― WBCで日本が優勝したときに勝利を祝うツイートをしていましたね。日本でも大いに盛り上がっていましたが、中上選手も観ていたのですか?
「がっつり観戦していたわけではないんですが、優勝してほしい気持ちもあったし、大谷翔平選手やダルビッシュ有選手たちの活躍も気になっていたので、結果は最低限でも追いかけて、試合も時間が空いた時に観ていました」
―刺激になりましたか?
「自分と競技は違っていても、やっぱりなりますね。野球は小さい子から親御さんまで日本中の誰しもが知っているスポーツで、一番強いと言われているアメリカを相手に、しかもアメリカで戦って勝ったっていうのは、やっぱりすごく力をもらいましたね」
―中上選手自身の話についていえば、2月のセパンテストの際には、寒い時にはまだ指が少しこわばる、と言っていましたが、今はどうですか。
「そこは正直なところ、変わってないです。昨年のクリスマス直前の12月23日に最後の手術をして、そこから動きはだいぶ良くなっているんですが、今でも朝起きた時は動きがまだ硬い感じす。ただ、手が温まって血行が良くなると動きはすぐに良くなるので、硬いのは本当に一瞬なんですけれども、正直なところ、朝起きて一番最初の感覚がそれなので一瞬にしろ、大丈夫かな、とどうしても感じるし、それが毎日続いてるのでやっぱり気分は良くないですよね」
―走ることへの差し障りは?
「そこはラッキーなことに、なにも支障がありません。力も大丈夫だし、グリップを握る感覚もフィーリングは悪くないし、ライディングに悪影響も及ぼしていないので、冬に頑張ってリハビリをして本当に良かったと思っています。ドクターをはじめリハビリ担当の人たちには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。自分の力だけではとてもじゃないけどここまで回復できなかっただろうし、奇跡的な回復で2月のセパンで走れる状態に戻ってきたと思うので、本当に感謝しています」
―今年のプレシーズンはセパンテストが3日間、ポルティマオテストが2日間でした。日数が限られていたうえ、テストを見る限りでは仕上がり具合もなかなか厳しそうでした。
「そうですね。そこは本当にリザルトどおりで、もちろん自分としてももっと上の順位でプレシーズンテストを終えたかったし、まさかこんな下位に沈むとは正直思ってもいなかったので、自分の調子とバイクのポテンシャルをもっと底上げしなければいけないと痛感しています。今の状態ではとても好成績やトップ争いを狙えるレベルではないので、バイクも自分自身も、究極を突き詰めていかなければいけないと感じてます」
―何に苦労をしているんですか?
「今は単純にパワーやグリップを求めるだけではなくなってきているので、自分のライディングと電子制御がマッチしている感覚がなくて、空力も含めて減速や加速で良い状態にはまだ仕上がっていません。思いどおりに減速しきれない原因は何で、どこから来ているのか。シャシーからではないような気もするし、ウィングなどの力でより止めていくことも求められている。加速についても、パワーを出せばいいという話でもない。そこのマッチングで、ダウンフォースが強くてウィリーしない状態でもっとパワーを出せて、なおかつ乗りやすいバイク、というところに到達できていないですね」
―それは、バイクそのもののスイートスポットを見つけきれていないのか、それとも中上選手自身が今のバイクに合わせて変えていかなければいけない何かが噛み合っていないのか、どうなんでしょう。
「両方あると思います。ホンダとしても『今シーズンはこのバイクです。決まりました』というわけではないので、メーカーとしてバイクを進化させていこうという意志の力をすごく感じます。『これで決まりです』というのであれば、自分も割り切って(スタイルを)寄せていくこともできると思うんですけれども、まだまだ進化して行くだろうから、あまり割り切ってライディングでやり過ぎてしまうと、それもどうなのかなと思うところはありますね」
―2023年はグランプリ史上で一番大きいフォーマットチェンジで、土曜午後にスプリントレースが導入されます。予選は土曜午前に繰り上げになって、その結果が土曜のスプリントと日曜の決勝と両方に効いてくるので、予選結果は今まで以上に重要になります。
「予選が終わって数時間後にスプリントレースで、距離も十数周しかないので、スタート位置がものすごく重要になります。他のメーカーが上がってきているだけに、一周の速さとスピードを今まで以上にもっと求めていかなければいけないと感じています。
