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MBアーカイブス





ミスター・バイク アーカイブス第11回 1977年2月号(第10号)


1976年(昭和51年)4月(月号では5月号)に創刊し、2010年(平成22年)7月号で休刊(書籍コード=ミスター・バイクの場合は08489が生きている限り廃刊とはいわないらしいので)して、現在はWEBでなんとか生き延びているミスター・バイク。長いようで短いのか、短いようで長いのか、35年間で420冊(増刊号は含まず)を発行しました。これも多いのか少ないのかさえ分かりません。創刊号から最終号まで、おもしろそうな内容をピックアップして、一部ではございますがご紹介させていただきます。あと410冊もあるので、不定期更新になりますがお気に召すまま気長にお付き合いくださればとおたのみもうします。

 2月号というのは事実上の新年号にあたります。誰もが思っていると思いますが、なぜ月刊誌は発売月ではなく翌月号になるのでしょう? この仕事を始めた頃、当時の先輩に聞いたところ「大昔は発売月と同じだったが、頭のいい人が一つ先の月号にしたら、新刊と勘違いした人がたくさんいてバカ売れしたから」と聞いた記憶があります。当時はなるほどと思いましたが、そんないいかげんな理由でお堅い取り次業界(本の流通を司るかなり権威のある業界。へんなこと書くとめちゃくちゃ怒られるので深掘りしません)が許すわけがないじゃん、とググってみましたら、「店頭に一定期間並ぶため」とか「遠隔地では発売が遅れるため」などの理由と、どれくらいの範囲で許されているかというルールがあるようです(当たり前か)。興味のある方は検索してみてください。

 さてミスター・バイクも2年目、1977年(昭和52年)の幕開けを飾るのは、ドゥカティ450デスモ カフェレーサーと、目玉の忠さんでおなじみ鈴木忠男さんです。今とあまり変わっていないように感じますが、1977年といえばまだ現役のモトクロスライダー。たしかこの年にスペシャルパーツ忠男を設立したんじゃなかったでしょうか? この頃から豪快かつフレンドリーな人柄で、多くの人から愛されるキャラだったそうです。後年、弊社の社員旅行(毎年年末のクソ忙しいときに、当時日本人があまり行かないようなへんぴなところに出かけていくという、いかにもBOSSが好きそうな海外旅行)にも何度か参加されていました。現地では私のような末端構成員にも「がはははは!」と笑いながら、たくさんお酒を飲ませてくれました。忠さんのような素敵な大人になりたいのですが、私の場合は中二よりちょっとだけマシ? な中三程度で止まったままです(ちょっと上手いこと言ったとにんまりする時点で、まだ中二で停車中)。

#ミスター・バイク 1977年2月号
#ミスター・バイク 1977年2月号
SP忠男のウェアを着ているイメージが強い忠さんですが、実はかなりお洒落さんらしいです。この衣装はスタイリストさんが用意したものでしょうか? 否、おそらく自前でしょう。使い込まれたブーツが無言で証明しています。ヘルメットにももちろん目玉マークが入っています。

 巻頭カラーは。バイク好きなら誰もが名前は知っているというか、知らなきゃ恥ずかしいレベルのケニー・ロバーツ。ですが、豪快にリアを滑らせまくってライディングしているのはYZR500ではなくXS650改ダートトラッカーです。当時の日本ではダートトラックレースを知っている人の方が圧倒的少数でした。それなのに巻頭で、少なくとも日本ではまだまだ無名に近かったケニー・ロバーツ(アメリカではすでにチャンピオンを獲得していました)に注目するとは! ミスター・バイクはやはりどこか他誌とは違う感性があるのです(ヨイショっと)。
 撮っているのは木引繁雄さん。掲載したミスター・バイクよりも、若き日のケニー・ロバーツに注目した木引さんの洞察力の勝利ではないでしょうか。新年の巻頭を飾るに相応しいすばらしい写真です(お世辞ではなく)。
 続くモノクログラビアは発売されたばかりのZ650のインプレ。かと思ったら、タイトル「冬の旅」とあるように、純粋なインプレではなく旅の情緒的なエッセイ。これも他誌ではあまり見かけないミスター・バイクらしさといえます(いろいろな意味で)。

#ミスター・バイク 1977年2月号
当時は「カウンター」とか「テールスライド」なんてしゃれた言い回しではありません。ズバリ「逆ハン」です(といっても、CB50JXのハンドルをひっくり返して取り付けて「スワローハンドルだ」といきがる高校生の逆ハンとは違います)。
#ミスター・バイク 1977年2月号
詳細なインプレも旅の情報もほぼ皆無。そもそもこのトビラカットの意味も伝わりにくいかも……旅人は富士山にTYで登った茅野さんです。

