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レース・イベント

第13戦サンマリノGPで、Moto3クラスに参戦する21歳の鈴木竜生(SIC58 Squadra Corse)が世界選手権初優勝を達成した。Moto3クラスに参戦して五年目、ホンダ陣営の現チームに移籍して三年目でついに達成した勝利だ。

表彰台の頂点に立った舞台は、ミザノワールドサーキット・マルコ・シモンチェッリ。鈴木が所属するチーム名にも冠されている故マルコ・シモンチェッリ氏の業績を称えて、その名が追贈されたサーキットだ。そして、鈴木が所属するチームのマネージャーは、その父親、パオロ・シモンチェッリ。しかもこの地は、2010年のレースで富沢祥也が命を落とした場所でもある。鈴木にとっては何重もの意味で縁の深いこの会場で成し遂げた今回の偉業を、優勝の興奮から一晩明けたレース翌日にあらためて振り返るとともに、「和製イタリア人」と自称する当地での生活についても存分に語ってもらった。では早速行ってみようかGO!!
●文・写真:西村 章 写真:Honda

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鈴木竜生
鈴木竜生

「決勝レース後は、チームの皆と晩ご飯を食べに行きました。その後の優勝パーティにも行く気満々だったんですけど、ご飯を食べておなかがいっぱいになったら疲れが出てしまって、家に帰って寝ちゃいました(笑)」

―その優勝から一日経って、実感は沸いてきましたか?

「今朝、起きたときはあまり実感がなかったんですが、家のリビングにトロフィを置いていて、それを見たときに、『ああ、勝ったんだな』ということをあらためて感じましたね」

―今回のレースウィークを振り返ると、予選ではポールポジション、決勝レースは序盤からレースをリードしてトップ争い、と非常によい流れに見えました。自分では、今回行けそうだという手応えはありましたか?

「正直なところ、うれしいサプライズで、予想外でしたね。今年のミザノはトラックコンディションがあまりよくなくて、その影響もあったと思うんですが、FP1の走り始めからあまりいいフィーリングがなく、アジャストするのに苦労しました。そんななかで、予選ではQ1に落ちてしまい、そこで流れをうまく掴み切れていないなりに一発タイムが良くて、Q2へ進出できました。Q2では、多くの選手が牽制し合って最後の最後にタイミングを見誤りタイムアタックできなかった反面、自分はタイミングがうまくあって、本当に予想外のポールポジションになりました。『乗れてはいないけれど流れはいいな』とは思っていました」

―決勝では序盤からトップを走って、最後にバトルを制して勝ちきった展開でした。レースに対する自分の印象はどうでしたか? 最後までうまくコントロールしきれたのか、それとも、目の前のバトルで精一杯だったのでしょうか?

「今シーズンのなかで一番いいレースは2位表彰台を獲ったヘレスだったと思うんですが、じゃあ、そのヘレスで何が良かったのか、と振り返ったとき、最初から集団のトップで周回を重ねてリードする形でレースを進めたからいい結果を出せたんだと思います。今回のミザノでは、ヘレスのように毎周トップを走って、抜かれたらすぐに抜き返す、ということをスタート前に決めていたので、そこはいちばん気をつけていたことですね」

―では、レース展開では勝つ自信が充分にあった?

「ラスト5周くらいは感じていました。今シーズンはもはやチャンピオン争いをしているわけではなく、今年に限っては失うものも特にないので、ラスト5周で3番手につけていたときは『勝ちに行くかダメか、二者択一だな……』と感じていました」

―それにしても、今回の優勝はいろんな意味で特別な勝利ですね。

「日本人としては祥也くんの思い出のあるサーキットで、しかもここはチームの名前を冠した会場でもあるので、ここのレースはいつも特別な思いで走っています。今回はポールトゥウィンというこれ以上ない週末を過ごせて、ホントに出来すぎの気分です。ヘレスの1―2(第4戦スペインGP:チームメイトのニコ・アントネッリが優勝し、鈴木が2位)といい、今回のポールトゥウィンといい、なんともいいがたいのですが、それこそ空の上からマルコさんが手助けをしてくれていたのかな、とも感じますね」

 

鈴木竜生
鈴木竜生
鈴木竜生

―レース中に、マルコさんのことや御父君でチームマネージャーのパオロさんのこと、あるいは富沢祥也さんのことが脳裏をよぎりましたか?

