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レース・イベント






吉村秀雄から不二雄、そして加藤陽平へ。
3代に渡って受け継がれるヨシムラの魂は世界へ。
秀雄がかなえられなかった24時間耐久の優勝を陽平が果たす。
鈴鹿8耐ではヨシムラエンジンの連続高回転での耐久性確認、表彰台獲得により、
デンソーの評価が向上、信頼を確立。
両ブランドの半世紀に及ぶ関係により、人々は多くの感動的ドラマを目撃することになる。
■文:佐藤洋美 ■写真:赤松 孝
■監修:石橋知也
■写真協力:デンソー、吉村不二雄 ■取材協力:デンソー、ヨシムラ

アジア

 山田昇吾はアジア地域での販促に注力していた。
 ここでも「ヨシムラブランドに助けられた」と言う。
 アジアでもヨシムラは有名で、ヨシムラが使うプラグとしてデンソーの名前も知られていた。この人気の秘密には、大量のコピー商品が出回っていることも大きい。どこの店にも、ヨシムラと書かれたまがい物のパーツが置かれており、ユーザーたちは、ヨシムラの名に親しんでいた。バイクフリークたちは、「ヨシムラを知らないなんてありえない。知らないヤツはもぐりだ」と囁かれるほどの認知度だった。皮肉なことに、コピー商品がヨシムラの知名度を上げていた。

 不二雄はアジアで「ポップ吉村と呼ばれている人物がいるから、会ってみないか」と、怪しげな場所に連れていかれたことがあった。僧侶のような人物がいて、シャーシダイナモがあり、パーツ製作の機械があったが「親父のような仕事ぶりにはみえなかった」と苦笑いだった。
 山田はディーラーを回り、商品を説明し製品の扱いを伝えながら様々な国を巡った。忙しい時間をやりくりしながらも鈴鹿8耐には訪れていた。

加藤陽平が監督に

 1995年3月29日、吉村秀雄、通称“ポップ吉村”は静かにその生涯を閉じた。オートバイチューニング界の黎明期を切り拓き、その革新的な挑戦で世界を驚かせ惹きつけた人生だった。
 加藤陽平は”POP吉村”の孫として生まれ、叔父である不二雄を始めライダーやメカニックに囲まれて育った。大学時代にヨシムラOBの会社でエンジン組立を学び、さらに四輪レースのチューニング会社で先端技術を習得し、スーパーGTレースの現場にも赴き、エンジンと向き合った。
 2002年、不二雄は陽平を呼び寄せた。陽平はヨシムラに入社しレース用エンジンのセッティングを担当する。2006年からはレース全般のマネージメントを担い、2007年に不二雄から正式に監督を任せられた。
 不二雄は「有能な人材であること。そして、ヨシムラを受け継ぐ血族であること。彼を後任とすることに迷いはなかった」と言う。

#技術のデンソー、パワーのヨシムラ
加藤陽平が入社した2002年、ヨシムラはスーパーバイククラスと混走となる賞点外ながら改造無制限のプロトタイプクラスに参戦、TORNADO S‐1レーシングでMotoGPマシンなどと戦った。ライダーは芹沢太麻樹。
#技術のデンソー、パワーのヨシムラ
2002年の鈴鹿8耐は芹沢太麻樹/武石伸也組でプロトタイプクラスに参戦。結果は転倒によるダメージが大きく、155周でリタイア。

#技術のデンソー、パワーのヨシムラ
全日本ロードレースの最高峰がジャパンスーパーバイク(JSB)1000クラスとなった2003年、前年度チャンピオンの渡辺篤を起用。ヨシムラスズキGSX-R1000を駆りランキング2位。
#技術のデンソー、パワーのヨシムラ
2006年、鈴鹿8耐での吉村不二雄。このシーズンを最後に、チーム監督のポジションは甥に当たる加藤陽平に譲ることに。

 2007年、ヨシムラは2台体制で鈴鹿8耐に挑み、加賀山就臣と秋吉耕佑がSUZUKI GSX-R1000で圧勝。27年ぶりの8耐制覇に加え、全日本JSB1000でも渡辺 篤が18年ぶりのシリーズタイトルを獲得する。陽平は、最高の結果を引き寄せ、その力を示した。
 2009年には酒井大作/徳留和樹/青木宣篤で雨となった鈴鹿に挑んだ。マシンは SUZUKI GSX-R1000。ヨシムラは8耐優勝を達成する。
 2011年からはスーパーバイク世界選手権(WSBK)参戦を開始、鈴鹿8耐でも加賀山/ジョシュ・ウォーターズ/青木がポールポジションを獲得し存在感を示し、決勝は2位。2013年の鈴鹿8耐は津田拓也/青木/ジョシュ・ブルックスが2位となる。