 創刊以来続く、たぶん人気コーナーの「女」には、三好礼子さんが登場しています。女性モーターサイクルジャーナリストの草分け的な存在で、現在はエッセイや自然回帰などで活躍している礼子さん。当時19歳。おそらくメディア初登場ではないでしょうか。TS250ハスラーで日本一周を始めた頃で、1976年11月26日の出発からの旅の記録は「日本一周乙女の独り旅」として今号から連載が始まりました。この連載を読んでバイクでひとり旅に出る女性ライダーが増えたと聞いております。また、それにつられるようにバイクに興味を持ち始めたよこしまなヤングマンも多々おったと聞き及んでおります。
 ちなみに担当編集者は、このコーナーですっかりおなじみになった東京エディターズ最後の生存者、現社長の中尾祥司氏だったそうです。
「当時は携帯はもちろん、FAXも普及していない時代でした。『旅人・レイコ』に、編集部から連絡する術はありません。レイコからの、原稿と写真の入った手紙をひたすら待つしかありませんでした。毎月締切に間に合うかどうか、ハラハラしていた記憶があります。旅先のレイコから、たま〜に公衆電話が入ることもあって、大抵は、『今は何処? 原稿はなるべく早く送ってね! それと気を付けるんだよ!』ってくらいの会話でした。懐かしい、と遠い目をする今日この頃……」とコメントいただきました。
 満足な連絡手段がはなく、旅先から送られてくるものをひたすら待つ。今では考えられない環境下だからこその臨場感とか高揚感とか不安感とか多彩な感情が入り交じったことも、AIじゃできない(のかな?)バイク史に残るような素晴らしい連載記事になった一端ではないでしょうか。

#ミスター・バイク 1977年2月号
#ミスター・バイク 1977年2月号
1980年代、三好礼子さんに憧れてバイクに乗り始めた女性の方も多いと思います。今でも乗り続けている方はどれくらいいらっしゃいますか?

 転じて活版の頭はミスター・バイク編集室から新年のごあいさつ。平成キッズからすれば腰を抜かすかもしれない切り抜きの顔写真とイラストの組み合わせは当時の大定番です。次は「キミにもできる外国製品輸入術のすべて」。外国車のカタログ一枚からバイクまで、個人輸入のノウハウを事細かく書いてありますが、読むだけで嫌になる面倒な手続きだらけ。もっとも今このとおりにやろうとしても事務手続き上おそらく不可能でしょう。ネットでポチっとすれば、外国製品でも簡単に手に入る(といいますか最近は外国製品のほうが多かったりしますが)平成キッズのみなさまは、またもや腰を抜かすかもしれません(絶対に抜かさないと確約できます)。
 新年号らしくこたつで楽しむ「バイククイズ難問珍問集」に続いては、生々しい事故写真や事故の責任問題、金銭問題などを綴った「事故!! その解決は?」。おとそ気分のお正月には似合わないような、事故を起こすとどうなるかというぐっと重めな記事です。「一年の計は元旦にあり」といいますから、気を引き締めて今年も安全運転で、という編集部からのお年玉です。

#ミスター・バイク 1977年2月号
当たり前ですがみなさんお若い! 48年後に再びさらし者、ではなく皆様のご慧眼に巡り会えるとは誰も思わなかったことでしょう。

 後半のモノクログラビアは現役白バイ隊員かつトライアルライダーの黒山一郎さん。大阪府警の白バイ隊員でありながら、前年の第4回全日本トライアルで彗星の如くデビューして優勝というマンガのような快挙を成し遂げました。プロフィールには「昨年結婚したばかり」とありますが、そのお子様がヤマハのトップライダー黒山健一選手です。バイク好きのみなさんは、何をいまさらと思うでしょうが、キングケニーだけでなく、黒山選手のお父さんにもスポットを当てていたのです。
 読者さんが色々な企画にチャレンジする(させられる)「ボクのなんでもアタック」は路上で勝手にパーツ販売。ガレージセールなんてしゃれたものはまだなく、掘り出し物の中古パーツを入手するのは雑誌の個人売買を穴が空くほど探すのが定番でした。解体屋さんも一般的ではなく、「○○○部品交換会」というガレージセール的な催しもあるにはありましたが、どちらも一見さんや素人には恐ろしく敷居の高い世界でした。だからといってよりにもよってオシャレタウンの原宿で中古パーツを路上販売する(させる)とは、無茶を通り越して無謀です(だから企画として成り立つのです)。これも今やったら、警察沙汰になりかねません。昭和はあっちもこっちも、無駄に漲るパワーが溢れていたのです(コンセンサス? それって美味しいの←すでに死語)。

#ミスター・バイク 1977年2月号
今時のおまわりさんだったら、コンプライアンスとかなんとかで、白バイ隊員とトライアルライダーの二刀流はおそらくやりたくてもできないでしょう。
#ミスター・バイク 1977年2月号
さすが原宿。いきなり怒られて場所を移動しています。結果、売れたのは100円のリアショックだけ。というより売れたことに驚きました。


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2026/03/13掲載