「チェッカーフラッグを受けた後のウィニングランで、祥也くんが逝ってしまった11コーナーを通り過ぎたときに、いろんな思いがフラッシュバックしましたね」

―鈴木選手と祥也さんが知り合ったのは、竜生選手のポケバイ時代でしたよね?

「僕がポケバイに乗っているときに祥也くんが同じチームのミニバイククラスで走っていたので、同じチームの先輩ライダーでした。親同士もよく話をしていたし、その影響でぼくも祥也くんとはよく一緒にいました。Moto2初レースのカタールで祥也くんが優勝したときも、その二週間ほど前にミニバイクで一緒に走らせてもらった思い出もあるので、ちょっと運命的なものを感じましたね。

 ウィニングランでコースをゆっくり1周しているときには、やはりこのパオロさんのチームで、マルコさんの名前で走っているだけあって、ぼくは日本人だけどイタリアの人たちに受け入れられていることを肌で強く感じました。今回の優勝で、それに対してひとつ恩返しができたのかな、と思います」

―イタリアメディアからの取材がたくさんあったようですね。

「ほとんどイタリアメディアで、けっこう忙しかったですね。日曜のレース後にコメント取材を受けるのは普通なんですけど、今日みたいにレースから一夜明けてもいろいろと取材を受けると、勝ったんだなという実感がまたあらためて出てきます」

―周囲の反応を見ていると、今の鈴木選手は完全にイタリア人扱いですよね。

「2ストローク125ccや250ccの時代は、日本人ライダーがイタリアのチームで結果を出すのが当たり前でしたよね。4ストローク化のMoto3になって時代の変化とともにいろんなものが変わっていきましたけれども、現在の僕の立ち位置って、イタリアチームと日本人ライダーの昔のいい関係性がもう一度復活したような、何かそんなきっかけにはなったのかな、という気もしています」

―過去の日本人のライダーを振り返ると、坂田和人さんや上田昇さん、原田哲也さん等々、イタリアチームに溶け込んでイタリアのファンからも広く愛された人たちがたくさんいます。

「僕がこのチームに初めて来たときに参考にしたのは、芳賀紀行さんです。芳賀さんはイタリア人のインタビューでも過激なことも言いあえるくらい言葉を自由に操っていたし、イタリアでもすごく人気のある選手だったので、これだけイタリアで広く支持されている人だから、同じ日本人として学べるものがたくさんある、と思いました。

 原田さんもそうですね。原田さんの昔のインタビューを見ていると、彼が最初にアプリリアに来たときに『イタリアのチームでセッティングを出すためにいちばん重要なのは、自分がイタリア語を喋れるようになること。そのためには、最初はイタリア語がわからなくてもチームの皆と一緒にいて、プライベートでもできるだけチームと時間を一緒に過ごすことが大切』という主旨のことをおっしゃっていました。それを見て、『なるほど、たしかにそのとおりだな』と思い、僕もとくに最初の頃はそれを実践するように心がけました」

―このチーム、SIC58 Squadra Corseの強さはどういうところにあると思いますか?。

「パオロさんといい関係を作れているし、チーフメカニックやスタッフも皆が僕の味方になってくれているので、人間関係はすごくいいと思います。自分がいうのもヘンですが、皆が僕のためにがんばってくれていて、仕事だけではなくてプライベートでも、どうすれば僕が早く走れるかをいつも考えてくれています。パオロさんはすごくガンコだし、思ったことを何でもストレートに言う人柄なんですが、垣根を越えていったん懐に入ると、典型的なイタリア人なので、家族をすごく大切にしています。イタリアの父親、という存在ですね。チームにはスペイン人がひとりだけいるんですが、そのひとりを除けば全員イタリア人で皆が近くに住んでいるからご飯も一緒に食べに行くし、ほんとにいい関係だなと思います」

