テイスト・オブ・ツクバ(Taste of Tsukuba)が筑波サーキットで開催された。クラシック&ネオクラシック・モーターサイクルレースイベントで1990年から春と秋の年2回開催されている。
1970~80年代を中心としたレーシングマシンや、市販車ベースの改造車が主役で、単なる旧車イベントではなく、真剣勝負のレースであることが最大の特徴の人気イベントだ。12クラスに分けられ、それぞれに熱戦が繰り広げられている。このレースに柳川 明と宇川 徹も参戦した。九州の名門・チーム高武出身の二人に当時のこと、そして今を訊いた。
- ■文・佐藤洋美 ■写真:赤松 孝
日本一人気のある草レースとして有名なテイスト・オブ・ツクバ KAGURADUKIステージが行われた。過去最多の309台のエントリーを集めた。旧車に情熱を注ぐレーシングライダーが、予選決勝を通して延べ18本のコースレコードをマークし限界ギリギリのバトルを見せた。
今回は、HERCULES / SUPER MONSTER Evo.参戦の柳川 明と宇川 徹、次回以降ZERO-4の亀作和哉、STREET FIGHTERの中野誠司と3回にわたって紹介しよう。彼らはバイクブーム真っ盛りの1980年代を駆け抜けた面々だ。第1回は、共にチーム高武出身の仲間でありライバルの柳川 明と宇川 徹の対談だ。
HERCULES/SUPER MONSTER Evo.クラスにRS-ITOH柳川 明(Kawasaki)がZ900RSで、そして宇川 徹(Honda)がCB1100R(TEAM UKAWA仕様)でSUPER MONSTER Evo(S.M-Evo)に参戦していた。
この二人は九州の熊本にあるチーム高武出身で、1990年にテクニカルスポーツ九州 with 高武から鈴鹿4時間耐久に参戦して優勝。これによりチーム高武を名門チームに押し上げた。その後、柳川はスズキワークスを経てカワサキワークスライダーとなり、全日本スーパーバイクで活躍。97年からはスーパーバイク世界選手権(WSBK)に参戦し、最高ランキング4位。カワサキのMotoGPマシン開発にも関わり、また鈴鹿8時間耐久では何度も表彰台に登った。
宇川はホンダのワークスライダーとなり全日本GP250 チャンピオンを獲得した後、ロードレース世界選手権(WGP)で活躍。2002年のMotoGP第2戦南アフリカ大会ではV・ロッシを押さえて優勝を飾り、鈴鹿8時間耐久では、高橋 巧に抜かれるまで最多優勝記録の5勝を挙げた。
宇川は引退を決めホンダの社員となる道を選び、柳川は現役ライダーであることにこだわる。違う生き方を選んだ二人がテイスト・オブ・ツクバで顔を会わせた。
同じ釜の飯を食った二人
柳川:自分は鹿児島出身だから熊本のチーム高武に行くのは流れとしてあるけど、千葉県出身の徹ちゃん(宇川)が入ったのは何故? ずっと、聞きたいと思っていた。
宇川:高武さんの知り合いが紹介してくれたのがきっかけ。あの頃は、バイクブームで、サーキットを走りたくても予約が取れない状況もあって、レースをするのならチームに入った方が良いと声をかけてもらった。
柳川:予選が300台とか400台の時代だからね。
宇川:高武富久美社長がチームを始めるって聞いてつないでくれた。「レースを見て決める」という連絡が来たから九州のレースに出て、そこで優勝したんだ。
柳川:そりゃそうだろう。速かったもん。でも、九州に来るって大変じゃない?
宇川:中学3年生で、高校受験の願書も出して準備をしていたのに九州に行くって言ったら、先生はすごい驚いていた。「オートバイのレース?」「それでいいんですか?」って……。「大丈夫ですか?」って呆れられて、最後は「勝手にして下さい」って……。それで熊本の高校を受験した。高武社長のチーム入りの条件が高校に入る事だったから、それは絶対だった。
Q:柳川さんは?
柳川:兄がバイクに乗っていたのがきっかけでバイクに乘り始めて、レースが出来るところって探していて、何チームか電話で問い合わせた。たまたま電話がつながったのがチーム高武で、面接するから履歴書を持って来てって言われてクラブ員になった。
Q:そしてチーム高武で出会うのですね。
柳川:徹ちゃんの走りは衝撃だった。本当に速くて。めちゃくちゃ綺麗に乘るの。ちゃんとシフトダウンしてさ。半クラッチを使わないんだよね。なんでだよって……。フォームもカッコいい、俺みたいにガチッガチッってしてない。この子カッコいいなぁ~って。
宇川:そんなに褒めても何もあげないよ(笑)。
柳川:あの当時、無口だったからさ。
宇川:16歳だからね。
柳川:18歳の自分が、まったく追いつかない。もう、こてんぱん。必死で追いかけて、最初のレースは半周以上離されたと思う。九州選手権が5戦あって、少しずつその差が詰まっていったけど、勝てなかった。徹ちゃんがいつも1番で、俺は2番。
宇川:それが90年には逆転される。
柳川:それは、ケガしたからでしょう。
Q:宇川選手のバイクとの出会いは?