#技術のデンソー、パワーのヨシムラ
2007年、全日本ロードレース・JSB1000クラスにおいてヨシムラで5シーズン目を迎えていた渡辺篤がシリーズチャンピオンを獲得。
#技術のデンソー、パワーのヨシムラ
2007年はヨシムラにとって最良の年となった。鈴鹿8耐には#12渡辺篤/酒井大作組、#34加賀山就臣/秋吉耕佑組の2台がエントリー。34号車はヨシムラに27年振り3回目の優勝をもらした。

#技術のデンソー、パワーのヨシムラ
#技術のデンソー、パワーのヨシムラ
2009年、3番手からスタートした酒井大作/徳留和樹/青木宣篤組が1978年、1980年、2007年に続くヨシムラ4回目の鈴鹿8耐優勝を達成。

#技術のデンソー、パワーのヨシムラ
2011年、加賀山就臣/ジョシュ・ウォーターズ/青木宣篤組で2大会ぶりの優勝を目指したヨシムラ、結果は2位。
#技術のデンソー、パワーのヨシムラ
津田拓也/青木宣篤/ジョシュ・ブルックス組で挑んだ2013年の鈴鹿8耐も2位に。

 2014年は創業60周年記念として不二雄は、レジェンドチームの監督として復帰。辻本、ケビン・シュワンツ、青木が参戦し大きな注目を集めた。序盤の転倒で、結果は残らなかったが、優勝候補チームに引けを取らない人気となり、鈴鹿8耐ファンの声援を集めた。
 2015年、加藤陽平監督は津田/J・ウォーターズ/ランディ・ドゥ・プニエを招聘し2位を勝ち取った。2016には津田/J・ブルックス/芳賀紀行が3位となる。

#技術のデンソー、パワーのヨシムラ

#技術のデンソー、パワーのヨシムラ
#技術のデンソー、パワーのヨシムラ
ヨシムラ創業60周年を迎えた2014年に鈴鹿は#12辻本聡/ケビン・シュワンツ/青木宣篤によるドリームチームを結成。残念ながら序盤にリタイアとなってしまったが、#34津田拓也/ ジョシュ・ウォーターズ組が2位に。

 2017年は鈴鹿8耐の第40回大会という記念大会となり、1978年(初回)および 1980年に優勝したレジェンドライダー、ウエス・クーリーとグレーム・クロスビーがスペシャルゲストとして登場した。
「W・クーリー & G・クロスビー来日イベント」として、トークショーや往年のマシン(当時の1980年型GS1000Rなど)のデモランなどで登場。W・クーリーは胸に大きくデンソーマークが描かれた当時のツナギで登場し喝采を浴びた。
 1970〜80年代に鈴鹿8耐を盛り上げた世代を現代に繋げることで、レースの“伝統と歴史”を再確認するイベントでもあった。この時、記念にデンソーマークの入ったTシャツが配られた。
 レースは津田/J・ブルックス/シルバン・ギュントーリで挑み7位となった。
 その後も、ふたりは何度かゲストで鈴鹿8耐を訪れている。

世界耐久選手権への挑戦

 陽平は2021年、日仏混合チーム「ヨシムラSERT Motul」を立ち上げ、世界耐久選手権(EWC)へとフィールドを移す。
 初参戦でグレッグ・ブラック/ザビエル・シメオン/S・ギュントーリがシリーズチャンピオンを獲得し、その力を示す。2022年~23年はランキング2位となる。2024年はEWC開幕戦ル・マン24時間で勝利すると、最終戦ボルドール24時間でも優勝し、G・ブラック、エティエンヌ・マッソン、ダン・リンフット、そして渥美心によって2度目のシリーズチャンピオンを獲得した。

#技術のデンソー、パワーのヨシムラ
2021年、フランスの名門・SERTとのジョイントで世界耐久選手権(EWC)に参戦、初年度に見事チャンピオンを獲得した。
#技術のデンソー、パワーのヨシムラ
2024年はEWCで2度目のチャンピオンを獲得。翌2025年にはボルドール24時間耐久で3年連続優勝を達成した。

 また、2024年はヨシムラが創業70 周年。陽平が代表取締役社長に就任し、不二雄は相談役となった。「ヨシムラSERT Motul」の世界タイトルと、ヨシムラ70周年を記念したパーティーに吉村秀雄の長女・森脇 護の妻である南海子の姿があった。

「父がかなえられなかった24時間耐久の優勝を、陽平君が叶えてくれた。父も、昇平君も由美子も、そして母も喜んでくれていると思う」

 ヨシムラを組織的に強化し、国内外の舞台で成果を残してきた陽平は「ヨシムラにとってレースは原点。常に“POPならどうするか”を考えて運営している」と語る。
 2025年9月に開催されたボルドール24時間耐久レースでもトップチェッカーを受け、ボルドール3年連続制覇となるが、惜しくもシリーズタイトルを逃しランキング2位となった。
 勿論、鈴鹿8耐は継続参戦しており、3位と表彰台の常連で、鈴鹿8耐人気を支えている。