鈴木竜生

―鈴木選手はこのチームで三年目ですが、このチーム自体も世界選手権を戦いはじめて三年目です。

「2017年の開幕戦と今を比べると、チーム自体は変わっていないと思います。ただ、三年間同じチーフメカニックと仕事をしてくると、ムダなことを言わなくてすむようになります。彼も僕がどういうバイクをほしいかわかってくれている。ピットボックスの会話はイタリア語ですが、ちょっと間違ったニュアンスで言ったとしても、意図しているところをきっちりとわかってくれます」

―今のチームに来た最初の頃、たしかイタリアのテレビ放送のインタビューを受けたときに、『何を言ってるのか半分くらいしかわからなかった!!』と苦笑していましたが、今ではイタリア語で誰ともストレスなくコミュニケーションをできるようになっていますね。

「これはホントにありがたいことにイタリア人の友人がたくさんできて、イタリア人の彼女もできたので、毎日イタリア語を使っています。たとえイタリアにいたとしても、友人も彼女もいなくてひとりで家にずっといたとしたら、三年間でここまで話せるようにはなっていないでしょうね。新しい言葉を覚えるときでも、間違っても彼女が相手ならべつに恥ずかしくはないし、その場に応じた言葉遣いや表現などを指摘してくれる友人たちがいるので、いまはふつうに話せるようになってきました。

 でも、ある意味じゃあたりまえのことなんですけどね。日本人はまず言葉の壁があるので、それをどう乗り越えるかが重要で、それを乗り越えて初めて、他のライダーたちと同じところに立てるのかもしれません。そういう意味で、僕たち日本人は一歩手前から始めなければならないのだろうなあ、とも思います。外国人を前にするだけですぐに『ガイジン』と気負ってしまうのが日本人のダメな気質ですが、僕の場合は幸いにも、15歳のときに両親が『人生を学んできなさい』と渡欧させてひとりで学校に行く環境を与えてくれました。その点では、両親に本当に感謝をしています」

―どの国や文化にも、ポジティブな面とネガティブな面があります。イタリアの人々のいいところと日本人のいいところを、うまく組み合わせることができれば理想的ですね。

「イタリア人はよくもわるくもいい加減で、日本人はちょっと真面目すぎる。もう少し気楽に構えれば、人生がラクになるのにな、とは思いますね。このチームに最初に来たとき、ぼくは5分前行動を心がけていたんですが、今は皆といっしょにご飯にいくと15分くらい遅れていっても全然平気ですからね(笑)。日本に帰ったら怒られるだろうけど。一方で、日本人のいいところは、時間もそうだけど、口約束でもキッチリと守ってくれるところ。でも、日本人どうしでも人付き合いは難しいのだから、他のカルチャーの人とつきあうとなればなおさらですよね。自分が受け入れなければならないところもあるし、逆にこうしてほしいと思うところはしっかりと口に出して説明しなければ、絶対にわかってもらえない」

鈴木竜生

―今住んでいるところはリッチオーネ(ミザノサーキットと指呼の距離にある海岸沿いの街)ですよね?

「そうです」

―リッチオーネに住んでいて、いいなと思うのはどういうところですか?

「ライダーが多いところですね。僕の家から50メートル海側に行けば、マティア・パジーニが住んでいて、1kmほど山の方に行けばエネア(・バスティアニーニ)が住んでいます。皆、この当たりに住んでいるので、どこかに行けば誰かと会うし、トレーニングも一緒にします。彼らからはいい刺激を受けますね。あと、カートコースが多いし、ここに住んでいる人たちもバイクレースに対する理解と情熱がある。道を歩いていて皆が声をかけてくれるのはうれしいし。そういう環境は刺激と励みになりますね」

―あと、食べ物がばつぐんに美味しいのもイタリアの長所ですね。クレッシェンティーナやニョッコ・フリットは日本ではまず見かけない、ボローニャやこのエミリア・ロマーニャ地方の名物です。

「おいしいものを食べていれば、自然と幸せになっていくし、おいしくないものばっかりたべていると人生が暗くなりますよ。だから僕、国によっては料理が合わないんですが、ここの食べものではピアディーナが大好きで、一時は毎日そればっかり食べていましたね。住み心地もホントによくて、もう長いこと日本には帰っていない。クリスマス前に三日間と、この間の夏にほんの数日、帰省したくらいですね」

―自分自身の、ライダーとしての長所はどういうところだと思いますか?

