トライアルは、モトクロスやロードレースと違いスピードを競わない。バランス・正確さ・集中力が重要であり、高度なバイクコントロールが求められる。自然の岩や丸太、人工の障害物があるエリアでアクセル、クラッチ、ブレーキを絶妙に操り、数センチ、ミリ単位でマシンを扱い、岩の上でピタリと止まり、バイクを跳ね上げて段差を登る「いかに足をつかずに難所を超えるか」を争う。
複数のセクションを限られた時間内に周回し、足を1回着いたら減点1点と加算され、転倒や逆走、セッション不通過すると減点5点(最大)となり、減点数の少ないライダーが勝つ。トライアルとはそういう競技である。
国内最高峰全日本トライアル選手権がスタートしたのは1973年。ヤマハは、その第1回大会から参加し、そしてTY250を駆る木村治男が初代チャンピオンとなっている。
- ■文・写真:佐藤洋美 ■写真提供:YAMAHA
電動トライアルバイクでの挑戦!
全日本で使用するマシンに排気量制限はなくエンジン車が主流だが、ヤマハ発動機は2023年から電動トライアルバイク「TY-E」を投入している。
「TY-E」はモータースポーツ部門と研究開発部門、ライダーが三位一体となり、内燃機関を上回る性能を持った市販EVにつながる技術とチャンピオンの獲得を目標に、2023年から3年計画で全日本の最高峰クラス「IAスーパー」に参戦しているのだ。
長年トライアルを取材するジャーナリストの西巻 裕は語る。
「ヤマハファクトリーが参戦を開始したニュースは、トライアル界の明るい話題として受け入れられた。エンジン車に電動車が、どこまで挑めるのか、いつ勝利を収めるのかと興味深い挑戦だった」
1年目は、黒山健一が「TY-E 2.1/2.2」で全日本の最高峰クラスで史上初となる電動トライアルバイクでの表彰台獲得を達成。2年目は、黒山に加え、氏川政哉、野崎史高の3名が「TY-E 2.2」で参戦。第3戦もてぎ大会では氏川が全日本の最高峰クラスで史上初となる電動トライアルバイクでの優勝を飾り、2位に黒山、3位に野崎が入り「TY-E」が表彰台を独占した。
最終年となる2025年は黒山、氏川がアップデートした「TY-E 3.0」を駆り、「Team NOZAKI YAMALUBE YAMAHA」からは野崎が熟成を重ねた「TY-E 2.2」で参戦している。
YAMAHA FACTORY RACING TEAMを率いる佐藤美之監督に電動バイクの取り組みの経緯を聞いた。
──開発はいつから始まりましたか?
「15年くらい前にリーマンショック(金融危機)があり、研究開発へも影響が出ました。ですが開発をストップするのではなく、研究者たち向けに新しいアイディアを出し、業務時間の5%を使い新規事業を考える「エボルビングR&D活動」が提案されます。豊田剛士さんの未来的な視点からトライアル車の電動化が選ばれ、仲間を募り10人~20人くらいで動き出したのが始まりです」
──それが、形となったのは?
「2015年~17年の間に研究開発を進め、2018年の東京のモーターサイクルショーで発表しました。開発チームとしては、その成果を確かめるために全日本に参戦しようとしました。ですが、全日本には電動バイクのクラスがなかったので、2018年のフランス大会とベルギー大会のFIM Trial-E CUP E(電動)クラスに参戦したのです。ライダーは黒山が務めてくれました。2位と1位を獲得。開発チームは、シリーズチャンピオンを狙っての参戦を希望しましたが、会社としては目的達成ということで終了しました」
──でも、そこで終わりではなかった。
「電動バイクの開発当初、自分は『なんでそんなにやるの?』と否定派だったのですが、開発に関わる人たちの話を聞き、その過程を見て行く中で、トライアルに必要な瞬発力と繊細なトラクションコントロールを再現する試みに『これはすごい挑戦なのだ』と理解するようになったのです。開発者が苦心して素晴らしいバイクを完成させたのに、何故勝てなかったのだという自責の念があり、悔しさが残りました。ここで終わるわけにはいかないと会社に訴えました」
──その思いを受け入れてくれた。
「上司に伝えると、後押しするから上を説得する資料の作成を、と言ってもらい、事業貢献する案件なのだとプレゼンする機会をもらいました。条件付きではありますが、継続させてもらえるようになります」
──本格的に始まるわけですね。
「2018年に海外参戦した時、黒山さんに『ひとりでレースをやっている感じがする』と言われた言葉が心に残り、しっかりサポートできる体制を作ろうと思いました。それでも予算は限られているので、少数精鋭で7~8人のチームで動き出します。チャンピオンにふさわしいバイクなのだから、その称号をちゃんと与えようと、2019年にオランダ大会とベルギー大会に参戦しますが、共に2位と勝てなかった。また悔しさを抱えることになるのですが、そこでいったん終わります」