宇川:家の近くにあったフィールドアスレチックの中にポケバイのコースがあって、そこで乗ったのが小学校4年生、20分500円。チャリで友達と出かけたのがきっかけ。コロコロコミックにバイクの漫画があって、夢中で見ていた。
柳川:俺も見ていたなぁ~。コロコロコミックの後ろにライフ社のポケバイの広告があった。
宇川:98000円くらい。
柳川:子供だからさ、高いなぁ~って、買えないなって思っていた。
Q:プロを目指してチーム高武に入った?
宇川:やるからにはと思っていましたね。
柳川:レースはお金がかかるので、親兄弟の支援でレースをやっていて、結果を残したいとは思っていたけど……。いつまで出来るのかと考えながら走っていた。俺くらいのレベルのライダーは、たくさんいたと思う。けど資金難でモチベーションが続かない。大変だし、辛いし、お金がかかるしで、辞めていったライダーがたくさんいた。でも俺も徹ちゃんも、これしかないと強く思っていたから続けていたんだと思う。そんな気がする。
Q:二人はノービスライダーの登竜門である鈴鹿4時間耐久に参戦します。
宇川:ちょうど夏休みで、チーム高武とTSRのコラボチームだった。TSRの藤井(正和)監督が5000円を渡してくれて「映画でも見てごはんでも食べてこい」って言ってくれてね。
柳川:デイズ・オブ・サンダー(笑)。
宇川:トム・クルーズ(笑)。
柳川:それで徹ちゃんと映画を見に行ったんだけど、周りにそんなことする大人がいなかったし、バイクばっかりだったから。嬉しいというか、面白かった。楽しかった。
Q:ですが、参戦出来ない危機があったと。
柳川:徹ちゃんが泣いて正座して高武社長に「出させて下さい」て謝っていたから。
Q:どんな悪いことをしたのですか?
宇川:僕らはお金がないから宿は取れず、自分はTSRのメカさんの家に泊めてもらっていて。
柳川:俺は車中泊。
宇川:メカさん家の電話がしつこくなっていたから出たら、高武社長が、夕飯を一緒に食べる約束をしていたのに自分も柳川さんも来ないので「もう、レースには出さない」って怒ってるって言われて。そんな約束をした覚えがないけど、高武社長に会わなきゃと……。交通手段がないから、歩いて高武社長の宿泊するホテルに向っていたら、車で迎えに来てくれて。
柳川:「聞いてないよ~」って状態。でも怒っているから謝ろうってことで、ホテルにいる高武社長のドアの前に正座して謝って……。本当にすごく怒っているから、「お願いします。レースに出させて下さい」とひたすら謝ってお願いした。
Q:80年代後半は600台以上のエントリーが集まった人気レースで、90年のエントリーは459台。その頂点に立つ。
柳川:それは、モチベーション高いよ。やってやるって。
宇川:必死にお願いして、やっと、出られるってなったわけだから。
柳川:あの速さは、ある意味、高武社長が作ってくれたと思うよ(笑)。
Q:あの優勝でお二人も、チーム高武の知名度も上がった。
柳川:4耐優勝者は、その後の筑波の3時間耐久に招待されて、徹ちゃんはポケバイで走っていたけど、俺は筑波初走行で練習は10分だった。
宇川:予選9番手からトップを走った。
柳川:最後のライダー交代で、俺が走っている時にS字のど真ん中でトラブル、がっくり。
宇川:あの当時は、九州、西日本と地方選もレースも耐久もたくさんあって、走り回っていた。
Q:柳川選手は91年特別昇格で国際A級、宇川選手はジュニアに上がりました。
柳川:忘れもしない全日本最終戦筑波、雨で転んだの。メカさんは怒っていて、帰りの車は無言。バイトをして親に助けられてレースをしていたけど、もう限界。続けられないと思っていた、それが年明けの2月にスズキから連絡が来た。
Q:二人とも高い才能で、どのメーカーも欲しがる逸材でした。才能が磨かれたのは地方選を勝ち抜いてきたことが大きいでしょうか?
