麻美と同じようにライダーを支えるライダーの妻や彼女たちが、麻美のもとへプレゼントを手に労いに訪れた。
「ライダーはサーキットに入るとレースモードになって、周りが見えなくなります。彼女のことなんて目に入らなくなる。それでも、何ができるのかを考えて、彼だけでなく、スタッフの飲み物や食事、体調管理など、チームのために何ができるのだろうと考えてやってきました。同じような立場の彼女たちから『それを見て、学ばせてもらった。感謝しています』と声をかけてもらいました。自分がやってきたことが、少しでも役に立っていたのかなと思えて嬉しかったです」

#生形秀之
#生形秀之

生形はすでに次のフェーズへと歩み出している。
「もう走らないとは言っていないですよ。テストでのマシン確認とか、そういう意味でバイクには関わりたいと思っています。僕が走って頑張っていることを喜んでくれる方もいるかもしれないけど、そこじゃないだろう、と思っているので、レーシングライダーとしての区切りは明確につけます。僕はもう十分粘っているから……。ここから先、何が待っているかというと、応援してくれる方やレースを知らない人にも、バイクやレースを通して喜ばせる、感動させる。そういう価値をもっと出していくこと、そして若手を育てていくことだと思うんです」
2026年、生形は『S-SPORTS・SUZUKI』を率い、チーム監督に専念。ライダーに西村 硝を起用し、JSB1000クラスにスズキGSX-R1000Rでフル参戦する。
「目標だった全日本でのチャンピオン獲得、鈴鹿8耐表彰台をライダーとして叶えることはできませんでしたが、諦めていません。西村 硝を迎えて叶えたい」
鈴鹿8耐では海外ライダーを招聘し、S-PULSE DREAM RACING・SUZUKIとして参戦予定。地元・静岡発のチームが、世界の舞台での活躍を目指す。

何度倒れても、立ち上がった。
何度悔しさを味わっても、前を向いた。
その姿が、どれほど多くの人の心を動かしてきたのだろう。
生形秀之——。
歩いてきた道は、決して平坦ではなかった。だが、だからこそ生まれた“強さ”がある。静かに燃えるような闘志と、積み重ねた日々が宿す深い説得力。
それは、誰にも真似のできない、唯一無二の輝きだった。
レースという世界を愛し抜いたからこそ、彼の走りには、人の心を揺さぶる何かが宿った。そして、これからも——。
(文・佐藤洋美、写真:赤松 孝、写真提供:生形秀之)


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2026/03/23掲載