──そこから、再度復活する。
「細々と豊田さんを中心に開発は続けていたのが、時代がEV機種を開発して、市販車にフィードバックさせようという働きかけがあり、開発チームが再結成されます。全日本のレギュレーション作成にも関わり、電動バイク参戦の下地を作り、2022年にスポット参戦して、2023年からフル参戦を開始しました」
──3年計画が立てられたのですね。
「会社から与えられた機会を大事に戦っています。ヤマハの看板を背負って覚悟を持ってタイトル獲得に挑んでいます」
静寂が歓声に変わるとき
2025年7月13日、初夏の陽射しが強く降り注ぎ汗ばむ気候の中で、全日本トライアル選手権第4戦北海道・和寒大会は行われた。旭川の北に位置する「わっさむサーキット」は自然豊かな丘陵地にあり、雄大な景観を楽しむことができる。春は雪解け水で湿った路面、夏は乾いた土と草地、秋は落ち葉や濡れた岩、どの季節も路面状況が大きく変わる。そのため、ライダーは天候や季節に応じたタイヤ選択や走り方の工夫が必要となる。
競技は4時間30分の持ち時間で10セクションを2ラップした後、上位10名だけが2つのスペシャル・セクション(SS)に挑む。
ライダーはコースの下見を入念に行い、攻略のためのイメージを固める。選手同士でコースの印象を話す場面では、「駆け引きが行われることもある」と言う。どんなアプローチでクリーンを得るのかは戦略であり、トライする順番に至るまで神経戦が繰り広げられる。
黒山は「自分、地面、マシンのコンディションを掛け合わせ、失敗のパーセンテージが一番低いアプローチを選んでいく。その選択肢が多い時は大変です。逆に言えば、選択肢が一つしかない場合は、もう覚悟を決めていくしかない」と言う。
第一人者である黒山の走行には、一際大きな注目が集まる。静寂が訪れ、聞こえるのは鳥の声や風が木々を揺らす音がだけだ。電動バイク特有の音が控えめに響く。ライダーの息使いまで聞こえそうな張り詰めた空気の中で、神業のようなテクニックを武器に次々と難攻不落の難所に挑み、バランスを取りながらバイクを操る。極限の緊張感をオフィシャルの「クリーン」の声が破る。観客から感嘆のため息と歓声が沸く。驚くのは、ライダーに触れることができる距離感で競技が行われることだ。その臨場感は大きな魅力となり、ファンの心を捉える。
クリーンが取れた時の気持ちを黒山は「苦労して落とし穴を仕掛けて、そこに獲物が“ずぼん”と落ちる感じ」だと、その爽快な達成感を教えてくれた。
鬼門となった第2セクション、1名がクリーンした以外は17名全員失敗(減点5)。しかも3mはある高所からの転落で体を痛めてしまう選手も出た。その後は第3・4セクションとクリーンを重ねた黒山・氏川・野崎だったが、第5セクションは18名全員が減点5となる難関となった。その中で黒山が1ラップ目終了時点でトップに立つ。
2ラップ目は、氏川が第5セクションを減点2とし、黒山は第2セクションをただ一人クリーン。2ラップ目終了時点で黒山が26点でトップ。2番手の氏川は28点。二人の優勝争いはSSが舞台となる。野崎は3番手争いを繰り広げていた。
黒山は「氏川と2点差だったので、1回の足つきは良いが、2回なら同点になる。氏川が減点されればアドバンテージは広がります。メンタルの弱いライダーは、そういった情報を入れると動揺してしまうので聞かないライダーもいますが、自分は把握しておかないと作戦を立てられないので、情報を入れた中で戦う」と挑んだ。
チームメイト同士の優勝争いとなったSSはふたりともクリーン、点差はそのままで重圧をさらりとかわした黒山が2連勝。氏川は善戦するも悔しい2位。野崎は5位となった。
黒山が、優勝の喜びを語る。
「昨年の北海道大会でマシンのセッティングをガラッと変えて挑戦したのですが、大外ししてしまいましたが、そのセットで挑みました。リベンジを果たせたという意味でも嬉しい優勝です」
佐藤監督は、それでも気を引き締めていた。
「ライダーの実力の高さとマシンの性能があっての勝利だと思います。それだけ進化したということだと思っているので、開発者をはじめ関係者に感謝したい。チャンピオン獲得のために今後もしっかり戦いたい」
ポイントランキングは黒山がトップを独走、3年計画でタイトル獲得の目標に突き進んでいる。
電動車は、パワーのコントロールがパソコン上に数値として表れる。ライダーがそのパワーを使い切るテクニックを駆使し、バランスを考えなければならない。
ライダーにとって、エンジン車から電動車への乗り換えは冒険であり挑戦だったはずだ。
大ベテランと言える黒山が語る。