宇川:500台から600台がエントリーしていて鈴鹿で10分の予選では3周出来ない。
柳川:走り出してすぐに転倒するライダーもいて、もうすごい緊張感で、今では想像できないと思う。鈴鹿の地方選開幕は雪が降っていて、考えられない気象条件でも、誰もやめようとは言わなかった。走行のための場所取り合戦、殴り合っている人もいて、俺、引いたもん。
宇川:当時はタイヤウォーマーがないから、場所取りが激しかった。ワンチャンスに集中して結果を出さなければいけなかったから、鍛えられたとは思う。
Q:柳川選手はスズキで活躍された後、95年にカワサキ入りして97年から2001年までWSBKを戦って最高ランキングは4位。宇川選手は91年ジュニアでチャンピオンとなり92年HRC入り、93年94年と全日本王者とった。94年にはWGP鈴鹿大会で3位となる。95年から2003年までWGP参戦して、GP250 で最高ランキング2位、2002年の第2戦南アフリカ大会では日本人MotoGP初優勝を飾りランキング3位、そして鈴鹿8時間耐久では5度の優勝を飾りました。
宇川:世界に出ている時は、何回かニアミスしている。
柳川:アウトバーンとか欧州の高速道路で、あれ今の徹ちゃんのモーターホームじゃない、みたいな。お互いアッとした顔しているの(笑)。
宇川:レースのスケジュールが違うので会う機会はなかったけど、柳川さんが97年オーストリアのA1リンクで初優勝したのを覚える。
柳川:俺は徹ちゃんがMotoGP南アフリカでロッシやっつけたの。TVの前でワァワァ言っていた。「行けぇ~」とかみさんと叫んでいた。
Q:印象に残っているレースはありますか?
宇川:2000年の大治郎(加藤)と組んで出た鈴鹿8耐。柳川さんは井筒(仁康)さんと組んでいて、優勝争いをした。大治郎と井筒さんが走り、僕は柳川さんと同じルーティンで。大治郎が最初のスティントで、タイヤ選択ミスでペースが上がらず、8番手とか9番手を走っていて、ペースカーが入った。
柳川:よく覚えているよね、こうゆうライダー気持ち悪いんだけど(笑)。
宇川:トップ争いをして。
柳川:思い出した。こいつ、俺をバヒューンと抜かして行くんだよ(笑)。
宇川:レース後にテレビのドキュメントを見たら、井筒さんは「2位なんていらない」と答えて、柳川さんに同意を求めて柳川さんは頷いていた。
柳川:俺は2位でもいいと思っていたけど、そりゃテレビだもの。頷くしかない(笑)。
Q:激しいトップ争いの末に、井筒さんの転倒でリタイヤ、宇川/加藤組が優勝して、とても盛りあがった鈴鹿8耐としてファンも覚えています。ミレニアムイヤーで、賞金は2000万円でした。
柳川:そうだった?
宇川:2000万円でした。
Q:楽しかったレースの思い出はありますか?
宇川:柳川さん、デイトナがめちゃ楽しかったって言っていたよね。デイトナで勝ちたいって。
柳川:スズキ契約1年目の12月にタイヤテストがあるから行こうと言われて。それまで海外旅行に行ったことなかったから。
宇川:旅行じゃないでしょう(笑)。
柳川:じゃないけど、初海外。もう、行く行くって出かけた。93年のデイトナ。58周のレースで一時2位を走っていたけど、47周でつぶれたの。ピットインしてもエンジンかけっぱなしでさ、パドックもちょっと変わった人しかいないのが面白くて、すべてのことがカルチャーショックで楽しかった。
宇川:石みたいに固いタイヤだって。
柳川:プラスチックみたいなの。スピンするんだもの。サーカスだから、あそこ。壁を走るんだもの。ギリギリで走っているつもりでも、その隙間をラッセルとか抜いて行く「お前まだまだだぞ」って感じでさ。肘を壁に当てて、煙がふわーって上がってフルスロットル。エディ・ローソンさんと走ったんだけど、もう走りがすごくて、もうカッコいいって……。
Q:宇川さんは?
宇川:97年の鈴鹿8耐ですね。伊藤真一さんと組んで出て、ずっと雨で、雨だから勝てたみたいに言われて。会見で晴れでも勝ちますって言って、98年にドライで勝った。忘れられないですね。
柳川:勝った人はそうゆうわな(笑)。俺は2位が最高位。全日本も0.5ポイント差の2位でさ、チャンピオンになれなかった。
宇川:鈴鹿8耐は優勝以外ない。自分もペアライダーの転倒とかで、完走したレースが優勝しかなくてしかたない。
柳川:むかつくわ(笑)。
Q:宇川選手の引退はとても早い印象でした。
宇川:32歳でホンダの社員になる選択をしました。
柳川:もったいないよね。まだ、バリバリ走れたでしょう。何なら、今だって。
Q:結婚を機に引退を決めたので、奥様のためかと思っていました。
柳川:そうなの? バカヤローだな(笑)。
宇川:結婚するときはレースを辞めようと決めていた。現役の時は、守る者を作りたくない。レースに集中したかった。他のことを考えるシチュエ―ションを作るのが嫌だった。
柳川:あー、言っていることすごくわかる。俺は結婚もして子供もいてレースをやっていたけど、いろいろと言う人もいたからね。
Q:柳川さんは、現役にこだわり続けている。
宇川:すごいことだと思いますよ。でも、ここ4~5年は若い子に譲ってあげればいいのにって、思っていたけど(笑)。
柳川:今はアドバイザーですから。でも、まだ出たいよ。
宇川:全日本?
