Part5 電動スクーターがやってきた
クリーンなバイクとして昔から注目されていた電動バイク。一般に広く浸透するのは大きく高いハードルを越えなければならなかったが、またしてもヤマハはやってのけた。
排出ガスを出さない電気を動力源としたバイクはひとつの理想であり、古くから試作研究が行なわれている。
1965年電気自動車の研究に着手し、先鞭を付けていたダイハツは1975年、本格的な市販車としてはおそらく国産初の電動三輪バイク、ハローBCを発売した。
しかし、抵抗器のつなぎ替えによって速度を制御する当時の技術は電動バイクにとって効率が悪く、25万9千円という価格も250クラスのスポーツバイクと同等であり、排出ガスや騒音という環境面以外では、全てにおいてガソリンエンジンの原付モデルに対抗することはできなかった。
18年後の1993年、ヤマテ工業という一企業がES500(原付一種)を製作し発売したが、50万円近い価格がネックとなりこれも広く浸透することはなかった。
翌`94年にホンダも200台限定公官庁や自治体向けのリース車という形ながら、初の電動バイクCUV-ESを発表したが、これも85万円という現実的ではない価格が付けられており試作的な意味が強かった。
東京モーターショーでは、電動のショーモデルが毎回のように出展され、メーカーもユーザーも高い感心は持っていたが、日本の高い技術力を持ってしても、まだ漠然とした未来の乗り物という認識が一般的であった。
そんな状況の中、またもヤマハは動いた。
2002年11月に電動バイク「パッソル」の販売を開始したのである。
電動アシスト自転車のパスで培ったノウハウを生かし、効率よく電気やモーターを制御する新技術YMCSを開発。電動らしいスムーズな発進加速と一充電あたり12円という高い経済性と32kmの航続距離を達成した。
バッテリーの小型化やアルミの多用で車両重量を45kgに抑え、価格も原付スクーターより少し高いが手が届く20万円に設定された。
それまでの電動バイクが解決できなかったバッテリーの小型軽量化は、新神戸電機、日立製作所との共同で高効率高出力ながら単体重量わずか6kgという世界初の二輪車用脱着式リチウムイオンバッテリーの開発に成功した。
当初はインターネットによる首都圏での限定販売であったが、翌年5月からは全国販売を開始する(全国発売開始から価格は充電器込み24万円に変更)。
2005年5月には大人の遊び心があふれた第二弾のEC-02も登場した。
その年の東京モーターショーではEV(エレクトリックビークル)、ハイブリッドコミューターのHV-01、DENONYCHUS、FC-me、パッソルLを参考出品、11月にはパッソルLが市販化されEVのヤマハを大きくアピールした。
そして2010年9月(当初は首都圏限定発売で全国発売は10月から)に、第二世代となるEC-03を発売した。車体に充電器を内蔵したプラグイン充電方式を採用し、高エネルギー密度50V新リチウムイオンバッテリーと超薄型パワーユニットYIPUの組み合わせにより、一充電あたりの走行距離は43kmに延びながら価格は25万円台に抑えられている。
また、燃料電池バイクの開発も熱心に推進しており、2005年にはモニター車としてメタノール燃料電池バイクFC-meを静岡県に貸与している。
昨今は外国製の廉価なスクーターや、本格的なスポーツモデルの電動バイクも増え始めており、市場的には電動バイクの未来はまだ始まったばかりと言えるのかも知れない。初代パッソルやJOG、マジェスティが新しい需要を開拓したようにヤマハEVがまたあらたな時代を切り開いていくだろう。