「今年に入ってからだと思うんですが、1周目から自分のベストラップ付近に持っていけるのは、強みだと思います。ホルヘ・マルティンやジョアン・ミルや、過去にチャンピオンを獲ったライダーたちは一周目から速かったので、自分もそれをできているのは強みだと思います」

―1周目からタイムを上げていける今の長所は、15分のセッションになった今年の予選方式にもフィットしていると思いますか?

「予選が15分しかないので、(他選手のスリップストリームを)待っている時間はありません。予選だけに限っていえば、単独で走るのがタイムを出す近道だと思います。最近はだいたいいつもフロントローか二列目を確保できているので、自分にとってはこの予選方式は合っていると思います」

―今シーズンは上位を走っていても転倒してしまうことも多かったのですが、以前に話を聞いたときは『優勝すると違ったものが見えてくるんじゃないか』と話していました。今回、実際に優勝を経験したことで、何かが見えてきましたか?

鈴木竜生

「今までは、なんとなく勝てるんじゃないか、なんとなく行けるんじゃないか、という漠然とした不確定な要素のなかでウィークを過ごしてきました。今回、はじめて実際にポールポジションと優勝を手にしてみて、今までの漠然とした自信が現実になったし、自分にポテンシャルがあるという確信も持つことができました。へんな言い方ですが、勝ったことですごく落ち着きました。前半戦では同じような位置を走っているときでもつい焦って失敗したことが何度もありましたが、今振り返ってみると『これだけの走りをできるんだからもっと落ち着いて、リラックスして走れるよな』と思うし、『周りの状況も冷静に見られるだろうな』とも感じます」

―では、今までの弱点だった慌てグセは、自信をつけたことで克服できたといえそうでしょうか。

「そうならなきゃいけないですし、そうなれると思っています」

―今後のレースでは毎戦表彰台を目指し、優勝も狙っていくことが目標になりそうですね。

「ミザノのレース前にパオロと話していたんですが、このチームで来年はチャンピオン争いをしてMoto3最後の年にする、というのが、今の僕たちのプランです。木曜の段階でパオロは僕に対して『今年はチャンピオン争いをしているわけじゃないんだから、今年のこのレースを考えるんじゃなくて、来年に向けてこのレースをどうするかという位置づけで、来年をうまくスタートさせるために今回のミザノからバレンシアで必要な準備を進めよう』と話してくれました。おかげで、自分でも吹っ切ることができました。『来年のために、今の出せる力を全部出して、それを糧に来年高いレベルでスタートできる状況を作ろう』と整理をしたうえで、じゃあ、ミザノから来年に向けて何が必要なのかと考えたときに、結果だよね、と。そのとおりに結果を持って帰ることができたので、来年に向けてすごくつながるレースになりました」

鈴木竜生

―今のMoto3クラスでトップを牽引していく自信も、今まで以上についてきたようですね。

「正直なことを言えば、アメリカGPの頃にもそれは感じていました。今年のMoto3クラスには、去年のマルティンや一昨年のミルのような、圧倒的に強いライダーがいません。毎周レースを引っ張って、抜かれても即座に抜き返してさらに引き離していけるライダーに自分が一番近いのかな、とアメリカGPでも思えていたんですが、いかんせん結果がついてこなかった(笑)。ツキがないときもありましたが、ようやく歯車が噛み合ってきました」

―では、次のアラゴンGP以降はさらに歯車がガッチリ噛み合ってきそうですか?

「そのつもりです。優勝はすでに雲の上の話じゃなくて現実の目標なので、今後のレースでも自信を持って詰めていくことができます」

鈴木竜生
西村 章
web Sportivaやmotorsport.com日本版、さらにはMotosprintなど海外誌にもMotoGP関連記事を寄稿する他、書籍やDVD字幕などの訳も手掛けるジャーナリスト。「第17回 小学館ノンフィクション大賞優秀賞」「2011年ミズノスポーツライター賞」受賞。
2019/09/17掲載