- ■写真・文:増井貴光
初めてボンネビルソルトフラッツで開催されるランドスピードレースを知ったのは、2007年に日本で公開された映画『世界最速のインディアン』を観た時だった。その頃、ドラッグレースやカスタムバイクの撮影で年に数回アメリカを訪れていたこともあって、かなり現実的に捉えられる映画だった。その翌年、ラスベガスのドラッグレースで知り合ったアメリカ在住のハーレーメカニックであるヒロ・コイソさんからボンネビルのレースに一緒に行かないかと誘いを受けた。その年と翌年は都合がつかず泣く泣く断ったのだが、彼は我慢強く誘い続けてくれて2010年に僕は初めてボンネビルに向かうことにした。
LAからレンタカーで約720マイル、ノンストップで10時間ほど。朝出て陽が落ちる前にボンネビル・ソルトフラッツに到着。初めて自分の目で見たソルトフラッツは想像していたよりも白く眩しく、そして広大だった。その日から既に15年。レースがキャンセルになった年を除いてコイソさんのチームのクルーを兼ねて毎年撮影するためにボンネビルモーターサイクルスピードトライアルズ(BMST)に参加している。
2025年、いつもなら8月後半に渡米するのだが8月初旬に開催されるボンネビルスピードウイークに参加するために7月末にアメリカを訪れていた。スピードウイークはボンネビルで開催されるいくつかのランドスピードレースの中でも最大のレースで77回目を迎えた伝統あるレースでもある。僕は以前にも一度だけ撮影で来たことがある。今回は、2017年にBMSTに参戦したシウンクラフトワークスの松村さんの再チャレンジに同行している。チョッパービルダーである松村さんが自身で製作したランドスピードレーサーは美しく、17年のレースでも注目された。S&Sパンヘッドを搭載し極力スリムに製作し空力性能を高め最高速を伸ばすデザインだ。しかし17年のBMSTは潮の路面のラフが多くカウルにすっぽり入る自由度のないライディングポジションが裏目に出ることとなった。それを踏まえて今回はハンドルの高さやカウルの形状を改善してのチャレンジになった。
スピードウイークに初めてエントリーするとルーキーランを決められたスピードで走り、その後設定スピードを上げて数回走ることでロングコースを走るライセンスを得ることができレコードに挑戦することができる。レコードランの最初の走行で松村さんは、17年の自己記録である174マイルを上回る。ワールドレコードを獲得するためには200マイルを超えなければいけない。6日間の間に10回以上の走行ができ徐々にスピードを上げていき188.787マイル(302.06km/h)を記録。最終日まで粘って187マイルを出したもののエンジンブロー。残念ながら世界最速には届かなかった。しかしレースが終わった後、「自分に対してやり切ったと納得して終わることができた」と松村さんは語った。12月に開催されたホットロッドカスタムショーで車両を展示。「今は、また挑戦するとは言えないけれどソルトフラッツへの思いが消えたわけではない」と話していた。
2018年からスピードウイークに挑戦しているムーンアイズのスタッフでもある矢野さん。コロナ禍や天候の影響でレースが中止になることも多く、渡米したものの走れなかったこともある。アメリカのレースではレジェンド的扱いのムーンアイズの看板を背負っているプレッシャーを受けつつも個人的に応援するサポートスタッフと共に常に笑顔を絶やさず走っていたのが印象的。
日本でカブのロードレースなどで活躍するアニマルボートが製作した、初期型スーパーカブC100にスーパーチャージャーを装備したランドスピードレーサーで走ったのは、”美魔女”黒木伴井さんとアニマルボートのメカニック渡辺友香さん。初めての挑戦であったが順調にスピードを上げ、50ccOHV過給機付きクラスで世界記録を獲得した。アニマルボート代表の武笠さんは、26年のスピードウイークに挑戦する予定だ。
僕的には、2回目というアウエイのレースだがアメリカ在住のカスタムビルダーであるチャボエンジニアリングの木村さん、キヨズガレージのキヨさん、キャットさんたちのおかげで今回も楽しくレースウイークを撮影することができた。この場を借りてお礼をしたい。次回のレースまであっという間に時間が経つだろう。日本から挑戦する人たちにとっては既にレースは始まっている。ボンネビルという異次元の場所で開催されるクレージーな最高速レース。一度訪れてしまった人たちは、現実味が薄く、幻影のような世界から逃れられないのかもしれない。ある意味、僕もその世界から逃れられないうちの一人になっていそうだ。
(文・写真:増井貴光)