「エンジンバイクで10年、20年、30年とレースをやってきて、エンジンバイクだったらこういう走り方というのがもう大体分かるんです。でも電気は全然違う。まず、探り当てることから始まって、自分にノウハウを蓄積していく作業が必要でした。でも、その作業が楽しかった。開発部のメンバーの情熱、熱意がバイクにどんどん搭載されていく。バイクとともに成長しなくちゃいけないと思いました。開発に関わるというのは、ライダーとしてやりがいがあります」
それは氏川や野崎にとっても共通の感覚だ。
氏川は「TY-E」で初優勝を飾ったライダーだ。
「新しい取り組みである電動バイクに乗ってみたいと思い挑戦したいとお願いしました。最初はパワーの出方がエンジン車とスピード感が違うので苦労はありましたが、今ではエンジン車と勝負ができますし、それを上回る良さを感じています。初優勝は、このバイクの開発に関わる人、チームスタッフが望んでいたことなので、それをプレゼントできたことは嬉しいことでした。これからも、このバイクをどんどん良くしていきたいですし、これで世界に挑戦できたらと思っています」
野崎はテストライダーとして、2018年の海外参戦以前から開発に関わり、「TY-E」のマシンを熟知している。
「一般の方を含めてオールマイティーに、誰もが乗りやすいバイクを理想として開発に関わらせてもらいました。これまで電気はパワーの出方が難しく、急激にパワーが出てしまうことで、エンジン車よりも威力を発揮する場面もありますが、乗りにくいという難しさがありました。その短所を削っていき、長所を生かし乗りやすいものになったことで結果が伴うようになってきました。これからも開発を続けて行きたい。そして、また表彰台に立ちたいですし、勝ちを目指したい」
野崎は昨年の北海道大会で靭帯断裂のケガを負い、8月に手術をし、復帰には1年と言われたが、今年の開幕から復帰。まだ癒えぬ身体ながら、果敢なトライを見せている。
第5戦広島三次灰塚大会では、野崎が「TY-E 2.2」で今季初優勝しTY-Eが4連勝、氏川、黒山は「TY-E 3.0」で2・3位とし表彰台独占した。
北海道大会を視察に訪れていた小野哲氏(MS統括部 MS戦略部長)は「エンジン車と比べても非常に力強いマシンであり、優勝ができるポテンシャルを証明できました。今後、電動バイクでの新たなミッションを掲げ、現状のマシンを磨き上げて勝てる体制をキープしたい」と述べた。
ジャーナリストの西巻は「電動バイクは環境に配慮されており、パワーをコントロールすることができるので、操る人のレベルに合わせ、初心者から競技に参加するライダーまでをカバーすることができる。市販化に向けては、様々なハードルがあるが、その問題をクリアして、ユーザーの手に渡る未来が来ることを願う」と語った。
トライアル競技では「低速トルク」「繊細なスロットル制御」「軽量化」が求められる。これはEV開発に直結する技術であり、一般市販車へのフィードバックが可能で、未来へとつながる試みである。
トライアルは自然の岩場や森を舞台に行われる競技であり、排気ガスや騒音が少ない電動車は、環境と調和した競技運営にもつながる。開催場所を選ばず、アクセス環境の整った都心での開催が可能となり観客層の拡大にもつながると期待されている。
すでにYAMAHA FACTORY RACING TEAMは東京、大阪で行われるモーターサイクルショーの場内や、静岡大学や九州工科大学などの構内、全日本トライアルが開催される地域での役所の協力を得て、各所でデモンストレーションを行い、モーターサイクルの認知と理解に努めている。
ヤマハはかつて「TYシリーズ」でトライアル界にその名を刻んだ。その伝統を開発陣と魅力的なライダーたちの手により「電動」で復活させた。過去と未来をつなぐブランドストーリーの構築はヤマハにとって“未来の挑戦の象徴”だった。
頂点に輝く日は近い。
(文・写真:佐藤洋美)
●TY-E 3.0(YAMAHA FACTORY RACING TEAM)
初代のTY-Eが登場したのが2018年。力強い低速トルクと伸びやかな加速を両立する高回転型の小型高出力モーター、極低速から高速域まで優れたレスポンスとパワーフィーリングを実現するモーター制御技術などの特徴を持つ、ヤマハ発動機にとって初の電動トライアルバイクとして発表した。
それから数年後、「FUN×EV」をコンセプトに内燃機関を上回る楽しさを目指し開発を再開。2022年3月、TY-E比で約2.5倍の大容量バッテリーや、大幅な低重心化を達成したコンポーネントレイアウト、軽量化や剛性の最適化に貢献するコンポジット(積層材)モノコックフレームを採用した「TY-E 2.0」を発表。
2023年、TY-E 2.0をベースに仕様を変更したTY-E 2.1を開発して全日本に初投入。シーズン後半には、新設計モーターコントローラー(MCU)や新設計モーターを採用したTY-E 2.2を投入。2025年は、TY-E 2.2から一新、さらなる軽量化と2速からなるギアを初採用するなど、最終形となる「TY-E 3.0」を投入した。