 山田は幼少の頃の陽平を見ている。「あの小さな子が」と感嘆する。陽平の父・加藤昇平と母・由美子が経営していたパーツショップ加藤には、デンソーのプラグだけでなく、エアコンのコンプレッサーなども扱われ、車に取り付けるデンソーのサービスショップでもあった。

#技術のデンソー、パワーのヨシムラ
祖父・吉村秀雄、孫・加藤陽平の、1986年の鈴鹿8耐での記念写真。POPの穏やかな表情が印象的。ヨシムラの魂は3代に渡って見事に継承されている。
#技術のデンソー、パワーのヨシムラ
2025年の鈴鹿8耐を戦うヨシムラSERT。結果は3位。グレッグ・ブラック/エティエンヌ・マッソン/ダン・リンフット組はシリーズランキング2位で2025年シーズンを終えた。

 ヨシムラとデンソーの関係は、途切れることなく50年続いている。
 山田は「カリスマポップ吉村さんの感覚を、理論的に数値化し理論立てバイクを仕上げたのが不二雄さんでね。それをさらに進めているのが陽平さんになる」と語る。
 不二雄の手腕は、チームマネジメント・戦略立案・耐久戦略・ライダー育成にまで及んでおり、AMAスーパーバイク、鈴鹿8耐、全日本ロードレースでの功績を遺した。
 陽平は現場経験とマネージメント能力が高く評価されている。 社長就任時の挨拶では、「3代目として伝統あるヨシムラブランドを受け継ぐ」と明言。レースを始め、製品開発、ブランド価値、ユーザー満足に広く配慮する経営方針を掲げている。

 デンソーは1970年代前半より北米市場でプラグ販売に進出し、AMAレースに参戦。二輪プラグ・点火部品の性能テスト場としての活用、北米の過酷なレース条件でのデータ取得・改良を重ね、アメリカ市場で技術・ブランド認知を拡大した。「高性能・信頼性のある日本製部品」としてデンソー製品が評価された。
 デンソーにとっては技術向上・ブランド強化の足がかりとなり、ヨシムラにとっては高性能点火系部品を確保することでレース競争力を維持した。

 鈴鹿8耐では、連続高回転で耐久性確認、表彰台獲得でデンソーブランド評価が向上し、全日本ロードレースでの高回転性能を確認した。またイリジウムプラグの技術普及につなげ、北米・アジア市場で信頼を確立した。
「技術のデンソー」と呼ばれるほどの強力な開発力と、グローバル市場への適応力を両立した。
全世界的に気候変動、資源制約、エネルギー問題、環境保護、持続可能な開発(サステナビリティ)が重視される現代、政策も産業もその方向への移行が進んでいる。EVが進み、エンジンが消える未来が来るのかも知れないが、ポップ吉村を生んだエンジンは、様々なドラマを刻み、チューニングやセッティングにより、機械と対話する文化を育んだ。そして、そのエンジンを支えたプラグの物語は、時代が変わっても消えることはない。

#技術のデンソー、パワーのヨシムラ
2025年の鈴鹿8耐にて、(左より)加藤陽平、山田昇吾、吉村不二雄。ヨシムラとデンソーの関係は途切れることなく50年続いている。

イリジウムプラグが、勝利の代名詞となった

 レース用チューンナッププラグ「イリジウムレーシング」は2000年に販売を開始した。それまでの「モータースポーツ活動は、チームにプラグを提供しマシンに広告ステッカーを貼ってもらう」というものだったが、デンソースタッフは「一緒に汗を流さないとチームとは言えないし、ファンの心も掴めないでしょう」と、ヨシムラと山田のような関係を築く。土日返上でレース場にも詰めた。間違っても「プラグが原因で負けた」ということにならないよう気を配り、知名度を確実に上げていった。
 そして2001年(平成12)春に開催されたWGP鈴鹿大会。125㏄クラスに参戦した東 正雄は最終ラップで、3番手から一気にバックストレートでトップに並んだ。スリップストリームを使い、トップに躍り出るとトップでチェッカーを受けた。
 この勝利で、デンソーは一気にブランドイメージを高めることになったのだ。
イリジウムプラグは「ここぞ!」という時の加速がすごい、安心して使える──、そんな評判がモータースポーツファンの間に定着することになる。
 実験データでも50㎞から150㎞への到達時間がイリジウムプラグでは0.7秒速い。一般ユーザーには想像することが難しいことではあるが、レースの世界では、何十メートルもの加速の違いとなり、勝敗を左右する。市販用イリジウムプラグの知名度は一気に上がり、年間販売数は、国内で300万本、アメリカ100万本、欧州でも70万本規模に成長したのである。

#技術のデンソー、パワーのヨシムラ

#技術のデンソー、パワーのヨシムラ


[第4回|最終回|]

2026/01/28掲載