柳川:うん、いろんなところに声かけている。
宇川:すごいな~。
Q:タイプは違いますが、華やかな時代を駆け抜けてこられたお二人です。
宇川:全日本でも世界でも鈴鹿8耐も、いい時代を過ごすことが出来たと思います。今では考えられないでしょう。全日本でチャンピオンになったら、世界へという道があった。
柳川:貴重な経験をさせてもらったと思います。
Q:テイストに出るきっかけは?
宇川:ツーリングでバイクを楽しんで、もて耐などの参戦をしていて、その仲間から今のショップを紹介してもらって、眠っているCB1100Rがあるからっと聞いて、自分から声をかけて、やりませんか? って。
柳川:ほら、未練があるのよ(笑)。
宇川:鉄馬もテイストもHonda車がいないでしょう。Honda車で出たいと思っていたから。
Q:テイストでの目標は?
宇川:一台でも前に行く。40年くらい前の車なの。これまで5位、6位あるけど、総合で3位にはいれたらと思う。
柳川:う~ん。周遅れにならないことかな。今回は、まだマシンの調整が出来ていないので、厳しい。
宇川:ジェントルマンのレースだから、応援してくれる人にとって楽しいレースにしたい。
柳川:309台がエントリーのテイストですから、楽しんで走ります。
Q:二人は兄弟のような関係?
宇川:それは勘弁して下さい(笑)。
柳川:それは嫌だな、むかつくわ(笑)。今日も「1秒切れないの?」って言って来て、こっちは切れないんだよって……。
國川浩道が奥田教介を抑え、HERCULESクラスで3連勝を達成
最高峰HERCULESクラスには、フクダテクニカの奥田教介(OV-43)が好調な滑り出しを見せ、練習走行から55秒台目前の好タイムを連発。さらに、Team YELLOW CORNの國川浩道(YC-09RB)、Team KAGAYAMAの加賀山就臣(鐵隼)、新庄雅浩(ZRX1200S)、柳川明(Z900RS)など、全日本ロードレースを戦う実力派が揃い、今大会は例年以上に密度の高い顔ぶれとなった。また、S-MONSTER Evo.にはTEAM UKAWAから宇川 徹(CB1100R)が参戦し注目を集めた。
公式予選では、奥田が56秒台に突入しポールポジションを獲得。続いて國川が4番手、加賀山5番手、新庄6番手。空冷CB1100Rで挑む宇川は58秒955で8番手につけた。柳川はセットアップに苦しみ20番手に沈む。
決勝レースは12周のスプリント。スタートで飛び出したのは加賀山で1コーナーを制しホールショットを奪うと、奥田、松本隆征(OV-46)、國川、新庄、宇川が続いた。2周目1コーナーで、松本と國川が奥田をパス。さらに最終コーナーでは國川が松本をかわして2番手浮上。加賀山の背後に迫り、5周目、1コーナーで國川が加賀山を攻略しトップに出る。奥田も巻き返し、7周目1コーナーで加賀山をとらえ2番手に。松本も8周目1コーナーで加賀山をかわすが、その直後の第1ヘアピン進入で加賀山のマシントラブルが発生。マシンが失速した加賀山に松本が巻き込まれる形で2台とも接触転倒となった。
先頭は國川と奥田の一騎討ち。奥田が粘り強く背後に張り付くが、國川はミスなくペースを維持。國川が奥田を抑え切り、堂々の3連勝を達成した。
- ■最終結果
- 1位:國川浩道(YC-09RB)
- 2位:奥田教介(OV-43)
- 3位:光元康次郎(Ninja H2R/Garage414&WoodStock)
- 4位:新庄雅浩(ZRX1200S)
S-MONSTER Evo.最上位の宇川徹は総合6位でチェッカー。同クラス優勝に加え、ファステストラップも記録した。
柳川は追い上げを試みたものの、総合18位となった。
柳川 明と宇川 徹、—時代を築いた二人が今もテイストのグリッドに並び挑んでいる。その事実だけで、サーキットの空気はわずかに色を変える。
長いキャリアでそれぞれ違う道を歩みながら、なお同じ舞台に立ち続ける姿はバイクを愛する世代すべてに静かな力を投げかけている。
二人が走るかぎり、新しい物語が刻まれていく。
(文:佐藤洋美、写真:赤松 孝)