新しいフォーマットは楽しみでもあるんですが、ライダーとしてはラクになるわけではなくて、負荷がどんどんかかる方向です。スプリントレースは半分の距離といっても、集中力は爆発的に上げていかないといけないし、短いからこそ予選のようなラップを重ねないといけないので、肉体よりも頭の方が疲れると思います。しかも、翌日までに回復して決勝レースの長い距離を走るメンタルと体力を元に戻さなきゃいけないので、スプリントレースが終わった後、自分がどういう感覚で終わるのか。そこは正直なところ、まずは1戦を戦ってみないとちょっと見えてこないですね。余力を残して終わるのか、逆にハイペースな分、意外に体力を使ってしまうのか、今はまだちょっと予想しきれません」
―去年からメンタルトレーニングを強化しているという話でしたが、現在も続けているのですか。
「スプリントレースで何かミスをしても翌日に挽回できるチャンスはあるんですが、今までなら次のレースまで一週間や二週間の時間があった中でマインドをリセットできたところを、今年は究極に短くなっているので、そこは実際にやっていきながら自分がどんな心境になるのかを、メンタルトレーナーと共有して対応してきたいと思います。いろいろなプランA・B・Cのようなものもあるんですが、実際にその想定プランに当てはまるどうかもまだわからない状態ですから」
―先日公開されたDORNAのビデオで、中上選手は「今年が正念場であることは、自分でも自覚している」と英語のインタビューで正直に話していました。そのシーズンにこれから入ってゆく現在の心構えはどうですか?
「今年はMotoGPで6年目のシーズンになります。去年、契約更新をできたのはもちろん良かったですし、1年の契約更新だということはその時点でハッキリしていたので、2023年が正念場になるのはそもそもシーズンが始まる前からわかってることでした。シーズン序盤から結果は求めて行かなければならないので、開幕戦のポルティマオからヘレスやルマンの頃には、結構見えてくるんじゃないかと思います。成績を残すことができれば、来年以降のシート確保や契約更新も話すことができるし、逆に成績が残せなかったらシートを失う可能性が非常に高い。それはみんなも自分もわかっていることなので、はっきりしていると思います。特に守るものがあるわけではなくやるしかないので、今のパッケージで全力を尽くして結果を出していくのみです。そこはすごくシンプル。今まで5シーズン戦って今年が6年目で、今年が一番シンプルなんじゃないかと思います」
―かなり吹っ切れているのですか? それとも、もっと頑張らなきゃいけないというプレッシャーを感じているんでしょうか?
「頑張らないといけないのは当然の話です。今年が最後だとはまったく思っていないし、来年以降も続けたいし残りたい、という気持ちのほうが全然勝っています。残るためには、たとえばチームメイトよりもいい成績を残すといった形で結果を出さないと無理なので、言い訳せず真っ向勝負で戦うのみです」
―具体的にはどんなリザルトを目指していますか。
「表彰台は格別だし、まだ登ったことがないので、トップスリーに入ることはやっぱりMotoGPで達成したいひとつの大きな目標です。それがいつになるかはわかりませんが、プレシーズンテストを終えた今の状態で『この開幕戦で表彰台に登ります』とは言えないですけど、状況がどんどん良くなっていって1戦でも早く達成したいという気持ちは強いです」
―話題はがらっと変わるのですが、今年、2023年は加藤大治郎さんがなくなってから20年の節目です。
「そうですね、2003年でしたもんね」
―2月のチームプレゼンテーションの際に中上選手は「大治郎さんにもらったブーツが宝物だ」と言っていました。中上選手は、加藤大治郎さんについてどんな記憶を持っていますか?
「9歳の時に、あるバイク雑誌の企画でお会いしたときに、ブーツをもらいました。日本GPのもてぎパドックツアーでいろんなライダーを直撃して、ゲームをして勝ったら何かを貰える、という企画で、そのときに大治郎さんのライダー控え室を訪問してゲームに勝ったんです。すると、大治郎さんが「じゃあ、さっきまで使っていたブーツをあげるよ」ということで、アルパインスターズのブーツにサインをしたものをいただきました。そのときのことは、すごく鮮明に覚えています」
―9歳ということは、小学校3年生?
「3年生だったかな。2002年で、そのときの大治郎さんのカラーリングもとてもよく覚えてます。赤とシルバー(Fortunaカラー)だったから、MotoGPの1年目ですよね」
―大治郎さんのレースでは、どんな走りを憶えていますか?
