1980年代、原付スクーターは不動のジャンルを確立した。しかし第一次スクーターブーム後の急速な市場冷え込みに懲りてか、「大型スクーターは売れない」が定説となっていた。二人乗りの出来る原付二種クラスも存在したが、ほとんどが50と同じデザインでありスクーター=原付という概念を覆すまでには至らなかったが、1982年、再びヤマハが動いた。
HY戦争がピークを迎え、それこそ毎月ニューモデル(マイナーチェンジやカラーチェンジ程度ではなく、全くのニューモデル)が出ると言われた1982年、ヤマハから一台のスクーターが発売された。
それまでのスクーターは短距離移動の足という固定観念から脱却し、ギアチェンジのいらないイージーライディングにより、シティユースはもちろん高速道路を使ったロングクルージングも視野に入れて設計された新しいジャンルのスクーターであった。
曲線主体の優雅なデザインのフォルムの中には、ヤマハスクーターとしては初の4ストロークエンジンを搭載。
もちろん専用設計でフルカバードボディに搭載するために、エンジン、キャブ、Vベルトを強制的に冷却するためのファンを採用し、振動対策として一軸バランサーも組み込まれた。
サスペンションはフロントが片持ちのボトムリンク油圧式、リアはクラス初のスプリング5段階切換式で、前後共にオイルダンパーも採用している。
フロントフロア部分とリアのストップランプ上にはキー付きトランクスペース、ホーンボタンを押すとメインスイッチの文字部分がグリーンに点灯しキーの差し込み口がひと目で解る機能、スクーター初のデジタル時計とサイドスタンド標準装備と格納忘れ警告灯などの豪華装備も用意され、ワンランク上のニューカテゴリースクーターをアピールした。
メイドインジャパン=高品質が当たり前となっていたので、斬新な機構であってもSC1の轍を踏むことはなかったが、当時のベクトルはスピードとハイスペック、ハイパワーに向いており、イージークルージングの大型スクーターが、脚光を浴びるにはまだ早すぎた。
SC1のリベンジとはならず、シグナスは、カラーチェンジさえもなく、残念ながら一代限りでカタログ落ちしてしまった。
原付きスクーターは市民権を得たものの、「おばちゃんの足」というイメージがまだまだ残っていた。当時の若者はギア付きのフルサイズ50(=ゼロハンスポーツ)からが常道で、昨今のように足としてスクーターを選択することはそれほどメジャーではなかった。そんな若者たちの意識を変革させたのがJOGだった。
フロントフェンダーが一体式となったスマートなデザインのボディは、乾燥重量49㎏という軽量コンパクト。それに4.5馬力というハイパワーエンジンの組み合わせは、明らかに速かった。リミッターのない初期型ならば軽く70km/hは出た。
そしてシートロック機能(シート下はトランクではなくガソリンタンク)、ヘルメットホルダー、大型リアキャリア、セルスターター、12V電装などの当時としては豪華ともいえる装備ながら、10万円を切る価格となれば、ヒットしないわけがなかった。
ちなみにホンダから1985年に登場した対抗馬DJ-1は「打倒ジョグ」の頭文字と言われるほど、ジョグは強かった。
パッソルに次ぐ大ヒット作となったJOG(初代CE50系)は、マイナーチェンジを繰り返し、1987年2月、2代目(CG50E系)にモデルチェンジ、以後1989年2月3代目ニュージョグ(CY50系)、1991年1月4代目(YG50系)、1997年12月5代目(YV50系)、2001年2月6代目(CV50 系)、2007年10月7代目(現行CE50系)と今日もその歴史は脈々と続いている。
ジョグアプリオ、ジョグポシェ、ジョグC、ジョグZR、リモコンジョグ、限定車などバリエーションも多彩で、すべてをカバーすることは出来ないが、次のページからは、初代、2代目ジョグシリーズをダイジェストカタログで。