「青と黄色のテレフォニカモビスターカラーのグレシーニさんのチームで、いつも勝っていた姿はすごく鮮明に憶えています。原田さんと戦って、大治郎さんがほぼぶっちぎりで何秒も突き放して優勝している記憶がすごくあります。(中野)真矢さんと戦っていた姿も、ぽつりぽつりと憶えています。大治郎さんが青白カラーで、真矢さんが緑とシルバー(Chesterfieldカラー)のTech3のバイクでしたよね」
―加藤大治郎さんの、何がすごいなと思ったのですか?
「圧倒的な強さはもちろんなんですが、レースが終わってヘルメットを脱いでインタビューを受けているときの雰囲気の違い。あんなに速いのにほんわかしたしゃべり方で、英語をしゃべってカッコいいイメージの真矢さんと両極端すぎて、その対比がすごい。どこでもすぐに寝ちゃうという話も聞いていたので、そういう魅力にも引きこまれました。
あとは、ライディング。見たことがないくらいの美しいライディングフォームで、あれは自分が今まで記憶にあるどんな映像と比べても、あんなに完璧に左右対称で綺麗なライディングフォームは見たことがないし、あれ以上もないだろうと思います。別格ですね。
美しさもスピードも含めて総合的に、この先も現れない唯一無二の存在だと思っていたし、その考えはこの先も絶対に変わらないと思います」
―加藤大治郎という人に、自分は少しでも近づけたと思いますか?
「それは……わかんないですね。追いつきたいとか近づきたいとか、思ったことがないかもしれない。そんなレベルじゃないし、多分、自分と比較をしてみたこともないです。言葉ではうまく表せないけど、遠い存在であり目標であり、もうずっとその位置にいるので、比較したことがない。自分と比べるような存在ではない、ってことですね」
―加藤大治郎さんと仲が良かった阿部典史さんについては、何か記憶がありますか。
「ノリックさんは、また違いますよね。長い髪をなびかせてすごくアイドル的な存在で、人としても好きでした。じつはノリックさんとは意外な接点があって、ヨーロッパに行った時にお目にかかる機会があったんですよ。実際に会って、何回か話をしました。たぶん日テレの取材か何かだったと思うんですけど、すでに自分はMotoGPアカデミーでスペイン選手権を走っている頃で、14~15歳だったと思うんですが、カタルーニャのレースを見に行ったことがあったんです。そのときに、玉田さんのモーターホームへ挨拶に行ったら、そこにノリックさんが遊びに来ていたんです。玉田さんのモーターホームで、玉田さんとノリックさんと3人で話をしたのをすごく憶えていますね」
―緊張しましたか?
「もちろん、緊張しましたよ。玉田さんはレースウィークだったので、普通だったら『なんだよ。今来るのかよ、このガキンチョ』と思ったっておかしくないところを、すごくフランクなかんじで『おぉ、入って来なよ』と受け入れてくださいました。玉田さんとノリックさんの前でリラックスなんてとてもできなくて、居心地もあまり良くなかったんですが、とてもよく憶えています」
―今で言えば、大谷翔平選手とダルビッシュ有選手の前に野球少年がいる、みたいな状況だったのかもしれませんね。
「そうそうそう、まさにそういう感じです。自分にとってもすごくいい経験になったし、玉田さんとノリックさんがリラックスして仲良くしていた様子もとてもよく憶えています」
―現在は中上選手がMotoGPを走っている唯一の日本人選手なので、今の子供たちからそういう目線で見られているのかもしれませんね。
「そうですね。見られていると思うし見てほしいとも思うので、その分もがんばらなければいけないという気持ちはすごく強いですね。そのためにも、ここに居られる、それに見合うだけの成績を残さないといけない、っていうことも強く感じてます」
web Sportivaやmotorsport.com日本版、さらにはSLICK、motomatters.comなど海外誌にもMotoGP関連記事を寄稿する他、書籍やDVD字幕などの訳も手掛けるジャーナリスト。「第17回 小学館ノンフィクション大賞優秀賞」「2011年ミズノスポーツライター賞」優秀賞受賞。書き下ろしノンフィクション「再起せよースズキMotoGPの一七五二日」と「MotoGP 最速ライダーの肖像」、そして最新刊のインタビュー集、レーサーズ ノンフィクション 第3巻「MotoGPでメシを喰う」は絶賛発売中!